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幕間第9話:技術顧問の憂鬱と、予算外の結界術

 仮の市民IDが発行されてから、数週間が過ぎた。

 リュナの日常は、観測室での実験と、響との言語セッションの繰り返しだった。


「―――フレイムアロー」


 魂の抜けたような詠唱と共に、もはや見慣れた炎の矢が観測用の壁に着弾する。

 その様子を、観測室に設置された巨大モニターに映る、軍服姿の厳つい男性――オオトモ大佐が、腕を組んで厳しい目で見つめていた。


 今日は、正式に都市防衛部隊から格上げがされた都市防衛軍本部との共同プロジェクト「対異次元存在用 指向性エネルギー兵器」の定例報告会の日だった。


 リュナの放つ魔法のエネルギーパターンを解析し、それに酷似した性質を持つ「対魔獣用プラズマ」を開発する。それが、このプロジェクトの目的だ。


 世間では、なぜ防衛軍になったのか?侵略戦争を計画しているのではないか?という声もあるが、異世界との接続ということを経ての対応らしい…。

 とはいえ少し情報が入るだけでそれ以上についてはネットニュースと同じレベルでしか知らないが。


 隣に座る響が、緊張した面持ちのリュナの背中をそっとさすっている。


「……以上です」

 如月博士が報告を終えると、大佐は一つ頷いた。

『うむ。リュナ技術顧問の協力により、我々のプラズマ兵器の安定性は着実に向上している。感謝する』

 その言葉に、リュナは複雑な表情で小さく頭を下げた。


 報告会が終わり、疲れ果てた様子で椅子に座るリュナに、俺は甘いコーヒーを差し出した。

「お疲れ様。……自分の魔法が、兵器開発に役立ってるって知って、どうだ?」

「……嬉しい、です」

 リュナは、俯いたまま、ぽつりと呟いた。


「私の力が、この世界の人たちを守ることに繋がるなら、それは、とても嬉しいです。でも……」

「でも?」

「毎日、毎日、火の玉を撃つだけ。これじゃ、私はただの『便利な火種』みたいで……。何のために、ここにいるんだろうって……」


 響が、リュナの手をそっと握った。

「自分の得意なことをやらせてもらえないのって、辛いですよね。……私の専門も、リュナさんが来るまでは、ずっと『趣味』だって言われてきたんです」

「響さんの……?」


「はい。この世界では、AI翻訳があるから、新しい言語を学ぶなんて、ただの道楽だって。研究予算も全然つかなくて……。でも、リュナさんが来てくれたおかげで、私の知識が、初めて本当に『必要』とされた。だから、リュナさんの今の気持ち、すごくよく分かります。結界術っていう、リュナさんだけのすごい力があるのに……」


 自分の専門性を発揮できないリュナのプライドが、今の役割に満足できずにいた。

 響の言葉が、その傷に優しく寄り添う。


 その言葉に、隣でデータを見ていた如月博士が、申し訳なさそうに割って入った。

「もちろん、我々もリュナ顧問の専門が結界術であることは重々承知しています! ですが、財務部の田中さんが……」

 博士は、悔しそうに自分のタブレットを叩いた。

 画面には、見慣れた名前からの無慈悲なメールが映し出されている。


【件名:RE: 空間制御系魔法の観測予算申請について】

「当該魔法の直接的な戦闘能力及びコストパフォーマンスが不明瞭。既存の物理的防壁と比較した場合の優位性を、定量的なデータで示されたし」


 俺は、胃のあたりがキリリと痛むのを感じた。分かる。分かりすぎるぞ、博士。

 それが、財務という名の壁なんだ……。


 そんな重苦しい空気が続いていた、ある日のことだった。

 観測室の奥、厳重に隔離された実験エリアで、けたたましいアラートが鳴り響いた。


「―――緊急事態発生! 対魔獣用プラズマの出力が不安定! 軍規格のコンテインメント・フィールドで制御不能!」

 研究員の一人が、悲鳴に近い声を上げる。

 モニターには、ガラスケースの中で青白いプラズマが荒れ狂う様子が映し出されていた。


「くそっ、このままじゃ暴走するぞ!」

 モニターの向こうの牧原先輩が怒鳴る。

「メイン電源を落せ!」

「ダメです!」

 如月が即座に否定する。

「今シャットダウンすれば、緊急冷却システムも停止してしまう!」

「ならどうするんだ! あのフィールドが消えたら、この区画全体がプラズマで焼き尽くされるぞ!」


 科学者たちが、絶望的な状況で打開策を見つけられずにいる。

 その光景を、リュナは食い入るように見つめていた。

 彼女の瞳に、かつてないほど真剣な光が宿る。


「……愁也さん、博士」

 リュナが、静かだが、強い意志のこもった声で言った。


「あのエネルギーは、私の魔法を再現しようとしているんですよね。なら、私なら抑えられるかもしれない」

「何を……?」

「私の専門は、結界術です。あの力が完全に消えるまで、私が代わりの『壁』になります」


「無茶だ!」

 俺は思わず叫んだ。

「あんな高エネルギー……」

「リュナさん、危ないです!」

 響も、青ざめた顔でリュナの腕を掴んだ。


「やってみなければ、分かりません!」

 リュナは、俺たちの言葉を遮った。


「データが取れないから、費用対効果が不明だからって、後回しにされてきた私の『本当の仕事』を、今、やらせてください!」

 その瞳の力強さに、俺も、如月も、そして響も、息を呑んだ。


『……許可する』

 静かに響いたのは、モニターに映るオオトモ大佐の声だった。

『やってみろ、技術顧問。全責任は私が取る。だが、危険だと判断したら、即座に中断する。いいな?』

「はい!」


 リュナは、隔離エリアの前に立つと、黒檀で作られた『賢者の杖』を強く握りしめた。

 半年前の事件後、その性能が再評価され、正式に予算で購入されたものだ。最も、実験ではほとんど魔法少女の杖を使用しているが……。


 彼女が詠唱を始めると、その場の空気が変わった。

 フレイムアローの時のような、瞬間的な力の爆発ではない。

 もっと静かで、緻密で、そして荘厳な、世界の法則そのものを編み上げるような、複雑な呪文。


 彼女の足元に、幾何学的な魔法陣が淡い光で描かれ、それがゆっくりと立ち上がると、荒れ狂うプラズマを封じ込めているガラスケースを、シャボン玉のように優しく包み込んだ。


「すごい……」

 如月博士が、センサーの数値を食い入るように見つめている。

「観測できますよ……! 波長が酷似しているからこそ、最小限の力で干渉し、制御している! これが費用対効果ですよーっ!」

 博士の喜びの叫びは、半分くらい私怨が混じっていた。


 その横で、響はただ「……きれい」と呟き、魔法の美しさそのものに心を奪われていた。


 リュナの額に、玉のような汗が浮かぶ。

 やがて、科学のエネルギーフィールドが、ぷつりと音を立てて完全に消滅する。だが、プラズマが外に漏れ出すことはなかった。

 リュナが作り出した、淡く、しかし何よりも強固な魔法の結界が、それを完全に封じ込めていたからだ。


「……今のうちに、修理を!」

 俺の叫び声で、研究員たちが我に返り、一斉に作業を開始する。

 数十分後。緊急修理が完了し、科学のフィールドが再起動する。

 その安定を確認すると、リュナはそっと詠唱を解いた。魔法の結界が、光の粒子となって静かに消えていく。


 その場に、へなへなと座り込むリュナ。

 俺と響は、慌てて彼女の体を支えた。


「……やりました」

 疲労困憊のはずの彼女の顔には、満面の笑みが浮かんでいた。

「これが、私の、本当の魔法です」


 その日、リュナは初めて、自分の力がこの世界で「かけがえのないもの」として役立ったことを実感した。

 彼女の瞳には、この世界に来てから、最も強く、そして誇らしい光が宿っていた。


「リュナ顧問!」

 感動的な雰囲気をぶち壊すように、如月博士がタブレット片手に駆け寄ってきた。

「素晴らしい活躍でした! つきましては、記憶が新しいうちに、こちらの『緊急時における予算外魔法行使に関する報告書』及び『空間制御系魔法の定性的効果と今後の定量的観測に向けた考察』について、ご記入をお願いします!」


 リュナの誇らしい笑顔が、ぴしり、と固まった。

「博士! 今は休ませてあげてください!」と響が博士を止めに入る。

 俺は、そんな二人と、疲れ切った功労者の間にそっと割り込み、一番甘いコーヒーを手渡した。どうやら、リエゾンの本当の仕事は、奇跡の後始末らしい。

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