第13話:賢者のロジック
重い沈黙が、シールドルームを支配していた。
「電気」と「神の力」。
そのあまりにも大きな認識の断絶は、俺たち科学の世界の人間にとって、越えがたい壁のように思えた。
若い研究員が呟いた「電気さえ使えれば」という儚い希望は、文化という名の分厚い壁に阻まれ、音もなく霧散してしまったかのようだった。
研究員たちは、手元の端末に視線を落としては、意味もなく指を滑らせている。
メインスクリーンに無音で映し出される第7ブロックの惨状が、彼らの無力さを静かに、そして残酷に映し出していた。
誰もが思考の袋小路に迷い込み、出口を見失っていた。
その息が詰まるような空気を破ったのは、リュナだった。
彼女は、俺たちがなぜ「雷」ごときでそこまで思い詰めているのか、不思議に思ったのかもしれない。
あるいは、この重苦しい空気を少しでも和らげようとしたのかもしれない。
不安げに、しかし、何かを決意したような表情で、彼女はゆっくりと口を開いた。
「……あの、私たちの世界に伝わる、古い昔話があるんです」
彼女は、少しでもこの場の助けになれば、と語り始めた。
その声は、最初は小さく、自信なさげだったが、物語を紡ぐにつれて、次第に確かな響きを帯びていった。
まるで、故郷の夜空に輝く星々を思い出すかのように。
「昔々、ある国に、人々を苦しめる『荒神』がいました。ですが、賢者たちは知っていました。荒神が使う天の雷撃は、元々は荒神のものではなく、遥か天上にいます大いなる神様から奪った力なのだと」
リュナの声だけが、静かなシールドルームに響く。
研究員たちの何人かは顔を上げたが、その目にはまだ、科学者特有の冷めた光が宿っていた。
「人々が絶望する中、たった一人、国を守るために立ち上がったのが、一人の大賢者様でした。大賢者様は、荒神を止めるため、たった一人で嵐の中心にある山の頂に登りました。荒神は怒り、これまでで最も強大な天の雷撃を、大賢者様に落としました。誰もが、大賢者様は黒焦げになってしまったと思ったそうです。ですが……」
彼女は、そこで一度言葉を切った。
俺たちの反応を、不安そうに窺うように。
「大賢者は、その身に荒神の雷撃を受けながらも、それを天に打ちませんでした。ただ、天を仰ぎ、こう祈ったそうです。『大いなる神よ、御許に御力を今、お還しします』と。
すると、大賢者の身体を通った雷は、清らかな光の柱となって天に昇り、力を失った荒神は塵となって消え去ったのです。
だから、私たちの世界では、雷は神の力であり、同時に、清い心を持つ者が正しく導けば、希望にもなる力だと、そう伝えられています」
物語が終わると、再び沈黙が訪れた。
「……興味深い神話だ」
研究員の一人が、あくまで文化人類学的な見地から感想を述べた。
彼の隣では、別の研究員が退屈そうにあくびを噛み殺し、また別の研究員は、手元の端末で何か別の情報を検索しているようだった。
「自然現象と神格、そして英雄譚を結びつける。古典的な神話の成り立ちだな。発生起源のサンプルとしては、非常に価値がある」
誰もが、それをただの「昔話」としてしか受け取っていなかった。
科学の俎上に載せる価値もない、ただのファンタジーだと。
「……私にできるのは、これくらいです」
リュナは、自分の話が役にたたなかったと感じたのか、力なく微笑むと、再び『賢者の杖』を手に取った。
「少しでも、解析の足しになるように、もう一度、魔法を使います」
彼女が杖を構え、詠唱を始めようとした、その時。
「待ってくれ!」
俺は、ほとんど叫ぶようにして、彼女を制止した。
司令室の全員の視線が、俺に突き刺さる。驚き、いぶかしみ、そしてわずかな苛立ちを含んだ視線が。
「愁也君?」
牧原先輩が、怪訝な顔で俺を見る。
「先輩……今の話……! 何か、引っかかるんです!」
俺は、リュナに向き直った。
「リュナさん、もう一度教えてくれ。その大賢者は、雷をその身に受けたんだよな? なのに、なぜ無事だったんだ?」
「え……それは、大賢者様が偉大な方だったから……だと思います」
「いや、そうじゃなくて、方法論としてだ。プロセスを聞きたいんだ。君の世界には、天の雷撃を受けても黒焦げにならずに済むような、特別な魔法や神様の加護があるのか?」
俺の問いに、リュナは少し考え込み、そしてはっきりと首を横に振った。
「いいえ、ありません。神の怒りである雷に打たれて、無事でいられる者など、一人もいません。だからこそ、このお話は奇跡として語られているんです」
「―――奇跡じゃない。だとしたら、それは技術だ」
俺の頭の中で、リュナの言葉と、これまでの科学的知識が、まるでパズルのピースのようにカチリと嵌まった。
雷は、この世界ではただの自然現象だ。だが、彼女の世界では「神の力」であり、同時に「希望にもなる力」だと伝えられている。
そして、大賢者はその雷を「受けた」にもかかわらず、無事だった。そして、その力で荒神を倒した。
俺は、ホワイトボードに駆け寄ると、殴り書きで簡単な図を書き始めた。
【雷(入力)】→【大賢者(変換)】→【荒神を倒す攻撃(出力)】
「みんな、物語の結末に騙されてる! 『天に還した』ってのは、あくまで伝承上の表現だ! 肝心なのは、そのプロセスだ! これはシステムフロー図と同じだ!」
俺は、図の「大賢者」の部分を強く丸で囲んだ。
「リュナさんの世界の常識でも、雷に打たれたら死ぬ。これは確定した事実だ。それなのに、なぜ大賢者は無事だった? そして、どうやって荒神を倒した? 答えは一つしかない!」
俺の声に、熱がこもる。
「大賢者は、受けた雷を、自分の中で何か別の力に変換したんだ! そして、その変換した力で、荒神を打ち破るほどの強力な攻撃を放った! つまり……!」
俺の言葉に、それまで冷ややかな目で見ていた研究員たちが、息を呑む。
「雷を、魔力に変換して、とてつもない威力の魔法を使ったってことじゃないのか!?」
その瞬間、司令室の空気が爆発した。
「まさか……!」
「電気を、魔力に……!?」
「そんな馬鹿な! だが、もしそれが事実なら……!」
「理論的には可能か!?」
「いや、だが、目の前にヒントが……! 神話を、エンジニアリングの視点で読み解くだと!?」
科学者たちの目が、再び輝きを取り戻す。
絶望的なエネルギー不足という壁に、今、一つの亀裂が入った。
それは、一人の少女が語った昔話と、一人のエンジニアの論理的な推理によってもたらされた、あまりにも細く、しかし確かな希望の光だった。この光が、やがて都市を覆う闇を打ち破る、燎原の火となることを信じて。