第12話:最前線の絶望と、研究室の希望
【第7ブロック 防衛ライン・指揮車両内】
「―――第二小隊、後退! ジャガーノート3号機を盾に、戦線を再構築しろ! 弾幕が薄いぞ、何をしている!」
指揮官は、荒いノイズ混じりの無線に怒鳴り返しながら、モニターに表示される戦況図を睨みつけた。
網膜のように広がるホログラムには、敵味方の識別信号が、まるで悪性のウイルスのように明滅を繰り返している。
コーヒーはとっくに冷え切り、ぬるい泥水と化していた。
窓の外では、俺たちの科学力の結晶が、異形の獣と死闘を繰り広げていた。
兵士が乗り込んだ、ずんぐりとした二足歩行のパワードスーツ『ヴァンガード』が、携行式のプラズマ砲を断続的に発射し、小型の魔獣を焼き払う。
その高エネルギー攻撃だけが、奴らに確実な損傷を与えられる唯一の手段だった。
だが、そのプラズマ砲を動かすバッテリーパックも、すでに底を突きかけている。
後方に補給線があるとはいえ、この乱戦ではいつ途絶えてもおかしくない。
その後方からは、巨大な蟹のように六本の脚を持つ多脚ロボット『ジャガーノート』が、その巨体で大型魔獣の鎌を受け止めていた。
ジャガーノートのパイロットは、機体の軋む音を聞きながら、歯を食いしばる。
「耐えろ! 耐えるんだ! ここを破られたら、俺たちの家族がいる市街地まで一直線なんだぞ!」
防衛ラインは、数日前に投入されたこれらの新兵器によって、かろうじて維持されていた。
だが、それはあまりにも脆い、ガラス細工のような均衡だった。
「指揮官! 3号機の装甲、限界です! パイロット、応答しろ! 鎌の一撃で脚部が……!」
オペレーターの悲鳴と、ジャガーノート3号機パイロットの断末魔が無線に響く。
モニターに映っていたジャガーノートが、巨体を大きく傾がせた。
その一瞬の隙を突き、マンティスの鎌がコクピットを直撃する。
爆発炎上する機体。戦術マップから、味方の識別信号が、一つ、また一つと無慈悲に消えていく。
「くそっ……!」
指揮官は、コンソールを強く殴りつけた。
何ということだ。我々の最強の兵器が、まるで虫けらのように捻り潰されていく。
兵士たちの命は、モニター上の赤いランプに変わり、一つ、また一つと消えていく。
(知っている。この異形の存在が、我々の世界とは異なる次元から現れたものだということを。だが、それをこの兵士たちに伝えることなど、できるはずもない。彼らは、あくまで「武装勢力」が準備した生物兵器と信じて戦うしかないのだ)
我々は、勝つために戦っているのではない。
ただ、時間を稼いでいるだけだ。
本部の「卵の殻の中にいるお偉いさんたち」が、何か奇跡的な打開策を見つけてくれるまでの、あまりにも犠牲の大きい時間稼ぎを。
「本部は、一体何をしているんだ……! 早く、答えを……!」
その叫びは、誰に届くこともなく、絶え間ない爆音の中に虚しく消えた。
【サテライトラボ・シールドルーム】
「―――フレイムアロー!」
リュナが、あの『賢者の杖』を的に向けて構えると、以前とは比較にならないほど鋭く、凝縮された炎の矢が放たれた。
装甲壁に刻まれた傷跡は、明らかに昨日よりも深い。
「すごい……!」
リュナが、子供のようにはしゃいだ声を上げた。杖を手にしてから、彼女の魔法は目に見えて強力になっていた。
その純粋な喜びに、研究員たちの間にも、つかの間の安堵と希望の空気が流れる。
だが、その笑顔は、すぐに曇った。まるで、一瞬の輝きが、深い影に覆われたかのように。
「……でも、これだけでは、足りません」
実験の合間、休憩のために渡したスポーツドリンクを、リュナは一口、また一口とゆっくりと飲んだ。
その視線は、遠く、このシールドルームの壁の向こう、今この瞬間も仲間たちが戦っているであろう戦場を見つめているようだった。
「杖は、あくまで私の魔力を効率よく引き出し、周囲のマナを集めるためのブースターです。ですが……この世界は、私のいた世界に比べて、空気中に満ちているマナそのものが、あまりにも……薄すぎるんです」
彼女の声は、先ほどまでの弾むような調子とは打って変わって、どこか諦めを含んでいた。
彼女の言葉に、研究員たちの間の希望の空気が霧散する。
「大きな桶を用意しても、枯れかけの井戸から汲める水が少ないのと同じです。インフェルノ・バーストを発動するには、このシールドルームを満たすほどのマナを、一瞬で集めなければ……。この杖があっても、今の私には不可能です」
それは、決定的な宣告だった。
高性能なエンジンを手に入れた。だが、そのエンジンを動かすための燃料が、この世界にはほとんど存在しない。
シールドルームが、重い沈黙に包まれる。
「ああ……」
若い研究員の一人が、疲れ果てたように椅子に座り込んだ。
「この都市に無限にある『電気』さえ魔力に変換できるような、そんな都合のいい奇跡でも起きない限り……」
その自嘲気味な呟きに、リュナが小さく首をかしげた。
「……でんき?」
初めて聞く言葉だったのだろう。俺は、彼女に分かるように、ゆっくりと、言葉を選びながら説明した。
「電気ってのは……そうだな、リュナさんの世界で言うなら、雷の力に一番近いかな。ほら、黒い雲からゴロゴロって音がして、ピカッて光る、あの雷だよ。あれを、人間が道具を使って、いつでも、どこでも使えるようにしたものが、電気なんだ」
その説明に、リュナはぱあっと顔を輝かせた。その瞳は、まるで星を宿したかのようにキラキラと輝き、先ほどの落胆など微塵も感じさせない。
「ああ! 天の雷撃のことですね! もちろん知っています! あれは、天空の神様がお怒りになった時に放たれる、神の力です! もしかして、皆さんは神様をご存じないのですか? 私たちの世界では、大いなる神が天地を創造し、私たち人に知識を与え、そして尊き血筋には魔法の力を授けてくださったのです!」
そのあまりにも純粋で、そして熱のこもった語り口に、俺も、周りの研究員たちも、一瞬、言葉を失った。
リュナは、まるで子供が好きな物語を語るように、生き生きとしていた。彼女にとって、神の話は、ごく自然で、当たり前のことなのだろう。
科学の世界では当たり前の「自然エネルギー」が、彼女の世界では「神々の御業」として認識されている。
俺たちが今、必死に解き明かしようとしている「魔力」という現象も、彼女の世界では、きっと当たり前の日常なのだろう。
二つの世界の、あまりにも大きな断絶。
「……神、だと?」
「文化人類学的には興味深いが、今はそんなオカルトに付き合っている場合では……」
研究員たちが、困惑したように小声で囁き合う。
俺は、シールドルームの片隅にあるモニターに視線を移した。そこには、今この瞬間も炎に包まれる第7ブロックの惨状が、無音で映し出されている。
圧倒的なエネルギーが暴れ回る、あの戦場。
そして、エネルギーの「定義」すらままならない、この研究室。
ただ、待つことしかできない。
最前線の兵士たちが命を削って稼いでくれる時間を信じて。
そして、目の前の科学者たちが、この絶望的な状況を覆す奇跡の理論をひらめくのを。
俺は、ただ無力に立ち尽くすことしかできなかった。
シールドルームには重い沈黙が満ちていた。だが、リュナの言葉と、牧原先輩の揺るぎない眼差しが、俺の胸に小さな火を灯した。
この絶望的な状況を覆す奇跡は、きっと、この研究室から生まれるはずだ。そう信じるしかなかった。