第11話:概念のアンカー
「―――つまり、我々の課題は、リュナ君の体内で生成される『魔力』というエネルギーを、どうやって外部からブーストするか、だ。この一点を乗り越えれば、我々は新たな扉を開くことができるだろう」
牧原先輩の言葉が司令室に響き渡ると、集まった研究員たちの間にざわめきが広がった。
「彼女の生体エネルギーを直接増幅させるか? リスクが高すぎる」
「外部から高圧電流を流し込み、体内でエネルギーに変換させるのはどうだ。……いや、それでは感電死が関の山だろう」
「そもそも、魔力と電力のコンバージョンレートが不明では……」
「というか、そもそも『魔力』とは何なのか、その定義からして曖昧ではないか?」
議論は膠着状態に陥っていた。
未知のエネルギーに対し、俺たちの科学はあまりにも無力だった。
俺は、専門家たちの議論を黙って聞いていたが、ふと、最も根本的な問いを忘れていたことに気づいた。
「リュナさん」
俺は、不安そうに議論を見守っていた彼女に尋ねた。
「君の世界では、魔力が足りない時、どうするんだ? 何か、道具を使ったりはしないのか?」
その質問に、リュナは目を見開き、ハッとしたように頷いた。
「……あります! 『杖』や『マナストーン』を使います!」
「杖はわかるが、マナストーンとは?」
「はい。杖は、自分の魔力を増幅させたり、世界に満ちているマナ……ええと、魔力の大元になる力を集めて、自分の力に変換するための道具です!」
その言葉に、一人の研究員がハッとしたように声を上げた。
「マナストーン、ですか! そういえば、リュナさんの回収時、血まみれの服からこんな石が見つかっています。どう調べても特殊な構造体としか分からず、魔力と関係があるのではと推測していたのですが、もしかしてこれが……?」
彼は手のひらに乗るほどの、鈍く光る黒い石を取り出した。
リュナの回収時に見つかり、科学の範疇では理解不能だったそれが、今、リュナの言葉によって新たな意味を帯びようとしていた。
「リュナさん、これを握ってみていただけますか?」
リュナがその石をそっと握りしめた瞬間、石は淡い光を放ち始めた。
明るいシールドルームの中でも、その光ははっきりと見て取れる。
「おお……!」
「光ったぞ!」
研究員たちの間に、どよめきが広がる。
「これがあれば、上級魔法も使えるのか!?」
興奮した声が飛ぶが、リュナは首を横に振った。
「いいえ……これだけでは、まだ足りません。これは、魔力を一時的に蓄えるためのものです。魔力不足の私にとっては、あった方がいいものなのですが……今の私には、これだけではどうにもなりません」
「面白い」
牧原先輩が、知的な好奇心を隠せないといった風に、口元を歪めた。
「杖、か。残念ながら、本物の魔法の杖を作る技術は我々にはない。だが、『杖のようなもの』なら、いくつか集められるかもしれん」
牧原先輩の指示は素早かった。
「各部署、至急、それらしい形状の物品を収集せよ! 歴史資料館、民俗学研究室、果ては個人のコレクションまで、あらゆる伝手を辿れ! リュナ君、君たちも疲れただろう。少し休憩を取ってくれ。我々が準備を整える」
研究員たちは一斉に動き出し、電話をかけたり、端末を操作したりと、慌ただしく司令室を後にした。
俺とリュナは、その喧騒を背に、用意された休憩スペースへと向かった。
数時間後。
シールドルームには、研究員たちが文字通り「ありとあらゆる」場所から集めてきた、「杖のような形状のもの」が所狭しと並べられていた。
歴史博物館から借りてきた厳かな司教の杖、神社の祓串、どこかの部族が使っていたという呪術の杖、有名な登山家が使っていたピッケル、果てはただの木の枝まで。
リュナは、最初は目を輝かせ、一つ一つの「杖」を手に取った。
研究員たちもまた、期待に満ちた眼差しでその様子を見守る。
しかし、結果は惨憺たるものだった。
「……ダメです。何も感じません」
リュナが、厳かな装飾の施された司教の杖を置きながら、力なく首を振る。
その声には、次第に落胆の色が濃くなっていく。
「次だ、次!」
「これもダメか……」
研究員たちの間にも、焦燥と諦めが混じり始める。
「まあ、そうだろうな」
研究員の一人が肩をすくめた。
「我々の都市では、宗教的シンボルに科学的根拠以上の価値を見出す者はいない。それは、ただの歴史的遺物、いわばレリックに過ぎないということだ」
シールドルームに、再び重い絶望の空気が垂れ込める。
「……あのう」
その沈黙を破ったのは、会議の隅で身を縮めていた、若い研究員だった。
彼は、おずおずと、自分が持ってきた二つのアタッシュケースを開いた。
「博士……お遊びのようで大変申し訳ないんですが……その、趣味で集めていたものが……」
彼が最初に取り出したのは、ピンク色でハートの装飾が施された、いかにもな玩具の杖だった。
「昨年放映が開始されたアニメ『魔法少女ミラクル・ラパン』の……玩具でして! これ、ボタンを押せばシークレットボイスも流れる、大人気の杖なんですよ! 日曜朝にやってるんですけど、実は、この『魔法少女シリーズ』、累計でいえば100年もの歴史があるんです!」
「おいおい、冗談だろう?」
初老の研究員が、苛立ちを隠さずに言った。
「我々は今、都市の存亡を議論しているんだ。おもちゃで遊んでいる時間はないぞ」
「は、はい! ですが、これも一応『杖』ですので……」
若い研究員が縮こまるのを、牧原先輩が制した。
「まあ、いいだろう。ここまで来たら、藁にもすがりたい気分だ。それに、先入観は科学の敵だからな。リュナ君、試してみてくれ」
リュナは、もはや何の期待もしていないといった様子で、そのプラスチック製の玩具の杖を手に取った。
しかし、その瞬間、杖の先端にあるハート型のプラスチックが、ぽっ、と蛍のように一瞬だけ、しかし確かに淡いピンク色の光を放った。
これまでのどの『杖』でも全く反応がなかったというのに、この派手な色の、…子供向けの物だろう、子供たちが遊ぶ「英雄ごっこ」で使う木の棒と同じようなものが……?
リュナは驚きに目を見開いた。
信じられない思いで、杖を軽く振ってみる。
すると、ハートの先端から、小さな光の粒がふわりと舞い上がった。
リュナは思わず、シールドルームの壁の一点に意識を集中し、魔法を放つイメージを固める。
これまで全く反応しなかった他の『杖』とは異なり、魔力の流れが淀みなく杖に集中していく。
そして、彼女の足元には、学院で使っていた杖と同じくらいの速度で、複雑な魔法陣が展開されていく。
「あっ……反応あります! しかも、魔法が使えます!」
リュナが声を上げた瞬間、それまで「おもちゃじゃないか」と嘲笑していた研究員たちが、一斉に自分のコンソールに殺到した。
「光ったぞ!」
「メインモニターにデータを回せ!」
「馬鹿な、ただのプラスチックだぞ!」
「エネルギー放出パターン、微弱だが記録! なんだこの波形は、初めて見るぞ!」
「再現性はあるのか、もう一度だ! リュナ君、もう一度頼む!」
科学者としての知的好奇心が、常識と侮蔑を上回った瞬間だった。
「じゃあ、博士! こちらも試させてください!」
若い研究員は、興奮する周囲をよそに、もう一つのケースから、明らかに異質な杖を取り出した。
それは、工芸品と呼ぶにふさわしい逸品だった。
使い込まれたような質感を持つ黒檀の本体には、寸分の狂いもなくルーン文字が彫り込まれ、鈍い艶消しの金属コーティングが施されている。
先端には、宝飾店に並んでいてもおかしくないほどの透明度を持つ、青い水晶が埋め込まれていた。
「は、はい! これはですね、劇場版も大ヒットした、中世ファンタジー活劇『エルダー・クロニクル』の主人公が使う『賢者の杖』の……公式レプリカなんです! MMOゲームとしても超大人気で、
累計1億のプレイヤーが遊んでいる50年以上続く作品の初代にしてどの作品にも出てくる主人公の杖でして! もう、本当に素晴らしい逸品でして! これ、数十万もしたんですよ!
衣装もフルセットで特注したものが……あ、いえ、これは関係ないですね、すみません!」
リュナは、その杖を見た瞬間、息を呑んだ。
彼女が知る「魔法の杖」そのもののような、威厳と美しさを兼ね備えたその姿に、興奮が抑えきれない。
「わ、私……こんな杖、買えないんで……触ったこともなかったんです……!」
リュナが、その黒檀の杖を震える手で手に取った瞬間、彼女の瞳が大きく見開かれた。
「―――来ます! すごい……すごい勢いで、力が……! 私の魔力が、今まで以上に使える……! でも、外から魔力が取り込めない……まだ、足りない……!」
リュナは、先ほどの玩具の杖と同じように、シールドルームの壁の一点に意識を集中し、魔法を放つイメージを固める。
すると、足元には、先ほどの玩具の杖で展開された魔法陣が、遥かに高速に展開されていく。杖が、青い光を放ち始める。
先端の水晶が、まるで本物の星のように、内側から強い輝きを放っている。
シールドルームの空気がビリビリと震え、杖から溢れ出した光の粒子が、リュナの身体にまとわりつくように流れ始めた。
彼女の周囲の空間が陽炎のように揺らめき、床の細かい塵が、静電気を帯びたようにゆっくりと舞い上がる。
センサーの警告音が、けたたましく鳴り響く。
「な……なぜだ!?」
「ただの木と水晶の塊のはずだぞ!」
研究員たちが混乱する中、牧原先輩だけが、じっとその光景を見つめ、まるで天啓を得たかのように呟いた。
「……そうか……そういうことか……」
彼は、先ほど「魔力とは何か」とリュナを詰問した、あの初老の研究員に向き直った。
「君は言ったな。『祈りの強さで計測でもするのか』と。……あくまで仮説だが、あるいは、そうなのかもしれんぞ」
牧原は、光り輝く杖と、傍らに置かれた玩具の杖、そして無反応だった司教の杖を交互に指さした。
「これらの決定的な違いは何かね? 君の言う通り、司教の杖に向けられるのは、もはや『信仰』ではない。過去への敬意や学術的興味、つまり化石化した『死んだ情報』だ。
だが、この杖が活躍する物語には、今この瞬間も、何十万というファンが熱狂し、愛情を注いでいる! 我々の都市では、かつて宗教が担っていた『信仰』という役割は、
今や物語…アニメやゲームが担っているのかもしれんな!」
彼の声に、熱がこもる。
「その膨大な『生きた想念』が、この杖に『魔法の杖』としての意味を与え、一種の概念的なアンカーとして、この世界に固定したんじゃないのかね?」
初老の研究員は、呆然とした表情で呟いた。
「……よっぽど、今の時代は宗教っていうのは信じられていないんだね。」
それは、科学の言葉では説明できない、だが、目の前の現象を説明できる、唯一の仮説だった。
俺は、杖を持ってきた若い研究員の、誇らしげで、そして少しだけオタク特有の情熱に満ちた顔を見た。
まだ、魔力を安定して供給できるかは分からない。
だが、俺たちは、たしかに科学と魔法を繋ぐ、最も重要なインターフェースの片鱗を手に入れたのだ。