第7話 黒い商人の甘い罠、揺れる心と神様の視線
あの腹黒商人・榎崎が村に現れてから、水見里の空気は目に見えて淀み始めた。
榎崎とその手下たちは、ニコニコと愛想を振りまきながら村に滞在し、村長だけでなく、他の長老たちにも甘い言葉で接触しているという噂が、あっという間に村中に広がった。
「榎崎様なら、わしらのこの苦しみを分かってくださるかもしれん…」
「あの商人様なら、腹一杯食えるだけの食料を恵んでくださるそうだぞ!」
一部の村人たちは、藁にもすがる思いで、榎崎に淡い期待を寄せ始めている。その一方で、私は見てしまったのだ。榎崎が村の古井戸や、かろうじて水が滲み出ている水源を、手下と一緒にこそこそと調べている姿を。
(やっぱりあの商人、絶対何か企んでる! あの胡散臭い笑顔の裏で、何を考えているのよ…!)
私の胸騒ぎを裏付けるように、榎崎の息のかかった者たち(主に食料で釣られた単純な若い衆だ)が、こんなことを言いふらし始めた。
「いつまでも水龍様だの巫女様だのに頼ってても、埒が明かねえよ!」
「そうだそうだ! 榎崎様の言う通り、もっと現実的な解決策を考えねえと!」
ああ、もう! なんなのよ、その現実的な解決策って!
結果、再び私への風当たりはビュービューと寒風吹きすさぶレベルに逆戻り。
「萩乃が中途半端なことしかできんから、水龍様も完全に目覚めきらんのじゃ!」
「いっそ、榎崎様の言う通り、あの娘をどうにかした方が、村のためになるんじゃ…」
(もー! なんなのよ、その「どうにかした方が」って! 具体的に言ってみなさいよ、具体的に! …って、言われたら困るけど! 私だって毎日毎日、一生懸命舞ってるのに! 純粋な魂の叫びって言われても、そんな簡単にホイホイ出せるわけないじゃないのよーっ!)
私の心は焦りと無力感でいっぱいだった。毎朝の川辺での舞の練習も、なんだか心が空回りしているような感じで、少しも手応えがない。
水晶様は相変わらず何も言わないけれど、時折、社殿の柱の陰から、じーっと私を見つめている視線を感じる。それは、気遣ってくれているようでもあり、単に監視されているようでもあり…やっぱりこの神様の考えてることは、さっぱり分からない!
(水晶様…。私、一体どうしたらいいんでしょうか…。あの商人から村を守りたいけど、私には何の力もないし…。でも、水晶様は神様だから、人間のゴタゴタに巻き込んじゃうのも申し訳ないし…あーもう!ぐるぐるするー!)
そんな私の葛藤を知ってか知らずか、榎崎は再び月岡村長の元を訪れていた。今度は、前回よりもずっと強硬な態度で、水の権利を要求しているようだ。社殿の奥にいても、榎崎のねっとりとした、嫌な声が聞こえてくる。
「村長殿、いつまでそうやって意地を張っておられるのですかなぁ? このままでは、この水見里は美しい思い出と共に、ただただ干上がってしまうだけですぞ? 私の提案を素直に受け入れてくだされば、皆が助かるというのに。それとも…何かこう、『別の方法』で、村の皆さんに現状をよぉく理解していただく必要がございますかな? フフフ…」
(ひぃぃ! なにその含みのある言い方! それって完全に脅しじゃないの!?)
村長の苦悩に満ちたため息が聞こえてくる。でも、村長は決して首を縦には振らなかった。それが、せめてもの救いだ。
しかし、村の状況は悪化の一途をたどっていた。水はますます枯渇し、村人たちの不満は日に日に高まっていく。私に向けられる期待と不信の視線が、まるで重たい鎖のように私に絡みつき、息苦しくてたまらない。
儀式も、舞も、笛も、何をやってもうまくいかないような気がしてくる。
(やっぱり…私じゃダメなのかな…。姉さんみたいに、何か特別な力でもないと…。私が年番なんかになったから、余計に村が、みんなが苦しんでるんじゃないのかな…)
そんな考えが、黒い靄のように私の心を覆い始めていた。
その日も、舞の練習から戻り、誰にも見られないように社殿の隅っこで膝を抱えてうずくまっていた時だった。
「……私なんか……いなければ、よかったのかな……」
ぽつりと、自分でも驚くほどか細い声が、口からこぼれ落ちた。
その瞬間、社殿の奥、いつも水晶様が静かに座っている辺りから、ぴりっ、と空気が凍るような気配がした。
気のせいかもしれない。でも、私のその小さな呟きを、あの神様が聞き咎めたような、そんな気がしてならなかった。
(次回、心の闇に沈む私…。そんな私に、水晶様がまさかの行動を!?)