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第23話 傷ついた心と、忍び寄る甘い影

「人と違うこと」が、こんなにも鋭い刃となって、たった五歳の娘の心を傷つけてしまうなんて――。

 あのお祭りでの一件以来、水見里に太陽が戻っても、私たちの家には、重く冷たい雨雲が居座り続けていた。


「しずく…? お昼ご飯、雫の好きな甘い卵焼きにしたのよ。少しでも、食べない?」

 部屋の隅で膝を抱えたままの娘に、私はもう何度目かになる呼びかけをする。

「…………いらない」

 か細く、弱々しい声。あんなにおしゃべりだった雫は、あの日からほとんど口をきかなくなり、大好きだったお絵描きも、お外で遊ぶこともしなくなってしまった。


 一番堪えたのは、雫が自分の力を、まるで汚いものでも見るかのように怖がるようになってしまったことだ。ちょっとしたことで感情が高ぶり、手のひらに小さな虹の光が灯ろうものなら、「やだっ!消えてっ!」と半狂乱で手を振って、その光を必死に消そうとする。その姿を見るたびに、私の胸は張り裂けそうだった。


「水晶様……私、どうしたらいいんでしょう…。あの子の笑顔を、もう一度見たいだけなのに…」

 その夜、眠れずに縁側で星空を見上げていると、水晶様が静かに隣に座り、私の肩をそっと抱き寄せてくれた。


「…今は、待つしかない。あの子が、自分自身の力と、心と、向き合えるようになるまで」

「でも…! このままじゃ、雫の心が壊れてしまいます…!」

「萩乃」

 水晶様が、私の名前を呼ぶ。その声には、夫としての優しさだけでなく、神としての深い憂いがあった。

「あの子の力は、我々の想像以上に強大だ。そして、その制御されていない力は、暗闇に紛れる者たちにとって、格好の獲物となる。…今はただ、あの子のそばにいてやることしか、我々にはできんのだ」


(獲物…? まさか、雫の力を狙うような者が…?)


 水晶様の言葉に、私は背筋に冷たいものが走るのを感じた。


 ***


 そんなある日だった。

 私が少し目を離した隙に、雫が社殿からいなくなってしまったのだ。

「雫! どこに行ったの、雫ーっ!」

 私と水晶様は、血相を変えて雫を探した。そして、村はずれの小さな小川のほとりで、私たちは娘の姿を見つけた。

 …そして、その隣に立つ、見知らぬ男の姿も。


 その男は、まるで月光をそのまま人の形にしたかのような、ぞっとするほど美しい青年だった。銀色の長い髪、切れ長の瞳、そして、人懐っこいのにどこか底の知れない笑みを浮かべている。


(だ、誰…!? この村の人じゃない…! それに、この人から感じる気配…これは、ただの人間じゃない…!)


「おや、これはこれは。雫ちゃんのご両親ですかな?」

 青年は、優雅に一礼した。その物腰はとても柔らかい。けれど、水晶様が私の前に立ち、守るように低い声で囁いた。

「…萩乃、油断するな。あれは、強力なあやかしだ」


 青年は、私たちの警戒などお構いなしに、雫に向かって優しく語りかけている。


「ねえ、雫ちゃん。君のその素晴らしい力はね、決して呪いなんかじゃないんだよ。むしろ、誰もが羨む、特別な贈り物なんだ」

「……でも、しずくのちからは、みんなをこまらせるだけ…」

「ふふ、それは違うよ。周りのみんなが、君のその偉大な力を理解できないだけなんだ。悪いのは君じゃない。君を理解しようとしない、周りの世界の方さ」


(な…なんてことを…!)


 その言葉は、まるで毒を含んだ甘い蜜のように、傷ついた雫の心にじわじわと染み込んでいくのが分かった。孤独だった子供にとって、これほど魅力的な言葉はないだろう。


「僕はね、君みたいな『特別』な子を探していたんだ」

 青年――妖狐の術者・**弧月こげつ**は、そっと雫の前に膝をつき、その目線に合わせて微笑んだ。


「僕の知っている場所に行けば、君はその力を、誰にも遠慮することなく、好きなだけ使うことができる。そこにはね、君と同じように『特別』な仲間がたくさんいるんだ。もう、誰も君を『化け物』だなんて言わない。みんな、君を歓迎してくれるよ。…さあ、僕と一緒に来ないかい?」


 弧月が、白く美しい手を、雫に向かって差し伸べる。

 雫は、迷っていた。その大きな瞳は、目の前の優しいお兄さんと、少し離れた場所に立つ、心配そうな顔の私と水晶様とを、行ったり来たりしている。


「待ちなさいっ!」

 私が叫ぶのと、水晶様が「それ以上、娘に近づくな」と地を這うような低い声で威嚇するのは、ほぼ同時だった。


 弧月は、ゆっくりと立ち上がると、私たちの方を向いて、初めてその瞳の奥に、冷たい嘲りの色を浮かべた。


「おや、これは手厳しい。私はただ、この可哀想な御嬢さんを、もっと素敵な世界へご招待しようとしていただけなのですがねぇ…?」

「雫から離れなさい!」


「雫!」水晶様が、娘に向かって呼びかける。「そいつの言葉に惑わされるな! 我々の元へ来るんだ!」


 しかし、雫は、弧月の甘い言葉に心を揺さぶられ、その場から動くことができないでいた。

 父と母である私たちと、孤独な心を理解してくれた、優しい(ように見える)見知らぬ青年。

 その間で、小さな娘の心は、今にも張り裂けそうなくらい、激しく揺れていた。


(雫…!お願い、こっちに来て…!)


 私の必死の祈りも、今の娘に届いているのかどうか…。

 事態は、最悪の形で、新たな局面を迎えようとしていた。


(次回、娘の心はどちらに傾く!? 家族の絆が試される、最大の危機!)

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