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若くして未亡人になったので、王国婚活アドバイザー(やりてばば)はじめました。~今日もなぜか超優良物件の魔術伯爵が成婚に至らず困っています~

「命尽きるその時まで、共に在ることを誓いますか?」


 たくさんの人々に見守られた教会の祭壇で、司祭が厳かに尋ねる。

 今日は、上流貴族であるセレブレイス侯爵の結婚式だ。


 花嫁は、赤毛が美しい今年18になったばかりのうら若き男爵令嬢。

 そしてその花嫁の隣に立つ侯爵は……なんと御年70を超える白髪の老爺である。


 財政難の男爵家に裕福な侯爵が手を差し伸べた結果、その対価として差し出された年頃の一人娘が花嫁である。

 結果、愛だの恋だのの片鱗もない、実に年の差50歳以上の政略結婚による夫婦が今まさに生まれようとしていた。


「はい……誓います……」


 しわがれた声で、侯爵はゆっくりと答える。

 上等な礼服に身を包み背筋を伸ばした姿は、上流貴族としての確かな品を有していた。背はさほど高くはないが、若い頃には立派な紳士だったことだろう。だが今その姿勢を維持する力が弱まっているのか、侯爵の足元はどこか心許ない。

 すぐそばに立つ花嫁には、侯爵が小刻みにぷるぷると揺れているのが見て取れた。


――大丈夫かしら?


 花嫁は心配になった。

 が、周囲の誰も気に留めていない。

 なぜなら、侯爵がぷるぷると震えているのなど、いつものことだったからだ。

 だから花嫁も気にしないことにした。もっとも、それを気にするようでは、この結婚も受け入れられなかったことだろう。

 老爺の新郎に続いて、花嫁も答えようと口を開いた。


「はい。誓いま――」


 だが、皆まで言えなかった。

 ぐらり、と。

 隣に立つ侯爵の身体が傾いたからだ。


「えっ……侯爵っ!?」


 花嫁はかしずき、慌てて侯爵の身体を支えた。

 枯れ木のような身体にもかかわらず、ずしりと重い。それは花嫁が非力な乙女だからというだけが理由ではない。

 侯爵の意識がなかったのだ。


(まさか……息をしていらっしゃらない?)


 はっ、と花嫁が気づく。

 それと同時に周囲の誰かが叫んだ。


「医師を呼べ! 早く!」


 人々が慌てふためき戸惑う中、侯爵は床に寝かされた。控えていた侯爵お抱えの医師がすぐさま駆けつけて、その容態をつぶさに確かめてゆく。

 やがて、医師は顔を上げると、ふるふると力なく首を横に振った。

 

「残念ですが、御臨終です……」


 晴れやかな結婚式の場が一転、新郎の突然の死に、参列していた人々は悲しんだ。先ほどまで夫婦の誓いを求めていた司祭も、今は死者に祈りを捧げていた。


 そんな状況に、最も困惑していたのが花嫁である。


 誓いの言葉を言い切ることもできぬままだったが、この結婚自体は取り消されなかった。

 どのみち結婚式の最中に夫に先立たれた花嫁など、不吉。他に貰い手も望めそうになく、命尽きるその時まで確かに共にあったのは事実……ということで、結婚は滞りなく受理されることになった。


 こうしてセレブレイス侯爵夫人になった花嫁――リリー・マリアージュは、結婚ゼロ日目にして未亡人となってしまったのだった。




 ――それから、10年の歳月が流れた。



 ***



「うふふ……」「それは何とも愉快な話だ」

「素敵なご趣味ですね」「わたくしのおすすめは――」


 そんな風に、男女が初々しく言葉を交わす茶会の場。

 花々が咲き誇るはなやかな庭園の最奥の円卓で、茶会の主催者であるセレブレイス侯爵夫人ことリリーは、その光景を満足気に眺めていた。


(ふむふむ、あの令嬢と子息はいい感じね。あっちの二人は、まだお互いに距離感を測りかねている感じかしら……ふふ。初々しいわね)


 自分がくっつけようとしている若い男女の姿に、リリーはにっこりと新緑色の目を細めた。

 手元には手帳がある。茶会に参加している男女の個人情報が書き記されたそこに、リリーはさらに『誰と誰とがいい感じ』である旨のメモを万年筆で追加する。


 リリーは現在28歳。

 社交界では、もう若くもない落ち着き始めた年齢だ。

 そもそも未亡人――つまり既婚者である。

 五十歳以上年上の夫に、結婚式のまさにそのただ中に先立たれて、かれこれ10年……主を失った侯爵家を女主人として切り盛りし、現在ではセレブレイス侯爵夫人としての確かな地位を得ていた。

 それと同時に、リリーは現在『王国婚活アドバイザー』をしている。

 貴族の令息令嬢たちに出会いの場を提供するため茶会を開き、男女の小指同士を運命の赤い糸で結ぶのだ。


 ――若者たちには、自分が得ることのなかった幸せな結婚を手にして欲しい。


 それが、結婚ゼロ日にして未亡人となってしまったリリーの願いであり、男女の出会いの場として茶会を開くようになった理由である。


 もともと亡き夫のセレブレイス侯爵は、貴族の中でも顔が広かった。

 王都からほどよく離れた領地は、他の貴族が移動する際の中継地として利用しやすい立地であり、なおかつ外部の者を歓迎する気風に満ちていて、貴族たちは侯爵のもとをよく訪れた。

 そうして培われた広範な人脈ゆえに、侯爵はリリーの実家である男爵家の窮状を知り、手を差し伸べてくれたのである。

 まさか結婚することになるとはリリーも思わなかったが、男爵家からお返しできるものは若くて器量のよい一人娘以外には何もなく、侯爵も侯爵で年甲斐もなく若い花嫁を喜んだ。


 リリー自身、年老いた男のもとに嫁ぐのが嫌ではなかったと言えば嘘になる。

 だが、受けた恩の大きさを思えば、自分の結婚の幸せなど考えるのもおこがましい……恋を夢見た乙女心を呑み込み、結婚式のさなかに未亡人となったあとも、リリーは夫のいない侯爵家に尽くして生きた。

 そして、夫人としてセレブレイス侯爵とつながりがあった貴族たちと応対しているうちに、リリーはあることを知った。


 貴族たちが自分の子――令息や令嬢たちの縁談に困っているということを。


『どんな方となら上手くお付き合いできるのか分からず……』

『お相手に会うのが不安なんですよね』

『お慕いしている方がいるわけではありませんが、私にも好みはありますのよ!』


 そんな風に、令息や令嬢は、年が近いリリーになら親には話せぬ結婚についての悩みや相談を口にできた。

 そうして未婚の男女が顔を合わせる、いわゆる“お見合い”の場を試しに設けてみたのが、この茶会のはじまりである。


 リリーの縁結びは、貴族たちの中ですこぶる好評だった。

 『運命の相手と出会える茶会』などと呼ばれるリリーの開く会合は、貴族間のいわゆる口コミで参加者も増えている。

 そうして目立つようになったからだろう。

 口さがない者から、リリーは“遣り手婆(やりてばば)”などと呼ばれるようになっていた。

 だが、リリーはなんと呼ばれようと気にしない。


(だって自分でもそう思うもの。そんな自分が嫌いじゃないし)


 幸せそうな男女を見て、リリーは自分を誇らしく思う。

 同時に、王国婚活アドバイザーとして男女の縁結びを極めたい――そんな風に、人生の目的に定めるまでとなっていた。


(――だから、()()は私にとっての挑戦状みたいなものね)


 茶会の入口に、リリーは鋭く目を向けた。

 一人、茶会に新たな参加者がやって来たところだった。

「ご覧になって……」「まあ……」「あれがかの有名な……」

値踏みするような視線を向けられがちな美しく着飾った令嬢たちが、逆に熱い視線を注いでいる。


 彼女たちの視線の先、バラのアーチをくぐり抜けてやって来たのは、すらりとした背の高い一人の美しい紳士だ。


 午後の日差しを浴びて輝く、陽光をよりあつめたような白金色(プラチナブロンド)の髪。

 芸術家たちがこぞって作品にしたがるような理想的な造形の顔立ちの中、一際目立つのは、きらめく虹を閉じ込めた水晶のような不思議な瞳。

 薄く浮かべた微笑みは上品で、月の女神が嫉妬するような魅力を有している。

(来たわね、“魔術伯爵”……)

 令嬢たちの視線を釘付けにしている美青年を見て、リリーは背筋を正す。


 魔術伯爵ことテオドール・フォン・イーリス。


 類まれな魔術の才によって重要な国境を任された、若き辺境伯である。

 彼は、ここセレブレイス侯爵領から遠く離れた自身の領地より、転移魔法でひとっ飛びでやって来たのだ。

 それも、力ある魔術師の彼だからこそ可能なことである。


「ごきげんよう、マリアージュ夫人」


 リリーの近くへとやって来たテオドールは、完璧な所作で挨拶をする。

 それに「ごきげんよう」と応えながら、リリーは改めて彼を見た。


 顔良し、地位よし、器量よし。

 完璧だ。

 言葉を選ばずに言えば婚活上“超優良物件”――なのに。


(どうして彼に限って縁談がまとまらないのかしら?)


 はあ、とリリーは小さくため息をついた。


 テオドールは、リリーが最も手を焼いている相談者だ。

 彼自身が結婚相手を探してここへとやって来ている。そして彼との縁談を求める令嬢も少なくない……にもかかわらず、すべての縁談がまとまらなかった。

 そのため、彼がリリーの茶会に初めて参加してから三ヶ月。現在まで、彼は独り身のままだった。


 茶会の外で令嬢と二人だけで会って、見合いをするところまではいく。

 ……だが、問題はそのあとだ。

 テオドールに熱を上げて外部での見合いを取りつけた令嬢であっても、それが済んだあとは揃って「やっぱりなかったことに……」と自ら断りを入れてくるのだ。

 そして、その理由を尋ねても、令嬢たちは教えてくれない。

 なぜかみな、言葉を濁して誤魔化すのだ。


 リリーは、テオドールの美しい顔を見つめながら考える。

 一体どうして――


「浮かない顔をしていますねリリー。お悩みでも?」

「……そうですわね。どうしても結婚のお相手が見つからない方がいるもので」

「へえ、誰だろう?」


 あなたです、と喉元まで出てきていた言葉をリリーは飲み込む。

 挨拶のあと自然と名を呼ばれることについては、もう慣れてしまった。それくらい彼は茶会の常連になってしまっている。

 そして常連ということは、それだけ相手が決まらずにいるということだ。

 と、テオドールはリリーのつく円卓に視線を落とした。


「失礼。ご一緒しても?」

「ええ、どうぞ。今お茶を――」

「お構いなく、といつも言っているでしょう」


 召使いに命じようとしたリリーを制して、テオドールは右手をスイッと円卓の上で動かした。

 すると、そこにティーセットがパッとどこからともなく現れた。

 リリーがこの茶会に用意していない、陶製の箱に詰められた宝石のような菓子も現れている。時空間に干渉することもできる彼の魔法が成せる技だ。


「相変わらず器用でいらっしゃるのですね」


 宙に浮いて勝手にティーカップに茶を注ぎ入れるポットを眺めながら、リリーは感心したように言った。

 何度見ても不思議だ。

 魔法を使える者を日常で見かけることはある。が、ここまで器用に扱える者となると、リリーが知る限り他にはいない。


「魔法が私の取り柄ですから」

「お菓子のお土産まで……こちらもお構いなく、と申し上げておりますのに」

「私があなたに召し上がって欲しくて持ってきただけです。なので、お気になさらず」


 そう言ってテオドールはニッコリと微笑んだ。

 彼の陽だまりのような笑顔には、リリーも思わず目を奪われる。

 テオドールはリリーより4歳ほど年下だ。人懐こい愛嬌を感じるのはそのせいだろう。

 だが、彼の所作は大人びた品のあるものだ。

 手元のティーカップを持ち上げて口元に運ぶ仕草など、この場に画家がいたらすぐさま絵に描き残そうとしていることだろう。


「イーリス卿――」

「テオと呼んで欲しいと言っているのにな」

「――テオドール様。本日も結婚のお相手を見つけるご意思はおありで?」

「もちろん」

「でしたら、ちょうどあなたとお会いしたいというご令嬢がいらっしゃっていますよ」

「え」


 一瞬テオドールが困惑したような顔になった。

 いつものことである。

 『ちょうどよい相手がいる』と伝えると、こんな曇った表情になるのだ。

(普通は喜ぶものだけど……変な方ね)

 不思議に思いながら、リリーは茶会の会場を見渡し、その相手令嬢を探そうとした。

 しかしその必要はなかった。

 件の令嬢が、すでにリリーたちの元にいそいそと歩み寄ってきたからだ。


「ご機嫌麗しゅうございますテオドール様。わたくし、ドロシー・バルバロッサと申します。以後お見知りおきを」


 ハキハキとした口調で名乗ったのは、勝ち気な顔立ちの令嬢だった。

 彼女はテオドールとの縁談を決め打ちでやって来た。他の男性には目もくれず、テオドールが現れるのを待っていたらしい。


「あー……ごきげんようバルバロッサ嬢。初めまして」

「ドロシーとお呼びください。わたくしもその……テオとお呼びしても?」


 挨拶を返したテオドールは、恋に瞳を輝かせたドロシーの言葉に笑顔のまま固まった。

 その様子を傍目で見て、リリーは興味深く感じていた。


(テオドール様の反応、これは新鮮だわ……もしかしたら、こういう押しが強い令嬢だったら、彼とも上手くいくのかも……?)


 テオドールとドロシーを交互に見ながら、リリーは内心で算段を付ける。

 と、ドロシーがリリーを見て咳払いをした。

 邪魔だ、ということらしい。

 リリーもそう思う。だから、二人が近づく機会を作るべく水を向けようと、席を立った。


「さあ、せっかくですから若い二人でご歓談くださいな。さあさあ」


 リリーはドロシーにその場を譲り、そこから離れることにした。

 テオドールの(すが)るような目が気になったが、きっと新しいタイプの令嬢との出会いに緊張しているのだろう……。

 そう考えて、リリーは離れたところから二人を見守ることにした。

 茶会の会場を歩いて他の男女の様子を眺めながら、時折テオドールとドロシーに目を向ける。

 楽しげに笑うドロシーに、微笑みを浮かべているテオドールの横顔が見える。


(二人とも会話は弾んでいるようね。これでようやく彼も結婚できるかも!)


 リリーから見ていても、超優良物件の彼だ。

 幸せな結婚ができるに違いない。

 そんな風に安心して、リリーはうきうきした気分で他の参加者たちの様子を見て回ることにした。


 ……テオドールの内心になど、まったく考えも至らずに。



 ***



「伝わらないものだな……」


 ぼそり、とテオドールは思わず呟いた。

 傍らで一方的に話していたドロシーが、初めて彼が口にした言葉に気づき、ようやく口を止める。


「どうかされましたか、テオ?」


 キョトンとして尋ねたドロシーに、テオドールはすっと笑みを消した。

 その冷たい表情はドロシーにしか見えない。


「そんな風に親しげに呼ぶことを、誰も許可していないと思いますが」

「えっ……?」

「バルバロッサ嬢。あなたは私の何を見ているんです?」

「そ、それは……ええと……」

「顔? それとも地位? 所作とか?」


 テオドールに笑顔で尋ねられて、ドロシーは面食らったらしい。

 それまで被っていた猫を、彼女は潔く下ろして咳払いした。


「んんっ……正直に申し上げますと、仰るとおりですわね。顔も、地位も、優雅な立ち居振る舞いも、わたくしの結婚相手にふさわしいと思いましたの」

「なるほど。正直なのはよいことです。特に、魔法使い相手にはね」


 口角を上げたテオドールに、ドロシーは目をぱちくりさせた。


「? そう、なんですの?」

「ええ。魔法使いは、嘘を見抜くのが得意なんですよ」


 魔法使いには、魔力の流れが見える。

 それは心を映す鏡のようなものだ。感情によって魔力の流れは変わるし、嘘をつけば分かりやすく魔力の流れは淀む。

 だから、テオドールには、この場にいる男女の感情が手に取るように分かっていた。

 この場だけではない。

 これまでずっと、テオドールが見てきた世界には、魔力の流れがあった。

 つまり、人の感情が手に取るように分かったのだ。


「私のことを綺麗な人形か何かのように思い、そばに置きたがる方が多くてですね。それも分かってしまうんですよ。ああ、私の中身を見ていないのだな、と……顔、地位、器量、そういうもので判断されてしまっているんだなと」

「あっ……そそ、それは……………………わたくしもですわね」

「賢明な回答ですね」

「バレるのでしたら、誤魔化しても仕方ありませんもの……はあ~。超優良物件と結婚できると思ったのに残念ですわ。あなた、そのスペックで独身なんてもったいない――」


 そこまで言って、はた、とドロシーは気づいた。


「じゃあ、テオ――イーリス卿は、あなたの内面を見てくれる方との出会いを求めて、こちらへ?」

「正解であり、不正解です」

「……めんどくさい返答ね。どういうことなのよ」

「もう見つけているんです」


 えっ、と上げそうになった声を、ドロシーは手で己の口を塞ぎ抑えた。

 それから恋話(コイバナ)よろしく、テオドールにこっそりと小声で尋ねる。


「……どなたですの?」

「内緒にできますか?」

「え? ええ、もちろん」

「誓って?」

「誓うわ!」


 社交界でも噂の的である、魔術伯爵の想い人。

 令嬢たちの間で、いい話題になる……そんな好奇心から、ドロシーは軽い気持ちで尋ねた。


 スッとテオドールは視線を遠くに向けた。

 ドロシーはその視線を追う。


 そこにいたのは、この茶会の主であるリリーだ。


「えっ!? セレブレイス――」


 驚きに声を上げたドロシーだったが、皆まで声は出なかった。

 テオドールの魔法により、縫い付けられたように口を塞がれてしまったからだ。


「んっ……むぐ……んんんっ!」

「魔法使いとの約束は、魔力に拘束されますよ。約束を反故にしたら、大変なことになりますからね」


 文句を言おうとしていたドロシーは、テオドールのその忠告に抵抗をやめた。

 大人しくなったドロシーを魔法から解放し、テオドールは口元に人差し指を当てて見せる。


「内緒です」

「は……は、い……」

「言ったら、大変なことになりますからね」


 月の女神すら嫉妬する美しい笑顔で、テオドールはドロシーに念を押した。

 ドロシーは、首を縦に振ることしかできなかった。


「……ところで、なぜセレブレイス侯爵夫人なんですの?」

「あの人だけが、私のスペックとやらに惚れなかったからですよ」


 出会った時のことを思い出しながら、テオドールは言った。

 魔力の流れで、テオドールには相手が自分に向けている感情が手に取るように分かる。

 好意は明るい色。嫌悪は暗い色。

 中でも、恋愛感情は、赤い糸に似ている。

 大概の女性からテオドールはそれを向けられてきた……だが、リリーからは一切なかった。


 テオドールにとっては、それは初めてのことだったのだ。


「彼女は未亡人だから亡き侯爵に(みさお)を立てているのかもしれないし、自分は仲介人だって割り切ってるのかもしれませんし、単純に私が好みじゃないのかも……でも、既婚者だろうと何だろうと、これまで私に色目を使う人ばかりでしたから。彼女は自分にとって特別なんです」

「……その話、私にも刺さるのでおやめくださる?」


 テオドールの話に、ドロシーはげんなりして言った。

 それから、ふと気づいたらしい。


「じゃあ、何で自分からプロポーズしないんですの? イーリス卿、あなた、この茶会には何度も参加しているみたいじゃありませんか」

「何度かそれらしいことを言ってはいるんですが、本気にしてもらえないんですよ……なんですか、その『ああー』みたいな顔は?」

「だって胡散臭(うさんくさ)――いいえ! 気持ちがちゃんと伝わるといいですわね!」

「ええ。そうですね……そう思います」

「そういうことに魔法は使えないんですの?」


 ドロシーの疑問はもっともなものだ。

 実際、テオドールほどの実力者ならば、リリーを自分に惚れさせたりすることだってできる。

 だが……


「使いたくないんですよ」


 テオドールはしみじみと噛みしめるように呟いた。

 自分の中身を見てくれた人に、魔法での介入など無粋なことはせず、そのまま自分を愛して欲しい。

 

 それが、望みを叶えることができるはずの力を持った魔術伯爵が望む形だった。



 ***



「あら?」


 茶会から帰る貴族の令息や令嬢を見送っていたリリーは、思わず疑問の声を上げた。

 ちょうど先ほどの円卓から、ドロシーが一人でやって来たからだ。

 他の貴族も帰るお開きの時間が迫っている。そのためドロシーが帰ることに不思議はない。

 だが、一人なのがリリーは気になった。


「バルバロッサ嬢。イーリス卿とのお話はいかがでしたか?」

「えっ……とぉ………………」


 リリーが声をかけると、ドロシーは歯切れの悪い返事をした。

 一体どうしたのだろう?

 そうリリーが思っていた時だ。


「……他の殿方をご紹介いただけませんか?」

「えっ! な、なぜ?」


 リリーは食い気味に尋ねた。

 これまでで一番いい雰囲気に――会話が盛り上がっているように見えたというのに。

 なのに、またお断り……である。


「り、理由は? バルバロッサ嬢、今後の参考に教えていただけませんか? なぜイーリス卿ではだめなんです?」

「ごめんなさい……ちょっとあとが怖いので……」

「怖い……?」

「な、何でもありませんわ! 私にはもったいないと思っただけですの! ということで、今後は別の殿方をご紹介くださいまし! できれば魔法使いではない方を! なにとぞ!」

「え? ええ、分かりました」

「それでは失礼いたしますわ!」


 捲し立てるように言って、ドロシーは茶会から立ち去ってしまった。

 バラのアーチの向こうに足早に消えてゆく令嬢の背を見送り、リリーは首を傾げる。


「何かあったわよね……?」


 呟き、リリーは踵を返す。

 向かったのは、先ほどドロシーとテオドールを二人きりにした、会場の最奥にある円卓だ。


「テオドール様」


 リリーが声をかけると、テオドールが振り返る。

 すでにやって来ることを知っていたというような顔を彼はリリーに向けた。


「その……バルバロッサ嬢と、何かあったのですか?」

「何かとは?」

「お言葉ですが……何か怖がらせるようなことをなさいました?」


 先ほどのドロシーの様子を思い出しつつ、リリーは当てずっぽうでそう尋ねた。

 すると、テオドールはにこりと微笑んだ。


「私が何かご令嬢を怖がらせるようなことをするとお思いですか?」

「ご気分を害したら申し訳ありません。が、その可能性は皆無ではないかと」

「なるほど確かに……あなたは聡明な方だ」


 言って、テオドールはくすりと笑った。

 それから、じっと虹を閉じ込めた水晶のような目でリリーを見つめる。 


「? 私の顔に、何か付いてます?」

「変な虫の糸が絡みついていないか見ていただけですよ。ほら、肩のあたりに……」

「えっ! 虫!? ど、どこに――」


 虫が苦手なリリーは慌てた。

 と、後ずさった時、ちょうど背後にあった花壇に足を取られた。


「あっ――……れ?」


 バランスを崩し倒れかけたリリーだったが、気づけばテオドールに支えられていた。

 どうやら魔法で助けられたようだ。

 直前、ふわりと風が吹いて、身体がわずかに浮いたような気がする。


「あ、ありがとうございます。助かりましたわ」

「あなたは面倒見がよく優しいから、変な虫も付いてしまうようですね……まあ、私も似たようなものかな」


 リリーの肩を――そこに残っていた誰かの魔力の残滓を――パッと手で払い除けてテオドールは言った。

 そのテオドールの言葉を聞いて、リリーはジトッと目を細めた。


「……そういう気を持たせるようなことを、誰彼構わず言うのはどうかと思いますわよ」

「あなたにしか言っていないんですけどね」

「またそんなことを言って」

「本当なのにな……魔法使いは、嘘をつかないのに」


 テオドールは肩を竦める。

 この仕事熱心なリリーに新たな恋心を抱かせるのは、やはり魔法なしでは難しそうだな、と思う。未亡人であるがゆえに、彼女はもう自分が新たな誰かと結ばれるという可能性を除外してしまっているのだ。

 だが、それゆえに振り向かせたいとテオドールは思ってしまう。


 一方リリーは、そんな魔術伯爵の気持ちには気づかない。

(どうしたら彼に合う結婚相手が見つかるかしら……?)

 そんな風に、王国婚活アドバイザーとして、今この瞬間も熱心に考えていた。



 この先、リリーがテオドールの気持ちに気づくかどうか。

 そして二人が結ばれるかどうか。


 ――それは、魔法なしでは、まだ誰にも分からないのだった。

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