『剣の聖女』は振り返らない ~婚約破棄された辺境伯令嬢は、魔龍を倒して夢を叶える~
「エレノア、お前との婚約は破棄だ」
目の前に座る男は言った。
男、などと言っては不敬かもしれない。
一応、この国の王子であり、アランという名も知っている。
ソファにふんぞり返りながら、その横にご令嬢を座らせて腰に手を回すだなんて破廉恥な振る舞いをしていたとしても、先程までは確かに西の辺境伯の娘であるエレノアの婚約者であった。
そういえば、国王達は数日前から隣国の行事に出席するため出かけているそうだ。
だからこそ、このような暴挙に出たのだろう。
「ひなびた辺境の地に置いておくには惜しいと思ったからこそ、王都に連れてきたというのに、お前は全く変わらぬままであったな」
「殿下、野の花は、野にあるからこそ美しいのですわ」
「だからといってカロルの美しさに嫉妬し、虐げるなど許されることではない」
「アラン様が救ってくださいました。私はそれだけで十分なのです……」
アランが連れていたカロルが、アランにしなだれかかると上目遣いで見上げた。
彼女は男爵令嬢だったはずだ。
男爵令嬢が辺境伯の令嬢にする言動ではないが、アランはカロルの言動を咎めるどころか感動したように頬を紅潮させる。
そんなことしていないと反論しようかとも思ったが、アランがエレノアの言葉を聞くとは思えず口をつぐんだ。
「あぁ……! カロル……! 君はなんて慈悲深いんだ。本当なら、エレノアを罰せねばならないというのに」
「アラン様に婚約を破棄されるのです。罰はそれで十分でございましょう」
アランとご令嬢が仲睦まじく話している姿を見つめながら、エレノアは頭の中でこれからの算段を組み立てていた。
(婚約破棄、大歓迎だわ! 縛られる理由が無くなったのだから、すぐに辺境に帰りましょう)
エレノアは辺境伯の令嬢であると同時に、神殿に籍を置く聖女見習いでもあった。
才能を認めた父が神殿に籍を置くことを許してくれていたのだ。
けれど、二年前、神事の視察に来たアランに見初められてしまい、強引に王都に連れてこられて婚約者に据えられた。
第二王子であるアランの放蕩は有名で、エレノアの前にも数名婚約者を入れ替えている。
父も浮名が多い王子の婚約者となることに難色を示していたが、王家からの申し入れを断ることはできず婚約は結ばれた。
辺境伯家の令嬢を王宮に留めるには何か理由が必要だったらしい。
すぐにこの婚約は壊れると王子以外の者は予想していたが、なかなか婚約は破棄されることはなく、そうしている間に教育は進み、淑女教育、王子妃教育と詰め込まれた。
そんな生活からようやく解放されるのだと思うとほっとするが、その時間でどれだけ聖女としての修行ができただろうと思うと腹立たしくもあった。
(……今からでも、間に合うかしら)
エレノアは、軍神アレスの力を借りることができる『剣の聖女』と呼ばれる存在を目指していた。
いや、今も、目指している。
『剣の聖女』は聖女は神殿で修行をし、認められた者だけが名乗ることができる。
軍神アレスから借り受けた力を、パートナーを組む『剣の騎士』に授けることができる存在だった。
神殿にいた頃は全ての時間を修行に当てていたけれど、王都に連れてこられてからは王子妃教育の隙間の僅かな時間に祈ることしかできなかった。
(――――彼は約束を、覚えてくれているかしら……)
「おい、聞いているのか!」
沈んでいた思考が、怒鳴り声で引き戻される。
はっとして顔を上げると、怒った王子がエレノアを見ていた。
「殿下、あまり責めては可哀想ですわ。きっと婚約を破棄されてショックを受けていらっしゃるのよ」
「そうか。ならばもう一度言おう。エレノアよ、今度はしっかり聞くのだぞ。聖女見習いだったお前が罪を償うのに相応しい場所を私自ら見つけてやった」
先程、そういえばエレノアには身に覚えのないことを目の前の二人は言い合っていた。
こんなことなら反論しておけばよかったかもしれない。
アランはエレノアを冷たい瞳で見つめながら言う。
「この国の北にある氷獄山に、魔龍が住み着き暴れているそうだ。仮にも聖女を目指していた身なら、その魔龍とかいうやつを倒してこい」
「……私が、魔龍をですか?」
魔龍を倒すということが、どれだけ大変か知らないのだろうか。
王国の歴史には何度か魔龍を倒したという記述が出てくるが、どれも騎士団が対応するような事案だ。中には王族が先頭に立ち、国中の騎士を集めて対応したこともあるというのに。
確かに、エレノアが目指していた『剣の聖女』は、確かに魔龍を倒す手段も、封じる手段も持っている。
だが、『剣の騎士』がいなければ、ほとんどの力を自力では使えない。
軍神アレスの力を借りて封じる場合は、寿命を対価に求められた。
どれだけの寿命を払うことになるのか、それは封じる対象の生命力と神のさじ加減に任せられる。
聖女の命は保証されない。
実質、死にに行けと言っているようなものだ。
(でも……)
エレノアは、頷いた王子を見ながら考える。
魔龍の元に向かい、これからの人生の自由を掴むのと、一生をこの王子に縛り付けられるのと、どちらがましだろうか。
(この王子と将来結婚する未来に比べれば、魔龍と戦う方がましね――)
積極的に死にに行くつもりはないが、災厄に対し命を対価に体を張る覚悟は、既に聖女の道に進むと決めた時に終えている。
好きでもない相手と婚約させられて、あげく一方的に婚約破棄を告げられ、やけになっているだろうと言われたら否定はできないけれど、エレノアの心はすんなりと結論を出していた。
念のため、アランに問う。
「魔龍を倒したら、あるいは封じることができれば、私は罪を償ったとして自由になれるのですか?」
「あ、あぁ。お前などには無理だろうがな」
驚いたように、アランは頷く。
つまり、もし、魔龍を倒すことができたなら、堂々と生まれ故郷の辺境に帰れるのだ。
魔龍に一人で相対することになるが、その先にある希望があるのなら、挑戦する価値はある。
「わかったのなら、さっさと出発の準備をしろ。もう行っていいぞ」
「かしこまりました。それでは長い間お世話になりました」
しっしとアランはエレノアを追い払うような手振りをする。
エレノアは一礼し、王子のいた部屋を出ると身を翻した。
廊下を駆けるような早足で進む。
走り出さなかったのは、この二年間の教育の成果だろう。
(急がないと! 魔龍の元に向かうのならば、足りない物が沢山あるわ!)
自室に戻ると、荷造りを始める。
王子の婚約者として与えられたドレスや装飾品なんていらない。
ここに連れてこられた際に持って来ていた、聖女見習いのローブを取りだし、着替える。
久々に袖を通すと、少し丈が短くなっていた。
(そっか。私、背も伸びていたのね)
それだけの時間、修行を進めるとができなかったのかと考えかけ、首を振った。
(過ぎたことを考えるのはやめましょう。解放されるのだもの。それよりも、魔龍退治の方法について考えないと)
修行を忘れたことはなかった。
それだけで、十分だ。
流石に丸腰で向かうわけにはいかない。
辺境伯家の力を借りることも考えたが、期待できなかった。
エレノアの実家の西の辺境伯家は別邸を持っているが、社交時期以外は屋敷を閉じている。
今はエレノアが王都にいるが、暮らしているのは王宮のため、通常通り閉じたままになっていた。
(王宮にある剣を、どんなものでもいいから借りられないかしら)
そうして、エレノアは荷造りを進めた。
* * *
王都を出発して数日。
エレノアは、あの婚約破棄の後、王子の命令で遣わされたという騎士三人と共に、氷獄山があるという北の辺境まで向かっている。
騎士が遣わされたのは、エレノアの護衛ではなく見張りのためだろうが、彼らのおかげで王宮から馬車を出してもらい、食料も準備してもらえた。
正直、馬を借りて、一人で食料を調達しながら魔龍の元まで行くしかないと思っていたので、彼らの存在に助けられていた。
もし命を狙われたら精一杯抵抗するつもりだが、今のところ彼らから不穏な気配を感じることはない。
完全に気を許したわけではないものの、日中、エレノアしか乗っていない馬車の中では警戒をする必要は無いと『剣の聖女』としての力の使い方を一つ一つ確かめていた。
一番広く知られた『剣の聖女』の能力は、戦場に赴き、戦う者達にアレス神の祝福を授けることだ。
今回は自分で戦うつもりなので、使うことはないだろう。
それでも念のためにと試してみてから、次の能力の確認を行う。
次は『降神』という、その名の通り、アレス神の力を借り受け対象者に宿す能力だ。
本来は『剣の聖女』と対になる『剣の騎士』に使うものだが、訓練を積んだ聖女ならば自身の身にもアレス神の力をを降ろすことができる。
エレノアも、『剣の聖女』を目指す身として訓練を積んでいた。
ただ、流石に、アレス神の力の全てを宿すことはできない。
それには、聖女としての研鑽を積むのと同時に、体も神を宿すに足る程に鍛える必要があるからだ。
しかし、剣を持つ右腕だけなど体の一部に限定すれば、エレノアも自身に『降神』を行うことができた。
(王子の婚約者になる前は、できていたし、大丈夫……)
身に付けた聖女としての力が落ちないよう、王宮でもできるだけの努力はしていた。
そう考えて、試してみる。
「――御柱の力を、我が右腕に借り受けん」
聖句を唱えると、右腕にアレス神の神気が宿り、大量の魔力が減る。
二年前と全く同じとはいえないが、手応えは確かにあった。
『降神』を解いて、押し寄せてくる疲労に耐えながら考える。
(後は、『降神』を維持できる時間を増やすことができたら勝機はあるはず……)
なんとかして隙を作ることができれば、エレノアだけでも魔龍を倒すことができるのではないかと、そう考えていた。
エレノアは北の辺境領へ向かう馬車の中、ひたすらに自身の聖女としての能力を磨くことに集中した。
* * *
辺境に近づくにつれ、村なども少なくなる。
その日は野営することになり、料理の仕度なども騎士達がしてくれていた。
今、ここで調理をしてくれているのがロダンで、残りの二人はコリンとポールといい、テントを張りに行っている。
こういった野営の夜は、エレノアは馬車で休ませてもらっているが、騎士達は三人、交代でテントで休んでいるようだった。
辺りにはロダンが鳥を焼く香ばしい良い匂いが漂っている。
この鳥は日中にコリンが仕留めたものだった。
コリンは他の二人に比べると小柄だが、弓が得意のようだ。
それを手際よく捌き、たき火で焼いてくれているロダンの姿を見て、思わずエレノアは言う。
「騎士様達が同行してくださって、よかったです……」
「それは、この鳥のことですか?」
鳥を焼いてくれていたロダンが、揶揄うように言う。
「あっ、いえ、そういうつもりではなく」
「はは。申し訳ありません。エレノア様の目がこちらに釘付けだったもので」
「はしたない真似をしてしまいました……」
「お気になさらず。むしろ、意外に思っておりました。このような野趣溢れる料理も、お嫌いではないのですね」
ほっとしたように言うロダンに、頷いた。
「王宮でのお料理も手が込んでいて美味しかったのですが、私はどちらかというと、今騎士様が作ってくださっているような料理が好きです」
「そうでしたか。でしたら、腕によりをかけて頑張らないと。といっても、火加減に気を付けるだけです。今日のは、良く油が乗っていて美味しそうだ」
「ありがとうございます。……皆様に護衛だけではなく、このようなことをさせてしまって、申し訳ないです」
「いえ、我々は仕事として参っているので。それに、行軍の訓練に比べれば、楽しい仕事です」
「私のような者のために、ついてきてくださって、ありがとうございます」
頭を下げるエレノアに、ロダンは言う。
「滅相もありません。それに、エレノア様の評判は、王宮でよかったですよ」
「えっ」
驚くエレノアに、ロダンは続ける。
「初めは、すぐにまた殿下は婚約者を変えられると思われていたのです。ですが、エレノア様は、真面目に王子妃教育を受けられていて、もしかしたらこのままご結婚なさるのかもしれない、そうなって欲しいという声は沢山ありました」
「ですが、王子妃教育は受けなくてはいけないと」
ロダンは首を振る。
「今までは、学ぶ内容が難しすぎると殿下に懇願して家庭教師を遠ざけられた方や、完璧な存在として王子に見初められたのだから、そもそも王子妃教育を受ける必要は無いとおっしゃって、授業に出席なさらない方もおられました」
「そんなこと、許されるのですか」
「注意は何度も入っていたと思います。それに、そういう方だったからこそ、殿下の婚約破棄も許されてきたのです」
「なるほど……」
好き勝手に婚約者を取り替えているようだったアランだが、婚約者の方にも瑕疵はあったのか。
だったら、エレノアも王宮内にある神殿に籠もってしまえばよかったのかもしれない。
そんなことを考えているエレノアに、ロダンが言う。
「ですが、エレノア様。あなたには、何の落ち度もなかった」
ロダンは鳥に視線を止めたまま、声を落とす。
「もし、望まれるのなら……、私達は魔龍討伐に向かったものの力及ばず命を落とされたと、ご報告することもできます」
突然の言葉に、エレノアは戸惑う。
つまり、見逃してくれると言っているのだろうか。
だが、そうなると、もうこの国には戻ってこられない。
それに、騎士である彼らに主人である国王に嘘を吐かせることになる。
エレノアは首を振った。
「ご心配くださり、ありがとうございます。ですが、大丈夫です。私の望みは、堂々と故郷に帰ること。魔龍を倒せと命じられたのは予想外でしたが、きちんとお役目を果たしてから帰ります」
「……そうでしたか。ですが、魔龍は通常、王国の騎士団で対処しなければならない存在です。それを、聖女を目指されていたとはいえ、お一人でなど……。あまりにも酷なご命令です。お気持ちが変わられましたら、いつでもおっしゃってください。さ、鳥も丁度良く焼けたようです。他の二人を呼んで参ります」
(心配してくださっていたのね……)
正直、エレノアが西の辺境に戻りたいと考えていなければ、とても良い提案だった。
だが、その好意を受け取ることはできない。
それをしてしまうと、二度と辺境に帰ることはできなくなってしまう。
(これも、私への試練。そう思いましょう)
エレノアはロダンが彼らを呼びに行く姿を見送った。
* * *
氷獄山は、北の辺境の端にある。
隣国との国境にもなっており、空に向かって高い壁のようにそびえていた。
その山頂一帯は季節を問わず凍りつき、山を越えようとするた者は吹雪に囚われ、氷漬けとなり命を失うことになると言われている。そのことから氷獄山と言われていた。
魔龍が住み着いたのは、その中腹にある場所だという。
氷獄山に一番近い村で、装備を調える。
ローブの下に着込む防寒着と、携帯食料を揃えると、エレノアはロダンとコリン、ポールに向き合った。
「ここまで送っていただき、ありがとうございました。それでは私は行って参ります」
馬車の中で、作戦も立てている。
魔龍が休んでいる間に近づき、急所に剣を突き立てる。
それでダメなら、封印を行う。
エレノア一人しかいないのだ。それ以外の作戦を立てようがなかった。
決意を滲ませているエレノアに、ロダンが言う。
「本当に行かれるのですか? やはり、考え直しては――」
「王子殿下に言い遣ったことですので。ロダン様達は、私が氷獄山に入るところを見届けるまでがお仕事とおっしゃっていましたよね。ですので、ここでお別れとなるのは何もおかしなことではありません」
「確かにそうですが……」
彼らが言われていたのは、エレノアを氷獄山の麓まで連れて行き、山に入るのを見届けることだ。
氷獄山を越えることはできないし、魔龍とエレノアが戦っているところを彼らが確認せずとも、山に入ればエレノアは死ぬと思われたのだろう。
だが、王子の思惑通りになるつもりはなかった。
馬車の中でも、できるだけのことはしてきた。
(絶対に、倒さなきゃ)
そう改めて決意していたエレノアの耳に、思いがけない言葉が聞こえた。
「私達も、共に向かいます」
驚いてロダン達の顔を見つめるが、どうやら本気のようだ。
「そんな。ロダン様達を、私の我が儘に、付き合わせるわけにはいきません。それに私は『剣の聖女』を目指しておりましたから、普通の人よりは勝機はあると思っています」
「たとえ剣の聖女を目指されておられたとはいえ、女性をお一人で向かわせることはできません。これは我々の総意です」
「ですが、それでは――」
ロダン達も危険だと言おうとしたエレノアに、三人は口々に言う。
「命令違反には、なりませんから」
「それに、勇敢にも魔龍と戦おうとされている女性を守るどころか、黙って見送るなど騎士としての名折れです」
「我々も、そこそこは戦えるはずです」
そう言って晴れやかに笑うロダン達に、エレノアは首を振る。
「私はまだ見習いでしたので、本当の『剣の聖女』様のような力はありません。それでも共に戦ってくださると言われるのですか?」
戦いに付き合わせるわけにはいかないと言うエレノアに、ロダンは尋ねる。
「もちろんです。もしやエレノア様は、死むおつもりですか?」
「いいえ」
「ならば、四人で、生きて帰りましょう」
「エレノア様に同行すれば、我々も、帰ったら龍殺しの現場に居合わせたと自慢できます」
「アレス神の加護を祈ってくださるよう、お願いします」
エレノアは、三人に向かって頭を下げる。
「どうぞよろしくお願いします」
そして、四人は魔龍の元へと向かった。
* * *
氷獄山中腹。
山頂からの乾いた冷たい空気に晒されているためか、辺りには一本の木も生えていない。
大きめの岩が転がる広場のような場所にエレノア達は辿り着いた。
魔龍と戦うための剣は、王宮から持ち出してきたものだ。
「ここが魔龍の巣――」
辺りには、魔龍が食べたのか生き物の骨などが転がっていた。
気温が低いため、そこまでの臭いはない。
「魔龍は不在のようですね」
ポールが言う。
まずは、魔龍がどういう状況か偵察に来ていた。
村での聞き込みでも、昼間はいないことが多いと聞いている。
近くに隠れる場所もないと聞いていたので、昼の間に場所を確認し夜にまた来るつもりだ。
「一応、お三方に祝福をかけておきますね」
エレノアが聖句を唱えアレス神に祝福を願うと、三人の体が淡く光った。
「すごい。これが戦いの神アレスの祝福ですか」
「なんだか体の底から力が湧いてくるようです」
「これなら魔龍も怖くないですね!」
口々に言う三人に、エレノアが微笑みを浮かべた時だった。
大地に轟くような声が振り、大きな影が四人の上に落ちる。
「あれが、魔龍……!」
「なっ、まさか戻ってくるなんて」
魔龍は、ここまでエレノアが乗ってきた馬車よりも大きく、体にうっすらと瘴気をまとわせていた。
四人は急降下してくる魔龍を避けるためにバラバラに逃げる。
「仕方ありません。打ち合わせ通りに!」
そのまま逃げれば、麓の村に魔龍を呼び寄せてしまうかもしれない。そのため、見つかった際は三人で魔龍を弱らせ、エレノアがトドメを差すという作戦も一応立てていた。
魔龍の寝込みを襲う案に比べれば危険だが、それでもアレス神の加護があれば勝機はあると踏んでいる。
魔龍は勢いのまま上空に戻り、その軌跡に魔龍がまとう瘴気が残されていく。
上空に戻った魔龍は、今度はブレスを吐こうとする。
「させません!」
エレノアが聖魔術を発動させ、大きく開けた魔龍の口に浄化の力を込めた光の球を打ち込んだ。
魔龍は苦悶の声を上げ、地上へと落下する。
「よし、今だ!」
ロイド達が魔龍へと駆け寄って攻撃を行う。
魔龍はロイド達の攻撃で、再び上空へ飛び立つことはできず、その長い首や、胴体を使っての攻撃へと切り替えた。
ロイド達三人は訓練を受けた騎士なだけあり、動きは洗練され、息の合った攻撃を行っている。
彼らの動きに注意を払いつつ、エレノアは魔術で援護する。
幸い、最初に口の中にブレスを打ち込んだのが効いているのか、あれからブレスを撃ってくることはなかった。
順調に魔龍は弱っているようで、体は傷つき、動きも鈍くなっていた。
ポールが一撃を入れた、その時だった。
突然、魔龍が咆哮を上げたかと思うと、動きを変えた。
そして、三人の騎士の中で一番体格が小さなコリンの方に向きを変えると、大きく行きを吸い込み始めた。
ブレスを放とうとしている。
そう気が付いたロダンとポールの声が響く。
「コリン、避けろ!」
「ブレスが来るぞ! 逃げろ!」
しかし、ここにはブレスを避けるような遮蔽物はなく、逃げようがない。
「御柱の力を我が右腕に――」
エレノアは、『降神』のための聖句を唱えると飛び出していた。
魔龍とコリンの間に割り込むと剣を構える。
直後、瘴気を帯びた業火が浴びせられた。
だが、その炎はエレノアが構える剣に切り裂かれ、エレンを軸に二手に分かれる。
おかげで直接火に焼かれることはなかったが、熱風が痛い。
「エレノア様! コリン!」
ロダンとポールがエレノア達の名を呼ぶ声が聞こえるが、エレノアはただ剣と右手に施した『降神』を維持することに集中した。
(ブレスが、終わるまでは――!)
限界は近い。
諦めれば即死の状況で、エレノアは魔力の枯渇を感じながらも、集中を維持し続けた。
不意に体を焦がすほどのブレスの熱が消え、剣にかかっていた圧も消える。
持っていた剣の刀身は魔龍の炎に蒸発し、原型を無くしていた。
正面にはブレスを吐き終わり、こちらに突進しようとしてくる魔龍の姿があった。
『降神』が解けたエレノアは、全身に襲い来る疲労感に動くことができない。
(魔力切れ――)
そんな言葉が思い浮かぶ。
「エレノア様! 逃げましょう!」
コリンが駆け寄って手を引いてくれようとするが、エレノアはその手を取らず、コリンに言う。
「早く! コリン様だけでも逃げてください!」
体が重く、思ったように動いてくれない。
「そんなことできません……!」
言い合っている間に魔龍は突進を始めていた。
エレノアがいては、コリンも逃げ切れない。
「私一人なら、やりようはあります。コリン様、お願いです。逃げてください」
「わかりましたっ……」
コリンが走り出す。
(魔力は尽きかけていようと、封印なら――)
対価に命を差しだすことになる。
それでも、最悪死ぬのはエレノアだけで、ここまでついてきてくれた三人の命は助かるから。
コリンが一人、待避していく。
エレノアは、聖句を唱えるために尽きかけている魔力を振り絞った。
その時だった。
「エレノア! 『降神』を頼む!」
懐かしい声が聞こえ、反射的にアレス神に『降神』を願う聖句を唱えていた。
ずっと聞きたかった、彼の声。
二年前までエレノアの一番近くにいて、そして何よりエレノアの唱える聖句で何度もアレス神をその身に宿してきた幼なじみ――『剣の騎士』を目指していたウィルの声だった。
「御柱の力を彼の者の身に与えたまえ――」
聖句を唱えたエレノアの前に、魔龍から庇うように広い背中が立ち塞がる。
「すぐに終わらせるっ」
そう聞こえたかと思うとウィルは一息で魔龍に詰め、突進を始めた魔龍をひらりと躱すとその首を跳ね飛ばした。
言葉通り、一瞬の出来事だった。
魔龍が倒れたのを確認して『降神』を解くと、エレノアは立っていられずその場に座り込んだ。
「エレノア――!」
驚いたように、魔龍の側にいたウィルが駆け寄ってくる。
その焦ったような表情に、エレノアは大丈夫と口にしようとしたところで意識が途切れた。
* * *
気が付くと、硬いが、温かな物に包まれていた。
何だろうと思いながらも温もりからは離れがたく、顔を擦り付けると驚いたような声が聞こえる。
「エレノア、目が覚めたのか?」
「…………?」
なんで、その声が頭上から聞こえるのか。
おそるおそる目を開けると、エレノアはウィルに抱きかかえられるように眠っていたらしい。
硬いと思っていたのは、ウィルの胸板だった。
はっとして周囲を見渡すと、そこは確かに先程まで戦っていた魔龍の巣があった場所だった。
まだ太陽は出ているので、そこまで長く眠ってしまったわけではないだろう。
「なっ、あれ、私……?」
「魔力切れだよ。どこまで覚えてる?」
そう言われて、エレノアは記憶を辿った。
「魔龍を倒そうとしたけど、難しくて。魔力切れも近いから、封印しようと思ったら、ウィルが……そうだ! 魔龍はどうなったの? ちゃんと、倒せたのよね?」
不安に駆られて尋ねると、ウィルはしっかりと頷いた。
そしてエレノアに振り返るように言い、魔龍の屍を見せてくれる。
魔龍は首を落とされ、地に伏していた。
「エレノアの『降神』で倒せたよ。間に合って、本当によかった」
ぎゅっとエレノアを抱き締めている腕に力が入り、少し苦しいくらいであったが、エレノアはされるがままになっていた。
「ウィルは、どうしてここに?」
「エレノアの父上――西の辺境伯様が教えてくれたんだ」
「父様が?」
「王宮内で見聞きしたことを、辺境伯に教えてくれる人がいるんだ。だから、エレノアが婚約破棄されたことはすぐに知らせが届いた。しかも北に出た魔龍の討伐を命じられたって聞いて。エレノアなら、死んだふりをして逃げるよりも、自分の身をかけても魔龍を退治に行くだろうって思ってこっちに向かった」
「えっと。ウィルは、『剣の騎士』を目指していたでしょう。なのに、ずっと父様のところにいたの? 誰か、新しい『剣の聖女』が見つかったの?」
『剣の騎士』とは『剣の聖女』と対をなす存在だ。
神の力を受け止める器であり、アレス神を宿した状態で人としての心を失わずに戦うことができるまで己を鍛えた存在だ。
神の声を聞く者として修行を積んだ聖女自身に神を降ろすよりも、肉体的、精神的な負担は大きい。
ただ、『剣の聖女』が聖女としての修行もある中、己の体を鍛えるのに時間を割けないのに比べ、『剣の騎士』は体と心を鍛えることに集中できる。
そして、相手に対する信頼がなければ『降神』は成功しない。
長年行動を共にして、信頼を培ううちに愛が芽生えて結婚をする者も多く、今ではほとんどの者がパートナーの契約を結ぶ際に婚約をしていた。
エレノアが王子の婚約者として連れて行かれた時点では、まだウィルとエレノアは固定でパートナー契約を結んでいなかった。
ウィルは辺境伯の家臣の血筋で、エレノアと結婚ということになっても問題は無く、正式にパートナー契約を結ぼうという話もでたこともあった。
でも、父である辺境伯がエレノアが正式に『剣の聖女』になるまでは待つようにと言った。
その時に、反対されてでも、強引にウィルとパートナー契約を結び婚約もしていれば、と思ったこともある。
けれど、当時から抜きん出ていたウィルの技量に、エレノアの技量が釣り合わなければ、双方辛い思いをしたかもしれない。そんな父の思いもわかったからこそ、エレノアは素直に従ったのだ。
しかし、エレノアは王宮に行くことになってしまった。
ウィルが『剣の騎士』を目指すのに必要な『剣の聖女』が欠けることになる。
戻ってくる可能性が低いエレノアを待つより、他にパートナーになってくれる『剣の聖女』見習いを探した方が、ウィルが目指す『剣の騎士』に近づくだろう。
実際、王都に行く際に、エレノアも別の聖女を探すようにと言ったはずだった。
だが、そんなことを覚えていないとでもいうように、ウィルは平然と言う。
「何を言ってるんだ? 俺の『剣の聖女』はエレノアだけだ」
「でも、他の聖女は――。今のウィルなら、もっと、力がある聖女から声がかかるかも……」
「そんなのいらない。俺がパートナーを組みたいのはエレノアだから」
エレノアは、信じられなかった。
辺境に戻って、ウィルがいなくても仕方の無いことだと思っていた。
――いつか、最強の『剣の騎士』になる。
――いつか、最高の『剣の聖女』になる。
その夢は、お互いをパートナーにとは、定めたものではなかった。
だから、約束を守るため、ウィルが辺境を旅立ち新たな聖女を見つけていても失望してはいけないと、かつての約束だけを果たせれば、満足しなければいけないと、考えていたのに……。
「もう他の聖女を見つけているかもと思ってたのに……。父様が、引き留めたの?」
「いや。俺から願い出た。下級兵士で良いから、置いてくれって」
「なんで……」
「俺のパートナーは、エレノアしかいないって思ってるから。もしかして、王都で他に心に想う人ができたのか」
「そんな人いない! 私も、ずっとウィルを想っていたわ――」
「なら、俺の聖女。どうか辺境に戻ったら、俺と結婚してくれないだろうか」
「……私、まだ『剣の聖女』になれていないのに、いいのかな」
「魔龍を倒したんだ。俺にアレス神を降ろしたエレノアを誰が見習いなんて呼ぶんだ。エレノア、返事を聞かせて欲しい」
記憶にある姿よりも精悍さを増しているウィルに、焦がれるような眼差しで見つめられ、しかも絶対に離さないとばかりに腕の囲いは動かない。
それを、エレノアは嫌とは思わなかった。
その目を見て、答える。
「もちろんよ……。私も、ウィルしか考えられない。ありがとう。待っていてくれて」
「当然だ。むしろ、なんでエレノアは俺が他の剣の聖女を探すと思ったんだ? あいつに連れて行かれた時も、待ってるって言っただろ」
「側に、いられなかったから……」
「ふぅん? それだけで?」
「うっ、ごめんって、ウィル」
「いいよ。でも、俺はエレノア以外の聖女と組むことも、結婚することも、絶対にないから」
「わかった」
頷くと、ウィルははにかむように笑みを浮かべた。
「それはそうと――」
ふと、何か思い出したのか、ウィルが表情を引き締め、トーンを低くした声で言った。
「な、なに?」
かつて、ウィルと共に修行をしていた頃、お説教が始まる合図とよく似た声に、エレノアは何を言われるのだろうと恐ろしく思いながら尋ねた。
「エレノア、今度からは、一人であんな無茶しないでほしい。最後のあれ、命を対価に魔龍を封印しようとしてたよね」
「……わかってるけど、あの時はあれしか方法がなかったから」
「もうあと少しで手が届く場所にいるのに、エレノアを助けられないかと思った」
「……ごめん、ウィル。助けてくれてありがとう。もう、あんなことはしないから」
「うん。約束して」
延々と続くお説教を覚悟していたのに、ウィルはそう言うとエレノアの肩口に顔を埋めた。想像とは違って弱々しい反応に、もうあんな無茶はしないと誓う。
エレノアだって、目の前でウィルが全部一人で背負い込んで死んでしまったらと思うと、恐怖に飲み込まれそうになる。
ただ、言い訳をさせてもらうならば、エレノアはウィルが来てくれていることを知らなかった。
知っていたなら、諦めることはなかっただろう。
考えていると、ウィルが調子を取り戻したのか、顔を上げた。
「そうだ。もう、魔力切れは大丈夫か?」
「あっ、うん。もう、動けると思う」
話している間に、大分回復していた。
「なら、ロイド殿達を呼んで、山を下りよう」
ウィルの言葉に、エレノアは尋ねる。
「そういえば、ロイド様達は?」
「ロイド殿達は、周囲に魔龍の瘴気に当てられて凶暴化した魔獣がいないか見て回ってくれている」
「そうだったの……」
彼らも、エレノアの無謀な行動に付き合わせてしまった。
冷静になった今なら、あの魔龍に、エレノアと彼らだけで立ち回るのは無理があったと思う。
危険な場所に付き合わせてしまって、謝罪をしなければいけないだろう。
考えていたエレノアに、ウィルが思いがけないことを言った。
「あと、西の辺境伯様のところに来ないか勧誘した」
「えっ?」
「彼らは喜んでいたぞ」
一度、王都に戻って経緯を報告し、辞表を提出したら、辺境に来てくれるそうだ。
「魔龍はどうするの?」
「もちろん、倒した俺たちの物だ。けど全部は持って帰られないしな。馬車を譲り受けたから、頭だけ持って帰って辺境伯様に見てもらおうと思っている」
「そうだね。それがいいと思う」
持ち運ぶ時は魔術で凍らせればいいし、魔龍を倒したという、何よりの証明になる。
「残った頭部以外で欲しい物とかあるか?」
「うーん、特にいらないかな」
瘴気を含む魔龍の体は、素材としては使えない。浄化すれば瘴気は消えるが、そうしたら素材が劣化してしまうのだ。
即答したエレノアに、ウィルが言う。
「なら、そういう方向で彼らと話すよ。彼らは、おそらく魔龍の体の一部を持って帰ると言うと思うけど、それもいい?」
「もちろん」
そんな話をしている間に、ロイド達も戻ってきた。
彼らも報告に魔龍の体が必要だということで、魔龍のツメと尻尾を氷漬けして持って帰るそうだ。
残った体はここに放置することになるが、幸い、この場所は寒いくらいの気温で一定しているので腐ることはないだろう。
残った体の処理も、国に委ねることにした。
皆で山を下り、再会の約束をして、帰路についた。
西の辺境に帰ったエレノアは、魔龍の頭部もあり、すぐに正式に『剣の聖女』と認められた。
そして、すぐさま手続きをし、ウィルとパートナー契約を結んだ上で、生涯の誓いを交わしたのだった。
一方、王都では。
エレノアが氷獄山に旅立った後、帰国した国王達により第二王子アランの行動は問題視され、王子は罪を犯した王族が入れられる塔に幽閉されていた。
国王が認めた婚約を勝手に破棄し、あまつさえ元婚約者に魔龍を倒すよう命じるなど、通常の女性ならばまず生きては帰れない命令をくだしたとして、裁かれることになる。
裁判が行われないのは、まだエレノアの生死が定まっていないから、それだけの理由だった。
男爵令嬢は、王の定めた婚約に割り込んだとして、男爵家ごと重い処分がくだされている。
同時に、氷獄山まで、エレノアに魔龍の討伐は不要と言う知らせも出されたが、その頃にはもうエレノア達は魔龍のもとに到着していたので、ロイド達と行き違いになってしまった。
ロイド達が帰還し、西の辺境伯令嬢の死が確定すれば、王子の死罪は確定していたが、彼らが魔龍を倒したという報告と共に体の一部を持ち帰ったため、状況は転じた。
被害者であるエレノアが助かっているのだ。
王子を死罪にせずとも良いのではと言う者が出てきたのだ。
王子が受ける罰について意見が割れ、西の辺境伯の意見も聞くこととなったが、辺境伯からの返答は「生涯、娘と関わることがないように」というもので、王子の生死に言及はなかった。
そのため、命は許され、断種された後、生涯、王領の中でも取り分け貧しい地域で開墾作業に携わるという罰がくだされたという。
最後まで読んでくださってありがとうございました!
戦闘に前向きな(?)ヒロインちゃん、書けて楽しかったです!
そして、本日(3/6)電子書籍が配信されています。
タイトル「孤独な黒龍殿下の一途な純愛 ~耳が良すぎる恩寵令嬢は、断罪の未来を回避したい~」
イラストは、神馬なは先生にご担当いただきました!
もしよろしければ、こちらも手に取っていただけたら嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
公式サイト → https://muchubunko.info/aut/otoharayun01/