08.親しくなり共に励む
突き飛ばされたのは、何処をどう見ても貴族のご令嬢であった。レラは、傍に膝を付きご令嬢の顔を心配そうに覗き込む。
「巻き込んでしまい、申し訳ありませんでした。お怪我はありませんか?」
「え!? は、はい!」
「おや? 貴女は毎朝、見掛ける……?」
「あっ! 走っていらっしゃる……?」
その者は、早朝のランニングの時によく見るご令嬢だった。レラと同じく毎朝走っているらしく、しかしコースが違うので途中ですれ違うだけなのであるが。
「失礼、立てますか? いつまでも座り込んでいては、体を冷やしてしまいます」
差し出されたレラの手を反射的に取り、ご令嬢が立ち上がろうとする。しかし、直ぐ「痛っ!?」と声を上げ足首を押さえてしまった。
「これはいけない。今すぐ医務室に参りましょう。抱えますよ」
「え? ひゃわっ!?」
レラはご令嬢を横抱きに抱える。所謂、お姫様抱っこというものだ。ご令嬢は顔を真っ赤にさせ、狼狽える。
「わぁあ!? だだだ、大丈夫ですので!」
「どうか」
「へ?」
「私に貴女をエスコート出来る栄誉をお与え下さい」
「ひょえ……」
「ダメでしょうか?」
「い、いえ! よろしくお願い致します!!」
「幸甚の極み。では、医務室へ」
「ひゃい……っ!!」
レラは周りを置き去りにして、颯爽と医務室の方へと消えていった。
診断の結界、骨に異常はないだろうとのこと。そのため、今は医務室のベッドでご令嬢の足首を冷やしていた。
「ご挨拶が遅れました。私はレラと申します」
「わ、私は、セレーナ・アラトーヴォと、も、申します……」
ソワソワと自信がなさそうにご令嬢、セレーナはそう自己紹介をしてくれた。アラトーヴォといえば、南東の国境を守護する由緒正しき辺境伯家である。
「その、私達……。同じクラス、です、よね」
そうセレーナに言われて、レラは目を点にする。そうであっただろうか。そもそも貴族の方々には、いつも遠巻きにされているので記憶が曖昧だ。
「いえ、良いんです! わ、私、影が薄いので……。レラさんは、いつも目立ってるから」
「悪目立ちですがね」
「そんなこと! な、ないです……。身のこなしが、素人のそれではありませんでしょう? 実は、その、お、お話、してみたくて」
「それは、光栄ですが」
「や、やはり、私のような者と会話なんて、したく、ない、です、よね……」
どうやら勘違いをさせてしまったようだ。セレーナがしょんぼりと肩を落とす。
「決して、そのようなことはありません。ただ先程も言いましたが、私は悪目立ちしておりますので……。関わると不利益になるやも」
「それは、私の方です! こんな性格なので、親しくしてくれる子なんて、ひと、一人しか、いなくて……」
「一人いてくれれば、十分ではありませんか」
「え? で、でも、皆はもっと上手く、やっていて、わ、私なんか」
「他人と比べることが悪だとは思いませんが、それで苦しむのは違うのでは? 貴女の幸せは、貴女の中にしか存在し得ないのですから」
レラに優しく微笑まれて、セレーナは目をパチクリと瞬く。手を胸に当てると、感極まったような吐息を吐いた。
「そう、そうかもしれませんね。だからこそ、あの、私と仲良く、なんて、して貰えたら……。嬉しい、です!」
一杯一杯と言った様子のセレーナに、レラは穏やかに目尻を下げた。少しの照れを滲ませ、「そういうことでしたら、よろこんで」と返事をする。
「ほんとうですか!?」
「えぇ、勿論」
セレーナが嬉しそうに目を潤ませる。それを見たレラは、これが愛らしさというものなのかもしれないと思った。同時に、私には難しいなとも。
不意に、医務室の扉がノックされる。性急に開かれたそこから入ってきたのは、丸っとしたふくよかな女子生徒であった。
「セレーナ!」
「あっ、ペルリタ。来てくれたのですね」
「べ、別に! アンタはボーッとしてるから」
「ふふっ、心配してくれたのですか?」
「そんなんじゃないわよ……」
ペルリタと呼ばれた女子生徒は、フンッと照れたように顔を背ける。どうやらセレーナが言っていたのは、彼女のことのようだ。
「というか、その子」
「そ、そうなんです! 仲良くして下さるって!」
「あら、抜け目のないこと」
「あぅ……。そんなつもりでは」
「別に責めてないわよ! もう!」
何とも真逆の二人であるが、セレーナの気安い雰囲気からして仲は良いのであろう。
「レラとか言ったわね。この子のこと泣かしたら許さないから! 分かってるんでしょうね!?」
「承知しました。心に刻みましょう」
「そう? まぁ、それなら、別に……」
急激に勢いが萎んだペルリタに、セレーナはオロオロとしている。レラはそんな二人を見ながら、はてと小首を傾げた。
この二人をどこかで見たような気がするのだ。この感じはおそらく、ゲーム内での記憶。セレーナ、ペルリタ、それぞれの話し方、そしてシルエット。
レラは、ハッと思い出した。悪役令嬢ビアンカの【取り巻き1】と【取り巻き2】の存在を。
「レラさん、あの、彼女は、ペルリタといって」
「はじめまして。わたくしは、ペルリタ・グラッカロ。まぁ、その……。仲良くしてあげてもよろしくてよ!!」
「それは、光栄でございます」
レラの返事に、セレーナとペルリタは、二人してホッとした顔をする。何とも可愛らしいことだ。
ペルリタはグラッカロ伯爵家の長女で、確か一つ年上であったはず。
しかし、ゲームでは敵対していた二人と親しくなるとは。やはりここは現実ということなのだろう。選び進んだ道を人は、後から運命と名付けるとはよく言ったものだ。
決められた運命など、ここには存在しないのだろう。ならば、レラはレラらしく生きるのみ。
「怪我が治ったら共に鍛練するのは、どうでしょうか?」
「よろしいのですか!? う、嬉しいです。ご令嬢が武器を持つなんてと、み、みんな言うから」
「では、早朝に走って軽く手合わせでも」
「は、はい! よろしくお願いします! 直ぐに! 直ぐに治します!」
「そこは、ゆっくり療養しましょうね」
「あぅ……」
「当たり前でしょう!? 頑丈とは言っても無理はダメなんだからね!?」
「は、はい! 気を付けます!」
セレーナの線は細く見えるが、そこは辺境伯の血をしっかりと継いでいるようだ。ペルリタ曰く、セレーナは頑丈らしい。これはかなりの手練れと見た。レラは鍛練が楽しみだと、今からワクワクとした気持ちになった。
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セレーナの足の捻挫はすっかりと良くなり、激しく動いても問題ないとのこと。しかし念のため、軽く早朝のランニングから始めようと約束を取り付けたのだが。何故かペルリタも共にいた。
「あ、あの、ペルリタも一緒に行くと……」
「別に除け者にされたくないとかじゃないのよ!? ただ、そう! 私も運動しようと思っていただけよ!!」
「ペルリタは、そのままでも十分に、可愛いですよ?」
「その通りですね」
「そそそ、そんな話はしてないでしょう!? ほら、早く始めるわよ!!」
そそくさと走る準備を始めたペルリタに、レラとセレーナは顔を見合わせた。
「あの、少し、ゆ、ゆっくり目で、お願い出来ますか?」
「勿論、そう致しましょう」
「ねぇ! 置いていくわよ!」
ペルリタに呼ばれて、二人は笑みを浮かべる。「では、始めましょうか」というレラの言葉に、皆がゆっくりと走り出した。
あの日から、早朝のランニングは変わらず三人で行っている。ペルリタはヒーヒー言いながらも、休まずに毎日続けていた。
そして今日は、セレーナといよいよ初手合わせをする日である。セレーナの得意武器は槍らしいが、レラに合わせて剣でやってくれるそうだ。
「き、緊張します。私で、相手になるかどうか……」
「騙されてはダメよ。油断してると、ボッコボコにされるわ」
「ふむ。なるほど」
ペルリタの方が正しいことを言っているように、レラには感じられた。油断する気はなかったが、肝に銘じておくことにする。
レラから木剣を受け取ったセレーナは、深く呼吸をした。そしてそれを構えた瞬間、セレーナの纏う空気が変わる。ビリッと空気が揺れたのは、気のせいではなさそうだ。
「さぁ、思いっきり打ち込んでこられよ!! 胸を貸して進ぜよう!」
「おぉ……?」
腹から声を出したセレーナの衝撃に、レラの目が点になる。何とも間の抜けた声が出た。
「アラトーヴォ辺境伯家の人ってね。普段は気弱だったり、おっとりしてたりするのよ。でも、武器を持つと人格が変わるのよねぇ」
「それは初めて知りました」
「遠慮は無用!!」
「武器を持たせると、豪傑な一族だから。本気で遠慮はいらないわよ」
「承知しました。では、思いっきり行かせて頂こう!!」
「その意気やよし!!」
木剣同士がぶつかり合う小気味良い音が辺りに響き渡る。レラとセレーナの楽しげな様子に、ペルリタも思わず頬を緩めたのだった。