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07.悪意に負けはしない

 ベネデットへの手紙を書いていてレラは思う。もっと美しい字を書きたいものだ、と。

 筆と鉛筆、そしてボールペンには自信がある。しかし、万年筆には触れてこなかったのだ。

 この世界の文字の読み書きは、ベネデットに教えて貰ったので問題はない。ただ万年筆で書いた字が、レラ自身の満足がいくレベルにまで到達していないだけであった。


「師匠は十分だと言うが……」


 まだ極められる。そう思ってしまったら、レラはとことん満足がいくまで突き進みたい性なのだ。


「ふむ。だが、この前よりも上達した気がするな」


 書き上がった手紙を眺めて、満足げにレラはうんうんと頷いた。自らを認め褒めることも大事なのである。でなければ楽しく続けられないじゃないか、と。

 レラは丁寧に手紙を二つ折りにすると、封筒の中へと入れる。無地の封蝋でそれを閉じた。

 あとは、これを学生課の窓口へ持っていくだけだ。あそこはいつ行っても職員が疲れ果てた顔をしているので、いつも心配になるが。


「少し、学生課に行ってくるよ」

「はいはーい、いってらっしゃーい」


 ルームメイトに軽く声をかけ、寮の自室を出る。レラは一度大きく伸びをすると、窓の外へと視線を遣った。


「よい天気だ」


 清々しい程の晴天。雲の一つもありはしなかった。レラは頬を緩めると、学生課のある校舎へと歩き出した。


 校舎の二階にある学生課の窓口で、職員に手紙を渡す。今日も今日とて職員の顔色が最悪で、レラはストレスが凄いのだろうかと眉尻を下げた。


「はい、確かに受け取りました」

「よろしくお願い致します」

「レラくんは、ほんとうに、ぐっ……。いい子でお姉さんは嬉しい……っ!!」

「お疲れ様です」


 職員の女性が泣いているように見えたのは、おそらくレラの気のせいではないのだろう。女性に手を振られて、レラは軽く会釈をして学生課を後にした。

 この後はどうしようかと考えて、そういえば授業で教師が紹介していた論文が気になっていたことを思い出す。あの日はビアンカに捕まってしまって、図書館には行けなかったのだった。

 レラは図書館に寄ることを決めて、廊下を歩き出す。図書館は校舎を出て左手にあるのだったなと、レラは図書館への道順を頭に思い浮かべた。

 ふと不穏な気配を察知して、警戒から目を鋭く細める。どうやら前から歩いて来る男子生徒がレラに敵意を向けているらしかった。

 見るからに貴族のご令息。咄嗟に反撃しないように己を律する。手を出せば、こちらが悪者にされてしまうだろう。

 ニマニマとした下卑た笑みが視界に入る。何とも品性の欠片もない表情だ。レラが内心で溜息を吐いた瞬間、肩に衝撃が走った。

 どうやら男子生徒が態とぶつかってきたらしい。しかし、吹っ飛んだのは男子生徒の方で。レラの鍛え抜かれた体幹に、男子生徒は敗北したのであった。


「これは、飛んだ失礼を致しました。お怪我はありませんか?」


 レラは目を点にして尻餅を付いている男子生徒に、優しい微笑み付きで手を差し出す。周りにちらほらといた女子生徒のクスクスとせせら笑う声が耳朶に触れた。

 これはいけない。相手に恥をかかせてしまったらしい。しかし男子生徒には、そのせせら笑いは聞こえていないようだった。

 レラを呆然と見上げる男子生徒の顔が、だんだんと青くなっていく。事態を呑み込めたのか、「う、うわぁあ!?」と叫びながら逃げていってしまった。


「えぇ……?」


 手を差し出した体勢のままレラは、戸惑った声を出す。そんなまるで化物でも見たかのような悲鳴を女性に向けるとは、失礼極まりない話だ。


「まったく」


 レラはヒロイン補正とでも言えばいいのか、鍛えても見た目にはあまり反映されないのである。ベネデットは、筋肉が付きにくい体質なのかと首を捻っていた。

 なのであの男子生徒は、レラの方が無様に尻餅をつくと考えていたのだろう。それがどうだ。吹っ飛ばされて、すっかり戦意喪失してしまったらしい。


「避けるべきであったか」


 しかし、それはそれで相手がバランスを崩して転んでしまったかもしれない。どうにもならなかったなと、レラは首を左右に軽く振った。


******


 男子生徒吹っ飛ばし事件の噂は、瞬く間に広がってしまった。男子生徒曰く、「壁だった」とのこと。

 レラが強かったのか。男子生徒が弱過ぎたのか。判断がつかなかったらしい貴族の方々から、レラは更に遠巻きにされることとなった。

 まぁ、その方が平和でよろしい。レラはもはや気にしていなかった。親しい平民の子達が出来たので問題なし、と。

 その日も華麗に教室からの脱出に成功したレラは、魔法の鍛練に向かっていた。足取り軽く階段を降りていく。

 三分の一を過ぎた辺りであろうか。不意に強い力で背中を押された。流石にここまでされると思っていなかったレラは、完全に油断していたのだ。

 しかしレラは瞬時に身体強化の魔法をかけ、足が離れる前に自分の意思で思いっきり階段の縁を蹴った。流れるように前方宙返り一回半ひねりを決める。重力を感じさせない動きであった。

 衝撃を柔らげながら着地したレラは、それでも勢いを殺しきれず後方へ少しスライドする。膝を付くような形で止まったレラは、バッと顔を上げた。


「何奴っ!!」


 凛と通る声が辺りに響き渡る。レラ以外の者の時が止まったような静寂が落ちた。その中で頬を引き攣らせた一人の女子生徒が踵を返すと、階段を掛け上り始める。


「私が犯人ですと言っているようなモノだぞ!!」


 レラは、その女子生徒の後を追って走り出した。周りの生徒は、巻き込まれたくないのか素直に道を空けてくれる。

 階段を上りきった先では、何が起こったのかと事態を目撃していない生徒達がざわめいていた。人がごった返す廊下を女子生徒が尚も逃走しようと、無理やりに進んでいるのが見える。


「観念されよ!!」


 レラが追ってきたことに、女子生徒は恐怖に顔を歪めた。「いや! いやぁ!! 来ないで来ないで来ないで……っ!!」などと錯乱している。

 まるでこちらが悪者のような気分になってくるが、被害者は紛れもなくレラの方だ。レラだから無傷なだけで、普通ならば大怪我。最悪、死んでいたかもしれない。流石に見過ごすことは出来なかった。


「邪魔よ!! 退いて!!」

「え? きゃあ!?」


 女子生徒が目の前にいた誰かを力一杯に突き飛ばす。その光景を見て、生徒達が廊下の両端へと寄った。

 これを好機と思ったのは、レラも同じであった。助走を付け、廊下を蹴る。天井が高くて助かると、女子生徒の頭上を飛び越えた。女子生徒の目には、レラが突如現れたように見えただろう。

 軽い動作で道を塞ぐように着地したレラに、女子生徒は腰を抜かして尻餅を付いた。青ざめた顔で、遂にはボロボロと泣き出す。


「もはや逃げられませんよ」

「わたくしは悪くない!! 全部全部全部!! 貴女が悪いのでしょう!!」

「それは、自白と取ってもよろしいか」

「うるさいうるさいうるさい!! 何で貴女みたいな女がビアンカ様のお気に入りになれるのよ!! わたくしだって!! わたくし、だって……っ!!」

「それを私に言われても困ります。ご本人に聞いて頂かなければ何とも」

「そういう態度も気に食わないのよ!! ビアンカ様を避けるなんて!! 身の程知らずが!!」

「おっと……?」


 どうやらレラの嫌な予感が的中してしまったらしい。やはり避けられているとビアンカに感じさせてしまったようだ。しかし、真正面から距離を置きたいと言って、すんなりと受け入れてくれたかどうか。

 そもそもこのご令嬢は、ビアンカとレラを関わらせたいのか関わらせたくないのかよく分からなくなっている。いや、根本的に関わらせたくはないが、レラがビアンカの誘いを断るのはギルティということなのか。


「何の騒ぎだ!」


 尚も淑女らしからぬ罵詈雑言を女子生徒が喚いていれば、レラの背後から聞き覚えのある声がした。振り返った先には、人波から現れたらしいステファノの立っていた。


「お助けください! 皇太子殿下!」


 女子生徒は助かったと言いたげに表情を明るくさせる。どうやら言い逃れをして此度の件を有耶無耶にする気のようだ。

 ステファノは、腰を抜かして泣いている女子生徒と仁王立ちで険しい顔をしているレラを交互に見遣る。


「状況説明を」

「わたくしは何も悪いことはしておりません」

「なるほど。平民を階段から突き落とすことは、悪事には成り得ないとおっしゃられるか」


 レラの言葉に、ステファノは驚いたように目を丸める。次いで、眉をひそめた。


「平民の命は、それ程までに軽いと? 皇太子殿下のご意見も彼女と同じなのでしょうか」

「そのようなことは、有り得ない。事実確認をしっかりと行い、ふさわしい処罰を学院長より下して頂く」

「そうして頂けると幸いです。生意気なことを申しました。申し訳ございません」

「いや、構わない。それを言わせたのは、こちらの責だ」


 女子生徒は、ステファノがレラの肩を持ったことに絶望した表情を浮かべた。「あ、あぁあ……。どうして、わたくしはただ、ビアンカ様のためを思って……」そうぶつぶつと呟く声は、思いの外明瞭に聞こえた。


「どうやら、ジェミンブル公爵令嬢のご厚意は私には過分であったようです。どうか分け隔てなく皆にお与え下さいと」

「あぁ、責任を持って伝えておこう……」

「よろしくお願い申し上げます。では、これにて失礼致します」


 レラは恭しく礼をすると、踵を返す。女子生徒が逃げる際に突き飛ばした者の方へと、直ぐ駆け寄っていった。

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