36.第2の人生もエンジョイしたい
訪れた夜明けに、世界は安堵に包まれた。陽守の民に会いたいという旨の書状が各国から送られてきたが、バラノアルッテ帝国は全てを丁重に断った。陽守の民はお疲れだという文言で。
実際、レラは目立ちたくはないのでお披露目会など御免被りたいのは確かだ。なので、有り難いと皇帝にはお伝えした。
まぁ正直な話をするならば、一連の騒ぎのせいで帝国はお披露目会など開いている余裕はないのだ。外部に漏れない内に、内々で処理しなければならないのだから。
ジルドに詳細が知りたいなら教えると言われたが、レラは少しも迷わず遠慮した。レラは、彼らを怨んでなどいない。どのような刑罰がくだったのかを知った所で、心が重くなるだけだ。
それに概ね、あの場でステファノが言っていた通りになるだろう。ビアンカとニコロは、監獄行きか。領地で幽閉か。どちらにしろ生涯、国の監視下に置かれる筈だ。
帝国は、陽守の民を手放したくはないのだろう。此度の件が露呈すれば、世界各国は確実に黙っていない。自国で陽守の民を保護すると争いだすやもしれない。それは、レラも望むところではない。
とはいえ、全ての決定権は陽守の民であるレラにあるらしいが。まぁ、世界を好きにできる神の寵愛を受けているのだ。誰が指図できよう。だからこそ、はじまりの若者アイノは命を落としたのだ。
「何か望みがあるのなら、遠慮なく言え。皇帝陛下は、出来る限りお前の希望に沿うとおっしゃられている」
「ふむ……」
今現在、レラとジルドは学院が用意した応接室に二人でいた。学院の結界は素早く張り直され、この国で一番安全な場所に戻った。
この結界は、魔獣も不審者も不成者も誰も通さない優れものなのだ。なぜ宮殿にも張らないのかと学院長に聞いたら、これは学院の特権なのだと説明を受けた。
それに宮殿は近衛騎士団が守護しているので、いらないらしい。まぁ、様々な貴族の思惑や面子が錯綜しているのだろう。そう判断して、レラは「なるほど!」と話を終わらせた。
レラとしても慣れない宮殿に閉じ込められるよりも、学院内で自由に動き回れる方がいいに決まっている。常にベネデットと行動を共にしてくれとジルドに言われたので、ちゃんとお利口にしていた。
そのベネデットは、応接室の外で見張り中である。なので、本気で部屋にはレラとジルドの二人しかいないのだが……。
「ないのか?」
「そうですねぇ」
先程からジルドはずっと、ソワソワソワソワと落ち着かない様子だ。これは、皇帝から何か命でも受けたのかもしれない。例えば、陽守の民との婚約を取り付けてこい、とか。
全ての処理を滞りなく終えお披露目会をするにしても、帝国としては既に自国の皇子との婚約が決まっていた方がやり易いのは明白だ。他国に横から奪われては堪ったものではないだろう。
「殿下はないのですか?」
「……は?」
「私にして欲しいこと」
向かいに座っていたジルドは、驚きに目を丸めた。しかし、直ぐに顔を背け「あるわけねぇだろ」と、いつもの調子で返してくる。
「そうですか?」
「…………」
「ふふっ、ジルド殿下」
いつもは呼ばれない名が聞こえて、自然とジルドはレラへ視線を戻してしまった。ゆったりと夜明け色の瞳を細めたレラと目が合って、ジルドは言葉を詰まらせる。
ウロウロと視線を泳がせたジルドは、観念したのか。覚悟を決めたように、席を立った。ズカズカと大股でレラの傍までやってくると、逡巡したのち静かにレラの隣に座る。
そして、無言である。真っ赤に染まった頬と耳だけが、雄弁にジルドの胸中を語っていた。
ジルドとしても想定外の事態なのだろう。兄の婚約は本気で白紙になり、学院を卒業後本格的に件の姫との婚姻が進められることになったのだ。
ステファノがジルドに、「学院に全てを置いていく。何もかも……。でなければ、我が国に嫁いでくる姫に失礼だろう」と言っているのをレラは聞いた。きっと、ステファノならば大丈夫だろう。
あんなことがなければ、とは思ってしまうが。ネヴィオの言っていた通り、選択したのはビアンカである。他にも方法はあったのだから。
「レラ」
「はい、何でしょうか」
ジルドは深呼吸をすると、レラの方へ顔を向ける。顔の赤みは全く消えていないが、表情は真剣そのものであった。
「俺と……」
そこまで言って、ジルドは言葉を切る。迷うように瞳が揺れて、ゆっくりと伏せられた。
――――兄貴周辺の生徒会の奴らに見向きもしないで、“地味で物足りない第二皇子”の俺に近寄ってくる奴なんざ滅多にいねぇんだよ。
どうも変な所でジルドは、自信がないようだ。人との関わりを極力避けてきた弊害か。それとも、優秀な兄には敵わないと思っているのか。
この迷いは、ジルド自身が傷付くことを恐れているというよりも。レラを幸せに出来るのかという自問のようにレラには感じられた。
「殿下」
「…………」
「ジルド殿下」
レラの穏やかな声に、ジルドが視線を上げる。目が合って、レラはジルドとの距離を詰めた。急に近くなった距離に、ジルドはぎょっとした顔をする。
「は!? なんだ!?」
出来るだけ距離を取ろうとしたジルドが体勢を崩して、肘置きに倒れ込む。逃げ場を奪うように、レラはその上に覆い被さると肘置きと背凭れに手を付いた。
レラの髪が重力に従いさらりと落ちる。ジルドは、何が起きたのかと目を白黒させた。「ジルド殿下」そうレラの囁く声に、引きかけていた熱が一瞬で戻ってくる。先程よりも赤みは増し、首まで侵食していた。
「な、にして……っ!!」
レラは優しげに目尻を下げると、背凭れに置いていた手を動かす。スリと指の背でジルドの頬を撫でた。
「愛していますよ」
「……え」
「私を本気にさせたのは、ジルド殿下ですから。責任は、取っていただかなければ」
レラは吐息たっぷりに「ねぇ?」と、問い掛けた。どうやらジルドの許容を超えたらしい。両腕で、真っ赤になった顔を隠してしまった。
「~~~っっ!?」
「ふふっ、顔を隠さないで」
「お前ぇ……っ!! やめろ!!」
勿論、レラにはこれ以上のことをする気は微塵もない。ただ戯れたいだけだ。まぁ、ジルドにとっては、少々刺激が強いようではあるが。
不意に、扉の向こうから「あっ!?」というベネデットの焦った声が聞こえた。それにレラが扉の方を見たのと、無遠慮に扉が開いたのは同時だった。
「レラ! 遊びにきた、ぞ……?」
そこに立っていたのは、六歳前後くらいに小さくなった夜の神であった。あの泉の空間は、夜の神の神聖な領域であるそうで。その中であれば昼でも問題はないのだが、領域から外に出ると力が弱まり今の姿になってしまうとのこと。
夜の神は、きょとんと目を瞬いた。次いで、後ろに立っていたベネデットを見上げる。ベネデットは目が合うと、へらっと気まずそうに笑んだ。
「結婚式には参加したい!!」
「えぇ? あぁ、そんな感じか。ひとまず、婚約式が先じゃないですかね」
「それも出る。絶対に、今度こそ、出たい!」
「お相手は皇族ですから。色々と準備に時間はかかるかと」
「時間なら沢山ある。それに私にとっては、きっと瞬きの間よ」
「なるほどねぇ。流石は神様で」
レラとジルドの体勢には触れず、平然と会話をする夜の神とベネデットの雰囲気は気安い。夜の神が頻繁にレラを訪ねてくるので、ベネデットともすっかり親しくなったのだ。
「可笑しいだろーが!! おい、ベネデット!! 助けろ!!」
「あー……。やっぱり、そっちを?」
ギャンギャン喚くジルドに、ベネデットはどうしたものかと頭を掻いた。まぁ、レラがいいならいいかと結論付けて、扉を閉めようとノブを掴む。それに気付き、夜の神は部屋から出た。
「おい、待て! 嘘だろ!?」
「ノクス様、学院長室に行きましょうか。美味しいお茶と菓子が出てきますよ」
「真か!? よし、行こう。私は、チョコレートがお気に入りだ」
なんて言いながら、二人は扉の向こうに消えていく。再び応接室には、レラとジルドの二人だけになってしまった。
「ベネデット!!」
ジルドは、ぶちギレである。この辺りでやめておこうと、レラは体を起こした。そして何事もなかったかのように、元の場所に戻る。
途端にジルドが、怒らせたのかとレラの顔色を窺ってくるのだから。本当に、くすぐられる。
「それで? 責任は、取っていただけるのでしょうか」
こてりと首を傾げたレラに、ジルドは悔しそうに眉根を寄せた。レラに先を越されたのだ。ジルドのプライドが許さないだろう。
ジルドは勢いで口を開いたものの、何も言わずに閉じた。居住いを正し、呼吸を整える。皇子として、考えなしに不用意な発言をしないための一呼吸。
「レラ」
「はい」
「お前を大切に思っている。出来ることなら、お前の望みは全て俺が叶えたい程に」
それだけで、レラには充分だった。
しかし、“出来ることなら”を付ける所がジルドらしい。ここで全てを捨ててくれと言ったとて、ジルドは首を縦には振らないだろう。まぁ、レラにそんな事を言う気はないが。
「俺が、責任を持ってお前を、レラを、幸せにしてやる!!」
そして、真剣な声音が最終的に、ドヤァ! という効果音が付きそうなものに着地するのも含めて。とはいえ、レラはそういう所も全て愛しく思っているので、寧ろキュンとした。
レラはニコニコとした笑顔を浮かべていたがその実、心の中は大荒れで。これはもう、頬に口付けくらいならば許されるだろうという結論に達してしまった。
「ジルド殿下」
「何だ、よ……?」
ジルドの言葉を待たずに、レラは不意打ちで頬に口付ける。軽くリップ音もおまけしておいた。
「嬉しいです」
「は、あ、はぁあ!?」
口付けされた頬を片手で押さえたジルドの頬は、相も変わらず真っ赤で。そろそろ茹で蛸になってしまうかもしれない。湯気が見えそうだ。
「婚姻前になに、何かんがえてんだ!?」
完全にジルドの声は、裏返ってしまっている。
「申し訳ありません。愛しさが爆発してしまいました。嫌でしたか?」
「そういう問題じゃねぇんだよ!」
「ほう? では、嫌ではなかったと。これからも頬ならいけるだろうか」
「いけるわけねぇだろーが!!!」
本日一番の怒声を甘んじて受け入れながらレラは、本当に人生とは予想外のことばかり起こるものだと考える。
「抱き締めてもいいですか」
「さてはお前、反省してねぇな?」
「優しくします」
「待て! 待てよ。俺から抱き締める。暫し待て! いい子にしてろ」
「分かりました」
葛藤と深呼吸を繰り返すジルドを眺め、レラは目尻を下げた。あぁ、まさか自分にこんな感情が存在していたとは。やはり、前世の両親の子であったらしい。
たとえジルドが今の座を追われ、どのような立場になろうとも。レラはジルドが望めばその手を引いて、駆け落ちするだろう。
そしてレラはきっと、ジルドに全てを捨てて俺を選んでくれと言われれば、首を縦に振る。まぁ、ジルドは絶対にそんな事を言わないが。
「動くなよ。よし、大人しくしてろ」
ジルドは恐る恐るとレラの方へと腕を伸ばしてくる。ゆっくりと確かめるように、優しくレラを抱き締めた。
瞬間、レラの全身が幸福感に包まれる。いつも何処かに居座っていた哀しみが、消えていく感覚がしてレラは目を瞬いた。
あぁ、君の翳りを私は取り払えたのだろうか。君も私と同じ気持ちなのだろうか。レラは泣きそうな安堵感を覚えながら、ジルドに応えて背に腕を回した。
「ジルド殿下、愛しております」
「ん、俺も――」
耳元で囁かれた愛の言葉に浸りながら、レラは幸せそうに目を閉じた。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました!
そして、ブックマーク、評価、いつも元気をいただいております。ありがとうございます!
このお話楽しんで頂けてるんだなぁと“いいね”がつくたびに喜んでおりました!
きっとこの二人は、何年経ってもレラにジルドが振り回されて、ワーワーしながら幸せに北の地で暮らしていくのだと思います。
如何せん、私が片想いとか両片想いとか恋人になるまでのお話が好きなもので。本編はこれにて終了とさせてください。
番外編を書けたら書きたい気持ちはあります。書いた際には、また余暇のお供にでもしてやってください。




