35.夜明けを告げる
ステファノがエリゼオ、ビアンカ、ニコロの前に立つ。その堂々たる姿に、ジルドはネヴィオと同じく後ろにさがった。
「もうよい。もう充分だ」
「分からないよ、ステファノにはさ」
「……そうかもしれないな」
ステファノは一瞬、目を逸らす。しかし直ぐに戻すと、厳しい目を三人に向けた。
「エリゼオ、ビアンカと無理心中でもするつもりだったか?」
「……どうだろう。でもさ、オレの首だけで事足りるでしょ。全部、失敗したんだから」
「そうもいかない。騙されただけという理由での情状酌量など、誰も納得しない。特に両陛下はな。王侯貴族は、それでは駄目なんだよ」
「ステファノも、そっち側の人間なんだね」
エリゼオは、理解が出来ないと言いたげに嘲笑する。それにステファノが憐れみの目を向けた。しかしそれは一瞬で、直ぐ表情を戻し「沙汰が出されるのを心して待て」と言った。
「しかし、そうだな。心構えは必要か……。全員、社交界からの排除は免れないと思っておきなさい。そして、ニコロ・マジーア。君の魔塔への立ち入りは、全面的に禁止されることだろう」
「そんな!? 僕がどれだけ優秀だとお思いですか!! 後悔しますよ!?」
「あぁ、少なくとも私はするよ。君の活躍を期待していたのだから」
「でん、か……」
己の浅慮が皇太子の期待を裏切る結果になったのだと、ニコロはやっと理解が追い付いたらしい。輝かしい筈の未来が閉ざされた絶望に、彼は完全に沈黙した。
「エリゼオ・ロネ・レーヴェスティ、望み通り処刑台に送ってやろう。私が責任を持ってな」
「……恐れ入ります、皇太子殿下」
「ま、待ってください! そんなこと! そこまでする必要は……っ!!」
「あるんだよ、ビアンカ。いや、ビアンカ・レド・ジェミンブル」
「っ!?」
「君との婚約は白紙になるだろう。君の行いが、どれだけ重く扱われるかは分からない。しかし、罪人を皇太子妃に出来ないことだけは確かだ」
「そん、な……」
ステファノの淡々とした声が、どう頑張っても決定は覆らないことを示していた。ビアンカはただ、重責に耐えきれず逃げ出したヒロインのフォローをしただけなのにと、顔を両手で覆う。
「夜を恐れることなかれ! 我、暁を守る者!!」
レラの朗々とした声が、泉周辺に響き渡る。あぁ、そうだ。ビアンカは知っていたのに。彼女が逃げ出すなんて真似をする筈がないことを。
「……すま、ない。すまなかった、ビアンカっ!」
「え?」
「分かっていた。君に国母は向かないと、気付いていたんだ! 母に言われるまでもなく」
――――あの子は少々、世間知らずでしょう。本当に、大丈夫なのですね? ステファノ。
「でも、それでも、私は君と共にいたかった……っ!! 私の生涯、最初で最後の我が儘、だったんだ!」
耐えるように震えていた声は、段々と涙声へと変わり、遂にステファノはポロポロと泣き出す。そこには、年相応の青年がいた。それにビアンカが、頬を染める。
「ステファノさま……」
「ビアンカ、君を愛している。だが、一緒には、いられない……っ!!」
世界に彼は誰時が訪れる。まだ薄暗い中でも、暗闇に慣れてしまった目には、ステファノの涙がよく見えた。夢から覚めるように、ビアンカの頬の熱が引いていく。
「兄貴……」
「ジルド、何も言うな」
ステファノは両拳を握り締め、何とか涙をとめようとしているようであった。一度深く息を吐き、背筋を伸ばす。
「皇太子は、私だ」
「……仰せの通りに」
ジルドは兄の覚悟を感じとり、ただ頭を垂れた。それにネヴィオも続く。場に、物悲しい静寂が落ちた。
「さぁ! 顔を上げて!!」
それを破ったのは、レラの凛とした声であった。仁王立ちのレラの後ろから朝日が登っていく。爛々と輝く笑みがはっきりと見えて、ジルドは眩しそうに目を窄めた。
「夜明けだ!!」
世界には光が射し込み、星々は眠りにつく。長い夜の終わりを祝福するように、鳥達が軽快に囀ずった。
レラのイエローゴールドの髪が、風に揺れる。陽光を反射して、キラキラと煌めいて見えた。
あぁ、シナリオが終わる。ビアンカはまるで、ゲーム画面を見ているような気持ちになった。美しいスチルに、心踊ったあの日の記憶が甦る。
「あそこに、立ちたかったのかもしれない……」
ポツリと落とされたビアンカのそれに、反応を返したのはエリゼオだけだった。彼女の願いを叶えられなかった自分を責めるように、エリゼオは目を伏せる。エリゼオにとって一番優先すべきは、国ではなく愛する人の幸せだったのだから。
「ステファノ様! いえ、皇太子殿下! どうかご慈悲を頂けませんでしょうか?」
「慈悲、か……。内容だけは聞こう」
「エリゼオの刑罰ですが、処刑だけはどうか!」
「いいんだよ、ビアンカ」
「いいわけない!」
「だって、そっちの方が君はオレを忘れないだろう?」
「……え?」
狂気を孕んだエリゼオの瞳が、真っ直ぐとビアンカだけを映している。ビアンカと目が合って、エリゼオはうっとりと目尻を下げた。
「君のために命を捧げた男がいたこと、忘れないで。ずっとずっとずっと永遠に」
「エ、リゼオ……?」
「そしてどうか。罪人同士、いつか地獄でオレとワルツを」
誰も何も言えなかった。エリゼオという男が、ここまで狂ってしまうなんて。信じられないと、いや、信じたくないと。ビアンカの顔色が青白くなっていく。
「随分と、ロマンチストなのですね」
「口を挟むなよ、山猿」
祭壇から戻ってきていたレラが、我慢できずに割って入った。無駄だったとしても、これだけは言わなければならないと思ったのだ。
「それは失礼を。しかし、独り善がりの愛は相手を困らせますよ」
「違う!! 独り善がりじゃない! オレは、オレは、ビアンカのため、全てビアンカのためにやったんだよ!!」
「本当に?」
レラがゆったりと目を細める。ジルドにとってみれば、もはや見慣れたそれ。しかし、初めて向けられたエリゼオは、大袈裟に肩を跳ねさせた。本質を見抜かれそうで、思わず顔を背ける。
「まぁ、いいでしょう。しかしたとえそれが、どれだけ高尚な愛だったとしても。向けられた相手が喜んでいないのならば、それは自己満足にしか成り得ないかと」
レラの視線がエリゼオからビアンカに、ついと移動する。まるでちゃんとビアンカを見ろと言われているようで、エリゼオはやっと本当の意味でビアンカをその瞳に映したのだった。
「……じゃあ、どうすれば良かったんだよ。ビアンカ以外を愛せるわけがない。この気持ちを持ったまま、他の女と結婚すれば良かったの?」
「そ、そんなの駄目よ! 相手の方に失礼でしょう!?」
「うん、ビアンカならそう言うよね。本当に、酷いなぁ」
エリゼオは、嬉しそうに、しかし、傷付いたように、年相応の笑みを浮かべた。それにビアンカは、オロオロとし出す。
レラは、恐らくビアンカは一生このままなのだろうなと思った。それが許される環境で育ったことは、幸せなことなのだというレラの考えも変わらない。
ただし、それは現代日本ならばという話でしかなかったのだ。元の世界であれば、ビアンカはただ騙されただけ。何と可哀想なのだろうかと、同情されて守られたかもしれない。
「どうしたら……。わたくしは、間違えたの? わたくしが、悪いの?」
だから、ビアンカには耐えられないのだ。間違っていないと、悪くないと、その答えを求めて発せられた問いに、レラは眉尻を下げた。
「いいえ、軽率な行動を取った私の責任です」
「おい、レラ!」
レラは、ジルドに向かって首を左右に振る。これでいいのだ、と。
「私がもっと慎重になっていれば、魔力を奪われることも、誘拐されそうになることも、なかったのですから」
ビアンカの表情に分かりやすい安堵が滲む。レラは、真っ直ぐとビアンカを見つめた。
「私を怨んで構いません」
「……え」
――――よいですか。人を怨んで生きるものではありません。人生を棒に振るも同義と心得なさい。
レラは、そのおばあ様の言葉を間違っていると思ったことなどない。しかし、怨みが人を生かすことも知っていた。
「生き抜いたその先、そんなものは塵芥だと。少しも私を思い出さない程の幸福が、貴女に訪れることを祈っております」
レラが恭しく頭を垂れる。ビアンカは、戸惑ったような顔で「そんなこと、レラを怨むなんてこと、しないわ」と言った。それに、レラは眉尻を下げながらも笑った。
「それならば、それでいいのです」
向けられる敵意からビアンカの心を守れるのならば、それが何であれいいのだから。レラは一度深く息を吐き、空を仰ぐ。
登りきった太陽に、レラは頬を緩めた。どうやら、お天道様に顔向け出来ない事態にはならずに済んだらしい。
レラは誰に言うでもなく「これからも」と、口にする。それは、レラの中では宣誓であった。
「夜が愛しくなるように、私が暁を守るよ」
夜の神の記憶の中で、アイノが同じ言葉を口にする。レラとアイノが重なって見えて、夜の神は泣きそうな顔で笑んだのだった。




