33.夜の神と手を取り合う
ワイバーンが降り立ったのは、学院の大聖堂の前であった。しかし、レラには何かが違う気がして、小首を傾げる。
「ふむ……?」
「その中じゃねぇな。森の中、か?」
大聖堂の向かって右手には、手がつけられていない広大な森が広がっている。学院裏の森に繋がっているため、上手く歩けば辿り着くとは聞いた。
ジルドは難しい顔で黙り込み、森を睨み付けている。レラはどうしたのかと思ったが、口を挟んでいいものか分からず待つを選択した。
「妙だ。壁を何枚も挟んだみてぇな……?」
「魔力を感じづらいのですか?」
「あぁ、少し待て」
ジルドは深く呼吸すると、目を閉じる。魔力探知に全神経を集中させる事にしたようだ。であればとレラは、不成者から拝借した木剣に手をかけ周囲を警戒する。
「――捉えた。走るぞ!」
「承知しました!」
迷いのないジルドの背を追って、レラも駆け出す。暗い森の中は、獣の鳴き声、木々が風に揺れる音、昼にも聞こえる筈のそれらが嫌に耳について。夜の闇が足を竦ませそうと忍び寄ってくる。
しかし、ジルドは止まらなかった。有事の際には全線に立つのが皇族だと、その背が示していた。レラは、やはりこの方は何処まで行っても第二皇子なのだと、切なげに微笑む。
――――お前も疫病神だ!! どうしてお前だけ生きてる? お前なんていらないのに!!
どうしてだろうか。こんな時に、そんな言葉を思い出してしまったのは。そもそもとして、この場にレラは必要なのだろうか。ビアンカが何とか出来るのならば、邪魔ではないのか。
「レラ!」
レラの魔力を感じられないのが急に不安になったジルドが、振り向き手を差し出す。それにレラは、キョトンと目を丸めた。
それだけで十分だった。レラの表情からは、一切の翳りが消え去る。何の不安もないと、レラはジルドの手を取り握った。
「はい、殿下!!」
「よし! 離すなよ! 絶対にお前の力が必要なんだ!!」
「そうなのですか?」
「アイツらは勘違いをしてる。重要なのは、光の魔力じゃねぇ!」
「はい!? 違うのですか!?」
「違う! 重要なのは、“誰が”それを持ってるのかだ! 決まってんだろーが!!」
それは、初耳だ。レラも勘違いをしていた。であれば、ビアンカがその魔道具を持ち夜の神の所に行くのは、逆効果になりかねないということ。
「い、一大事では!?」
「だから、急いでんだよ!!」
ジルドに手を引かれながら、レラはもっと情報収集をしておくべきだったと悔やむ。やはりジルドの名を出してでも、エリゼオの誘いを断らなければならなかった。
いや、それは後にしよう。後悔先に立たず。この反省は、次回に生かすしかないのだから。レラは、真っ直ぐと前を見据えた。
「うっ!?」
「わぶっ!?」
「何だ?」
「クモの巣に突っ込みましたか?」
「突っ込んでねぇよ……」
確かに何かにぶつかった。その感覚があったのだ。しかし、そこには何もない。レラもジルドも疑問符を飛ばしたが、走る足は止めなかった。
不意に、開けた場所に出た。澄んだ空気が肺を満たして、レラは深く息を吐く。走って汗ばんだ体を涼やかな風が包んだ。
美しい泉に、星々が反射して輝いている。まるでそこにも夜空が広がっているようだった。その中心に、遺跡とは違い舞台のような祭壇がポツンと浮かんで見える。
「はっ、はぁっ」
ジルドもレラも暫し何も口に出せなかった。ただただ、この世のモノとは思えない光景に、目を奪われた。
「お前は、アイノではない!!」
悲痛な叫びが木霊して聞こえた。それに二人は、ハッと我に返る。素早くそちらへ顔を向けた。
泉の水面に男が立っている。夜と同じ黒色の髪は、腰辺りまであるだろうか。涙に沈んだ月色の瞳には、胸を抉る程の悲しみが滲んでいた。
一目で分かった。彼は、人ではない。圧倒的な存在感に、レラは唾を呑んだ。紛うことなき、夜の神よ。
「何故お前が光を持っている? 何をした? あの子に何をしたんだ!!」
「あっ……。ちが、ちがいます! 違うの!」
「それは、アイノのための……っ!! 返してくれ、やめろ、アイノ、アイノ!!」
泉の手前、突き飛ばされたような体勢でビアンカが地面に座り込んでいる。夜の神がビアンカに向かって手を翳すと、ビアンカがしていた首飾りが宙に浮いた。
それを引き寄せ、夜の神が大事そうに抱え込む。それは見間違えようもなく、遺跡で発見したアイテムの首飾りであった。
「アイツ! 首飾りまで窃取してやがったのか!!」
そこまで、するのか。どう足掻いてもその腕に抱くことの出来ない相手に対して。いや、そうだ。レラも知っていた。エリゼオの本気の愛は、そこまで平気でする程に重い。
「頼む……。大切な、私の大切な子なんだ」
懇願するように、夜の神が膝をつく。レラは、ジルドの言っていたことを痛感した。そうだ。遺跡で見たではないか。夜の神が約束の地で永久に待っていたのは、彼の最愛の子だ。
夜の神の周りに禍々しい靄のようなものが揺れだす。それを見たレラは、本能的に走り出していた。あれは、確実に不味いと。
「どこに、やったのだ。あの子は何処だ」
「ちが、わたくしは、ただ」
「返せ!!」
黒い靄がビアンカに襲いかかるよりも先、レラが振った木剣が転がっていた水晶玉のような魔道具を粉々に叩き割る。
「ちょおっと待ったーー!!」
これは、賭けであった。光の魔力を返して貰う方法を聞き出している暇などなかったのだ。レラは、己の、ヒロインの天運に賭けた。
果たして、レラの思う通りの結果になった。レラは賭けに勝ち、光の魔力はあるべき主の元へと戻ったのだ。
「アイノ……?」
夜の神が呆然とした様子で、そう口にした。先程からずっと呼んでいる所をみるに、恐らくそれは始まりの若者の名であるのだろう。
レラはもう必要ないだろうと判断して、木剣を手放す。夜の神と真正面から向かい合った。そして、ニコッといつも通りの笑みを浮かべる。
「私はアイノではありません!」
レラは、堂々とそう言い切った。それに、場が静寂に包まれる。夜の神ですら、ポカンとした顔になっていた。
「はじめまして、私はレラ。あなたの名前を伺っても?」
座り込んでいる夜の神と目線を合わせるために、レラはしゃがむ。ポロポロと涙を流し続ける月色の瞳が確かにレラを映した。
「レラ、そうか、アイノの子か。そうか。そうか……っ!!」
夜の神は、噛み締めるように何度も頷く。詳しく言うならば、レラはアイノの子ではないのだが。そこは何も言うまいと、レラは夜の神の言葉を待った。
「アイノは私をノクスと呼んだ」
「よろしくお願いします」
「レラなら、そう堅苦しくしなくてもいい」
「そう? では、お言葉に甘えて」
ゆるりと笑んだレラに釣られて、夜の神も目尻を下げる。気付けば涙は止まっていた。
「アイノによく似ている」
「そうかな?」
「あぁ、とても」
「私とも仲良くしてくれるの?」
「勿論だ! アイノによろしくと言われていた。あぁ、やっとだ。やっと君に会えた」
頬に伸ばされた夜の神の手をレラは、何の戸惑いもなく受け入れる。宝物に触れるように撫でられレラは、おばあ様やママ、ベネデットの顔が脳裏に浮かんだ。
「ノクス様、あの」
「いいんだ。分かっていた。ずっと前から、アイノが帰って来ない事は、分かっていたんだ。しかし、私は、私は……っ!!」
「うん、うん、そうかぁ」
夜の神の手にレラは手を重ねて、悼むように目を閉じる。夜の神は、遠い昔を懐かしむようにレラを見つめた。
「アイノは、自由な子だった。好奇心旺盛で、活発で、笑った顔がとても可愛くて」
穏やかな声が紡ぐアイノの記憶に、レラは目を開ける。合った夜の神の瞳は、慈しみに溢れていた。
「急に旅に出ると言い出すくらいには、行動的でわんぱくだった」
少々イメージと違っていて、レラは面食らったように目を瞬かせた。それに、夜の神が困ったように笑う。
「そうだ。あれはちょうど、君と同じくらいの歳だった。文を送るからと飛び出した癖に、一度も送ってこなかった」
「えぇ……?」
「突然帰ってきたから、文の件を問い詰めた。すると、『便りがないのは元気な証拠』だと」
「なるほど。それは一理あるね」
「あるのか。そうか。私もそれを信じた。まぁ、アイノは悪いと思ったのか、ちゃんと文を送ってくるようにはなった。突如として結婚し子どもが出来たと書かれていた時はひっくり返りもしたが」
「パワフル!」
「あぁ、本当に。私をとても困らせ、幸せにし、笑顔をくれる。愛しい、最愛の子よ」
夜の神がレラの頬から手を離す。そのままレラの手を取った。レラもしっかりと夜の神の手を握り返す。
「迷惑をかけたな。相も変わらず、私はアイノのようには生きられないらしい」
「それでいいんだよ。あなたはあなた、なのだから」
「ふふっ、そうか。あの時もそう言われたのだったなぁ」
夜の神はもう戻らない日々を過去にするかのように、最期に一粒、涙を流した。




