30.第二皇子と約束をする
昼の眷属が少し暴れたものの、建国祭は滞りなく終了。国はその功績を陽守の民のものとし、レラのことを貴族達や友好国の王達に公表した。
民達には、陽守の民の存在だけを教えレラの名は隠した。有事の際だろうと関係なく、よからぬ事を企てる不成者は存在しているからだ。魔獣が暴れている中では、手が回らない部分も出てくる。
学院での結界の研究、魔獣との戦闘、茶会の招待、接近してくる貴族達、レラはヒロインらしく引っ張りだこで過ごし。気付けば、夏の気配を感じる季節になっていた。
「ヒロインを舐めていたな」
レラは一人になりたくて、逃走してきたバラ園の東屋でそう独り言ちた。
ゲームはもう終盤なのだろう。その考えに確信が持てる程にレラは、怒涛の勢いで巻き込まれている気がしてならなかった。
とはいえレラは最初から、必要ならば駆けつける気満々であったため、不満があるとかでは決してない。ただ、何だろうか。これはきっと経験則に基づいた勘。
長くなっていく夜とは別に、不穏な気配が這いずってきているような。得体の知れない危機をレラは、感じ取っていた。それを冷静に一人で考えたかったのだ。
「ふむ……」
おそらく、関わっているのは人間だ。魔獣の発する野性的な敵意ではない。纏わりついてくるようなそれ。
レラ個人的には、怨まれる覚えなどない。しかし、ぽっと出の平民風情がと疎まれていても何ら可笑しくもない。
ただ、何かが違う。そういう類いのものではない気がするのだ。レラは考えすぎだろうかと、溜息を吐き出した。
「まさか、な……」
最終的に辿り着いた人物は、悪役令嬢と呼ばれていた少女。しかし、レラは否定するように首を左右に振った。
ゲーム通りの彼女ならば、有り得なくはない話ではある。しかし、今の彼女を考えると……。否定したい気持ちが勝った。
「人間は、ただ幸福になりたい生き物だ」
そうレラは思っている。その幸福の基準が人によって千差万別であり、誰かの不幸の上に成り立つ場合もあるというのが困った所だ。
ビアンカの求める幸福とは、どんなものだろうか。それにレラが障壁となる可能性があるとするならば、二人の内どちらかが不幸となる。
「いや、やめよう」
証拠もなく、このような事を考えるものではない。さて、ではどうするか。敢えて隙を作り、敵を誘い出すのも手ではあるが……。
今、何事もなく過ごせているということは、階段から突き落とされた時のような無計画なものではないのかもしれない。
致し方ないなとレラは、このまま警戒はしつつも日常を過ごすことに決めた。時がくれば、自ずと全てが分かるだろうと。
「んー! たまには一人もいいな!」
レラは大きく伸びをすると、ふっと頬を緩めた。このまま暫く一人時間を堪能することにして、バラ園を眺める。
翡翠色の瞳と目が合って、レラはビクッと肩を跳ねさせた。見なかったことにしたくて、ゆっくりと目を逸らしてみる。
「おい」
「ですよね」
ジルドがそれを許してくれるわけもなく。声を掛けられたレラは、息を吐くと視線を元に戻した。呆れたような目でジルドに見られていたので、ニコッと笑顔を返す。
「どうかされましたか?」
「それは、お前だろ」
「私?」
心当たりがなかったレラは、はてと小首を傾げた。ジルドは掛ける言葉が見つからなかったのか、何か言いたげにしながらも黙る。
暫し無言で見つめ合い、先に答えに辿り着いたのはレラであった。なぜ一人でこんな所に来たのかと心配されているようだ、と。
「特に何もありませんよ。少し休憩したかっただけです」
「そうか。邪魔だったらしいな」
「そのような事は」
「無視しようとした癖にか?」
ジルドの煽るような声音に、レラは何の事だかと言いたげな表情を浮かべる。ただの戯れだとお互いが理解して、ジルドは東屋の空いていた席に座った。
「何か困り事はあるか」
いつかと同じ質問に、レラは何だか懐かしい気持ちになる。あの時には考えもしなかった、今の関係性を示すようにレラの手首で贈り物が輝いて見えた。
「そうですねぇ」
「……あるのか?」
「まぁ、少し……。困ってはいます」
思ってもみなかったのだろう。レラの言葉に、ジルドはキョトンと目を丸める。それにしても、最近ジルドは目元を出している事が増えた。まぁ、隠している日の方が多いが。
「そう、か。俺で何とか出来る内容だといいが」
「どうでしょう」
本気で困ったように眉尻を下げたレラに、ジルドは険しい顔になった。しかしこれは、ジルドならば何とかなるかもしれない。レラとは動かせる人の数が違うからだ。
「これは、私のただの勘のようなモノなのですが……」
「確証はねぇんだな」
「そうです」
「それでもいい。どんな些細な事でも教えろ」
「では、お言葉に甘えて。実はここ数日、誰かに……。そう、狙われているような感覚があるのです」
ジルドは、それについて驚きはないようであった。ただ静かに「そうか」とだけ返してくる。それにレラは、ジルドには心当たりが既にあるようだと目を瞬いた。
「確証が、あるのですか?」
「まだ……。いや、どうだろうな」
苦々しい顔をしたジルドに、レラは続く筈だった言葉を飲み込んだ。これはきっと、触れて欲しくないことなのだろうと。だからただ「そうですか」とだけ返した。
ジルドはそんなレラに、諦めたような笑みを浮かべる。しかしそこに、隠しきれない悔しさが滲んで見えた。
「レラ」
穏やかで、柔い声音だった。大事に、大切に、慈しむように。名を呼ばれたレラは、曇りの一切ない笑みで「はい」と応える。
「危機的状況になったら、俺の名を呼べ」
「分かりました。絶対、ですね」
「あぁ、必ず駆けつけてやるから」
あと数センチ。触れ合わない指先の距離が、二人の覚悟を示していた。それでも、「俺の名だけを」そう縋るような翡翠色の瞳からレラは、目を逸らせなくて。いや、逸らしたくなかった。
「呼びましょう」
今だけはと、許しをこうのは甘えであろうか。
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そんなジルドとの約束を思い出しながら、レラは暗い荷馬車の中を見回した。自分以外が乗っていないのを確認して、何とか上体を起き上がらせる。
両手両足が紐で拘束されていた。悪路を走っているのか、かなり揺れる。レラの体幹でなかったら、再び床に逆戻りだっただろう。
ひとまず、服装に乱れはなし。目立った外傷もなし。殿下の贈り物もどうやら奪われてはいないらしい。レラは、いつも通りあるバングルに安堵の息を吐いた。
問題があるとするならば、自身の魔力を全く感じない点だろうか。これでは、魔法を何も使えない。試しに魔力を練ってみたが、やはり無駄のようだ。
「どうしたものか」
レラは、特に焦った様子もなく溜息を吐き出した。気絶してから、どのくらいの時間が経っているのか。そして、彼らの目的は何であるのか。レラは、こうなる前の記憶を遡った。




