02.出会い微かな変化をもたらす
当初は違和感があったが、日を追う毎にそれはなくなっていった。鈴來は、レラと呼ばれることに慣れ、気付けばレラとなっていた。
レラの父は、彼女が産まれる前に流行り病で亡くなってしまったらしい。母一人子一人の生活。母は針子として働いていて、忙しくしている。そのため、家にはほとんどいなかった。
レラは暇を持て余し、完全に風邪が治ると街へ探索に出た。街の景色を見ていると、ぼんやりと記憶と言えば良いのか。知識と言えば良いのか。それが不思議と甦ってくる。
「ふむ。あの遠くに見えるのが、宮殿か。ここは帝都の端のようだな」
幼子の足では、あまり距離を歩く事が出来なかった。そのため、レラは休憩を挟みながらゆったりと散策を楽しむことにしたのだった。
――――人生とは道を極めることです。何でもいい。何か夢中になれることを見つけなさい。
そう祖母は言っていた。そのため、レラは第一の生で《華道》《茶道》《書道》を極めようと励んでいた。まだまだ道半ばではあったが。
しかし、この世界にそれらはなさそうである。どう考えても西洋風の街並み。では、何を極めようか。ひとまず母に刺繍を習ってみようと、レラは決めたのだった。
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あれから、一年が経った。その中で、ここがどういった世界なのかをレラは理解していった。
どうやらこの世界の人間は、魔力を持って産まれてくるのが普通であるらしい。とはいえ、魔力を魔法として扱える魔法使いになれる程の大量の魔力を持って産まれてくるのは、貴族がほとんどで。平民の魔法使いはごく少数とのこと。
そしてここは、バラノアルッテ帝国。大陸の大部分を有する大国。国の形は南北に長く、帝都は気候が温暖な南部に存在している。
「世界観は中世~近世といった風だが……」
下水道は整っている。しかし、電気はない。その代わりが魔道具。微量でも魔力を持っていれば簡単に扱える便利な道具が存在している。
とはいえ、金のない平民にはなかなか手が届きにくい代物であるが。レラの家に、魔道具は一つもない。電気の代わりは蝋燭だ。
街を走っているのは馬車であるし。料理に使うのは竈。因みにレラは火起こしが上手くなった。何ともちぐはぐで妙な世界観である。
「しかし、慣れとは恐ろしい」
レラは母に教わり、めちゃくちゃ上達した刺繍で貰った少しの賃金を握り締め街を歩いていた。文字の勉強をしたくて、手頃な本を探しに古書店へ向かっているのだ。
「うるせぇ!!!」
その道中、喧嘩だろうか。怒声が辺りに響き渡った。騒ぎの中心へとレラは視線を遣る。そこには、荒みきった壮年の男が酒瓶片手に地面に座り込んでいた。
「俺はなぁ!! 近衛騎士団に所属してた男なんだ!!」
どうやら喧嘩ではなかったらしい。ベロベロの酔っぱらいが一人で騒いでいるだけのようだ。
「まーた言ってるよ」
「あんなのが、近衛騎士団に入れるわけないじゃないの」
「な~、嘘ばっか」
嘘。本当にそうだろうか。確かに荒んだ目をしているが、その奥。ギラリとした光を失ってはいなさそうであった。
レラはこれだと直感的に思った。武を極めようと。決断したら即行動。レラはその酔っぱらいに迷いなく近付いていく。
「もし! そこの御仁!!」
「あ?」
「私に武術を教えては頂けませんか!!」
「……は?」
男はレラの言葉に、目を点にする。レラは握り締めていたお金を男の目の前に突き付け、「お金も少しなら払えます!」と言い募る。
「私が証明してみせましょう! 貴方の言葉が嘘ではないと!」
爛々と期待に輝く夜明け色の瞳に見つめられ、男は目を緩慢に瞬いた。眩しそうに。
「ぶっ、くくっ、だーっはっはっはっ!!」
急に吹き出して大爆笑し出した男に、今度はレラが面食らった顔で固まる。次いで、不貞腐れたように眉根を寄せた。
「冗談ではありませんよ」
「ひーっ! ははっ、あー、はぁ、分かってるよ」
男は笑いすぎて滲んだ涙を拭いながら「酔いが覚めちまった」と立ち上がった。じっとレラを見下ろしながら、整えられていない無精髭を撫でる。
「い~ね~。武功をあげる奴の目をしてる」
「平和な世で武功とは」
「いや、この平和は長くは持たない」
「……?」
レラが不思議そうに小首を傾げたのに、男は困ったように眉尻を下げた。
「明日、もう少し動きやすい服でここに来い」
「ご教授願えるということですか!?」
「どーこでそんな小難しい言葉を覚えるんだか」
男は気怠そうに歩き出す。その背に「では! 明日!」とやる気満々にレラは叫んだ。男は振り返ることなく、ヒラヒラと手を振り去っていく。
「やったー!」
レラは我慢できずにガッツポーズをした。しかし、ここが往来であることを思い出し、手をさっと引っ込める。
――――人を見る目を養うのですよ。
やりました、おばあ様。私の人を見る目に狂いはなかったようです。レラはいつもの癖でおばあ様にそう報告して、明日のために本は諦め帰路についたのだった。
次の日。端的に言うと、お金は受け取って貰えなかった。「俺の言葉が嘘じゃないって、証明してくれるんだろ?」とのこと。
「なるほど。出世払いということですね」
「お前さんはいくつなんだよ」
「七つになりました!」
「そうかい。ませてんなぁ」
それと、母にはとても心配された。護身のためだと説得するのは大変であったが、何とか丸め込めた。
嘘は言っていない。この辺りは帝都といっても端の方。治安がいいとは、言えないのだから。
「師匠とお呼びしてもよろしいですか?」
「師匠ねぇ……。そんな御大層なもんでもないが、まぁ好きにしな」
「ありがとうございます。私は、レラと申します」
「俺は、ベネデットだ。長けりゃベネでいい」
「よろしくお願いします、ベネ師匠!」
「ん、よろしく」
レラは、自分の身も母も私が守る!! と、今日この時より武の道を邁進し始めたのだった。
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レラは、十歳となっていた。
その間に、ベネデットは飲んだくれを止め冒険者ギルドに登録。時折、仕事で遠出してはお土産を買ってきてくれる。勿論、仕事のない日はレラの指導をしてくれていた。
レラの目に狂いはなく、ベネデットはかなりの実力者であった。ギルドでのランクは、あまり目立ちたくないと中途半端な位置にいるが。
ベネデットはおそらく、貴族出なのではないかとレラは考えている。くたびれた感じに見せているが、所作の端々から気品が見え隠れしていた。まぁ、荒れていたのは本当なのだろうが。
その日も、平穏ないつも通りの朝だった。朝食の用意を母と二人でしている途中までは。母は急に机に手を付き、苦し気に息を吐き出した。
「レラ、レラ……」
「ママ? どうかしたの?」
「何だか、体が、おもく、て……」
「体調不良!? 無理しないでベッドに」
「そうするね」
「お医者様を呼んで来るから! 寝ててよ!?」
レラが呼んできた医者が告げたのは、その世界の医療では治せない不治の病の名であった。
半年後。母は静かに眠りについた。
よく晴れた穏やかな空に、教会の鐘の音が響き渡る。葬儀はベネデットが手配してくれた。
レラはあの日、咽び泣きたくなった理由はこれであるのだと合点がいく。しかし、分からない。少女はこうなることを知っていたのだろうか。
「ママ……」
止めどない涙が溢れてくる。別れの哀しみというのは、何度経験しても慣れはしない。いや、慣れてはいけないのだろう。
「レラはどうするんだい」
母の仕事仲間の女性が、ベネデットにそう問い掛けた。ベネデットは、レラの頭を優しく撫でながら「俺が引き取る。そう約束した」と、これだけは絶対に譲れないといった声で答えた。
「そうかい。それなら、安心だね」
「あぁ、もちろん。レラは、俺の大事な愛弟子だからな」
今日だけはと、レラは甘えるようにベネデットに抱き付く。ベネデットは慰めるように、レラを優しく抱き締め返してくれたのだった。