28.社交界の情報を収集する
足を踏み入れたパーティー会場は、煌びやかで華やかで。平民の少女が初めて見れば、心を弾ませたに違いなかった。
しかし、レラにはそれよりも貴族達の視線の方が気になった。ただしそれには気付かぬふりで、大公もジルドもベネデットも、そしてレラも涼しい顔で歩みを進める。
「まずは、陛下にご挨拶だね」
「そうですね」
大公がいるからか。不躾にじろじろと見るような者はいないが、四方から確実に視線は感じた。こそこそとした囁き合う声をレラは拾おうと耳をそばだてる。
「ジルド殿下、か?」
「目元を隠されていないぞ」
「どういう心境の変化でしょうな」
第二皇子を探る声。
「やだ、素敵……」
「どうして、いつも目元を隠してらっしゃるのかしら」
「陛下に似てらっしゃるのね」
第二皇子に色めき立つ声。
「大公殿下だぞ」
「なぜ今年に限って」
「今年だからこそではないか?」
「では、やはり陽守の民が?」
大公の参加に驚愕する声。
「あれはもしや、リフラルンテ辺境伯家の?」
「なぜ第二皇子殿下と大公殿下と共にいる?」
「どういう経緯だ?」
ベネデットの存在を訝しむ声。
「ジルド殿下にエスコートされているということは、あれが陽守の民か?」
「身に付けている首飾りを見てみなさい。散りばめられたサンストーンに、中央に鎮座するペリドット。間違いなく、遺跡で発見されたと噂のものだろうな」
「平民の小娘と聞きましたがね」
「社交の場は初めてでしょう。さぞ緊張しているのでは?」
レラを嘲笑う声。そして、どう利用してやろうかと価値を見極めようとする視線。
なるほどと、レラはこの場の雰囲気を把握する。また、自分がどう立ち回るべきなのかも。
――――付け入る隙を見せてはなりませんよ。
はい、おばあ様。レラは、真っ直ぐと前を見据え、堂々と胸を張る。先の先まで優雅に、優美に。踏み出したヒールが床を叩く音までも心を奪う程に。
心の内を悟らせない淡い微笑を浮かべたレラに、誰かが感嘆の息を吐いた。それを皮切りに、場に漂う雰囲気が変わる。
「ふふっ、いいね。本当に楽しい舞踏会になりそうだ。そうだろう? ベネデット」
「俺はひたすらに心配ですがね」
「おや? 意外と過保護だったんだね、君は」
「過保護なくらいで丁度いいんですよ、レラの場合は」
「あぁ、なるほど」
大公とベネデットの会話に、ジルドはそういう見方もあるのかと思った。レラが不思議そうに目を瞬いていたのも説得力を持たせる。
いや、そもそもとしてジルドもかなり心配はしていた。だから“絶対”などと毎回約束をさせるのだから。であれば、ジルドも過保護ということになるのかもしれなかった。
「さぁ、覚悟はいいかい? 皇帝陛下の御前だよ」
大公は優雅に微笑むと、礼をとった。それに倣って、レラ達もそれぞれに相応しい礼をする。
「よく来てくれた。皆、楽にしてくれ」
「ご機嫌麗しゅうございます、陛下」
「あぁ、本当に今日の私はご機嫌だよ。少しでいいので顔を出しなさいと、何度お前に文を送っただろうか」
「そうでしたか?」
「お前はその度に、“忙しいので無理”とだけ書いた文を送り返してきた。そうだろう? バルダッサーレ」
皇帝のからかうような雰囲気に、大公は「記憶にないなぁ」と一気に砕けた調子になった。
「まったく。お前は困った弟だ」
「あははっ! 元気そうでなりよりだよ、兄上。ほんとーに、久しぶりだねぇ」
「あぁ、お前も元気そうだな。何十年ぶりか」
「えぇ? そんなに経っていないよ」
「経っている」
「本当に? 北部は楽しくてね。時間を忘れるんだよ。許して」
いつもとは違う雰囲気でコロコロと笑う大公に、皇帝は仕方がないと言いたげに溜息を吐き出す。その顔は、ジルドにそっくりであった。いや、ジルドが陛下に似ているのか。
「さて、レラ嬢、ベネデット。歓迎しよう。存分に、楽しんでいって欲しい」
「恐れ入ります、陛下」
「ふむ。話には聞いていたが、実に美しい所作だ。誰に教わったのか」
「友に恵まれまして」
「あぁ、そうか。そういうことにしておこう」
流石は皇帝、全てを見透かすかのような思慮深い瞳に見つめられ、レラは眉尻を下げた。敵意はありませんよと、示すように。それに気付いたのか皇帝は、感心するような表情を浮かべた。
ジルドが然り気無く、レラを守るように半歩前へ出る。レラは、キョトンと目を瞬いた。次いで、困ったように笑む。
「ほう……。そうかそうか。ジルド、上手くやりなさい」
「分かっております」
「ははっ! 少しの間で、子は一気に成長するのだなぁ」
「……そうだねぇ」
「どうした、バルダッサーレ」
「いや、なに。我が子の事を考えていただけだよ。ジルドは、よくやっています」
「そうか。ジルド、期待しているぞ」
「はい、陛下」
少しの照れを滲ませたジルドに、皆が暖かな視線を向ける。それに気付いたジルドが、嫌そうに眉根を寄せた。
「あぁ、丁度一曲終わったな。次のワルツ、レラ嬢と踊ってきたらどうだ」
皇帝にそう言われては、踊らない訳にはいかない。しかしジルドは一応、レラの表情を窺うように視線を遣った。
爛々と煌めく夜明け色の瞳の目が合って、ジルドはフッと口元を緩める。恭しく手を差し出し「俺と踊っていただけますか?」そうお伺いを立てた。
ジルドは知っている。この日のために、セレーナやペルリタとダンスの特訓をしていたことを。相手がベネデットでなければ、乱入していたかもしれないことは言わないが。
「よろこんで」
レラは、ジルドの手を迷いなく取った。第二皇子のパートナーなのだ、恥はかかせられないとダンスの練習をみっちり行った。
レラ的にはまだまだ物足りないが、セレーナとペルリタからは合格を貰ったのである。何を気後れすることがあるだろうか。ない!
「折角だ。中央に行きなさい」
「……そうします」
少し迷うような間はあったが、ジルドは覚悟を決めたらしい。レラをエスコートしながら、ホールの中央へと歩みを進める。
会場中からの視線に、レラが怯むことはなかった。その堂々たる姿は、“平民の小娘”などと呼べるようなものではなく。貴族達は、苦虫を噛み潰したような表情になっていった。
「ジルド殿下の様子からして、婚約者にとお考えなのか?」
「まぁ、陽守の民を自由にさせておくわけにもいくまい」
「しかし、例の姫君との婚姻話が進められていると聞きましたぞ」
急に出てきた“例の姫”という存在に、レラはおやと内心で小首を傾げる。
「あの国は、戦で使える魔道具の研究が今最も進んでいますからなぁ。捨て置くことは出来ない」
「条約の強化に、あちらの姫君との婚姻は必須だろう。しかし、陽守の民にも同様の価値はある」
「となると、身を引くべきは……」
どうやら、友好になりたい国があるらしい。ただし、担保は必要という話なのだろう。向こうの国は、帝国に睨まれたくはないようだ。
中央に辿りついたレラとジルドは、向かい合い手を組む。今は、全てを後回しに。ダンス中に失礼だと、レラは気になることを頭の隅へと追いやった。
「ふむ……?」
「なんだよ」
「いえ、何でも」
触れ合った部分から伝わってくる緊張感と言えばいいのか。照れと言えばいいのか。合ったジルドの瞳に滲んだ得も言われぬ感情に、レラは柔く笑んだ。




