26.断る理由が見つからなかった
言葉通りに青年ディエゴは、ベネデットが何度断ろうとも諦めることがなかった。というか、日に日に稽古をつけて欲しいと押しかけてくる人数が増えている。
どうやらあの手合わせでベネデットファンが、激増してしまっていたらしい。流石にジルドといる時には来ないが、ベネデットが一人の時やレラといる時などにやって来るのだ。
「お願いいたします!!」
「だから、他をあたれってんだよ!!」
「ベネデット卿でなければ、意味がありません!!」
「そうです!!」
「稽古が無理ならば、手合わせだけでも!!」
「是非!!」
近衛騎士団の面々に囲まれているベネデットをレラは一歩引いた位置から眺める。皆、ちゃんと休憩時間に訪ねてくるため、怒るに怒れないのだ。
助け舟を出すべきか否か。しかしレラは唯一、ベネデットに師事している身だ。割って入ると、変に拗れる可能性も大いにある。どうしようかと、レラは思案するように目を伏せた。
「手合わせ……?」
不意に聞こえてきた耳馴染みのある声に、視線を上げる。そこには、瞳を期待で輝かせたアルフの姿があった。
「おっとこれは」
レラの困ったような声音を拾ったベネデットは、何があったのかと即座に顔を向ける。そしてレラの視線を追って、アルフの存在に気付いた。
「アルフ?」
「いや、すまない。何でもないんだ。行こう、ビアンカ嬢」
「本当に?」
「無論だ。貴方の護衛を離れる訳にはいかない」
隣にいたビアンカに声を掛けられ、アルフはハッと我に返った表情になる。ソワソワと落ち着かない様子で、その場を離れていった。
「俺よりもアルフ坊っちゃんのが適任だよ。あんまり俺に構ってると、怖~い団長様、副団長様に睨まれんぞ」
「貴方の方がお強いからですか!!」
「……ディエゴっつったか?」
「はい!!」
「お前さん、怖いもの知らずな」
「ありがとうございます!!」
「褒めてないんだよなぁ」
何となく、ベネデットがディエゴに押し負ける日は近い気がレラにはしたのだった。
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いつもの図書館での勉強会。
レラの話を聞いたジルドは、可笑しそうに口角を上げた。それに、レラは苦笑を返す。
「で? 結局、手合わせだけはしてやってるって?」
「はい。この前は遂に、アルフ様も参加したいとやって来てしまい。師匠が困り果ててました」
「どっちが勝った?」
「それは、その……」
「まぁ、ベネデットだろーな」
手心不要!! 先手を取られてアルフにそう言われてしまったが、ベネデットはそれでも迷っているようであった。
実際、最初は様子見といった感じで。ベネデットから打ち込むことはなかった。しかし、段々とアルフの本気度が伝わったのか。それとも、剣への熱が移ったのか。
何がきっかけであったのか。ベネデットの顔付きが、いつもレラと鍛練をする時と同じものになったのをレラは見逃さなかった。瞬間、鋭い風切り音が耳朶に触れる。
木剣同士がぶつかり合った音が、辺りに響いた。徐々にその音が聞こえる間隔が狭まり、打ち合いのスピードが上がっていく。ディエゴは唾を飲んでいた。
「そうですね。最後は、アルフ様の木剣が吹っ飛びまして」
「アルフも吹っ飛んだか?」
「まさか。ちゃんと寸止めしてましたよ。アルフ様は不服そうでしたが」
「そーかよ」
一変して、ジルドの顔はつまらなさそうなものになる。全く、この方は。レラは少しの呆れを滲ませ、首を左右に軽く振った。
「その日から暇さえあればアルフ様は、師匠の後ろを付いて回っておられます」
「へぇ。いや、待て。昔その光景をよく見た記憶があるような……?」
そういえば、アルフもそのような事を言っていた気もする。のらりくらりと躱されたと。小さいアルフがベネデットの周りをチョロチョロしている様子は、さぞ可愛らしかったことだろう。思わずレラは「ふふっ」と、笑ってしまった。
それがジルドには、お気に召さなかったらしい。ドンッと何かを机に叩き付けるように置いたジルドに、流石のレラも驚いて肩を跳ねさせる。
「えぇ? どうされました?」
目をパチクリと瞬いたレラに、ジルドはムスッとした表情を返す。前髪をぐしゃぐしゃと乱すと、「やる」それだけ言って何かから手を退けた。
見るからに高価そうな箱が姿を現して、レラは警戒するように眉根を寄せる。これは、貰ってはならない類いのものであると本能がそう告げていた。
「理由を伺っても?」
「…………」
「殿下?」
「建国祭の舞踏会で、俺のパートナーに……してやってもいい!!」
緊張からか恥じらうような声音が、最終的には何故かドヤァ! という効果音が聞こえそうなものに着地する。これは恐らく、ジルドの中でプライドが勝ったのだろう。
だというのに、段々ソワソワと落ち着かない様子になっていく。ここで断れば、どのような反応が返ってくるのか。興味はあったが、どうしてか断る理由が見つからない。
「これは、困りましたね」
ベネデットが心配するだろうから、どのみち断るべきであるのに。レラはいつの間にか伏せていた視線を徐々に上げていく。
レラの呟きをどのように受け取ったのか、ジルドが傷付いたのを必死に隠そうとして出来なかったかのような。複雑な表情を浮かべていた。
「狡い人」
「っ……な、に」
「私、ワルツしか踊れませんよ」
春の柔らかな陽光のような声であった。同じような穏やかさでもって、レラの夜明け色の瞳が弧を描く。
ジルドを見つめるそれに滲んだ感情が、自分と同じなのではないかと都合の良い考えが浮かんで。ジルドは、首まで真っ赤に染め上げた。息をするのを忘れかけ、ジルドは短く吐息を吐く。
「む、しろ……。何で踊れるんだよ」
「さぁ? 何故でしょうね」
「~~っっ!!」
ここは図書館なので、何ら可笑しくはないのに。レラの囁く声が、ジルドの茹だった脳をグラグラと揺さぶった。悔しくて堪らない。
そんな風にジトリと睨め付けられて、レラはキョトンと目を丸めた。あぁ、本当に。どうしようもなく、くすぐられる。
「あぁ、パーティーに着ていくドレスを持っていません」
「俺が用意してやるに決まってんだろ」
「あら、皇子殿下の好みに仕立て上げてくださるのですね」
「変な言い方やめろ!!」
「あっはっはっ!」
遂に我慢出来ずに、レラが爆笑し出す。ジルドの顔が、物凄く渋いものになった。
「お前ぇ……っ!!」
「これは、失礼を。このプレゼントは、開けても?」
「好きにしろ!!」
ジルドが勢いよく顔を背けてしまった。少しやり過ぎてしまっただろうか。レラはニコニコしながら、箱を開けた。
箱の中には、バングルが入っていた。繊細な彫刻が施されている、確実に高価はもの。どうしようかと迷って、ひとまずレラは蓋を閉めた。
「おい」
「パーティーの日につけます」
「それじゃあ、意味ねぇんだよ」
「えぇ……?」
ジルドは席を立つと、レラの隣にやって来る。箱からバングルを取り出すと、レラの左手を持ち上げた。
「出来るだけ、つけてろ」
バングルはジルドの手によって、レラの手首に収まった。ジルドが満足そうに目を細めたものだから、レラは何も言えなくなってしまう。
「承知しました」
仕方がないので、レラは了承の返事をした。これは、見る者が見れば一目瞭然であろう。第二皇子のお気に入り、だ。
ベネデットに何と説明しようか。頭を抱える師匠が脳裏を掠めて、レラはひとまず謝るしかないなという結論に達したのだった。




