19.悪役令嬢の真意が分からない
大公に柔和に微笑まれたエリゼオの表情は、緊張からか強張ってみえた。普段の感じからは、想像できない程に。
「急な訪問だったのかい?」
「いいえ、オレが呼びました」
「まぁ、そうだろうね。でなければ、関所は通れない筈だから」
「父上にお話が」
「ふむ。見ての通り、僕は忙しい。手短に頼めるかい?」
「……では、端的に。遺跡への立ち入り許可を頂きたく」
「無理だよ。話はそれだけかな?」
にべもなく断られたエリゼオが言葉を詰まらせる。それを大公は肯定と取り、「では、僕は仕事があるから失礼するよ。そこを通してくれるね?」と、小首を傾げた。
「待っ、てください!! どうして……っ! どうして、無理なのですか?」
「それは態々、僕に確認しなければ分からないことかい?」
「それは……」
「何だ。やはり、分かっているじゃないか」
「…………」
ぐっと下唇を噛んで俯いたエリゼオに、大公は大きな溜息を吐く。やれやれと言いたげに。
「逆に問おう。何故、皇太子殿下を仲間外れにしたんだい?」
それに、エリゼオだけではなくビアンカ達も肩を微かに跳ねさせた。レラは、そう言われればステファノの姿だけない事に気づいて目を瞬く。
どうやら、“兄貴は優しいだけの皇太子ではない”というジルドの言葉は、本当であったらしい。ステファノに反対されるのが目に見えていたから、今ここに姿がないのだろう。
「ステファノ殿下は、お忙しいですから」
「それは、ビアンカ嬢もだろう。あまりワガママを言って、困らせるものではないよ」
エリゼオを咎めるその言葉に「違います!」と叫んだのは、ビアンカであった。それに、皆の視線がビアンカへと集まる。
「わたくしが来たいと言ったのです。エリゼオは悪くありません」
「ビアンカ……っ!!」
「本当のことでしょう。いいの」
ビアンカが、慈悲深く微笑んだ。それに、エリゼオが陶酔したように目を細める。何て優しいんだろうと言いたげに。
「理由を聞こうか」
「皇太子殿下の婚約者として、遺跡を一度でいいので見ておきたかったのです」
「うん。うんうん。立派なことだね。でも、許可は出さない。まだ時期ではないよ」
「どうしても――」
「無理だよ。引きなさい」
「……っ!」
優しげで、ともすれば、簡単に許可を出してくれそうな雰囲気を醸し出しているのに。大公は、頑として首を縦には振らなかった。
流石のビアンカも手立てが何も浮かばないのか、エリゼオ同様に言葉を詰まらせる。そんなビアンカに、ネヴィオとニコロが心配そうに寄り添った。
「まぁ、そうだね。折角来たのだから、ゆっくりしていくといいよ。君が責任を持って、もてなししなさい。いいね? エリゼオ」
「はい、勿論そのつもりです」
「よろしい。僕は僕の客人のもてなしをしなければならないからね。君達の相手は出来ないけれど……。あぁ、そうだ。北部の冬の夜は、ただでさえ長い。十分に気を付けるようにね」
「お気遣い痛み入ります」
ビアンカの言葉に大公は一つ頷くと、話は終わりとばかりにレラ達へと視線を戻す。
「じゃあ、また晩食の時に会おう。ナリオ、後は頼むよ」
「畏まりました」
「楽しみだな。じゃあね、後で」
「はい、失礼致します」
ヒラヒラと手を振った大公は、エリゼオ達の横を素通りして執務室の中へと消えていった。その場に何とも気まずい空気が流れる。
「あ、あの! ジルド殿下なら、何とか――」
「なりません。僕はこれでも皇子だから。妙な前例を作る気は、一切ありませんよ」
「そう、よね……」
「隣の平民は、どうにかなったのに?」
先程の様子から一変して、エリゼオがへらりと軽薄な笑みを浮かべた。しかし、目が全く笑っていない。悩んだ末、レラは黙って事の成り行きを見守ることにした。
「彼女は、陽守の民だ……」
「特別だってこと?」
「それ以外に何があるのか、僕には分からない」
淡々とした口調で話すジルドに癇癪を起こしたのは、会話をしていたエリゼオではなく、ニコロであった。
「ふざけないで頂きたい!!」
「なにが?」
「ビアンカ嬢が特別じゃない訳がないのですよ!!」
ニコロの言葉に、エリゼオとネヴィオがうんうんと同意するように頷く。それに、ビアンカは困ったようにオロオロとするばかりで。
ジルドは考えるような間のあと、心底不思議そうに小首を傾げてみせた。小馬鹿にするように。
「今この国に必要なのは、“皇太子の婚約者”ではなく、“陽守の民”だ。この場で最も特別なのは、僕の隣の平民だよ。そうでしょ?」
何を当たり前の事をと言いたげな声音に、ニコロが顔を真っ赤にする。まだ何か言おうとしたのか口を開けていたが、声を発する前に二人の間にアルフが割って入った。
「申し訳ありません、ジルド殿下」
「……構わないけど」
「レラ嬢は、彼女は、大公殿下の賓客だ。俺達が下がるべきだと、思う……。の、だが、どうだろうか?」
アルフが、ちらりとビアンカに目配せをする。ビアンカはそれを受けて、「そうね。そうしましょう」と引き下がった。
そうなると、他の面々も引き下がるよりほかはなくなるのか。不満げな雰囲気は出しつつも、口を閉じた。
「ナリオ」
「はい。皆様、どうぞこちらです」
ジルドの呼び掛けで、執事長が歩き出す。レラはそれに付いて行きながら、こっそりとビアンカ達を見遣った。
意味ありげな視線を向けてくるビアンカと目が合って、レラはまたかと眉尻を下げる。どうしたものか。しかし、大公殿下も第二皇子も無理だと言うのなら、レラに出来ることなどないだろう。
レラはビアンカに会釈だけして、視線をアルフへと移す。アルフはあからさまにソワソワと落ち着かない様子で、一点を見つめていた。
その視線を辿った先にいたのは、ベネデットであった。ベネデットはそれに気付いているのかいないのか。いや、恐らくは気付いている筈だ。しかし、視線をアルフに向ける事はしなかった。
レラは、ビアンカ達から十分に離れた所で「ねぇ、師匠」と、ベネデットに声を掛けた。それにベネデットは、いつも通りに柔い笑みを返す。
「ん~? どうした?」
「その……」
レラは、そこまで言ったものの。続く言葉を見つけられずに、口を閉じた。ベネデットは、アルフをどう思っているのだろうか。しかし、それを聞いてどうする。
「ううん、何でもない」
レラは首を左右に振ると、顔を正面に戻した。ベネデットは、それに少々困ったような表情を浮かべる。
いつまで経っても消えないジクジクとした心臓の痛みは、脳がそう錯覚させているだけだと。言い聞かせればする程に、痛みが鮮明になるのだから質が悪い。ベネデットは眉尻を下げて、出そうになった溜息を何とか呑み込んだ。
成長したアルフが、騎士団長にそっくりで。動揺したなどと。笑い話にもならない。急激に今夜は悪酔いしたい気分に傾いたが、レラを困らせる訳にはいかないので諦める。そもそも、大公御用達の酒では無理なのだが。
「ジルド殿下」
「あ゛?」
「あからさまに不機嫌になられるのは、止してください」
「あのお花畑共ぉ……っ!! 上に立つものの行動じゃねぇだろーが!!」
ジルドが苛立ったように、前髪を乱す。権力を持つということは、それ相応の責任が伴うということ。皇族として教育を受けてきた皇子二人は、そのことをよくよく理解しているのだろう。
「皆様、貴族出でいらっしゃる筈なのですが」
オノフレの言葉に、ジルドは深々とした溜息を返す。次いで、「まぁ、アルフだけはマトモだったな」と、疲れたように呟いたのだった。




