01.強き魂は拒み目を覚ます
――――情けは人のためならず。迷わず手を差し伸べられる人になりなさい。
敬愛する祖母の言葉が女性、鈴來の脳裏に浮かぶ。
咄嗟に突き飛ばした女の子は、大丈夫だろうか。そんな心配をした瞬間、車の急ブレーキが耳元でした気がした。
申し訳ありません、おばあ様。昨日の墓参りで百歳まで生きてみせますと、言った傍からこれです。いや、もしかしたらまだ希望はあるかも。
「死ねないっっ!!」
つらつらと脳内でそんな事を考え、無理矢理に鈴來は目を開けた。生きている。鈴來は早鐘を打つ心臓部分を押さえながら、上体を起き上がらせた。
体は怠いが、痛みはなかった。しかし、どう考えても可笑しい。何故なら見回したそこは、病院ではなかったのだ。
「ここは……?」
自分が出したであろう声に、鈴來はぎょっとした顔をした。いつもの声ではなかった。そこで気づく。手が小さいことに。
「え? えぇ!?」
鈴來は慌ててベッドから抜け出そうとする。しかし、いつもとリーチが違いすぎて距離感が上手く掴めずアタフタとしてしまった。
やっとの思いでベッドから抜け出す。体の節々が痛いこれに彼女は、覚えがあった。熱を出した時のそれだ。
「かがみ」
部屋に姿見はなさそうだ。ワンルームの家、いや、小屋と呼んだ方が正しいのかもしれない。木製のそこを鏡を探して、素足で歩き回る。
机の上に置かれた手鏡を見つけて、鈴來はそれを手に取った。鏡に映ったのは、小学校に上がるかどうかという年齢のあどけない少女の顔であった。
「どうなって……?」
呆然とした声を出した鈴來は、その場にへたり込む。肩に付くか付かないかという長さの目が覚めるようなゴールデンイエローの髪は、まるで太陽のようであった。夜明けの紫色の空のような瞳が目蓋に隠れては出てくる。
「ゆめ、に、してはリアルだな」
自身の体温を感じて、何故か涙が込み上げてくる。耐えきれずに、両目からは涙が溢れ出した。ボロボロと大粒の雫が手鏡の少女を濡らす。
「かなしい……」
どうしてだろうか。この哀しさは、この少女のモノなのだと。そう確信を持って感じたのは。
「君の瞳を翳らせたのは、誰なんだ」
そして、漠然と理解した。この体の持ち主は生涯、もう戻ることはないのだと。
この腹の底から湧き上がる怒りは何だ。許せないと、そう訴えかけてくる。
――――よいですか。人を怨んで生きるものではありません。人生を棒に振るも同義と心得なさい。
そう言ったのは、誰だったか。あぁ、そうだ。
「おばあ様……」
鈴來の両親は、ちょうどこの少女と同じ年の頃に交通事故で亡くなった。父の実家は名家であったがために、一般家庭出の母との結婚は猛反対されたそうだ。
しかし、父は母を選び駆け落ち同然で結婚した。そのため、実家とは絶縁状態で。彼女が祖母に初めて会ったのは、両親の葬式でだった。
母方の祖父母は既に亡くなっており、鈴來を誰が引き取るかで大人達は言い争っていた。祖母は、もう葬式も終わるかという時に現れ「わたくしが引き取ります」とただそう言った。
引き取る気などなかった癖に、親戚達は口々に反対した。「絶縁した癖に」「虐待でもする気か」「可愛がれる訳がない」そんな心無い言葉が飛び交った。
「お黙りなさい! 子どもの前ですよ!」
鈴來の記憶で祖母が声を荒立てたのは、そのたったの一回であった。凛とした揺るがない声に、周りの大人達は縮こまっていた。
「子に罪はありません。この場にいる誰よりもこの子を幸せに出来る自信がわたくしにはあります。ただし、我が家門に相応しい人間になる覚悟がないのならば、この手を振り払いなさいな。貴女にだって、選択権があります」
目線を合わせて屈んだ祖母の真っ直ぐとした瞳は、今でも忘れられない。その場にいるどの大人よりも格好よく見えた。
「よろしくおねがいします」
鈴來は迷いなく手を取るという選択をしたことを後悔した日などない。それ程までに、祖母は彼女を愛情深く、時に厳しく、大切に育ててくれたのだ。
ただ、母は天真爛漫な人であったために、あの家では生きていけなかっただろうと大人になってから鈴來は父の選択を理解した。そして、祖母の想いも。
祖母は鈴來の前で、一度として母を悪く言ったことはない。心の内は分からないが、彼女の父母との記憶を一緒になって大切にしてくれた。
家は父の弟が継いでいたために、鈴來は祖母と共に別荘で暮らした。祖母から、様々なことを学んだ。
祖母は、病気で亡くなる直前まで凛とした立派な人であった。どうやら、そんな祖母の元へは行けなかったらしい。
「いや、まだ時ではないと言うことでしょうか」
鈴來は涙を拭うと、手鏡を元の場所へ置く。ふらつきながらも立ち上がると、ベッドに戻ることにした。
「ふむ……。これが噂の転生というモノなのだろうか」
職場の同期や先輩、後輩に勧められた物を鈴來は何でも嗜んだ。今は、乙女ゲームなる遊戯を楽しんでいた所であった。
「まだ途中だったのに。無念……」
これがなかなかに難しく楽しいゲームであったので、彼女は熱中していた。こちらの方が好感度は上がるだろうという選択肢の方が下がったりするのだから。人間関係とは複雑なものだなと勉強になった。
「いや、今はそれ所ではなかった」
この少女の記憶はあるのだろうかと、鈴來は探ってみる。しかし、どうにも曖昧であった。それは、年齢のせいなのか。違うのか。
そもそも前世の記憶を思い出したといった感じではない。では、転生とは少し勝手が違っているのかもしれなかった。
「では、この状況はいったい?」
未だに哀しみが胸に重く居座っている。この少女は、生を諦めてしまったのだろうか。それ程までに、深い哀しみに呑まれたというのか。
「そうか。この少女を幸せにすることこそが、私に課せられた使命なのですね」
きっとこれは、二度目の生。この状況を説明するには、それしかないと鈴來は考えた。
――――心の底から幸せだと笑える人生を送ってちょうだい。それだけが、わたくしの望みです。
はい、おばあ様。必ずやこの少女を幸せにしてみせます。そうすることで、私も心の底から幸せだと笑えるのですから。鈴來が決意を露に拳を力強く握り締めた瞬間、家の扉が開かれた。
そこに立っていたのは、まだ年若い女性。目が合って、母親なのだと認識する。とても不思議な感覚であった。
「レラ! あぁ、良かった。目が覚めたのね」
「わっ!?」
母親は、勢いよく少女に抱き付いてくる。どうやらこの子の名前は、レラと言うらしい。
母親の事は、何と呼べば良いだろうか。お母さんは第一の生での記憶と混ざってしまうから却下。母上は……。ダメだ。絶対に心配される。そこでふと、ママという言葉が浮かぶ。きっと少女、レラがそう呼んでいたのだろう。
「ママ、お仕事は?」
「今はお昼休憩だから大丈夫よ」
「そっか」
子どもらしく出来たようだ。母親が怪しんだ様子はない。何だが申し訳ない気持ちになったが、真実を言うわけにはいかない。信じて貰える自信がなかった。
それに、どうしてだろうか。母親の顔を見ていると、咽び泣きたくなるのは。鈴來は、少女レラは、切なげに笑んだ。