18.大公殿下にお会いする
旅程は滞りなく、レラ達は予定通りに大公領へと辿り着いた。途中、何度かジルドの心臓が爆散しかけたが。
大公殿下の屋敷に着いて直ぐ、レラ達は応接間へと通されていた。ジルドとレラはソファーに、その後ろにオノフレとベネデットが立つ。
暫くしてやって来たレーヴェスティ大公は、向かいのソファーに腰掛けると穏やかな笑みをその顔に浮かべた。
銀の長い髪を後ろで緩く三つ編みにした男の紫紺色の瞳には、隠しきれない好奇心が滲んで見える。レラには、何処と無く目元が息子のエリゼオと似ているように感じられた。
「はじめまして。僕は、バルダッサーレ・ロネ・レーヴェスティ。どうぞよろしく」
「お初にお目にかかります。レラと申します」
「うん。うんうん。太陽のような美しいゴールデンイエローの髪に、夜明けの紫色の空のような瞳。なるほど。記されていた通りだね」
「……?」
「叔父上、相手は生きている人間ですよ」
「分かっているとも。滅多なことはしないさ」
不穏な会話をするジルドと大公に、思わずベネデットの表情が険しくなる。それを察知したように大公の顔が、ついとベネデットへと向いた。それにベネデットの肩が微かに跳ねる。
「とても大事に大切に、慈しんでいるようだ。“あの”君が」
含みを持たせた大公の言い方に、ベネデットはこの方も相変わらずだと眉尻を下げた。喋り方、声音、表情、どれをとっても穏和であるのに。中身は、全く以て冷徹である。
「随分と久方ぶりだね、ベネデット」
「ご無沙汰しております、大公殿下」
「兄君達は、お変わりないかい?」
「あー……。知りませんね。暇を出された時に縁を切られて以降は会ってないので」
「おや? そうだったかな。そのような話をリフラルンテ辺境伯から聞いた記憶がない」
大公の口から出たリフラルンテ辺境伯という名に、レラの目が点になる。思わず後ろを振り返ってベネデットの顔を見てしまったくらいには、衝撃だった。
とはいえ、貴族出なのではないかとは考えていたので、やはりかという思いもある。ただ、急に判明したものだから。
ベネデットはレラと目が合って、へらりと誤魔化すような笑みを浮かべる。それに笑い声をもらしたのは、大公であった。
「ふふっ、もしかして秘密にしていたのかい?」
「いえ、別に隠していた訳では……。タイミングを逃していただけで」
「じゃあ、ちょうど良かったじゃないか。レラくん、彼はね。リフラルンテ辺境伯家の三男なのだけれど、三兄弟の中で一番優秀だというのが僕の評価なんだ」
「買い被り過ぎですよ」
「そのような事は決してないよ。僕は常々、ベネデットを近衛騎士団の団長にすべきだと兄上に進言していたんだ」
「……ゑ?」
初耳だったのか、ベネデットの口から素っ頓狂な声が飛び出る。
「だというのに、いつの間にか辞めさせられていて大層驚いたよ。あぁ、団長らは君が“自ら去った”と、触れ回っていたのだったかな」
「えぇ……? いや、なるほど。そういう事にしたのか、あの人達は」
「兄上は、どうして君のような優秀な臣下を手放したのか。耄碌するには、早すぎるだろう。どう思う? ジルド」
「貴方のそういう、あけすけな発言のせいでは?」
大公の発言に危機感を覚えた団長や副団長が、出る釘を打った。そうと取れるジルドの返答に、大公はゆったりと小首を傾げる。
「負けたくないのならば、修練を積むべきだ。周りを引きずり落として何になるのか。より良い国から遠ざかるばかり」
「それについては、全面的に同意します」
「僕は弱者の気持ちが、とんと理解できない。しかし、そうか。まぁ、皇帝陛下がそれを良しとしたのならば、それが全てなのだろうね」
先程までとは違い“兄上”ではなく、“皇帝陛下”と言った大公からは、陛下への尊敬の念がレラには確かに感じられた。
「おっと、失礼。レラくんの前でするような話では、なかったね」
「いいえ、お気になさらないでください」
「うん、なるほど。噂に聞いていた通りの子だね。雅やかで利発」
「雅や、か……? お前が?」
本気で信じられないという顔でジルドが見てくるものだから、レラは可笑しくて目を細めてしまった。敢えて優雅に笑ってみせ、「猫被りはお互い様、でしたか?」とジルドに問いかける。
「そうだったな……っ!!」
目元が見えなくとも苛立っているのが分かる声音で返ってきたそれに、レラではなく後ろのオノフレが吹き出した。大袈裟に咳払いしたオノフレが「失礼を致しました」と、涼しい声を出す。
「ふむふむ、そうかそうか。仲が良いのは、よいことだよ」
「誰と誰の話かによります」
「みんな、かな。不服かい? ジルド」
大公に微笑まれたジルドは、致し方ないと言いたげに「いいえ」と返した。それに、大公は満足そうに頷く。
「さて、今日の所は部屋でゆっくりするといい。長旅で疲れただろう?」
「とても楽しい旅路でした!」
「そうかい。たいへ、ん……楽しい?」
レラの爛々と輝く夜明け色の瞳を見て、大公はキョトンと目を瞬いた。次いで、興味深そうな表情を浮かべる。
「楽しかったんだね。そうかそうか。それは、よかった」
「はい!」
「因みに、ベネデットは疲れていないよね? 今夜は暇で暇で、しょうがないのだろう?」
「いやぁ、俺ももう年なので――」
「そうだろうとも。旅の話を友に、酒を酌み交わそう。とても楽しみだね」
ベネデットに拒否権など最初からなかったのであろう。大公のニコニコとした笑みから圧など微塵も感じないのに、否と言えない雰囲気は何なのだろうか。
――――いつ如何なる時も笑顔を崩さない心の内が読みにくい人ほど、腹の中に鬼を飼っているものですよ。気を付けなさい。
やはり、おばあ様の言うことは正しい。師匠も敵に回したくないと、そう言っていた。現に「俺でよければ、よろこんで」と、結局は誘いを受けている。
「ふふっ、大丈夫さ。君が悪酔いするような品等の酒を僕は嗜まない」
「あー……。大公殿下のコレクションは素晴らしいですからね」
「上等な酒だと、君は全く酔わない。そうだろう? ベネデット」
「それは、まぁ……。否定はしませんけどね」
飲んだくれをやめたベネデットではあるが、今でも偶に晩食時にワインを嗜むし、アフターディナーティーの紅茶にはリキュールやブランデーを入れる。荒れていた時に飲んでいた酒とは、比べ物にならない上等なものを。
「じゃあ、決まりだね。晩食までに終わらせなければならない仕事を片付けるから、君達はそれまでゆっくりしていて欲しい」
「分かりました。俺の勉強になる仕事は、ありますか?」
「そうだね……。今日のものは、まだ早いかな」
「そうですか」
「うん。じゃあ、客間に案内させよう。途中までは一緒だから、僕も共に行くよ」
大公がベルを鳴らせば、応接間まで案内してくれた執事長が直ぐにやって来る。応接間を出た皆は、彼を先頭に歩きだした。
「ブランデーにしようか。ウイスキーにしようか。どうしようか、ベネデット」
「殿下のご随意に」
「晩食は赤ワインにしよう。オノフレも飲むかい?」
「わたくしは、仕事中でございますので」
「そうかそうか。じゃあ、君は使用人達と楽しむといいよ。ナリオ、頼むね」
「畏まりました」
「お心遣い痛み入ります」
「構わないさ」
大公の声が嘘偽りなく弾む。しかし、執務室の前に立っていた集団を視界に入れて「おや?」と、雰囲気が微かに変わった。
「何をしているんだい? エリゼオ」
「……父上」
「客人が来るとは、今初めて知ったな」
大公の視線が、エリゼオから周りにいる者達へ順番に動く。そこには、ビアンカ、ニコロ、ネヴィオ、アルフ。ゲームの面々が勢揃いしていた。




