17.大公領の話を聞く
あれから五日後。色々と用意もあるだろうからと、ジルドに提示された約束の日を迎えていた。
ベネデットは最早、長旅の用意は手慣れたもので。自分の分はさっさと終わらせ、ソワソワと浮かれるレラの用意を手伝ってやっていれば、五日などあっという間の事であった。
因みに、ジルドから貰った薔薇で作ったジャムは今朝の朝食分で綺麗に完食。しっかりと鑑賞もしたし、美味しく頂きもした。
「よし、忘れ物はないな?」
「うん! 完璧!」
最後の確認をしてから、二人揃って一息つく。迎えの馬車が来るまで、椅子に座って雑談を楽しむことにした。
「帝都は寒いと言っても、たかが知れてる。最北の大公領は、寒みぃぞ~。覚悟しとけよ」
「雪が積もっていると聞いたよ。普段見ないから、少し楽しみではあるかな」
「積もってるというか、吹雪いてる可能性すらあるからな? 気を付けないと」
「それは、少し不安だね。雪とは無縁の生活だったから」
「まぁ、俺が慣れてるから大丈夫だろ」
ベネデットは、依頼で大公領付近まで行ったことがあっただろうか。レラは記憶を探ったが、そんな話には思い当たらなかった。まぁ、レラも全てを把握しているわけではないので、自分が知らないだけなのだろうと片付ける。
「しっかりとした防寒具は、現地付近で調達するんだよね?」
「そーだ。質が段違いだからな」
「師匠は既に持ってるの?」
「持ってないな。暇を出された時に、ぜ~んぶ手放した」
「そうなんだ」
なるほどと、レラは納得して一つ頷いた。どうやら慣れている云々の話は、近衛騎士団時代の事であったようだ。
「大公領付近は、大公殿下が選りすぐった兵団が守護してる上に……。まぁ、北東の国境を守護するリフラルンテ辺境伯家もいるからな。あの辺りの依頼はてんでない」
バラノアルッテ帝国は、西側は海に。東側は大陸に接している。そのため、国境を守護する辺境伯家は二家のみ。
また、北西の海は氷山に邪魔され航海は不可能。港があるのは、南西の海にだけなのである。因みに、港を管理しているのは侯爵家である。
「それは、凄いね。平和が保たれているということ?」
「そーね。あとは、両家共に領民以外の余所者を嫌うから。関所が厳しくて、手続きが面倒なんだよなぁ」
「あぁ、だから冒険者ギルドへの依頼がてんでないと」
「そういうこと。高ランクだからって、簡単に通さないのさ。身元が保証されてないとな」
「じゃあ、ベネ師匠も行くのは久々なんだね」
「そーさなぁ。陛下の視察で護衛として付いて行ったっきりか……」
昔を懐かしむように、ベネデットが遠い目をする。穏やかなそれに、レラは胸を撫で下ろした。行くのを嫌がっている風ではなかったので、大丈夫だろうとは思っていたが。そこにも、嫌な記憶はないらしい。
「大公領に足を踏み入れたのは、余裕で片手があれば数えられる程度だけどな」
「大公殿下にお会いしたことは?」
「あるよ。なんつーか。あー……。変わった方だよ。うん。皇族っぽくはないな」
「そうなんだ?」
「いや、まぁ、敵に回したくはないけど。穏和に見えて、その実かなり冷徹な方だ。いらないものは、バッサリ迷いなく切り捨てるタイプ。さらっと恐ろしい事を言うから怖いよ、ホント~に!」
「それは、また……。怒らせないように、気を付けるね」
「そうしなさい。まぁ、レラなら大丈夫だと思うけどな」
苦笑気味に息を吐いたベネデットに、レラは一応ゲームの記憶を探ってみる。そもそもとして、大公領の遺跡に行くのは終盤の方であった筈だ。日照時間が最も長い夏至。しかし、今は真冬である。
レラは、前世で遺跡に行くまで辿り着けていなかった。確か、ウィンターホリデー直前だったような記憶がある。そのため、記憶を探った所で大公殿下の知識は皆無なのだ。
後輩は何か大公殿下について言っていただろうかと、レラが目を伏せた時だった。扉がノックされたのは。
「はーい! どちらさん?」
「オノフレです。お迎えにあがりました」
レラとベネデットは、顔を見合わせると椅子から同時に立ち上がる。
「さーて、行くか」
「うん、楽しい旅になると良いね!」
「そーだな」
扉を開けた先、仕立ての良いスーツに身を包んだオノフレが立っており、ベネデットは思わず一度扉を閉めた。
「ベネデット卿? なぜ閉めたのですか? ベネデット卿ー?」
「あー……。え? 公務なの?」
「当然では?」
「まぁ、そうなる……のか?」
「致し方ない。殿下には、観光の際はお留守番して貰おうよ」
「そうね。視察になるからな」
「聞こえてんぞ!!」
ドンッ! と、強めに叩かれた扉に二人は同時に肩を跳ねさせる。慌ててベネデットは、扉を再び開けた。
いつも通り前髪の下から少しばかり丸眼鏡が見えているだけであるが、服装は皇子然としたジルドが腕を組んで立っていた。苛立ったように、口をへの字にして。
「泊まるのは当然、領主の屋敷になる。ちょうど良いので視察してこいとのお達しだ」
「えぇ……」
「面倒だが、陛下の命なもんでな。だがまぁ、視察方法までは指定されてない。お忍びの方が、街の普段の様子や領主のありのままの評価が知れたりして、便利なんだぜ?」
「護衛はどうされるんで?」
「オノフレとベネデット、お前がいれば誰も文句ねぇだろ」
「近衛騎士団を辞めさせられた男ですよ、俺は」
困ったように片眉を上げたベネデットに、ジルドは小馬鹿にするように鼻を鳴らすことで応えた。それに、ベネデットはやれやれと言いたげな顔をする。
「睨まれるのは、俺なんですがね」
「なら、手合わせでもして揉んでやれ」
「それはそれは……。俺は手加減を知りませんよ」
「え? そうなの?」
「おっと、訂正を。“愛弟子以外には”を付け忘れました」
「ハッ! 構わねぇよ。叩きのめせ」
「……護衛連中と何かあったんで?」
「さぁな」
フイと顔を背けたジルドは、「無駄話は終わりにして、さっさと出発するぞ」と馬車の方へと歩き出す。ベネデットとレラに視線を向けられたオノフレは、業とらしく肩を竦めるにとどめた。
「何かあったみたいだね」
「そーね。あの方は、昔から耳聡いからなぁ。俺と違って、余計な声が聞こえちまうのさ」
「師匠と違って?」
「ん、昔の俺は剣にしか興味なかったからね」
暗に、だから陰謀渦巻く宮殿から追い出されたと言っているように聞こえて、レラは目を瞬く。ベネデットは苦笑すると、レラの頭を誤魔化すように撫でた。
「さて、殿下をお待たせするわけにはいかないぞ」
「……うん。行こうか」
レラはベネデットに誤魔化されてあげる事にして、荷物を持ち直す。ベネデットと共に家を出て、しっかりと戸締まりをした。
レラはそう言えば、おばあ様も耳聡い方であったなとそんな事を思い出す。“地獄耳の老いぼれ”などという陰口を鈴來は、偶々聞いたことがあった。
――――程度の低いこと。一度口にした言葉は、二度となかった事には出来ません。それは、本当に口にしていい言葉なのかどうなのか。常に考えなければなりませんよ。
まぁ、おばあ様は全く相手にしていなかったが。だからかもしれない。レラが、貴族からの嫌味をさらっと受け流せるのは。
「レラ様とベネデット卿は、こちらの馬車をお使い下さい」
「凄いね、師匠。外観からして、高級だよ」
「がっつり皇家の紋章入ってるからな」
前の馬車にジルドとオノフレが、後ろの馬車にレラとベネデットが乗るようだ。周りを護衛に囲まれているのが、実に物々しい。
「場違い感が拭えない!」
「気にしたら負けだ。ほら。お手をどうぞ、レディ」
「ふふっ、ありがとう」
ベネデットのエスコートで馬車へと入ったレラを目撃して、ジルドが凄い顔をする。それにオノフレが、肩を震わせていたのだった。




