16.北の地へ招待される
贈り物は実用的なものが良いのかもしれない。そんなことをジルドが乱れた前髪を掻き上げながら真剣に考えていると、不意に肩に手が置かれた。
第二皇子のジルドにこんな不躾なことをする相手など、顔を確認するまでもなくこの場には一人しかいない。
「殿下……っ!!」
未だに笑いが治まらないのか、オノフレの声は微かに震えていた。隠す気があるのかないのか。一応は口元を片手で覆ってはいるが。
「今、どんなお気持ちなんです?」
「不敬罪で牢屋にぶちこまれてぇのか」
「ぶふふっ、いえ、滅相もございません」
オノフレは態とらしく咳払いをすると、姿勢を正す。「失礼を致しました。あまりにも面白かったものですから」と、悪びれた様子もなくニコリと笑った。
「オノフレって、どっかで聞いたことある名だと思ったら……。お前さん、あれか? ジルド殿下の従者をやってる爺さんの?」
「はい。孫でございます。因みに、祖父は腰をやりまして。わたくしに代替わり致しました」
「へぇ、そうなのか。あ~……。殿下は、何でこいつを従者に選んだんで?」
ベネデットに視線を向けられたジルドは、ムッと口を引き結ぶ。心底不満そうに。
「こいつが無能だったら、心置きなく外せるんだがな」
「優秀な殿下の従者が務まるのは、わたくししかおりませんで」
「ハッ! “誰もやりたがらなかったから”の間違いだろ」
「殿下は少々気難しくていらっしゃいますからね。しかし、この方の側に合法的にいられるチャンスを棒に振るとは、周りは何も分かっていない」
オノフレは、やれやれと肩を竦める。
「殿下ほど、オモシロ、いえ! 一緒にいて楽しい方はいらっしゃいませんよ!!」
ガッと握り拳を作ったオノフレの勢いに、レラは目をパチパチと瞬く。ベネデットは、「やっぱりなぁ」と何とも言えない声を出した。
「ちっこい時からジルド殿下の後ろを付け回して、ちょっかい掛けてたのは記憶違いじゃなかったか」
「絶対に! わたくしが祖父の後を継ぐと心に決めていました」
「出来ればこいつ以外が良かったんだが」
「まぁ、でしょうね」
ジルドは溜息を吐くと、首を左右に軽く振った。オノフレは、そんなジルドを見てニコニコと笑む。二人の空気感に、レラは何となくではあるが仲が良いのだろうなと思った。
ちらりとレラは、視線をベネデットへと向ける。過去を懐かしむように柔く目を細めるベネデットを視界に捉えて、レラも釣られてしまった。そして、良かったと安堵する。この二人に嫌な思い出はないらしい、と。
レラは、木桶に水を張り貰った薔薇の花束をそこに浸ける。ささっと珈琲を用意し終えると、机の上に置いた。
「よければどうぞ、お召し上がり下さい」
「あぁ、有り難く貰う」
ベネデットはジルドとオノフレに椅子をすすめ、木箱を持ってくるとそこに腰掛ける。自身の隣をポンポンと叩くベネデットに従って、レラはベネデットの隣に座った。
「それで? ご用件は?」
「陽守の民について、だ。そいつに教えてやるって、約束したからな」
「何とかなったのですか?」
「あぁ、大公領へ行くぞ」
「……んん?」
ここで聞けるのだと思ったレラは、急に出てきた“大公領”という言葉に疑問符を飛ばす。しかし、隣のベネデットは何処か納得したように一つ頷いた。
「遺跡への立ち入り許可を?」
「あぁ、叔父からな」
「殿下の叔父君、ということは……」
「皇弟、レーヴェスティ大公。この帝国全ての遺跡の管理をしている方だ」
そこでレラも、なるほどと合点がいく。たしか北部の地にある遺跡には、夜の神についてが記されていた筈である。ゲームでもヒロインが、ジルドとその時好感度が一番高い攻略対象者と共に遺跡へ行くとか何とか、鈴來の後輩が言っていた。
「あの方が、遺跡への立ち入り許可を出すとは……」
「“陽守の民たってのご希望”そう言われれば、許可を出さざるを得ませんよ。ねぇ? 殿下」
「叔父上も陽守の民に会いてぇんだろーぜ。なら、Win-Winだろう?」
「左様でございますね」
悪どい顔で笑ったジルドに、オノフレも応えるように笑む。ベネデットは、それに苦笑いを浮かべただけだった。
「なるほど、分かりました。大公領に現地集合ですね! 任せてください!」
「……は?」
「師匠、長旅になるけれど……。駅馬車で行けるかな?」
「そうだなぁ。金の心配はしなくていいから。まぁ、ゆったり観光がてら行くか」
「いいね! 私は帝都から出たことがないから、楽しみ!」
「そう言や、そうか。楽しみだな」
爛々と期待に輝くレラの夜明け色の瞳にベネデットは、目尻を下げる。レラの頭をベネデットが撫でた時だった。「いや、待て待て。おかしいだろーが」と、ジルドが待ったを掛けたのは。
「何で不思議そうな顔してんだ。皇家の馬車を用意するに決まってんだろう」
「それは、目立ちませんか?」
「カーテン閉めとけ」
「ふむ、それならば確かに……」
「兎に角! 迎えに来るから、いい子にしてろ」
悩むような仕草を見せたレラに、ジルドは「いいな?」と念押しする。何処か必死な瞳に真っ直ぐと見つめられ、結局今回もレラが折れた。
「分かりました」
「まぁ、駅馬車よりも皇家の馬車の方が断然、快適な旅になるのは確かだな」
「なるほど。やはり、皇家の馬車は高級なの?」
「そりゃあ、ねぇ?」
同意を求めて向けられたベネデットの視線に、ジルドは「あぁ」と端的に答える。
「まぁ、駅馬車には乗ったことがねぇ。比べるのは、無理だがな」
「皇族が駅馬車は、流石にお忍びでも無理がございますから」
「駅馬車は乗り合いですからねぇ」
「乗り合いだからこその楽しみもあるでしょう? 師匠の土産話はいつもワクワクするからね」
「世の中には、色んな理由で旅をしてる人々がいるからな」
「へぇ……」
ジルドは目をパチパチと瞬くと、次いで表情に好奇心を滲ませた。
普段ジルドが図書館にいるのは、静かで人目に付かないからだとレラは思っていた。しかしこれは、知的好奇心が旺盛だからなのだろうか。そう言えば、“歴史に没入してる方が好き”だと言っていた。
「師匠、一つ質問が」
「んー? どうした?」
「お金の心配がいらないとは?」
思わず先程は喜んでしまったが、観光するお金などどこから出てくるのか。不思議そうに小首を傾げたレラに、ベネデットはニンマリと楽しげに笑った。
「実は、臨時の収入があってな。サプライズで年越しのご馳走を豪華にって、考えてたんだよ」
「そうなんだ! ご馳走!」
「ベネデット卿……。それは、綺麗なお金なのでしょうか」
「失礼極まりねぇな、お前さん」
オノフレの言葉に、ベネデットが笑顔で青筋を浮かべる。ジルドは、「流石に綺麗な金だろ」と呆れた声を出した。
「ちょいとした依頼を受けてな。遠方だったもんで、村をいくつか中継したんだよ。その内の帰りに寄った村で、討伐依頼を受けたチームが村長と揉めてやがって」
「何故ですか? 依頼内容を了承したから、そのチームはその依頼を受けたのでは?」
「その依頼内容に、変更があったから揉めてたのさ」
「あぁ、なるほどな。共存できないタイプの“ただの”魔獣討伐依頼が、“狂った”魔獣討伐依頼になってたと」
「その通りですよ、殿下」
そうなってくると、依頼のランクが格段に上がることになる。自分達のランク以上の依頼は受けられない決まりになっているのだ。それは、村長側の過失になる。
「俺も受けられないもんで。どう収拾をつけようかと様子を見てたら、魔獣の方からおいでになりましてね」
「それで、お前が討伐してやった謝礼金ってわけか。あくまでも、依頼は受けてねぇんだもんなぁ?」
「勿論ですよ。お礼にって言うんで、有り難~く心遣いを受け取っただけですから」
煽るような声音を出したジルドに対して、ベネデットはニッコリと笑顔を返した。それに、ジルドはつまらなさそうに息を吐く。
「そーかよ」
「ジルド殿下は、本当にお変わりないようで」
「そりゃ、どーも」
ジルドにジト目を向けられたベネデットは、やれやれと言いたげに苦笑したのだった。




