10.迷い白旗を降る
明日と言われたからには、行かない訳にはいかない。レラは放課後、昨日と同じく図書館にいた。
どうやら、今日はジルドよりも先に着いたらしい。レラは暇を持て余して、歴史書が並ぶ本棚を見ている事にした。
レラは、ベネデットに基礎的な事を軽く習った程度である。そのため、授業では少し困ってはいた。知っている前提で話を進めるのは止めて欲しいものだ。
魔法が楽しすぎて、レラはつい没頭してしまっていた。しかし、そろそろ後回しにしていた普通科目の勉強にも本腰を入れるべきか。魔法意外の科目もいい点を取らねば、学院に通っている意味がない。
「やはり基礎からもう一度……」
本棚の前で、レラは本の背表紙を一つ一つ確認していく。この辺りは、少し進んだ難しいものが並んでいるのだろうか。
「ふむ……」
「基礎的なものなら、この辺りが分かりやすい」
「んん?」
目の前にふわふわと下りてきた本に、レラは目を瞬く。属性魔法ではない、基礎魔法だ。流石に安定感が凄まじい。
「いつから居らしたのですか?」
「ついさっき」
レラはジルドからオススメされた本を受け取る。その場で、軽く中身を確認した。確かに分かりやすい。
「レラ嬢は、平民であるが美しい字を書くと有名。まぁ、ベネデットが教えたならね」
そんな話をレラは初めて聞いた。いったい誰がそんな噂を広めるのやら。レラは開いていた本をゆっくりと閉じる。
「有り難く受け取っておきます」
「別に……」
今日のジルドは、“僕”の方でいくのだろうか。この猫被りの凄いことよ。レラは、昨日と同じ席に座ったジルドを目で追った。
「なに?」
「いえ、何も」
「……猫被りはお互い様だろうが」
「はて、何のお話でしょうか」
少々、見過ぎたようだ。レラは小首を傾げ、非難するようなジルドの言葉を軽く受け流す。
しかし、そうか。素の“俺”の方は、皇子という肩書きを考えると少々荒っぽい気もする。よく考えられているものだ。
「座らせて頂いてもよろしいですか?」
「好きにしろ」
どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。返ってきた煩わしそうな声音に、レラは思案するように目を伏せる。こういった様子見の会話は、お嫌いのようだ。
「では、失礼致します」
レラは、昨日と同じくジルドの正面に着席する。ジルドに勧められた本を机の端に置くと、彼をじっと見据えた。
相変わらずジルドの瞳は、前髪に隠れ見えない。しかしレラは、確かに彼と目が合った感覚がした。
「陽守の民について、お教え頂けるということでよろしいのですよね?」
ゆったりと弧を描いたレラの獲物を見定めるような瞳に、ジルドの肌が一気に粟立つ。ジルドは直感的に感じた。これは、社交界でよく見る類いのそれであると。
「平民がする目じゃねぇな」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「ハッ! 兄上の婚約者殿にも見習って頂きたいものだ」
「……?」
何故そこでビアンカの存在が出てくるのか。怪訝そうな顔をしたレラに、ジルドは人の悪そうな笑みを口元に浮かべた。
「あの方は少々、いや、かなり人の善性を信じていらっしゃる。話し合えば、分かり合えると」
「そう思えるのは、幸せなことではございませんか」
「未来の皇后でなければな。まぁ、兄貴は優しいだけの皇太子ではない。そこら辺は、上手くやるだろうが……」
「そうでしょうね」
「お前を突き落とした奴に、ジェミンブル公爵令嬢が何て言ったか知ってるか?」
「いえ、そこまでは」
ジルドはあからさまな呆れを滲ませ、ビアンカを小馬鹿にするように鼻を鳴らした。何とも感じの悪い。
「『きっと何か理由があったのよね』」
「あぁ、なるほど。それはまた……」
「お優しくって、感動で涙が出る。なぁ?」
「良いのでは? 国民に愛されそうではありませんか」
「……全てがお綺麗事で済めばな」
お前はそれで良いのかよと言いたげな間は、気付かなかった振りで。レラは、ビアンカから皇太子の婚約者の座を奪うつもりなど毛頭ないので、話を終わらせることにした。
「それは、これから学ばれるのでしょう」
「手遅れにならなければ良いがな」
何処か含みのある言い方であった。ビアンカ周辺で、きな臭い動きでもあるのだろうか。まぁ、あの過保護五人衆を出し抜ける猛者がいるのかどうなのか。甚だ疑問だがと、レラはあまり気にとめなかった。
「まぁ、いい。陽守の民についてだが、ここでは話せない」
「えぇ……?」
「だが、そうだな。何とかする。少し待て」
「分かりました。約束ですよ?」
「あぁ、俺は約束を守る男だからな」
「左様ですか」
確かにレラが陽守の民について知らないということは、そこまでヒントを開けることが出来ていなかったということだ。序盤でほいほいと聞ける類いの話ではないのだろう。
「……お前は、【夜神と陽守】って童話を知ってるか?」
「勿論、存じております」
「詳細は伏せるが、一つだけ。教えてやるよ」
ジルドは、顔の前で人差し指を立てる。
「童話でも人形劇でも、若者は男で描かれる」
「そうですね。私もそのように記憶しております」
「だが、真実は違う」
「ということは……?」
「若者は、女性であったそうだ」
ジルドが開示した情報に、レラはふむと思案するように指を顎に添えた。これ単体では、それ程までに重要には聞こえない。わざわざ詳細は伏せると言った所を鑑みるに、童話と真実にはそれ以外にも齟齬があるのだろう。
「そうなのですね。貴重な情報に感謝致します」
「へぇ……」
「詳細を聞ける日を心待ちにしております」
ジルドの反応が気にはなるが、レラは特に触れないことにした。それが何だという顔でもされた経験があるのだろうか。
「……なぁ」
「はい、何でしょう?」
「その、あれだ」
「……?」
どれだと心の中で返しつつ、レラは口ごもるジルドの次の言葉を待った。急に年相応の少年の顔で、ソワソワとジルドは落ち着きをなくす。
「昨日は、悪かったと思ってる」
ボソボソと謝罪の言葉を口にしたジルドに、レラはキョトンと目を瞬いた。沈黙に耐えられなかったのか、じわじわとジルドの耳まで赤が広がっていく。
「な、んか、言えよ……っ!!」
「あぁ、いや、これは失礼を。皇子殿下は当然の対応をされただけかと。しかし、折角のお気遣いですので、しかと受け取らせて頂きます」
「そうしろ」
心なしか安堵した様子のジルドに、レラは微笑ましい気持ちになったが表情には出さなかった。今はレラの方が一つ年下なのだから。
「何か困り事はあるか」
「急ですね」
「陽守の民を保護するようにとのお達しだ」
「あ~……。階段から突き落とされた件ですか?」
「お前が陽守の民であることを公表するには、時期尚早とのことだ。表立ってはお前も嫌だろうから、大した助勢は出来ないと思うが一応はな」
「ふむ。特に困っていることはありませんね」
「だろうよ」
あっけらかんと言い切ったレラに、ジルドは額を押さえる。ふと机に置かれた本が目に入りジルドは、これならいけるかと顔を上げた。
「勉強を教えてやってもいい」
ドヤァッ! という効果音が付きそうなジルドの言い方に、レラは笑顔で固まる。なるほど。ジルドは荒っぽいというより俺様キャラだったのかもしれない。
「バレたらそれこそ困ります」
「安心しろ。図書館のこんな奥まった所まで来る物好きに、俺は入学してから出会したことがない。あぁ、いや。お前がいたな」
「まぁ、私も本を目当てに来たわけではありませんがね」
「ここに並んでるのは、かなり専門的な物だからな。来ても教師くらいだろ」
レラは損と利を天秤にかけ、どうしたものかと考えた。不意にベネデットの心配そうな顔が浮かんで、天秤が損に傾いていく。
しかし、先程の自信満々な雰囲気から一変して、ソワソワとし出したジルドを見ていると断るのも気が引けるというか。
ジルドの発言からして、普段は人付き合いを極力避けているような感じであった。いや、もしかしたら拒否された経験が乏しいのかもしれない。どちらにしろ、こういった場面に慣れていないのだろう。
――――心遣いは、有り難く受け取っておきなさい。
そうですね、おばあ様。レラの事情を考慮し、尊重してくれているジルドの心遣いをレラは受け取ることにした。
それに恐らくこれは、皇命。払い除ける方が後々めんどうな事になりそうだ。
「では、歴史の勉強を見て頂けますか?」
「あぁ、時間がある時に見てやる」
目元が見えなくとも分かるレベルで、ジルドがパァッと表情を明るくさせる。随分と可愛らしいことだ。レラは心の中で、ベネデットに謝っておいたのだった。




