00.清らかな魂は壊れ眠る
荘厳と聳え立つ学び舎を少女は仰ぎ見た。本日より少女、レラが通うことになった【皇立アウローラ魔法学院】を。
「よし! 頑張るぞ!」
希望に満ちた表情で、少女は両拳を胸の前で握り締める。少々の緊張を滲ませつつも、学舎の門を潜った。その筈であった。
「平民の癖に! ビアンカ様に気に入られているからって、調子に乗らないでちょうだい!!」
校舎裏で、貴族のご令嬢にレラは突き飛ばされる。強かに尻餅を付いて、教科書類を地面にばらまいてしまった。
「もしかして、皇太子殿下に気でもあるのかしら~?」
「そ、そんなつもりでは!」
「口を開いて良いなんて言っておりませんわよ!!」
高圧的に怒鳴られて、レラは居心地悪そうに俯く。クスクスと三人のご令嬢達がせせら笑う声に、涙が滲んだ。
「分を弁えることね。孤児院育ちの平民が!」
レラを突き飛ばしたご令嬢がフンッと鼻を鳴らす。地面に散乱する教科書を踏みつけにして、去っていった。
「どうして……」
このような事になってしまったのか。
皇太子殿下の婚約者である、ビアンカ・レド・ジェミンブル公爵令嬢は本当によくして下さる。とても優しくて、聖母のような慈愛に満ちた方。
だからこそ、彼女とお近づきになりたい人間は沢山いた。それを世にも珍しい光魔法が使えるからといっても平民が、お気に入りに躍り出たのだ。気に食わない者がレラに敵意を向けたのは、必然だった。
「大丈夫、大丈夫!」
レラは明るく笑うと、教科書を拾い集める。このような事がビアンカに知られると、優しい彼女はきっと気に病むだろう。バレないようにしなければ。制服の汚れを払い落とすと、レラは真っ直ぐと前を向いた。
「レラ! ごきげんよう」
「ご機嫌麗しゅうございます、ビアンカ様」
花が綻ぶような笑顔をビアンカに向けられ、レラも満面の笑顔を返す。
「あら? その教科書どうしたの?」
「転んでしまったんです」
「えぇ!? 大丈夫?」
「勿論です!!」
「何か困ったことがあったら、いつでも頼ってね!」
「ありがとうございます」
笑っていれば幸せになれる。そうだよね、お母さん。そうレラは、涙をぐっと飲み込んだ。
しかし、日に日に嫌がらせは苛烈になっていく。レラは自分に言い聞かせた。
「大丈夫、大丈夫……」
きっと、幸せになれる。
「だいじょうぶ、だい、じょうぶ……」
笑え、笑え……っ!!
「だいじょ、ぶ、だい――」
背中を強い力で押された。何が起こったのかも分からないまま、レラは階段から転げ落ちていく。
全身が訴えた痛みによって、レラは自分の身に起きたことを理解した。同時に、視界が暗くなっていく。
「だ、い……じょ……」
レラが最後に聞いたのは、ビアンカの悲痛な悲鳴であった。
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「あぁ、何と言うことだ」
目を奪われるような美しい黄金色の髪を後ろで緩く三つ編みにした男が、哀しげに目を伏せる。周りの人間達にその存在は見えていないらしかった。
男は血溜まりに横たわる少女の傍までくると、その場に屈む。少女が息をしていないことを確認すると、奥歯を噛み締めた。
「我が双子のきょうだいを救える唯一の存在であったというに。何と愚かな……」
このままでは、世界は闇夜に呑まれてしまう。酷く寂しがり屋で臆病な“夜の神”の力が再び不安定になってきているのだ。
それを救えるのは、夜の神が唯一信じ光の力を授けし“陽守の民”のみ。少女はその末裔、最後の生き残りであった。
「時を戻せるとしても、一度だけ……」
何処からか迷い込みし魂が、このような結末をもたらすとは。あれを引き剥がすのは、もはや不可能になってしまった。
決して、悪しき魂ではなかったのだ。そのため、彼は目を瞑った。その結果がこれでは、母なる創造神に咎められて当然だ。
「あぁ……っ! 魂が壊れてしまっている」
少女は終わりを願い、享受してしまっている。これでは、時を戻したとて……。
「強き魂を喚ぶ他あるまい」
終わりを拒絶し、生を強く望むような。
これは、賭けであった。世界の命運をその強き魂に託さねばならない。
「すまない……」
男は、自責の念を滲ませ強く一度目を瞑った。次いで、ゆっくりと目を開けると創造神から授けられた力を解き放つ。
「“昼の神”の名の元に――」
少女レラの魂は、神々の加護に包まれ穏やかな眠りについた。