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そとがわ  作者: 山口
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プロトタイプ① 導入部草案

 黒々とした山林に囲まれた小村の空が次第に白み始めた。私は空腹を覚えて目を覚まし、黒ずんだ一畳の畳の周辺に目を配りながら、ぎこちなく体を起こした。連日の訓練で全身が消耗し、強烈な眠気の糸が頭に絡みつき、孤島のように浮かぶ畳の寝床へ再び縫い付けようとしていた。ただ、もうそれにも慣れた。強引に立ち上がり、粗末な木の床を軋ませながら襖をあけ、二、三段の石段を下り、正面の台所へ向かった。朝露を含んだ真夏の早朝の風が隙間だらけのこの小屋を満たし、石畳の冷たさを厚い皮膚で覆われた無骨な足で踏みぬいた。朝と、終わりない日常を告げる「太鼓」の前の僅かに残されたこの朝が、私が個として生きていることを感じる最後の砦なのだ。おぼろげかつ強烈な、寝起きの一瞬一瞬の感覚がこの個としての有り様をリアルに感じさせてくれたのだ。

 粗末な釜戸に薪をくべ、その上に年代不詳の金属の鍋を置き、井戸水を流し込んだ。そこに乾飯と菜っ葉を入れ煮立たせる。まだ暗い小屋の中で釜戸の炎が沈鬱に揺曳し、その物悲しさをうけて鍋の底がほのかに赤らんだ。壁の隙間から黎明の光が差し込み、ぼんやりとふつふつと沸くこの粥を浮かび上がらせていた。そして私はいつも唐突に、この朝の静寂を打ち破るように、この煮きらぬ粥を喉を焼きながら流しこむ。鈍いあの太鼓の音はまだなるはずがない。しかし、私は自ら「砦」を壊し外に出るのだ。鍋の底はまだ赤かった。

 戸を開けると続く長い坂の先に村が一望できる。鉄筋でできた立派な練兵所には、山間には不釣り合いなほど広大な校庭が据え付けられ、校舎の屋上に「皇帝」の御紋が刻まれた柱が威圧と権威を以って掲げられており、その周りに木製の家屋と水田が窮屈に押し込められていた。支給の色褪せたカーキ色の軍服を着て、木刀を一本無造作に肩にかけ、踏み固められた坂道を下って行った。しばらくすると、不思議なことについさっきまで眠っていた体に、どこからか、異質な「生気」が流れ込み、気がふれたかのように目を覚まさせた。おそらく奴隷が目覚める時に感じる強制された覚醒とは異なる、兵士の規律精神に由来する目覚めとも異なる、水田の水面に映る私の目は、沈痛さをどこかに秘めた、加えてどこか楽しげな情熱をも込めたような、混交とした光を受け入れていた。

 雲の一片もない空に、朝の温かい太陽の色と夜が持ち出した深い青が溶け合いだした。練兵所につながる砂地の坂を下るにつれ、訓練兵がぽつり、ぽつりと集まっていった。皆同じ格好をして、同じように木刀を担いでいた。多くの者は誰とも話さず(友人と見えても静かに)体を寂しい灰色の校舎に向けてまっすぐ歩いていく。生気の絶たれた家屋を抜けると空き地─我々の町との結界のような─があり、その先に門が口を開けていた。

 校庭につくと私を含む訓練兵六十余人は大きな太鼓の前で整列した。この中に「中央」から来た二百名程度の兵士は来ていない。この村出身の兵のみこの静かな早朝に集合させられるのだ。昔は太鼓の音のなる間に集まれば十分だったらしいのだが、教官が異動するたびにこの()の意味は形骸化し、いつしか音の数十分前から—意味もなく、ある種の醜悪な差別を含んで—私たちは待たされた。ただ、私にとってこの時間はある種の哲学を与える重要なものだった。中央出身の訓練兵は、私たちが命削り生み出した食料を食いつぶすことになぜ何ら躊躇しないのかという彼らの奇妙な文化に始まり、毎朝坂を下るたびに補充される異様な生気がどこに由来するのかといった個人のつまらない事まで、ぼんやりと思索していた。それらは現実に何ら影響を及ぼさない、妄想に近いものだったが、ほかの村民が直視しない絶望的な差異や彼らが気づかない変化してゆく精神を、ただゆっくり見つめることができたのだ。

 足の裏が砂地の校庭にべったりとくぎ付けにされ徐々に痛くなってきたころ、遠くの校舎の裏玄関から教官二名が現れた—一人は中央から派遣された軍人で、もう一人はこの村出身の傭兵隊長だ。中央の軍人はでっぷりとした顔と肥満気味な腹を反らして、まるで将軍でもなったかのように鷹揚と歩いていた。彼の金色の刺繡やボタンが、紺色の生地の上で、校舎の陰により浮かび上がり、彼の持つ隆々とした肉体がますます軍服を憎いほどに煌びやかせていた。その美しさの陰で、私たちと変わらぬ粗末で小汚い服を着た中年の細い傭兵隊長が、バチを片手にぶらさげてうつむきながら歩いていた。彼の影を察すると我々の身体は無意識に硬直し自由が失われた。足の痛みは磔刑を思わせるほどに燃え盛るが体を動かせなかった。偉そうなあの軍人の歩みはますます緩慢なものに思われ、彼への憤りが高まる一方、軍とは別の隷従の精神が涵養されてゆくのを晒しているようだった。陰惨な校庭に芽吹き始めた私の個性は、ただ歩いているだけの男一人に抵抗ひとつなくむざむざ踏みつけられた。

「ひどいよなぁ、海斗(かいと)」—山村に合わぬ私の名前をにやにや、隣の御舘(みたて)つぶやいた。この嘲笑家は、愚かな勤勉さと隷属を重んじる村の習わしから外れた文化を持っていた。物心つく前から一緒に過ごし同じような貧しい飯を食ってきたのにも関わらず、どこか遠くの国から来たような風格と鋭敏な思考を持ち、180cmを超えた体躯は私にとってのある種の英雄だった。彼は村の人間のような素朴な平坦な顔をせず、農民には似合わない彫の深い顔立をしていた。顔面に埋め込まれたようなくっきりとした目はこの世のすべてを静観し、自身の不遇な身の上も笑って受け入れるような神々しさを秘めていた。私は彼を見上げるたび、訓練で組み合うたび、食堂で飯を食らうたび、彼の「神聖な」血肉を肌で感じ、畏れていた…。

 私と彼との記憶が明瞭になるのは七、八歳のころだ。その頃の御舘はほかの少年少女と変わらぬ無垢さと溌溂さを持っていた。私の家族が住んだ昔の小屋(今の住まいとは別で)と彼の家は隣あっていて、何かと理由もなく会っては、ただ走り回っていた。まだこのころは私のほうが俊足で、これが幼い私にとってただ一つの誇りだった。先回りをして御舘の名を呼んでは(当時は下の瑞流(みずる)と呼んでいた)本能的に道端の枝を拾い上げて武装し、脅かしあってをしては互いに田の泥へ落としあった。いつも私がより長い枝を手に入れ長さを生かして戦ったため、当然私が優勢だった。御舘は田に落ちると泥への抵抗がなくなり、私の枝にしがみついて動きを封じた後、ともに水田に転げ落ちた。そこからは私たちは何かに操られるようにまだ弱弱しい稲の葉をちぎっては投げ、水臭い泥を握りしめかけ合った。ありふれた水田に私たちに由来する無邪気な情熱が溶け出し、稲の神が優しく抱擁してくれたとようだった。十歳に近づくと徐々に遊びが変化していった。長い枝と糸と針で釣竿を作って渓流で魚を釣ったり、中央の訓練兵が捨てたボールで(空気の抜けた使い物にならないものであったが)彼らのスポーツのまねごとをしたりと様々試した。そのなかでも私たちを引き付けたのは大昔の残骸を収集することだった。少し村を外れ山を抜けると、誰もいない廃墟の村落があった。かつてアスファルトで固められたであろう地面は若木が突き破っていて、どの家も畳まれるように崩れていた。五、六十年ほど前までは

ドンッ……ドンッ……

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