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「ご招待ありがとうございます」
ミヤマさんは、家に入ると改めてそう言い、深々と頭を下げた。家の中の明かりの下で見ると、その髪の色には、益々の違和感を感じた。
「いえいえ、こちらこそ有難う御座います!」
お母さんは事情を聞いて、ミヤマさん大歓迎モード。急な来客なのに難なく4人分の夕食を用意し、私達はにこやかに食事の時間を過ごした。
見た目は怖い雰囲気だけれども、話してみると、ミヤマさんはごく普通の20代後半の男の人だった。時々お父さんが連れて来る会社の関係の人達と何ら変わりなく、仕事の話や、最近の社会情勢や、目立つ事件の話など、差し障りのない話題で他人と話す事に何の不自由もない、社会的に自立した大人の人。
食事が済むと、両親とミヤマさんの3人で話し始めたので、私は席を外させて貰った。
部屋に戻る前にキッチンで、冷蔵庫から柑橘系炭酸水を取り出して廊下に行くと、ミヤマさんがリビングから出て来た所だった。
「トイレですか?こちらですよ」
私は、案内の為トイレの方向を手で示し進み出す。
「有難うございます」
言いながらついて来るミヤマさん。グラデーションの眼鏡の奥の目に、少し違和感を感じた。白目の部分に赤い無数の点がある様に見える。
「気になりますか?」
私の視線に気付いたのだろう、ミヤマさんがそう言った。
「ゴメンなさい、不躾でした」
「いえ、構いませんよ」
そう言って眼鏡を外す。私に向けて目を見せてくれた。三白眼の両目の白い部分に、星の様に散る赤い斑点。
「医者の話しでは、怒り過ぎだそうです。視力には影響が無いのでご心配には及びません」
「そうですか・・・」
内出血の様に見えなくも無い。眼鏡で隠していると言う事は、慢性的な物なのだろう。目の血管は細いから傷付きやすいのだろうが、怒り過ぎとは、なんなのだろう・・・。
「それよりも」
私が原因について思案していると、ミヤマさんはそう言って私に顔を近付けた。そして、顔周りに鼻を寄せてクンクンと匂いを嗅ぐ。
「えっと、何か匂いますか?」
私は、突然の事に驚いて、顔を引きながら聞いた。
「匂いますね。小さな、空飛ぶアレの匂いが」
ミヤマさんは、特に表情に変わりがある訳でもなく、ごく普通の世間話をするみたいに、普通じゃない事を言った。
「・・・アレ、ですか?」
空飛ぶ小さな、アレ・・・。
「はい、アレです。透子さん、お気を付けなさい。アレは、穏やかな顔をしていますが危険なモノです。決して騙されない様に」
「えっ・・・」
何を言っているんだろう・・・。アレって一体・・・。
「アレの加護があるので、我々は手を出せません。ですが、見ている事は出来ます。幸い、家に『招待』を受けることも出来ました。今後は家の中に入って来る事も出来ます」
加護とか招待とか、一体何の事だろう。
私は背筋に寒気を感じた。
「ミヤマさん、トイレ分かりました?」
リビングからお母さんの声が聞こえた。
「はい、大丈夫です。透子さんが教えてくれましたので」
ミヤマさんは、そう答えて眼鏡を掛け直し、固まって動けなくなっている私を見ながら横を通り抜けた。
その目が「見ていますよ」と言っているような気がする。
私は、首を左右に激しく振り、会釈して逃げるように自分の部屋へと逃げ込んだ。
ミヤマさん、何者なんだろう・・・。
私はドアを背に炭酸水の蓋を捻って一口飲んだ。
加護って何?招待?空飛ぶアレの匂い?
頭の中にクエッションマークが飛び交う。
赤い斑点の三白眼、鋭い眼光が目から離れない。
その時、私の鞄の中でスマホが鳴った。
ああ、そう言えば、宮本先輩から来たLINEが、和樹に見られたままで既読スルー状態だ。
私は慌てて鞄からスマホを探し出し、画面を見た。宮本先輩からの着信だった。
「もしもし、ゴメンなさい。さっきスマホを叔父に取られて、先輩からのLINE見て無いんです」
「あ、透子ちゃん。良かった、出てくれて。そうなんだ。俺無視されてるのかと思って心配しちゃったよ」
先輩の声は、今さっきの異次元での出来事のような時間を、全て気のせいだよ、と言ってくれるみたいに普通だった。私はホッと息を吐く。体から力が抜けた。そして、心配をかけてしまった事に罪悪感を抱いた。
「すみません」
申し訳無さで、声が小さくなってしまう。
「ううん、全然。でさ、土日なんだけどどっちが良い?俺どっちも暇だから両方でも全然OKなんだけど」
既読スルーなんて全く気にせずに、どちらか行く事が既に確定しているような言い方をする先輩。私は少し笑ってしまった。
「まだ行くって言ってませんけど?」
「あれ?そうだったっけ?でも行くよね?」
宮本先輩の明るい声で、さっき迄の不安と恐怖がどんどん消えて行く。根っからの明るい、楽しい人。
「天気良さそうだから外が良いよねー。遊園地とかどう?ショッピングも良いな、夏物とか見たいよね」
勝手にどんどん進めて行く宮本先輩。この人は本当に、勝手で自己中で
「動物園とかもアリかなー、透子ちゃん動物好きそう」
でも明るくて、声聞くだけで元気が出て来ちゃう。
「・・・動物は好きですよ」
思わずそんな事を言ってしまう。
「えっ、本当?なら動物園行く?」
向こうからキーボードを打ち込む音が聞こえて来た。PC前で検索しながら電話しているようだ。
「あー、何だろ、イベントでもあるのかな?人数制限してるや。今週末は一杯っぽい」
ああ、しょうがないな。そんなに一生懸命になられちゃうと断れない。
「明日の土曜日なら良いですよ」
私はそう答えた。
「え!マジ?やった。嬉しい!ありがとう透子ちゃん!大好きだよ!」
最後にチュッという音が聞こえて来た。一瞬、耳元からスマホを離してしまう。
「どうしよう遊園地行く?こっちならまだ余裕ある」
そんな私の様子には気付かず、そのまま話を進める先輩。テンポが早くキレが良いから、油断するとノリで全部okしてしまいそう。
でも、この先輩なら、悪いようにはしない、そんな風に思わせてくれる人だった。
「お任せします」
私は、先輩の波に乗ってみたくなって、そう答えた。
「おし、なら決めちゃうね。えーとねー・・・」
ぺちゃんこになった胸の風船に、どんどんと息を吹き込んでくれる。先輩の声が心地良い。もっと、話していたいな・・・?
その後、宮本先輩と話しながら明日の予定を決め、大分遅くまで話し込んでしまった。