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アスフール  作者: まゐ
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 結局私は、その日和樹の家には行かなかった。


 雅彦と一緒に川から帰った後、部屋でスマホを見ると、和樹からの通知は私が家を出る前に確認した物のみで、それとは他に一件、お母さんから留守電が入っていた。


『何処に携帯忘れてるの?これ聞いたら連絡頂戴』


 和樹がお母さんに電話したんだろうな、と思った。


 私は、お母さんと和樹にスマホを家に置いて出掛けてしまった旨をLINEで伝えておいた。なんだかんだで2人に心配を掛ける結果になってしまった。申し訳ない。


 でも、死んでしまうよりは良いよね。


『どこ行ってたの?』


 送った直後に既読の付いた和樹から、そうLINEで聞かれた。


『図書館の方』


 私はそう答えた。それは嘘では無い真実。でも相手に誤解をさせる為のずるい言い方だ・・・。


『今は何してるの?』


 続けてLINEで質問が飛んでくる。直接電話して来ないのは、声を出すのが辛いからだろうか。それとも、何らかの気遣いがあるのだろうか・・・。


『勉強してる』


 私は簡潔に答えた。そして、答えてから私は思い出した。雅彦に大量に借りたノートの事を。


 せっかく貸して貰ったのだから、しっかり見て早目に返さなくては。


 そう思って私は、慌てて借りたノートと自分のノートと教科書、筆記具等を鞄から取り出して机の上に並べた。


 『勉強してる』じゃなくて『これから勉強するところ』が正しかったな。


 そんな事を考えながら、私は本当に勉強を始めた。


 雅彦のノートの字はいつも通りに汚い。汚いというか『雑』というか、読めるギリギリのレベルで、早く書くことを優先しているように見える。サッと書いて、可能な限り先生の話を聞いているのかも知れない。


 そう言えば環のノートも、雅彦程ではないが、手紙や書類に書く文字と比べると筆圧が薄くサラリとメモを取っているような感じだった。コピーを取ろうとすると印字を濃く設定しないと上手く見えなかった事を思い出す。


 改めて自分のノートに書かれた文字を見てみる。丁寧に、濃く、読みやすい文字で書かれている。


 何だか『出来る人』と『出来ない人』の差を見せ付けられた様な気がした。


 私、頑張る所を間違えてるのかな・・・。


 軽く落ち込んだ所で、再びスマホが震えた。


『ならお見舞いは無理かな』


 再びの和樹からのLINE。


『うん、ゴメンね。お大事に』


 そう送った後に、こちらから『頑張れ』と『バイバイ』のスタンプを送った。和樹は、少し間を開けて『寝る』と送って来た。続けて『またね』のスタンプが帰って来る。


 私はホッと息を吐いた。同時に死の回避を実感した。


 そのまま教科書と雅彦のノートを見比べながら、自分のノートに書き込んでいった。


 今は聞くべき話をする教師はいない。思うままに丁寧な文字で書き進めた。


 雅彦の文字の汚さの激しい所は、きっと大事な所なのだろう。空いたスペースに無理矢理書き込まれた小さな文字は、黒板に書かれなかったテストの為の何らかのポイントなのだろう。


 クエッションマークの着いたところは、雅彦自身が後から調べようと思った所だろうか。ならば調べて書き込んでおいてあげよう。


 雅彦に借りたノートの内容は、全て一度学び、テストもして、結果も見たはずの内容だった筈だ。けれども悲しい事にその内容は余り私の頭の中には残っていない。きっとどうでも良い瑣末な事として、消えて行ってしまったのだろう。


 何やってるんだろうな、私は。


 過去の自分に呆れて、溜め息しか出て来ない。


 しかし、そんな中でも所々に覚えのある内容が出て来た。その覚えのある所を取っ掛かりにして、少しずつ理解を深めて行く作業が、私に時間を忘れさせた。


 一つ目の教科が終わり、二つ目の教科が終わり、三つ目の教科に移った所で玄関の開く気配があった。時計を見ると、なんと20時を過ぎている。


 こんなに真剣に長時間勉強をしたのは、生まれてこの方初めての事だった。


 自分に驚きながら、一度手を休めて一階に降りた。


 リビングに入ると、一度和樹の家に寄って様子を見て来たお母さんが帰宅した所だった。和樹の様子を聞いてみると、少し下がったものの熱はまだ高く、咳も止まらず、苦しそうだったと。私が()()時と同じ状態だったようだ。


 当たり前と言えば当たり前。


 そのまま2階には戻らず、用意してくれた夕飯を一緒に食べている時にお母さんは言った。


「カラスが居たのよ」


 『九州フェアだったのよ』そう言って食卓に並べられたチキン南蛮と鯖の押し寿司を、取り皿に移していた私の手が止まった。


「寝室のドアを開けたら、黒い影が窓から出て行ったの。ビックリして窓から外を見たら、庭木の枝に止まっていたの」


「カラスが?」


「そう、カラスが。私がドアを開けるまで、部屋の中に居たのかも知れない。あの子、網戸も開け放っていたから入って来ちゃったのね」


 心臓がドキドキした。あの時と同じ様に。


 和樹は、私が今日和樹の家に行く前からカラスが部屋に来ると言っていた。私が部屋に行く行かないに関わらず、カラスはあの場所に居るのだろう。


 和樹は、カラスが和樹の家の中に入る事を許したのだろうか。私の部屋にミヤマさんやアスさんがやって来たように、和樹の部屋にもカラスがやって来るのだろうか・・・。


 あのカラスは、ミヤマさんじゃない方の、女の人の方なのだろうと私は思った。


 自分の心臓が止まった時の事を思い出す。


 離れた所で泣き喚く女の人の声。暴言に混ざって聞こえて来た「早く・・・して」という言葉。


 続けて聞こえた息を切らせたミヤマさんの声。


 あの時のミヤマさんは、遠くから慌てて駆け付けたような感じだった。


 だったらやっぱり、和樹の部屋に居たのは女の人の方なのだ。


 「早く・・・して」という言葉が頭の中で繰り返す。何度も何度も繰り返されるうちに、上手く聞き取れなかった部分がクリアになって来る。


 「どうしてこんな事に」「いつも邪魔をする」「早く・・・して」


 「どうしてこんな事に」「いつも邪魔をする」「早く()()()()()


 そう。「早くやり直して」と、そう言っていたのだと思う。


 続いて聞こえて来たミヤマさんの声。


 「早くしろよ。()()()()()()()()()()。どけ」


 苛立ちの込められた低い声。荒い言葉使い。


 急かされたアスさんが私にした事は、私を()()()()()()()()()()()だ。


 それを『俺がやる』と言ったミヤマさん・・・。


 ぼんやりと考えながら、取り分けた鯖の押し寿司を口に入れた。近所のスーパーのお惣菜。今も、そしてこの先の未来も変わらぬ味で美味しい。


 続けてチキン南蛮を口に入れた。タルタルのソースが少し違う。ゆで卵と、シャキシャキとしたキュウリのピクルスの歯触りを感じる。


 前は、というかこの()に戻る前、約6年後の世界ではもっとピンクっぽい色をしていた。歯触りももっと柔らかい感じで、多分あれはピクルスじゃなくて他のお漬物・・・そうだ、しば漬けだ。細かく刻んだしば漬けを混ぜ込んでいたんだ。


 しば漬け味のタルタルソースの味を思い出しながら、キュウリのピクルスのタルタルソースの味を噛み締める。


 どちらも美味しい。


 もぐもぐと咀嚼しながら、私の頭の中はカラスから今夜の夕ご飯へと移り変わって行く。


「どっちも美味しいね」


 ボソリと呟いた。


「そうね。特に鯖の押し寿司は昔からこの味で変わらず美味しいわ」


 お母さんが、比較の対象を『今のチキン南蛮』と『未来のチキン南蛮』ではなく、『鯖の押し寿司』と『チキン南蛮』だと受け取ってそう答えた。


「そうなんだ。昔から同じ味なんだね」


 私はお母さんに合わせてそう答えた。


「でもチキンは、どんどん変わっていくわね。唐揚げの酢漬けみたいなのから甘酢あんが掛かったものになって、今ではその上にタルタルが掛けられてる」


 お母さんも言いながら、もぐもぐと咀嚼していく。


「そうなんだ」


 相槌を打ちながら、もう一口頬張る。鶏モモ肉と甘酢あんとキュウリのピクルスのタルタルは黄金比で、しば漬けのものとは違った美味しさが口に広がる。


 時と共に変わりゆく物、変わらずそのまま守られる物。


 世の中にある全ての物が、時の流れに乗って、良くも悪くも変化を遂げたり、変わらないままだったりしている。


 そんな当たり前の流れの中で、私だけがその流れから外れている。


 不自然に遡って流れを変えてしまう。


 それは『良い事』なのか『悪い事』なのか。『正しい』のか『間違い』なのか・・・。


 ぼんやりと考え続けながら、私は鯖の押し寿司とチキン南蛮を交互に食べ続けた。

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