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混乱して、思考が上手く纏まらない。『何で?』『どうして?』ばかりが私の頭の中を支配する。
「何が『俺なら大丈夫?』なんだ?」
左右の眉を中央に寄せながら雅彦が聞いてきた。
「あっと、あのね、えーっと・・・」
答えようとするものの、何と言ったら良いのかが思い付かない。しどろもどろになりながら、目を逸らし、相変わらずキラキラと美しい川面を見た。
どうしよう・・・。もうやだ。今日はどうしたら良いのか分からない事しか起こらないの?
何も答えられない私に呆れた様子で、雅彦は私の横に腰を下ろした。
「透子、自覚してる?今日、自分がかなり変だって」
私の横で同じように川面を見ながら、溜め息混じりにそう言った。
「・・・うん・・・」
そんなに暑い訳でもないのに、手の平と額に汗が滲んだ。全部曝け出して相談する事が出来れば良いのに、それが出来ない。ジレンマで胃の辺りがキリキリと痛む。
「何かあったの?」
聞かれてゆっくりと雅彦の顔を見る。目が合うと、困った様な顔で微笑まれた。
優しい微笑み。
雅彦は変わらないなぁ。昔から優しい。今も昔も、そしてこの先の未来も、こうやってテンパってる私の横で優しく笑って、何でも受け止めてくれそうな雰囲気を作ってくれる。
下校の時に変な事をしてしまった私に対しても。
『雅彦とさっき別れた後に、うっかり和樹に殺されて、やり直しで今困ってるんだよ』
そう言ってしまいたい。でも言えない・・・。
だって、そもそも私は『雅彦と付き合って子供が出来てしまった』という、この先の未来を変える為に動いているんだから。
「じゃあ、当ててみるか」
悩んで何も言い出せない私に向かって、雅彦はそう言った。そして、少しずつ私の心を解きほぐすように言葉を投げ掛け始める。
「試験で点が取れなくて困っている」
全く見ていなかった方向からの一撃目。肩身が狭くなるような言葉だ。
まぁ、それも困っていなくはないけど・・・。
固まったまま返事の無い私に、雅彦は次の言葉を投げて来た。
「それでイライラして食い過ぎて胃が痛い」
さっきの内容に繋がった言葉。けれども酷い内容だ。
・・・ちょっと、私そんなに馬鹿じゃない。
そう思ってイラッとした私は、汗ばんだ両手を握り締めた。
「おまけに、下校時に何故かつい俺の腕に掴まって、変な空気感を作ってしまった事を悔やんでいる」
・・・。
握り締めた手から力が抜けた。
それは、確かに私の心の多くの部分を占めていた思いだ。ただ、和樹にあんな事をされてから範囲は狭まっている。けれども消えた訳ではない。だから、改めて指摘されて引っ掛かりを覚えて、心が反応している。
「『雅彦はそれが気に掛かって仕方がなくて、今まで家に帰らずにウロウロ歩き回っていて、だからまだ制服姿なのかな?』と思っている」
雅彦が私の声色を真似して言う。けれどもそれは、全然似てなかった。
少しだけ顔を雅彦の方に向けてみる。すると、確かに雅彦は制服姿のままだ。
雅彦は、さっき私と別れてから、ずっと歩き回ってたのかも知れない。急に腕を組まれて味わった気不味い思いを、どう処理して良いのか分からないままに。
やっぱり、申し訳ないな・・・。
「『何だか悪い事をしてしまったな。もう一度しっかり謝った方が良いのかな?でも雅彦が無かった事にしようとしているなら、蒸し返すような事はしない方が良いかな?』」
まだモノマネは続いた。私のモノマネで、雅彦の想像する私の心の声を語る。全然似てない。似ていないのだけれども、内容は私の心に近付いて来ていた。
「そんな所かな」
そこまで言って、雅彦は空を見上げた。私も釣られて空を見る。上空では風が強いのか、雲の流れが早かった。
「さっきはゴメンね」
私は空を見たまま、小声で謝った。
「いや、全然」
雅彦も空を見たままで、何でもないように許してくれる。
「・・・2割強・・・」
雲を見ながら、私はそう答えた。
「『心の声』の正解率?」
「・・・うん・・・」
「残りの8割弱は?」
「・・・」
「そこに『俺なら大丈夫』な何かがあるって事か」
私は、困りながら雅彦の顔を見た。そして、ちょっぴり焦りを感じる。私の心の中の全てがお見通しな気がして仕方が無くて、全部バレちゃってるのではないかと心配になってしまう。
「焦らない方が良いと思うよ」
雅彦がそう呟くように言った。
えっ、と、私はビックリした。
雅彦が空から私に視線を移す。優しいままの視線で私を見つめる。
「焦って無理矢理出した答は、視野が狭まって正解率が下がるから。焦らずに時間を掛けて色んな方向から思案した方が、より正解に近付くんじゃないかな。俺はそんな風に思うよ」
私は瞬きをして雅彦を見た。
8割弱の内容が分からないままにアドバイスしてくれている・・・んだよね?それとも、本当に全部分かっちゃっているのかな・・・。もしそうなら、その上で予想している風を装って言ってくれてる事なのかな。
ぐちゃぐちゃと考えていると、段々とどうでも良くなってきた。分かっていてもいなくても、的確な答えをくれてる・・・。そういう事だ。
そうだよね、感情のままに早急に一方的な考えをぶつけたから、私は和樹に殺されちゃったんだ。
長年に渡って築いてきた関係だもの、焦って断ち切ろうとしたらギザギザに捻じ切れてしまって当たり前だ。
「・・・焦っちゃ、ダメだね・・・」
言って、大きなため息を吐いた。
「よし」
突然雅彦が、そう言って立ち上がった。
「帰る」
立ち上がった勢いそのままに、私と川に背を向けて歩き出す。
それを見て、私はハッとなった。
待って。待ってー!
私も急いで立ち上がって、行ってしまおうとする雅彦に全力で駆け寄ってその手をグッと掴んだ。
雅彦が驚いて止まり、首だけ背後に向けて私を見て、そして聞いた。
「何?」
「あ、あのね・・・実は道に迷ってて・・・」
「・・・は?」
高い所から降ってくる、呆れた声。
「だって、こんな所今まで一度も来た事無くて・・・」
「ここ、曽根之川だけど。家のすぐ近所」
「・・・だよねー・・・、そうじゃないかな?とは思ってたんだけどね。ほら!あのー、考え事?しててテキトーに歩いてたら、全然、分からなくなっちゃって・・・」
声が段々と勢いを無くして小さくなっていった。俯いていた顔を上げて雅彦の顔を伺う様に見る。案の定呆れ顔だ。
「雅彦あのさ・・・、家まで一緒に帰っても、良い?」
恥ずかしさと情けなさを、作り笑いでカバーしながら聞いてみた。
雅彦は、少しため息を吐いて、そして笑ってくれた。
「良いけど、手は繋がなくても良いよな?腕組んだりとかも無くて良いよな?」
「も、勿論!」
私は、照れ隠しみたいに少し大きな声でそう言った。掴んでいた手を話して、雅彦の横に並ぶ。当然ながら腕にも掴まらない。
「いちいち確認しなくても。当たり前じゃない、そんなの」
悔し紛れにそんな事を言った。
傾き始めた陽の光は、私達の影を帰る方向に長く伸ばしていた。