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アスフール  作者: まゐ
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 5限目、体育、持久走。


 ある意味、私にとって運命の時だ。


 先輩と『出会う』時。


 持久走の最後、先輩が蹴ったサッカーボールが、誤って私の方に飛んできて、私は怪我をするのだ。それによって先輩と知り合い、交際にまで発展して行くのだが・・・。


「じゃあ、透子はゆっくり休んでて。頑張って走ってくるから、応援宜しく!」


 環がそう言いながら、私の両手をギュッと握り締めて、上下にブンブンと振る。そして手を離すと、頷く私に元気に手を振ってスタート位置まで走って行った。


 私も環に「頑張ってね」と声を掛けながら手を振り返した。


 私は、昨日の高い発熱を理由に、念の為体育の授業を見学する事にした。


 前回は、熱も下がり、体調は万全だったし、元気が有り余っていた事もあって、逃げずに参加した。今回も条件は同じなのだが、それでも見学にしたのには理由があった。


 それは、環の成績。


 環はとても優しい子だ。持久走が苦手な私を置いて行く事が出来ずに、最後まで遅い私のペースに合わせて走ってくれた。何度か「先に行って」と言ったのに、聞かずに私とずっと一緒に。だからこの時の体育の成績も、私と同じで、5段階中の2だったのだ。


 進学先の推薦を決める時期になって、環はある大学の推薦希望を提出する。その大学はそこそこ人気があって、推薦希望を出した生徒は枠人数を上回る物だった。


 その審査で環は、近差で推薦を貰えなかったのだ。


 本当にちょっとの差だったという話なので、恐らくこの持久走の結果が良ければ、推薦を貰えていたのではないかと、私は思っている。


 環は運動神経が良いのだ。私に合わせたりしなければ、女子の順位で1番か2番になれたはずなのだから。


 勿論、私と先輩とが出会う事が出来なくなってしまうかも知れない、という事は心に大きく引っ掛かった。『やり直し』に来た理由が、先輩との関係だったのだから、当たり前。


 けれども、環の将来に大きく影響すると知っていて、それでも自分の為に環を付き合わせる気には、どうしてもなれなかった。


 今日の朝、学校に来た私を見て、心の底から喜んでくれた環。私への環の気持ちは、今はまだ聞いていない事になっているけど、私は知ってしまっている。


 環の気持ちと、私への優しさを、環の損になるような方向には向けたくなかった。


 どちらを選ぶかといったら、こっちだよね・・・。


 私は溜息を吐いた。


 昨日から溜息が多いな。


 校舎と校庭との境目の段差の上には、松の木が一列に植えられている。その松の木の木陰になる所に、授業の妨げになるから、と、寄せられた朝礼台があった。その脇の邪魔にならない所で、私は持久走がスタートするのを見ていた。


 環がチラッと私を見て、小さく手を振る。


 頑張って!


 気持ちを込めて手を振り返した。


「二宮さんも見学組?」


 そんな私に、横から声をかける人がいた。同じクラスの男子生徒。確か名前は、安井君。バスケ部に入っていて、その練習中に運悪く捻挫をしたらしい。右足には痛々しくギブスがはめられていて、松葉杖を両脇に挟んでいた。


 今は、入学式が終わってからひと月が過ぎた頃だ。私はあまり人付き合いが得意な方ではないので、まだ話した事の無いクラスメートは多い。安井君もそのうちの1人だった。しかも2年への進学時のクラス替えで、彼とは別のクラスになる。ほとんど話す事が無いまま、卒業を迎えた気がする。


 つまり、あまり記憶に無い人、である。


 私が頷くのを見ると、安井君は私の横に座っても良いかと聞いてきた。私がもう一度頷くと、安井君は松葉杖を器用に操って隣に腰を下ろしてくる。


「何だか慣れてるね」


 私がそう言うと、安井君は「これ?」と、松葉杖を持ち上げる。


 記憶が正しければ、安井君が捻挫をしたのは2〜3日前。まだ松葉杖を使い始めて間もない筈なのに、その松葉杖使いがベテランのように見えてしまって、不思議に思った。


「よく捻挫するんだ。癖になってるんだろうなー。困った事に。だからこれの扱いは慣れてるんだ」


 そう言いながら松葉杖をさすって、安井君は肩をすくめた。


『スポーツ推薦枠で入学して来た子が何人か居るんだって』


 そんな話を、入学式の時に環とした記憶があった。安井君がその枠で入学してきたのかどうかは分からないけれども、もしそうだとしたら、捻挫が癖になるという事が、今後の高校生活に大きな影響を与えるだろうと言う事は私にも分かった。


 その上、体育も見学だ。哀れな事この上ない。彼も、今度の体育の成績は、私と同じく5段階中の2になってしまうだろう。


「大変だね」


 私は同情の言葉を掛けた。


 バスケの推薦で、同じ学年から大学に行った人がいたと言う話を聞いた記憶はない。という事は、彼は今後どういう道を辿るのだろうか・・・。


「心配してくれるの?優しいね」


 そう言って安井君は笑った。割とキリッとした顔立ちをしているけれど、笑うとエクボが出来て可愛い。これでバスケが出来て、ユニフォーム姿でカッコよくゴールを決めるシーンとかを見せるのならばモテそうだな、などと思ってしまう。


「でも見学になったお陰で、二宮さんと話せた。そう考えると、それはそれでラッキーだな」


 そう、楽しそうに言う安井君。


「何よそれ」


 私はそう言って少し笑った。


「二宮さんってさ、いつも3人でつるんでるだろ?なかなか話しかけられなくてさ。だから、ラッキー」


 3人とは、私と環と雅彦の事だろう。確かに私達は同じ中学だったということもあって、いつも一緒にいるかも知れない。


「みんな、二宮さんと話したがってるんだよ。知ってた?」


 それを聞いて、私は「え?」っとなる。


「何で?」


 疑問がそのまま口から出た。安井君は、何だか楽しそうにしている。座って組んだ長い脚の膝に頬杖を付いて、私にグッと近付いて来る。


「可愛いからじゃない?」


 安井君の笑顔が深くなる。可愛いのは安井君のその笑顔だ。


 そう思って、私は眉を顰めてしまった。


「あ、変な顔してる。ここシワになっちゃうよ」


 安井君は、手を伸ばして私の眉間の間を押す。ほとんど話した事の無い相手に軽くスキンシップをしてくる。


 ・・・慣れてるのは松葉杖だけではない・・・。


 思いながら、私は軽く体を引いて、両手で隠すように眉間を押さえた。


「あーあ、逃げられちゃった」


 クスクスと笑いながら、安井君は膝の上で両腕を組んで、その上に顎を乗せて私を見ている。


「二宮さんってさ、側で見るとますます可愛いよね」


「突然何言ってるの」


「うーん、可愛いって言うか、綺麗か。髪はツヤツヤだし、頬とか首筋とか、こう、触りたくなる感じ?」


 言いながら安井君は、私の顔の色々なパーツをくるりと見て、そして目を合わせた。何だか品定めをされているようで落ち着かない気分になってくる。


「あと、目が綺麗・・・。入学した時から、こんなに綺麗だったっけ?」


「本当に、何を言って・・・」


 私は、何でこの人急にこんなに褒めてくるんだろう、と思った。


 そして言いかけた言葉を飲み込む。突如2つの事を思い出したから。


 1つは、雅彦の言葉だ。


 あれは、多分()()()()だ。足の怪我で登校が大変だろうと雅彦が自転車の後ろに乗せてくれた時の事。私の髪と、肌と、目が綺麗だと言って顔を近付けてきた。真顔の雅彦に、私はそのままキスされるのかと思ってドキドキしていた事を覚えている。


 それは今、急に安井君が褒めてくれたのと大体一緒だった。


 そしてもう1つは、『やり直す』時にカラスに言われた言葉。


『アレは、恋した相手の為にだけ力を使う。恋した相手が幸せに暮らせるように、万人から愛されるように、その相手の、1番美しく、愛される時間を持ってきてそこで止める』


『だから、いつも争いが起こる。恋した相手を取り合って、周囲の人間がぶつかり合う。毎回そうなのよ』


 今朝、鏡で身嗜みを整えた時は、いつもの自分と変わらないように見えた。15歳の、高校一年生の私。


 自分では見ても分からないのかもしれない。でも、周囲から見ると『ここ最近の1番良い状態の私』に見える。


 そういう事か・・・納得・・・。


 では、今のこの状況は、間違いなくアスさんの所為。恐らくアスさんが、私の外見が綺麗に見えれば、みんなに愛されて幸せになれるだろう、と安直に考えて実行した結果なのだ。


「たまたまだよ」


 私は、安井君に向かってそう言った。


 脳裏に、アスさんの優しい笑顔が浮かんでくる。


 アスさん自身には、全くもって悪意は無く、善意以外のなにものでもないのだろう。


 その善意溢れる『私の為』の行為が、私を疲れさせていた。言い方がぶっきらぼうになってしまったのは仕方がない。


「多分、少ししたら元に戻るよ。今は、ちょっと綺麗に見えるような気がするだけだよ。気のせいみたいなものだよ」


 安井君から目を逸らし、頭を抱えて下を向いた。何かもうやだなぁ、帰りたい・・・。


 そんな私を見て、一拍置いて安井君は噴き出した。えっ?と思う私の横で、お腹を抱えて大爆笑し始める。


「たまたまって何?そんな人事みたいにさ。二宮さん面白いね」


 目尻に滲む涙を指で拭いながら、まだまだ笑いは収まらない。


 今のやり取りの、何処がそんなに面白かったんだろう・・・。


「あはは、笑い過ぎて苦しい。まぁ、脈が無いのはよく分かったよ」


 ようやく笑いが収まって、安井君は言った。


「もうアプローチはしないからさ、俺と友達になってくれない?」


「友達?」


「そう。友達。二宮さんだけじゃなくて、元木君と相澤さんも。なんか3人いつも楽しそうなんだもん」


「そんなの、全然良いけど。わざわざ聞いてくる事でもないのに」


「3人一緒にいるとさ、壁を感じるんだよ。部外者は来るな、みたいな」


 ・・・そうなのだろうか・・・。


 その時、校庭のトラックの内側で大きなホイッスルが鳴った。


 内側では三年生が授業をやっている。男女半面ずつに分かれて球技を。女子はバレーボール、男子はサッカー。


 サッカーをしていた男子側で、誰かがシュートを決めて点が入ったみたいだ。頭を抱えて座り込む人や、仲間と抱き合って雄叫びを上げる人が点々と散っている。


 その中で1人、コートの真ん中辺りで立ち尽くす人が居た。


 ちょっと低めの身長。


 私は、その人を知っている。


 宮本礼央先輩。


 私の、大好きな人。


 先輩は、まるで私の視線に気付いたようにこちらを見る。


 目が合った。


 息が、止まった。


 私は、目を逸らせずに、そのまま先輩の事を見詰めた。


 当たり前だけど、先輩は会えなくなったあの日のまま、変わらない姿をしていた。


 先輩の笑顔が脳裏に浮かぶ。先輩の声を聞いた時の心のトキメキを思い出す。顔が赤くなる。体が少し震える。


 その時、安井君が横から呼んだ。


「透子」


 ・・・呼び捨て・・・⁈


 私は、ビックリして先輩から視線を外して安井君に向き直った。


「って、呼んでもいい?」


 向き直った私に向かって、いたずらっぽい笑顔でニコニコと聞いてくる安井君。


「何でいきなり呼び捨てなの⁈」


「だって、元木君も相澤さんも、お互い呼び捨てにしてるでしょ?俺もそうしたい」


「そうしたいって、そんな急に・・・」


「俺はアオね」


「・・・アオ?」


「下の名前。安井アオ。蒼って書くの。知らなかったでしょ?俺の下の名前」


 言いながら、安井君は指で空間に漢字の『蒼』と書いて私に教えてくれた。


「よろしくね」


 そんなやり取りをして、再びサッカーコートに視線を戻した時には、先輩はもう居なくなっていた。


 私のドキドキも、収まっていた。


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