21
翌日、透子の熱は下がったらしい。よく分からない夢を見ていたようだが、ぐっすりと眠れたお陰だろう。何と言うか、凄くスッキリとした印象だ。顔色も良く、生命力に溢れている感じがする。錯覚で背中に羽が見えた位だ。
しかし、元気が溢れていても注意力が足りていなかったのか、五限目で怪我をしたらしい。体育の授業中、気付いたら姿が見えなくなっていた。
放課後、昇降口に降りて来ると、靴に履き替えた透子と環に話し掛ける知らない男子生徒がいた。聞くと、五限目の授業中に透子にボールをぶつけてしまい、怪我をさせたので透子を自転車に乗せて送ると言い張っているらしい。
怪我はこいつの所為か。
環の様子から察するに、透子を狙っているのだろう。
そんな事を聞いてしまって、俺は、一緒に帰ると言い出さざるを得ない状況に追い込まれた。
自転車は、環の物と、その男子生徒(三年生だと言う)の物の2台。その2台に4人で2人ずつに別れて2人乗りをして帰ることになるのだが、180以上の長身の俺を、小柄な環が後ろに乗せて走れるはずも無く、必然的に俺はその先輩(160cm前後だろうか、あまり大きくはないが、環よりは大きい)の背後に乗せてもらう事になった。
透子を家まで送り届けると、環から目配せが飛んで来る。
「失礼します」
俺はそう言って、先輩を羽交締めにして、俺の家の中に連れ込んだ。
「えっ!?何!?何なの!?」
呆気に取られてあまり抵抗されなかったので、簡単に連れ込めた。
ドアを閉めた瞬間、環が先輩の胸倉を掴んで詰め寄った。
「あんた、気安く透子に言い寄らないでくれない?」
いくら何でも、先輩に対してその態度はどうかと思ったが、俺は放置した。
「ちょっと何なの?俺先輩だよ?怪我させた後輩を家に送り届けて何が悪い訳?」
もっともな言い分だと思った。普通なら。
「なら、もう送り終わったんだから、透子には近寄らないでね!」
そうだな、もう終わったな。俺は心の中で頷いた。
「えっでもさ、怪我の治りの経過は気になるから見に来るよ?俺が怪我させちゃったんだから」
まぁ、自分の所為で怪我させたら、確かに気になる。
「必要ない。ケアはこっちでする」
「こっちって、どっちよ?」
「私とこの雅彦が、よ!」
勝手に組み込まれている。まぁ、異論は無いが。
「ちょっと待ってよ。俺が透子ちゃんの怪我を心配して会いに来ちゃダメって事?そんなのおかしいよ」
「だって、口説くじゃない!」
「そりゃ口説くよ。可愛いし好みのタイプだし」
それはダメだ。俺は強く思った。
「透子には透子の事情があるのよ。男関係に異常に厳しい叔父さんがいるの!」
環、上手い説明だ。
「だったら、キチンと説明して交際を許して貰うよ。そんなの当たり前だろ?」
そうだな、当たり前だ。普通ならば。
「無理よ!万が一、透子と叔父さんが会ってる昼間にLINEや通話でもあろうものなら、大問題でブチギレるわ!」
そんな事はあってはならないが、もしそうなったら透子が危ない。絶対ダメだ。
「手順を踏めって言うなら、キチンと筋は通すように気を付けるよ。てか、まだ何も始まって無いんだけど。何なの?君達」
見た目と違って、この先輩は中身がしっかりしている様だ。だからと言って透子に近づくのは許せないが。
「とにかく、無闇に透子にちょっかい出さないで!分かった?」
「無闇じゃなきゃ良いんだな?分かったよ。手順を踏んで計画的に手を出すよ!」
「何言ってんのよ!」
環がキレて先輩を引っ叩こうとした所で、流石に俺は止めた。先輩から手を離して暴れる環を取り押さえながら、先輩に向き直る。
「なんだか知らないけどさ、俺がどうしようが俺の勝手だし、それに対してどうするのかは彼女が選ぶ事だろ?」
全くもってその通りだ。普通ならば。だが、透子を取り巻く状況は普通では無いのだ。
俺は、先輩の顔を見た。そもそも、透子はあまりこの先輩に好意を抱いてはいないように見えた。
「透子が嫌がっていたら、大人しく透子を諦めて貰えますか?」
俺は、先輩にそう聞いた。
透子は、この先輩の事を好きにはならないようか気がする。和食と比べるのもどうかと思うが、あいつとは大分タイプが違う。
「そりゃ、そん時はそん時だよ」
・・・諦めるのか、諦めないのか、ハッキリしない返答だった。けれども、無理強いをするような感じには受け取れなかった。環はその返答で納得できたみたいで、俺たち2人は先輩を解放した。
翌朝、信じがたい事に透子の足は治っていた。とても綺麗に。
歩けない透子を乗せて行こうと自転車を出したものの、無駄になってしまった。しかしながら、折角だからという理由で透子を自転車の背後に乗せ、俺達は学校に向かった。
透子に足が治った理由を聞くと、風邪が治った時と同様に、ふわふわとした作り話のような事を言われた。実に不可解なものだったのだが、前回の熱の時の出来事と合わせて、本当にあった事なのでは?と俺は思い始めていた。
理由は、透子の様子だ。前回は熱が下がり生命力に溢れた感じに見え、今回は怪我が治り、そして凄く綺麗に、魅力的になっていたのだ。思わず見惚れる程に。
信号待ちの時、俺は振り返って透子を見た。
すぐ後ろから俺を見上げる透子の顔は、不思議そうに少し首を傾げている。見上げる瞳は澄んで綺麗。髪は触りたくなる程魅力的。頬も、唇も、目が離せなくなる。ずっと、見ていたい・・・。無意識のうちに、俺は顔を近付けていた。
信号が変わる。青になる。
ああ、ダメだ。これ以上見ていては・・・。
俺は前を向いて、自転車を進めた。
透子が、俺の服の端を掴んでいた手に、ギュッと力を入れるのを感じた。
どうしたんだ・・・。
不思議に思ったけど、何も言わなかった。
その日の昼休み、先輩が教室に透子を見に来た。そして怪我が治った透子の足を触り環に怒られる。
このままだと環がキレそうなので、俺は先輩を廊下に出した。
その時、何故か透子の視線を感じた。
「お前らガード硬いよ。硬過ぎだよ」
廊下で先輩に怒られる。
「・・・すいません」
とりあえず謝っておいた。
「だからさ、もういっそアレを囮にして、証拠を掴めばいいじゃない。和樹さんに襲わせて、暴力ふるってる写真撮って、和樹さんも、アレも遠ざける」
環の愚痴が止まらない。危険な計画まで立て始めた。
「そんな計画、万が一の事があったら大変だろ。透子が哀しむ様な真似はダメだったら」
俺は諌めた。
「でもさー・・・」
まだまだ愚痴は止まらない。気持ちは分かるが・・・。
「あれ?透子は?」
俺は、教室内に透子の姿が無い事に気付いた。そして廊下から何か気配を感じた。
嫌な予感がした。
慌てて廊下に出てみると、スタスタと逃げて行く先輩の後ろ姿。
「あ、雅彦」
透子が俺に気付いて呼びかけて来た。透子は、廊下の隅にしゃがんで鞄に携帯をしまっている所だった。
・・・はぁ。
俺は、溜息を吐いた。
予感は、外れていなかったようだ。