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アスフール  作者: まゐ
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 『和食』と書いて『わじき』と読む、変わった苗字の奴だった。一学年上の三年生で、背の低い色白の男。まるで俺とは真逆のタイプだった。


 その和食が透子に交際を申し込んだ。相手の一方的な片想いだったが、それに透子は、引っ掛かった。


 和食は頭が良かった。勉強を教えてあげるお友達から始まって、いつの間にか付き合い始めていた。


 俺は、2人を見守った。情けない事に、それしか出来なかった。


「和食先輩がね、この計算法の簡単な覚え方を教えてくれたの」


「和食先輩がね、この本面白いって勧めてくれたんだよ」


 毎日の登下校の会話が和食で埋まる。正直腹が立ったし、そんな話を聞きたくない、とも思った。でも、透子の嬉しそうな顔を見ていると、何も言えなくなった。


 透子が笑っているなら、それも良いか。


 そう自分を納得させ続けていた、ある日の事だった。




 透子は、一年の夏休みから芸大で絵画を学んでいる和樹の絵のモデルを務め始めていた。週に2〜3回、不定期で、和樹の絵の進行に合わせて行ったり行かなかったり。


 そんな中、出会った。和樹と和食とが。


 2人は付き合い始めてから、時々一緒に下校していた。お互いに時間の合う時だけは一緒に、という事だったのだろう。その都度置いてけぼりをくらう形になった俺は、そんなある日の放課後、透子と和食が一緒に下校するのを見て、後を付けた・・・。


 自分でも、何をやっているのかと思う。でも、後を付けずに居られなかったのだ。例えどんな事になっても。


 もし、もしもだ、無理矢理襲われそうになった時に、すぐ助けに行けるように。


 そう自分に言い聞かせて。


 街中から少し外れて人通りが少なくなった辺りで、透子と和食の2人と、どこかに行った帰りだったのだろう、ラフな格好で歩いている和樹とが正面から顔を合わせた。


 俺は緊張した。


 和樹は透子を溺愛していた。側から見ても異常な程に。


 今まで、透子に恋人やそれに近い存在の異性が出来た事は無かった。俺が防いでいたからというのもあるのだが。だが、もしかしたらそのお陰で、何の問題もなく平和な日々を過ごせてきたのではないのか・・・。


 突然、それは始まった。和樹は和食の胸倉を掴むと、何かを大声で怒鳴っていきなり和食の顔を殴った。一発食らってよろけた所を正面からどつかれて、和食は尻餅を着く。そんな和食に、和樹は馬乗りになって、右から左から殴り続けた。タコ殴りだ。


 透子は、怒鳴られて怖かったのだろう。その後、怒気を隠す事なく暴力を振い続ける和樹と、振われ続ける和食の前で動けなくなっていた。


 俺は、和食が胸倉を掴まれた時点で駆け出していた。好きな男と、兄の様に慕う和樹が殴り合って、透子が傷付かない筈が無い。


 止めなければ。


 その一心で走っていた。


 俺が駆け付ける反対側から、環が駆け寄って来ているのが見えた。一瞬目が合う。その時、分かった。『同じ』だと思った。環も分かった事だろう。俺が、環が、透子の事を、『誰よりも大切に想っている』という事が。


 目が合った一瞬で、お互いがどう動くべきか、阿吽の呼吸で掴んで動いた。環は透子に駆け寄り支え、俺は和樹を背中から羽交締めにして和食から引き剥がした。


「んだよ!雅彦、離せや!」


 怒鳴りながら暴れる和樹の耳元で、俺は言った。


「透子が怖がってる。もう止めてあげて下さい」


 大きな声では無かったが、その一言で和樹は我を取り戻した。横を見て、環の腕の中で涙を流しながら震える透子を目に映す。和樹の体から力が抜け、弱い声で「透子・・・」と呟いた。


 和食は、何本か折れた歯を地面に落として、口元と鼻から血を流して気絶していた。




 その後、俺は母さんを呼んで、和食を車で病院まで運んで貰った。重症ではなかったものの、本人はかなり憔悴しているようだった。


 パニック状態になっていた透子が、落ち着いて透子のお母さんと、そして環と一緒に病院に駆け付けた時、和食は怯えた顔をして言った。


「お前の叔父さん、あれ何だよ・・・。俺、何もしてないのに急に暴力を振るわれたぞ。こんなに、痛い思いをしたのは初めてだ。あんな化け物に、俺は初めて会ったぞ」


「和食先輩、言い過ぎです」


 俺はそう言って、先輩の言葉を止めた。これ以上、透子を傷つけて欲しくなかったからだ。


「言い過ぎなものか!あんな、あんな化け物!殺される所だったぞ!」


 透子の顔が青ざめて行く。目に見えて色が変わる。それを分かっているのかいないのか、和食は益々興奮して、透子に向かって怒鳴った。


「血が繋がってるんだろ?気色悪い。叔父と姪じゃ結婚出来ないって知らないのか?透子、お前も一緒だ!アイツと同じば・・・」


 『化け物だ』と言おうとしていたんだろう。俺は、透子に聞かせたくなくて、和食が先輩でその上被害者だと分かっていたけどもその口を塞いだ。


 俺の手にもう一つ、別の手が重なる。環の物だった。


 和食は、気分を害した様だが、好きで付き合っていた透子に暴言を吐いている事を自覚したのだろう、すぐに黙った。


 そして、目を背けて「1人にしてくれ」と言って黙って目を閉じた。


「ゴメンなさい・・・」


 透子は、消えそうな小さな声でそう言って、病院を飛び出した。


 透子の後を追うのは環に任せた。俺は透子のお母さんと一緒にそのまま病室を出て廊下に残り、そこで和食の母親が来るのを待って、透子のお母さんが謝罪するのを見届けた。




 和食はすぐに転校して行った。どんな理由で出て行ったのか、どこに行ったのか、詳しくは知らない。正直どうでも良かった。


 問題は、別の所にあったのだ。


「透子・・・どうしたの?」


 給食の時間だった。環が驚いたように固まる目の前で、透子は鞄の中から透明なポーチを取り出して、中身を並べた。醤油、塩、味噌の小瓶。それを出された給食のオカズに大量に掛けて行く。


「何だか、味気なくて」


 確実に濃過ぎる味、もはや調味料を食べているような状態だった。


 精神的にショックな事があると、喋れなくなったり、蕁麻疹が出たり、記憶が無くなったり、類似した事が起こるとパニックに落ちいる事があるらしいという事は、テレビや書物の中で見聞きしていたので知っていた。だがそれらだけでは無く、視覚や聴覚、味覚に影響が出る事もあるのだという事を、その時俺は初めて知った。


 透子は、味覚に異常をきたしていた。


 精神的ショックによる味覚症状。透子の場合は、特に塩味、辛味、苦味を感じなくなっていたのだ。


「甘いのとか、酸っぱいのは分かるんだよ」


 そう言う透子に、少しでもまともな物を食べさせようと、透子の家では色んな物を試した様だ。甘酸っぱい味付けの料理から始めて、徐々に味のバリエーションを広げて。


「これは美味しい、これは感じない」


 一つ一つ確かめながら。


 俺と環も、透子が少しでも楽しい気分になれる様に、心が安らぐ様に、出来る事をした。


 プリンを食べさせた時だった。


「あ!これ、すごく美味しい!」


 感動したような満面の笑み。久しぶりに見た透子の心からの笑顔だった。


 単なるコンビニで買った安物のプリンだったが、俺は、それだけで泣きそうになった。


 透子は炭酸水も好きだった。


「味は少しだけど、シュワシュワして楽しい。レモンとかの匂いは感じるんだよー」


 その時も、自然で綺麗な笑顔を見せてくれた。




 高校に進学する頃には、透子の味覚はかなり正常な状態に戻っていたと思う。普通に食事を取れる様になっていた。


 あの一件の前までのような眩しい笑顔とハツラツとした元気さは無くなってしまったが、控え目な微笑みと一歩引いた奥手な物腰が、少しずつ成長して行く心と体に相まって、より魅力的な印象を与えていた。


 透子は、綺麗になった。


 運良く同じ高校、同じクラスになれたものの、魅力的な透子の存在に、俺は不安を掻き立てられて仕方が無かった。


 みんなが透子を見ている。みんなが透子を欲している。


 そう思えてしまって、仕方が無かった。


 俺は、今まで通りに可能な限り一緒に登下校をして、空き時間も一緒に過ごす様にした。




 入学して1ヶ月が過ぎた頃、透子は熱を出して休んだ。和樹に感染されたらしい。


 放課後俺は、環からの手紙を持ち、コンビニでその日の授業のノートをコピーして、ついでに透子の為にプリンを買って、透子の家を訪れた。


 ドアを開けた透子は、マスクで顔が半分隠れていたが、薄いパジャマの下に何も着ていないのがハッキリと分かった。


 俺は一瞬固まった。ブラが無くても大きいな、とか、薄い色のパジャマでは無かったがよく見たら透けて見えないか、とか。考えてはいけない事ばかりが頭に浮かんでしまった。


 透子は、荷物の受け渡しの為にゴルフのアイアンを突き出して来た。その先に荷物を掛けると、アイアンだけでも重たいのに、それプラス荷物の重さに耐え切れずに前につんのめって来た。


 俺は、咄嗟に前に一歩踏み出して透子を支えた。抱き留めた腕に感じる透子の熱と、柔らかさ。


 ソーシャルディスタンスが無下にされた事はどうでも良かった。頭の中は、透子の胸でいっぱいだ。


 俺は、慌てて距離を取り、アイアンの反対側の荷物をしっかり掛けて、透子の方に滑り落ちる様にした。


 そして、逃げる様に自分の家に飛び込んだ。


 その日、眠れぬ夜を過ごしたのは、致し方ない事だろう・・・。

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