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アスフール  作者: まゐ
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 俺が産まれる3日前に、同じ産院で透子は産まれた。


 1人にひとつずつのプラスチックの水槽みたいな小さなベッドで、白いタオルに包まれて並んで寝ている写真が、今でも俺の家の玄関に飾ってある。モノクロに加工され、木製のフレームに入れられたそれは、今でも母親の宝物だ。


 家が斜向かいで、三日違いでに子供が産まれた。それだけで親同士は親友になる。定期的な検診、予防接種、育児相談室、地域の育児イベントに行く時はいつも一緒だったらしい。透子と俺は、家族同然として一緒に育った。


 和樹も一緒に。


 一緒に『初めて』の飛行機に乗り、一緒に『初めて』の船に乗り、一緒に『初めて』のキャンプに行った。記憶には無いが、『初めて』の発熱も同じ時期だったらしい。一緒の『初めて』を沢山経験して来た。




「雅彦、泣かないで」


 俺の中にある最初の透子の記憶は、幼稚園の頃のものだ。日焼け防止の大きなヒダの着いたクラスカラーのキャップの上から、優しく撫でてくれる透子の小さな手のひらの感触。


 母親から離れて、子供だけで隔離されるという現実に、精一杯の反抗をしていた俺を宥めて、手を繋いで教室まで連れて行くのが、毎日の透子の役目だった。


『よく泣く子』


 それが俺の、幼稚園時代を表す言葉だった。


 俺はよく虐められていた。他の子よりも体が小さく、何を言われても言い返せず、泣いてばかりの気の弱い俺は、泣かせて気晴らしをする格好の対象だったのだろう。


 しかしながら、何故か虐めて来るのは男子ばかりで、女子達には庇われ助けられていた。理由は分からないが、弱い者虐めをするのは、その当時の女子達の間では、かっこ悪い事として避けられていた。流行っていたアニメか何かの影響だったのかもしれない。庇い助ける、その筆頭が透子だった。


「大丈夫だよ、私が守ってあげるから!」


 そのセリフを、非常によく聞いた記憶がある。(透子に限らず、女子達のお決まりのセリフだった)


 短いようで長い幼稚園生活の日々の中では他にも色んな事があっただろうに、芋掘りやら餅つきやら、遠足やらの記憶よりも、俺の中の幼稚園児時代の記憶は、俺の頭を抱えて守る女子達の柔らかくてスベスベした手腕と、サラリと柔らかい幼児特有の髪の感触と、それぞれの家のシャンプーと洗濯洗剤の匂いでいっぱいだった。中でも、嗅ぎ慣れた匂いのする透子の腕の中に庇われる時が、1番安堵した事を覚えている。




 そんな、守られて当たり前だった俺が変わったのは、小学校に上がって少ししてからの事だった。


 クラスで面倒を見ていたハムスターが死んだ。


 命の大切さを学ぶ為に、クラスで小動物を飼う。というのはどこの小学校でもよくある事だろう。一生懸命世話をして愛情を注ぎ、可愛がってあげた命との別れを経験する。


 『喪失と向き合う強さを養う』


 それは悪い事では無いのだろうが、果たして、30〜40人の無垢な心を、たった1人の担任が正しい方向に導けるものなのだろうか。それとも、大勢仲間が居るんだから、お互いで慰め合って強くなるんだよ、という教育なのだろうか。そうだとしたらば、あまりにも無責任な話だ。俺には教育者達の目指す方向はよく分からない。ただその時、透子の心が大きな傷を負っているのは分かった。


 透子は泣いていた。他のクラスメートと比べて、レベルの違う泣き方だった。


 俺はびっくりした。いつも優しく俺を慰めてくれていた透子の手が、肩が、激しく波打つように震えている。周囲を気にせず大声でウワァと泣く透子の姿は『もう、俺を守る事が出来なくなってしまったのでは無いか?』と不安に思う程に。


 仲の良い女子達に囲まれて慰められている透子を見て、俺は、『俺の手で』なんとかしてあげたいと思った。


 その日の下校時、家の前まで、透子はずっと何かを堪えた顔をしていた。(入学して暫くは、家の近い子供達が、まとまって集団下校をしていた。前から6年生、5年生、と学年の高い順に二列に並び、いつも俺と透子は手を繋いで最後尾を歩いていた)


「透子、大丈夫?」


 まだその頃は、俺の方が背が低かった。見上げた透子の顔は強張っていて、時々口元が震える。泣きそうなのは一目瞭然で、俺は終始ハラハラとしていたのを覚えている。


 泣いたら慰めよう。そう思いながら家の前まで着くと、透子の家のドアが開いた。そして、中から和樹が出て来た。


 和樹を見た瞬間に、それまで何かを堪え続けていた透子の顔が一気に歪みを増した。クシャッとなったかと思うと、目から大粒の涙を流した。そして透子は駆け出した。


 和樹の下へ・・・。


「どうしたの?透子」


 そう言う和樹の胸に飛び込んで、再び大声で泣き出した。


「ハムちゃんが、皆んなで飼ってたハムちゃんが」


 何度も何度も繰り返して、ハムちゃんと連呼する透子。涙で息が詰まって上手く喋る事が出来なくなっているが、言いたい事は十分に伝わったようだった。


「そうか。辛かったね」


 和樹はそう言って透子を抱き締めて、透子の頭を撫でた。甘える猫の様に、和樹の頭に顔を擦り付ける透子。


 透子は、俺には、泣いて甘えて来なかった。透子にとって俺は、自分より弱く、守り助ける対象だから。


 俺ではダメだったのだ・・・。


 ショックだった。


 それから、俺は泣かなくなった。




 中学に入る頃には、俺の身長は170を超えていた。土日や長期の休みを利用して、父方の祖父母を手伝って畑仕事を手伝っていた事もあって、身長だけで無く体全体が大きくなっていた。


「元木君、好きです・・・」


 浮いた噂が無いせいか、身長のせいか、理由はよく分からないが、時々あまり見た事もないような他のクラスの女子から交際を申し込まれた。好意を持ってくれるのは嬉しかったが、全て断り続けた。


 何故なら、その頃には自分の気持ちをはっきりと自覚していたからだ。


 透子とは、相変わらず毎朝一緒に登校し、お互いに帰宅部の為、時間が合えば一緒に下校する。ただそれだけの関係だった。


 透子は明るく活発で、仲良くなった環と一緒に、毎日楽しそうに過ごしていた。透子と環、2人はクラスの中でかなり目立つ存在だった。小柄で目のパッチリとした、それでいて少し気の強そうな顔立ちの環と、スラっと細身で柔らかい雰囲気の透子。彼女達の周りには、男女問わず人が集まった。


 2人はそれぞれにモテた。当たり前だ。


 俺は、なるべく透子の側に居た。他の奴に取られない様に。登下校が一緒で、何かと一緒に居る俺と透子の事を、周りの連中は誤解していたのだと思う。いや、誤解させていたのだ。


「元木は、どっちかと付き合ってるの?」


 そうよく聞かれた。


「どう見える?」


 俺は、どちらとも分からないような返し方をして誤魔化しつつ、そんな話のすぐ後に必ず透子の側に行って、どうでもいいような話をした。その日は必ず一緒に帰れるように工面した。


 だが中には気にせず、または気付かずに寄り付く奴も居た。


 俺と透子が2年になった頃だった。アイツが現れたのは。

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