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アスフール  作者: まゐ
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 環とは今迄通りに、そう言っても普通に声を掛け辛い。


「環・・・」


 HRが終わった後、私は普通を装い声を掛けようとして、名前だけ呼んで止まってしまった。その先、何を言うべきなのか、何と言えば正解なのかが分からなくなってしまったのだ。


 名前を呼ばれて環が振り返る。笑顔を見せてくれた。その笑顔は、とても自然だった。


「透子、お疲れ様。やだな、変な顔して。ほら、彼氏が迎えに来てるよ」


 環はそう言って、廊下を指差した。廊下を見ると、先輩が手を振っている。


「一緒に帰るの?気を付けてね。あっ今度、今日の午前中の授業のノート貸してよ」


 午前中、それは、環が自分の心と向き合っていた時間。


「うん、それは勿論・・・」


 なぜかモジモジとしてしまう私の前まで来て、環は私の両肩を持って、くるっと180度回転させた。目の中に先輩の笑顔が飛び込む。肩から力が抜けた。


「ほら、早く行っておいで」


 背中を優しく押される。一歩踏み出す私。


 肩越しに見る環は笑っていた。


 環は優しい。いつでも私の事を考えてくれている。その優しさの裏側の本当の意味を知ってしまった私と、知られてしまった環。それでも平静を崩さずに、変わらず接してくれる環。その強さが、環からの私への想いの強さを表しているのだろうか。


 それを受けて、私は『普通』に振る舞う事を許された。けれども、胸の中に重たい何かが刺さっている。重たくて、少しチクチクする。


「うん」


 環の自然な笑顔には、到底叶わない作り物の笑顔で応えた。


 私は、指先だけで環に手を振って、先輩の元に小走りで向かった。環の優しい視線を感じながら。


 明日になり、明後日になり、時間が過ぎて行けば、この重たくてチクチクしたものに、私は慣れて行くのだろうか・・・。




「月水金は予備校行くから一緒に居れないんだよな」


 しょんぼりとそう言う先輩。私達は、手を繋いで駐輪場に来ていた。先輩は3年生。大学受験を控えている。春の今は週3回の予備校も、夏休み、二学期と時間が進むに連れて回数が増えていくのかもしれない。


「じゃあ、明日は一緒に居れます?」


 今日は月曜。明日は火曜。明日は予備校のない日、という事になる。首を傾げて聞く私に、先輩は笑って答えた。


「うん!明日放課後、駅前でデートしよ」


 気持ちが上がったみたいだ。しょんぼりしていた先輩の表情が明るくなる。


「はい」


 私は笑顔で返事をした。


 自分の自転車の前に着くと、先輩は繋いでいない方の私の手を反対側の手で繋いだ。向かい合う形で距離が近くなる。自転車のサドルに寄り掛かる様に座る先輩に、私が乗りかかる様な形になってしまった。


「透子ちゃん、キスして良い?」


 もう唇が重なりそうな距離でそう聞かれた。


「ここで、ですか?」


 学校で、しかも下校時間で時折生徒達がやって来る駐輪場で、だ。


「誰も居ないよ?」


 私より少し低い位置から、見上げる様にしてそう言う先輩。


「いつ来るか、」


 分からないですよ。そう言おうとした私の唇を、先輩の唇が塞いだ。先輩の右手が、私の左手を解放して腰に回される。優しく引き寄せられて体が密着した。


 先輩は、キスの前に同意を求めるくせに、返事を聞く前にする。その「返事を聞くまで待てない」所が可愛らしい、と思えてしまうのは、恋の所為なのかも知れない。


 引き寄せられてズレた重心に、バランスを取ろうとした私の足が前に滑る。先輩の膝に私の膝が当たり、避けようとして私は体制を崩してしまった。あっ、と思った時には全体重を先輩に預けて、先輩に乗っかるような形になってしまう。さらに体が密着する。


 突如ビクッとして先輩が体を少し引く。私は、前に引っ張られるような形になって更にバランスを崩してしまう。恋人繋ぎのままだった手を解いて、自転車の荷台に手を着いて支えた。唇が離れる。


 2人で目を丸くして見つめ合った。


 先輩は少し笑って、空いた両手を私の背中側で繋いで、私を胸の中に閉じ込める。そして、私の額と自分の額を合わせた。


 ドキドキする・・・。


「・・・危なかった」


 先輩は小声でそう呟いた。


「・・・転んじゃう所でした」


 私がそう言うと、視線を上に逃して「うーん」と言う。


「そっちじゃ無かったんだけど・・・」


「?」


 ・・・どっち?


「まぁいいや。明日さ、・・・」


 そのまま、先輩の腕の中で明日の予定を立てた。駅前の新しいお店や、好きなアーティストのコラボ品を見たいとか、色々話して、その後校門までの短い距離を、ゆっくり時間を掛けて歩いた。


「また夜、電話して良い?」


 別れ際、先輩はそう聞いて来た。


「勿論。私も先輩の声が聞きたいですから」


 私はそう答える。


「ん」


 先輩は、嬉しそうに頷いて、私の頭を撫でて、私の家とは反対側、予備校と先輩の家のある方向へと自転車を走らせて行った。




 私は、先輩が見えなくなるまで見送ると、家路を急いだ。電話が掛かって来るまでに、勉強を済ませておかなくては。


 何か目的があると、時間を有効に活用しようと計画的に動いてしまう。ズンズンと先を急いでいると、少し先の方からバサバサという音が聞こえてきた。


 大きな鳥の羽ばたく様な音だな・・・。


 そう思った時だった。曲がり角の先、私の死角になっている所で車のブレーキ音が派手に響いた。


 続けて「うわぁ!」という男の人の声と、自転車のブレーキの高い音が鳴り、角からハンドルを切り損ねた自転車が急に出て来て、私の目の前に迫った。


「!」


 突然の事に固まってしまう私。声も出せない。目の前に迫る、自転車に乗っていた人の背負うプラスチック製の丈夫そうなリュック。


 ぶつかる!


 そう思って、両手で顔を庇って目を閉じた。


 その時、誰かが私の体を後ろに勢いよく引っ張った。


 体が浮き上がるのを感じると、何かに包み込まれるような感覚を感じる。


 体が横になり、しばらく頭に掛かる遠心力を感じた。


 静かになって目を開けると、目の前には黒い長袖の腕が2本、私の頭を抱え込んで守ってくれている。


 これは、うちの高校の制服?


 そう思った時、頭の後ろから声が響いた。


「透子!大丈夫か!」


 緩んだ2本の腕の中から頭を出すと、雅彦の青い顔があった。


 私は、雅彦の大きな体に抱き抱えられて、通りに横倒しになっている。


 車のドアの開閉の音と「大丈夫ですか?」と言う声があちこちから聞こえて来た。


 そして、ゆっくり飛び立つ鳥の羽音と、「カァ」というカラスの鳴き声が耳に残った。

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