14
「おはよう環」
環は強張った顔をしていた。どうかしたのだろうか・・・。
「どういう事?」
挨拶も無く、問い詰めてくる環。
「どうしたの?環・・・」
「ちょっと来て。こんな気分じゃ授業受けられない」
そう言って、環は私の腕を掴んで、教室から連れ出した。
生徒の波に逆らって、廊下をぐんぐん進んで行く。
途中、先輩と雅彦が話しているのが目に入った。
「宮本先輩、LINE交換して下さいよ」
「は?何でお前と交換しなきゃなんないんだよ」
そんな言い合いをしていた。
環が掴む腕が痛くなってくる。引っ張る力が強い。
突き当たりを曲がった人気のない所まで来ると、やっと環は私の腕を離してくれる。
「ねぇ、どういう事?何であのハラスメントチビと一緒に登校してくるの?しかも手まで繋いで。まるで付き合ってるみたいじゃない。頭なんか撫でられて!」
ハラスメントチビというのは、もしかしなくても先輩の事なのだろう。私は流石にムッとして言った。
「いくらなんでもそんなあだ名は酷いよ。やめて」
「そんなのどうでも良い。ねぇ、どうなの?付き合ってるの?」
環の問い詰める様な言い方に、私は苛立ちを感じた。突然何なのだろう。何故こんな仕打ちを受けなければならないのか。
だから私は、強く言い返してしまった。
「付き合ってるよ。だから何?」
私の言葉と強い言い方に、環は目を丸くした。
「どうして?何であんな奴と」
環の声は掠れそうに弱々しかった。それが、心底驚いているように感じて、私の苛立ちは高まっていく。
「あんな奴なんて言わないで。礼央先輩は素敵な人よ」
「下の名前なんかで呼んで、止めてよ!ちっとも素敵じゃ無い!」
「何も知らないのに、勝手なこと言わないで!」
ヒートアップして、私は環の上着の襟元を掴んでしまった。環の顔が近付く。すると、怒りに溢れていた環の表情が、突然悲しみの顔に変わる。
「何でよ。何で、あんな急に出て来た奴に・・・」
環の目から涙が流れた。透明な一筋が、頬を伝って私の手に落ちた。
ビックリして、固まる私。
「環、何で泣いてるの?」
私は、環の涙を見て、自分が悪い事をしている気分に襲われた。襟元を掴んでいた手の力を緩める。
環の目からは、止め処なく涙が零れ落ちる。その量は増える一方で、環が泣き過ぎて乾涸びてしまうのでは無いかと心配に成る程だ。
「泣かないで、環。ゴメン、大きな声で言い過ぎた。服まで掴んで・・・」
私は、手を離してポケットからハンカチを取り出した。そのハンカチを環の頬に当てて涙を拭き取る。
そうすると、環の顔は赤くなって、瞼をぎゅっと閉じて、ますます涙が増える。嗚咽も混ざってきてしまった。
「なんか、ゴメン・・・」
私はそう言って、片腕を環の肩に回して、頭を抱き込む様にして涙を拭こうとした。支えてあげないと、倒れてしまいそうに見えたから。
ビクッとなる環。私も釣られてビクッとなってしまった。
「環・・・?」
どうしたのかと環の顔を覗き込むと、閉じられた目が開いて、私の目を見てきた。ずっとスカートの横で強く握られていた手が緩まり開かれ、上に登って私の両頬を包む。環の手は暖かかった。
環の顔が、私の顔に近付く。
え?と思った時だった。
環の唇と、私の唇が、重なった。
頭の中が、真っ白になった。
時間が止まってしまった様に、私も環も動かなかった。
唇を重ねたまま、目を見開く私と、涙に濡れた目を緩く閉じている環。
どれ位時間が経ったのか分からない。チャイムの音が響いた。
ハッとなり、離れる私と環。
私は何も言えなかった。言葉が出てこなかった。そのまま環を見つめ続ける。
環は、俯いて、私から目を逸らして、そのまま走って行ってしまった。
すれ違い様に「ゴメン」と呟きを残して。
その後、私は、どう歩いたのか分からないけど、気が付いたら自分の席で授業を受けていた。
教室に環の姿は無い。どこに行ってしまったのか・・・。
休み時間になると、私はスマホを開いて環にLINEを送った。だが、環の机に置かれた環の鞄の中からバイブの音が聞こえて来た。
環にメッセージは届かない。
どこにいるんだろう。探さなきゃ。
そう思って、教室の周りから探し始めた。
短い休み時間が終わると授業に戻り、また次の休み時間に探しに行く。それを繰り返して、とうとう昼休みになった。
短い休み時間では探さなかった場所を探す。特別教室、体育館、そして、屋上。
居た。
環は屋上の真ん中で、体育座りをして、小さくなって眠っていた。
「環・・・」
近付きながら、私は、静かに環を呼んだ。
ゆっくり顔を上げる環。
「透子・・・」
私の名前を呼ぶ環。
「心配したよ。帰って来ないから・・・」
私は、環の横にたどり着いた。
「透子、私、透子の事が好き」
また泣きそうな顔で、環がそう言った。
「・・・うん」
私は、頷いた。キスをされて、そうなのかもと思った。
「さっきの、やきもち。みっともなくてゴメン。酷い事言って、ゴメン」
「・・・うん」
「中学の時から、ずっと好き。透子の事だけ、ずっと見てた」
環の告白は、静かで落ち着いていた。沢山の感情が詰まりすぎて、整理出来なくなって、膨らんで、パンっと弾けてしまったその後みたいだ。
「・・・環、ありがとう。好きになってくれて」
私は、環の横にしゃがんで、環の肩におでこを乗せた。甘えるみたいに。
「環、私、礼央先輩が好きなの」
気持ちを伝えた。
「・・・うん」
動かずに、声だけで答える環。
「環の事、大好きだけど、友達としてなの」
「・・・知ってる」
「環、私・・・どうしたら良い?」
気持ちに応えられない事が、申し訳なくて、それでもいつも通りに環に甘えて、聞いてしまった。
何なんだろう、私。何してるんだろう。
「透子は、普通にしてて」
環はそう言った。
「普通?」
「うん。今迄通りに、透子のしたい様にしていて。私、透子に笑っていて欲しい」
それが、言い合いをしてから今までの間、ずっと環が1人で考えて出した結論なのだろうか・・・。あまりにも、私に優しい結論・・・。
「環・・・」
おでこを上げて、名前を呼んだ。環が振り返る。腫れた瞼の奥で、環の瞳がゆっくり揺れている。
それを、環が望むなら・・・。
「・・・分かった。でも、礼央先輩と付き合うのは、許してくれる?」
環の瞳の揺れが一度止まる。そして、環は顔を正面に向けた。環の瞳が見えなくなる。
「・・・嫌だなぁ・・・」
本音。環の気持ちがまっすぐ私に入ってくる。
・・・ダメなのかなぁ・・・。
どちらかしか、選べないのかな・・・。
そう思った時、環が小さな声で言った。
「でも、良いよ。嫌だけど、許す」
環はもう一度わたしを見た。もう瞳は揺れていなかった。
「ありがとう、環」
「うん」
「好きになってくれてありがとう」
「うん。自分でもどうにも出来ない。多分これからもずっと好き」
まっすぐ。環はいつもまっすぐだ。
「・・・ずっと、友達で良いの?」
聞かずにはいられない。目を逸らさずに、私は聞いた。
「・・・良くないけど、でも、友達でもなんでも無くなる方が嫌だから」
少しだけ、環の瞳が揺れた。でも、すぐに止まる。
「分かった。これからもよろしくね・・・」
私は、酷いことをしている。
「うん」
答える環。優しく、強い環に、弱く、甘え続ける私。
胸の奥が、苦しい・・・。
それから、昼休みの間中、環の肩におでこを乗せて、そのままの姿勢で2人で過ごした。