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三寒四温とはいうが、ひどく寒暖の差の激しい季節の変わり目だった。もうすぐGWがやって来る。桜の花も既に散り、春ももう終わってしまったのだろう。
入学式を終えてようやく新しい生活にも慣れて来た。が、復習と各々の学力把握の為の小テストの結果は散々だった。私はため息を吐きながら教科書と睨めっこ。
あーあ、200人中135位って、ダメよね?
ため息を吐きつつ凝り固まった肩をほぐしながら、私は窓の外を見た。日の入りはまだまだ早く、17時過ぎにはもう暗くなり始めている。今日のように曇り気味の日は尚更。
昼の日差しで暑くなった部屋を冷ます為に細く開いた窓を広く開け直した。室内よりも少し涼しい風が吹き込んでくる。
制服の可愛い学校だった。家からもそう遠くない。自転車で通える距離だ。学力は、少し頑張れば手が届く範囲。しかも私の学年は、幸運な事に子供の数が少なく、学区内のどの学校も定員割れが囁かれていた。
行けるでしょ、と言うか行くでしょ。
そう思って受験をし、無事合格したは良いのだが・・・。
まぁ、何事も全てがうまく行くわけではない、か。
その時、外の風を身に受けながら、私は何かの物音に気付いた。鳥の羽ばたきのような音だ。バサバサというその音は近づいて来ているのか徐々に大きく激しくなる。
何だろう。
薄暗くなり始めた空の中、目を凝らして空を見回していると、段々と何か、黒い点のようなものが大きくなってくるのが見えた。最初一つだった点が2つになり、その2つの点の前に、もうひとつ黒より薄い点が見えた。鳥だ。大きな鳥が二羽と小さな鳥が一羽、もつれ合う様にしながらくっつき、離れと繰り返している。
更に目を凝らすと、二羽のカラスと一羽のスズメに見えた。
「大変。スズメが襲われてる!」
鳥達の動きは早く、さっきまで点にしか見えなかったのに、あっという間にもう少しで手が届きそうな位置まで来ている。
私は手を伸ばしてカラスを追い払おうとした。弱肉強食なのかも知れない。私がスズメを助けようとするのは、自然の摂理からしたら間違っているのかも知れない。それでも、小さなスズメが、大きなカラスに襲われているのを目の前にして、見て見ぬフリをすることは出来なかった。
抜け落ちた羽が時折手に触れる。暴れるスズメが指先にぶつかった。
「スズメ頑張れ。私の部屋においで。もうちょっと!」
私の言葉が分かったのか、上下左右どちらを向いているのか解らないで飛び回っている様だったスズメが、一直線に私の部屋に飛び込んで来た。
続けて窓から入ってこようとするカラス。私は慌てて窓を閉めた。二羽のカラスはガラスにぶつかる寸前に方向を変えて飛んで行く。
ギリギリ。
気付かないうちに体に力が入っていたのだろう。息も止めていたみたいだ。私は深呼吸をしながら、糸が切れたようにその場に座り込んだ。
振り返ると、フローリングの上でスズメが血を流している。駆け寄って手で掬い上げた。右の翼が取れ掛かっている様に見える。
うわ、痛そう。何とかしなきゃ。消毒と止血と補強・・・。
「ちょっと待ってて!」
私はスズメを持ったままリビングに駆け降りる。救急箱を引っ張り出して治療してあげた。体が冷えない様に柔らかいタオルで包んで抱き締めた。
「頑張れー」
応援しながら抱いていると、スズメの呼吸が感じられる様な気がした。早かったそれが、少しずつ落ち着いてゆっくりになる。でも、寒くはない気温の中でタオルで保温してあげていても、段々と冷えていってしまうような気がしてならなかった。
大丈夫かな・・・?
もっと暖かくしてあげたくて、私はスズメを抱いたまま一緒にベッドに入った。
羽毛布団と私の体温で温まって!
・・・祈りながら横になっていたら、いつの間にか私は眠ってしまった。
「透子ー、寝てるの?帰ったわよー」
お母さんの声で目が覚めた。時計を見ると、あれから1時間ほど時間が過ぎていた。スズメはタオルに包まれたまま、眠っている様に見える。
ほっ。
私は安心してベッドから抜け出し、タオルの上からスズメの小さな体に布団を掛けて一階に降りた。
「おかえり」
仕事帰りのお母さんは、買って来たものを冷蔵庫に仕舞いながら、作り置きの惣菜を温めて晩御飯を用意してくれている。
「透子怪我?救急箱出しっぱなしだったけど」
「あ、ううん。私じゃないの。さっきちょっと」
「そう。元気なら良いけど。片付けといてよー。ご飯にするから」
お母さんは忙しそうで、あまり詳しくは追求されなかった。それが、私に対して興味が無いように思えてしまう。お母さんはいつもドライだ。大抵の事は周囲に任せっきりだが、自分の判断で放置出来ないと思う事は、しつこいくらいに世話を焼いて来たりする。幼い頃は、それが親というものなのだと思っていたのだが、今となっては勝手なだけだと分かる。
別に良いけど。
冷めた気持ちのままに、私はご飯を食べて部屋に戻る。
すると、なんとスズメが起きていた。包まれていたタオルから抜け出し、巻かれた包帯に首を傾げている。
・・・可愛い。
「大丈夫?」
私は呟いてそばに寄った。
びっくりして少し下がるスズメ。
「怖がらなくていいよ」
言って私は、ゆっくりと指を差し出す。犬や猫は、まず匂いを嗅がせて安心させるけど、スズメはどうだろう・・・。
ドキドキしながら出した指を、スズメは興味深そうに嘴でつつく。くすぐったい感触に笑い声がもれた。
つつくだけだったのが、次第に咥えるようになり、噛み付くようになって痛くなる。
「イテテテ、ひょっとして何か食べたいのかな」
スズメは、ちょっと体を引いてまた首を傾げた。
「少し待っててね」
私はリビングに引き返して、何かスズメが食べられそうな物を探した。お母さんに聞こうと思ったが、あいにくと電話中だったので、勝手に探した。5個入りの小さなチョコパンを発見。流石にチョコクリームは難しそうだけど、周りのパンなら食べられそうだ。
ついでに自分用に冷蔵庫から炭酸のレモン水を貰って部屋に引き返す。
タオルの上で丸くなっていたスズメに、チョコパンの周りのパンをあげてみた。私の指先から、首を傾げながらつついて食べて行く。可愛い。
良かった。やっぱりお腹が空いていたのね。ひどい怪我に見えたけど、食欲があるなら大丈夫そう。
私は切り取ったパンをそこに置いて、安心して炭酸水を飲んだ。
「朝になったら、お医者さんに行こうか」
はたして、獣医がスズメを観てくれるのか疑問ではあったものの、私はそう話しかけてスズメの頭を撫でた。夢中で食べていたのが少し止まって私を見る。そしてまた首を傾げる。可愛い。
私は少し笑って、ベッドの上のスズメに注意を向けつつ、勉強に戻った。
そして、ある程度勉強を頑張ってから、スズメと一緒に寝た。もう、スズメは私を警戒しなかった。
翌朝、頬を撫でる風で目が覚めた。窓が開いている。
・・・あれ?カラスが入らないように閉めたのに・・・。
室内を見ると、スズメに巻いていた包帯が床に落ちているのが目に入った。
え・・・。
そして、5個入りのうち、1個だけ周りのパンを剥いて(?)残し、机の上に置いてあったチョコパンが全て消えて(剥いた中身のチョコだけも)、包装のプラスチックの容器と袋だけになっていた。横に、飲み掛けで置いてあったはずの炭酸水も空になっている。
えっ、え?
私は、窓の外を見た。カラスも居ないが、スズメも居ない。消えてしまった。
「という事があったのよ。昨日から今朝にかけて」
「へぇ、何か不思議だね」
スズメが居なくなってしまったその後、普通に登校して学校が終わってから、私はある部屋に来ていた。
皮張りのソファーの上で、通う高校の物ではないセーラー服を纏い、背もたれにもたれかかって大きな掃き出し窓から見える庭を眺める。庭の手入れは、時々お母さんが来てやっているようだ。今はパンジーとチューリップが、春と夏の間の暑さの中で懸命に咲き誇っている。その様子は、うちの庭とそっくり。
「パンとジュースが消えたのは奇妙な事だけどさ、スズメが完治して出て行ったと考えるならば悪い話じゃ無いんじゃない?」
「まあ、そうなんだけどね」
「それにアレだ。スズメは家で飼うには問題があるし。野鳥でしょう?」
「飼うつもりは無かったよ。ただお医者さんに観てもらって、大丈夫だったら放とうと、」
「あ、動かないで」
少し腕をずらしてしまった私に注意の声が飛ぶ。
声の主は私の叔父、三島和樹。私の母の、歳の離れた弟だ。困ったように目を細めて、少し笑いながらため息をつく。ダラリとした黒のスエットの上下に無精髭。寝起きのまま整えていないだろう髪は、少し癖のあるまま。そんな、気の抜けた格好をしていても、和樹はとてもカッコいい。元々の顔の作りが良いのだ。
彼は現役の美大生で油絵を描いており、私はよく彼の家に呼ばれてモデルを勤めている。今は何かのコンテストに出品する作品のデッサンを描いているところだ。
「ああ、ダメだ。今日は調子出ないや」
和樹はそう言ってコンテを置いて、私の側まで歩いて来る。ポーズをとったままの私に、背中から抱きついた。
「ちょっとやめてよ」
ビックリして少し大きな声が出た。言って私は振り解こうとするものの、和樹の力が強くて剥がれない。
「少しくらい良いじゃん。充電させて」
言いながら私の髪に顔を埋めて深呼吸をした。「良い匂い」などと呟く。和樹の頭の中で、私はまだまだ小さな子供のままだと思われているのか、変にからかうようなスキンシップをとってくるのが困りモノ。大体、良い匂いって、和樹の為にお母さんが用意したシャンプーやらボディソープはうちと同じなのだから、自分と同じ匂いのはずなのに。
「せっかく俺の好みのセーラー服姿なんだからさ、暫くこのまま・・・」
耳元でそう言いながら、更に腕に力を込めてくる。頭に和樹の息が掛かる。背中に感じる和樹の胸板は、ほっそりとした見かけによらずゴツゴツとした男らしさを醸し出していて、私の心を乱した。
和樹の匂いがする。確かに、同じシャンプーとボディソープなのに、私とは違う匂い。
意識すると、顔が暑くなるのを感じた。
けれども、私は「はっ」となる。行動は卑猥だが、体が熱くグッタリとしている。調子が出ない、と言うよりは、調子が悪いのでは無いだろうか。
「和樹大丈夫?熱あるでしょ」
顔だけ和樹の方に振り向けて、私はそう言った。
「やっぱりそう思う?もう死んじゃうかも」
和樹は、言いながらガックリと力を抜いた。フッと拘束が緩んで私の体は自由になる。離れると、和樹の熱が遠ざかった分、涼しさを感じるくらいだ。顔の暑さも引く。
和樹は、私という支えを無くして、ソファの上に倒れ込む。
しょうがないなぁ・・・。
「はいはい、なら薬飲んで寝ましょうね」
「言い方が冷たい。酷い彼女だ」
「彼女じゃないし」
今度は彼女扱いをしてきた。いつものことながら頭が痛い。何かある度に「将来は私を嫁にもらう」などと言ってもいたりする。
『和樹おじちゃんと結婚する!』
幼い私は、和樹に会う度そう言って側を離れなかったという話だ。記憶には無いが初恋らしい。全く覚えてないのだけれども。
未だにそれを引きずって自分の女扱いをする和樹も和樹だ。だからいつになっても本物の彼女が出来ないのに。
「薬どこ?」
聞いた私に角の棚を指差す。
私は薬を見つけて、グラスに水を汲んで飲ませた。
ベッドまで肩を貸し運び、サイドボードに和樹のスマホを置く。
「後でお母さんに来てもらうから。何かあったら連絡してね」
そう言って、和樹に掛け布団を掛けた。ついでにオデコに冷えピタも貼り付けておく。
「一緒に寝てくれないの?」
虚ろな目で私を見ながら、そんなことを言ってきた。
「そんな事する訳ないでしょ」
そう言い、軽く掛け布団を叩いて私は家に帰った。
そしてその夜、私は39℃以上の熱を出す事になった。風邪をうつされてしまったみたいだ。全く・・・。