後編
「悪かった、スキャンしたことは謝るよ」
「そういう問題でもないのだが……」
なぜか猫と羽人間は連れ立って歩いていた。別に一緒に行こうなどと言ったわけではない。ついてくるのだ、羽人間が。
「一応、羽人間ではなく天使だと思ってるんだけどね……」
「ならその自称天使がなぜ地上に?それだと、何と言ったか……」
「堕天使だろ」
傘が助け船を出す。
「そうそう。それということになってしまう」
「堕天使かぁ……そうだね、それがぴったりかもしれない」
そう言う自称天使の口調は、自嘲を含んでいる。
「僕達はずっと上の方にいてさ」
達、という言葉に違和感をおぼえ、猫が自称天使の方を振り返る。
「兄弟がいたんだよ」
猫がまた前を向く。納得がいったのでそれ以上興味はない、という風に。
「この町はさ」
猫の背中に声をかける。猫は振り返らず、音もなく前を歩いている。自称天使は言葉を続けた。
「自由なのかな」
膝のジョイントが軋むような音を立てている。
「さて、どうだろうねぇ。好き勝手生きているようでいて、様々なものに縛られている、たとえば」
広報広告バルーンを指差して
「空を飛ぶこともできない、とか」
傘から出したその指が雨に濡れていく。
「飛びたいのかい?」
羽が少し動き、ギシギシ、ピシピシという音が複雑な構造のあちこちから発せられる。
「猫は空を飛ばないんですよ。傘は知らないですけど。」
「風に吹かれりゃどこまでも、だぜ」
「そうかぁ……」
それからしばらくは黙って濡れながら後ろをついて歩いていた自称天使だが、ふと声を上げた。
「太陽がみたいね」
「そんなものがこの町にあると思いますか?」
そうは返しつつも、おかしな偶然もあるものだと思い猫は少しこの自称天使に興味が向いたらしい。立ち止まって、顔を後ろに向ける。
「ですけど、この町のおひさまなら、最近見つけたんですよ。行ってみます?」
それはいたずら心の類だったのかもしれない。
「ヘイラッシ!」
「ここは……」
それには答えず、猫は軽く手を挙げる。勿論傘は傘立てだ。
「おっ、ギアオイルの兄さん!この店を気に入ってくれたのかい?」
「ギアオイルの兄さん……?」
自称天使の目が何かヒントを求めてギリギリと泳いでいる。
「お飲物?」
「こちらのお兄さんにメニューを」
人形が頷くと、流れるような動きで自称天使にメニューを渡す。
「あと……」
猫が受付の陽気な男に耳打ちする。
「そりゃもちろんあるが……」
男が自称天使の少ししかない左腕と、異音を立てる羽に目をやった。
「……まあ、気休めにくらいなるのか。マイドッ!」
そんなやりとりをしてるうちに自称天使もオーダーが決まったらしい。
「ああ、あと、スペースを貸し切ることはできるかな?」
「空きはあるしできるが、チョットタカイぞ?」
「頼むよ」
袂から決済チップを取り出す。それをトレイに受け取りながら、男は人形に声をかける。
「じゃあ、32番スペース……はい、アリアトッシ!」
トレイに載せて返された決済チップを袂に仕舞うと、猫と自称天使は人形の後に続いてスペースに向かった。
「これが……?」
「そう、これがおひさま。お天道様の、この町での姿です」
少し意地悪な顔で猫はそう言うと、足下に敷き詰められたセラミックのかけらを、雪駄の先でわざとジャリジャリ音を立てながら続けた。
「そしてこれが浜辺の砂、ということでしょうか。この店の名前は『おひさまビーチ』というんですよ」
「ビーチとか浜辺というのはわからないが……これが……おひさま?」
前半の反応の鈍さに猫が少し残念そうな顔をする。それに気付いた自称天使が申し訳なさそうな顔になるが、知らないものは仕方がない。気を取り直して猫が続ける。
「日光がせいぜい強い光、日焼け、くらいのイメージなのでしょうね。そして日焼けしない機械の体では、紫外線によるパーツの劣化がそれに当たるという解釈なのでしょう。何度も通って退色と劣化を楽しむのが、ここでの太陽の下での遊びなのですよ」
「あなたの知る太陽とは違う、そうなのでしょう?」
うなずきかけ、首を力なく横に振る。
「……僕はそこから逃げ出したからね」
コップの液体を少し飲んで、言葉を続ける。
「正確には、逃がしてもらったと言うか。兄弟がいたって言ったろ?」
猫が頷き、続きを促した。
「逃げるときに腕を壊しちゃってさ。何とか降りてはきたものの、ここの雨はひどいね。壊れたところはボロボロになるし、そうでない機構もガタガタだ。君も気付いてるだろうけど……正直そう長くはないと思う」
どこまでがオリジナルでどこまでが生体パーツ化され、どこが機械化されているのかわからないが、特に酸性雨対策も施されていない体ではいずれにしてもダメージは免れない。
「兄弟もね、下の僕が降りて、長く生きられるとは思ってなかったんじゃないかな。それでも僕に自由になってほしかったんだろうけど……正直僕にはよくわからないんだ」
「これを飲むといいですよ。少しは落ち着くでしょう」
猫が手渡したのはナノマシンドラッグのカプセル。細かな断線などの修復効果もある。勿論、この自称天使のような状態ではあまり効果は見込めないだろう。それでもこの自称天使は受け取ったカプセルを素直に飲んだ。
「雨の当たらない明るい場所ってだけでも、嬉しいもんだね」
自称天使が力なく笑った。
店の外にでると、猫は傘を自称天使に預けた。
「別にいいけど、今更じゃないか?」
「ネコってのはね、気まぐれなんですよ」
ずぶ濡れの羽織で猫が笑う。顔もずぶぬれで一回り小さく見える。
「小顔になって、いよいよモテるんじゃねえか?」
「機械のおねえさんは趣味じゃないですねぇ」
「じゃあ前の生身っぽいメカのお兄さんはどうよ」
二人の軽口をぼんやりと聞きながら歩いていた自称天使が、立ち止まった。
「空に帰してくれないか……」
「それは……」
勿論できるはずがない。自称天使もそれはわかっているはずだ。なのに何故。
「蛇にさ、星に帰してもらう話があるだろう?肉体は地上に置いてさ……」
「……らしいですね……」
猫はその話を読んだことはない。
「どうせもうすぐエネルギーは切れる。メカも生身もこの雨で限界だ。今のうちに、意識のはっきりしているうちに、兄弟のことを覚えているうちに……」
「悪いがそいつを渡してもらおう」
「何というタイミング」
傘が呟く。
「言い飽きた気もするけど、無粋だねぇ」
猫も振り返った。そこには大中小のマッチョが並んでいた。
「子供達かい。妙だと思っていたが、体を貸しているね?」
びしょびしょの顔で、しかし眼光だけは鋭く大マッチョのほうを見る。
「その通り。ちょっと落とし物を拾いたくてね。この気持ち悪いボディをちょっと借りてるんだ」
大マッチョの口からその声は出ている。その手には小さな箱。
「どうせその落とし物はもうすぐ動かなくなるでしょう。部品もぼろぼろなのに、何故?」
「色々使い道があるんですよ。あなたには関係ないでしょう」
中小のマッチョが自称天使にじりじりと近づく。
「関係ってのはね、作られたり壊れたり、変化するんですよ」
その二人を当て身で遠ざけて
「特に、ネコは気まぐれなんです」
静かに大マッチョに近付く。
「悪いね子供達」
突き刺された刀は、ジェネレーターのメイン出力配線、通称大動脈を正確に切断する。大マッチョはかくん、と膝を折りそのまま動かなくなった。刀を鞘に納め、天使の方をみる。変形を繰り返す天使の輪以外は、異音も立てなくなっていた。
いつの間にか雨の中座り込んでいた天使が、ぼそぼそと喋っている。
「兄弟がいたんだよ、一緒に育った」
猫が近づく。
「僕達は、エネルギー源として、人工的に作られた天使」
猫が近づく。
「僕を逃がしてくれた後、兄弟がどうなったかは知らない」
猫が近づく。
「やめろ!そいつひとりでこの町の何ヶ月分ものエネルギーが賄えるんだぞ!それに」
猫が近づく。
「たとえそいつを壊しても、他の誰かに役目が移るだけだ。止めてしまうことはできないんだからな」
猫が、脇差を手に、天使に近づく。
「それでも、頼まれたからね。替わりの誰かには、すまないと伝えてくれないか」
「やめろ!」
大マッチョの持つ小さな箱のスピーカーから、音の悪い叫び声。
「空に、帰れると良いですね」
ギリギリと音を立てて変形を繰り返していたいた天使の輪が、刀の柄で叩き壊される。
「あぁ……」
天使の口から、声とも息ともつかない何かが漏れた。上を向きかけたその頭から、真っ直ぐ刀に貫かれる。生身の残っている脳と心臓を確実に一度に貫くように。
薄暗い店内で、猫は指でつまんだ羽根をくるくると回している。マスターがいつもの器に油を入れて、そっと出してくれる。それを猫はいつものようにお行儀悪く顔を近づけ、ひと舐め。
「うぐ……」
猫のヒゲがギザギザになるのではないかというくらいに震え、眉間には激しくしわが寄る。
「だから、うちを何屋だとおもっているのかと、そう言ったろう?」
バー「サイクロプス」。その扉の外の傘立てには和傘が一本だけ立っている。
この町の雨は、止むことがない。