短編詐欺問題再考
短編詐欺に関するなろうエッセイを僕が最初に見たのは、今年の七月だ。
短編詐欺問題の前には「一話ガチャ」問題というのがあった。
連載作品で一話目だけ、あるいは数話だけ投稿して様子を見て、それで伸びなかった作品は終了する(削除する?)という手法のようで、それを問題視したなろうエッセイが頻発した。
そのあとに、短編詐欺問題というのが来た。
あるエッセイで語っていたのは、起承転結も何もない長編のプロローグ部分を短編として投稿して、「続きを読みたければポイント入れてね」と書いてあるものとのこと。
僕はどちらかというと書き手側なので、一話ガチャ問題に関しては、それをやる側の気持ちも分かるというのが本音だ。
長編作品は、書き始めた当初はそれを書きたい気持ちだけでゴリゴリ書ける。
一週間で三万文字ぐらいガーッと書ける。
だがそのうち、連載開始当初の書きたい気持ちは尽きる。
そうなったとき、未来の成功が見えない作品をずっと書き続けるのは、本当にしんどい。
これに新作を書きたい気持ちが重なる。
なんでこんなつらくてしんどいだけのことを続けなきゃいけないんだという気持ちも重なる。
まあ普通は負ける。
そうならずに書き続けられたのは、成功した作品ばかりである。
僕はそういう経験を、なろうで執筆を始めてからの五年ほどで何度もしてきたから、それが「成功できる」作品なのかをまず見極めたいという気持ちは非常にわかる。
その作品が「読まれる」作品であることが分かれば、あとは作品内容の勝負なので、作品内容に注力すればいい話になる。
だがタイトルあらすじの時点で「読まれない」「クリックされない」作品は、作品内容に情熱を込めても「成功できる」作品にはまずならない(その見込みが立たない)
同じだけ本気で書いても、「読まれる作品」と「読まれない作品」とでは結果に雲泥の差が出る。
だからそれが「読まれる作品」なのかを、まず知りたい。
でもそれには、実際の評価市場に出してみるしかない。
一話とは言わないまでも、ある程度まで出してみて様子を見たいというのが本音だ。
しかし連載開始しておいてエタるのは良くない。
百パーセントは無理にしても、なるべくそういう事態は避けたい。減らしたい。
じゃあどうするか。
だったら短編として出してみて、それが「読まれる作品」なのかどうか、あらかじめ様子を見ることはできないだろうか。
少年漫画誌などでも、連載開始前にまずは読み切り短編として出して様子を見るという手法は行っている。
何作か掲載して、最も人気が出た作品を連載にする。
……とまあ、僕の発想だと、短編詐欺と呼ばれている手法に行き着くのは、その流れだった。
実際にも去年の五月(今年の五月ではない)に二作ほど、その意図の短編作品を投稿している。
一応その短編だけでそれなりに「面白い」が得られるように組んだつもりではあるが、商業漫画誌の読み切り短編レベルに到達しているかというと、そこまでではないなぁという自覚はある。
そのタイトルでどのぐらい読まれるかを見るのが投稿目的なので、ポイントくれくれはしていない。
なので僕の感覚では、いわゆる短編詐欺と呼ばれている手法でポイントくれくれをやるのはよく分からない。
短編で人気を得ても、その読者さんを長編に的確に誘導する手法も思いつかないし、あまり意味ないんじゃないかと思っている。
どちらかというと、一話ガチャをやったほうが「読まれる作品かどうか」を知るためには精度がいいと思う。
短編と長編の読者層は結構違う気がするし。
さて、今年の七月に短編詐欺問題に関するエッセイを見たとき、確かに起承転結も何もない、「面白い」に行き着く前の作品を短編として投稿するのはひどいなぁと思った。
例えばの話、勧善懲悪時代劇で、町人が悪徳領主に虐げられるシーンだけ描いた短編を投稿して、「続きを読みたかったらポイント入れてね」というのは、そりゃないだろうと思う。
なのでその当時、そんなに問題になるほど多いのかと思って、新着とランキングの短編をざっと漁ってみた。
しかしその当時は、それっぽい作品を探しても見つからない程度には、多くは見当たらなかった。
僕の探し方が悪かったのかは分からない。
そして今年十月。
その短編詐欺問題を提起するエッセイを書いた人が、未完結の作品を置いて次の作品に進む作者を悪し様に叩くエッセイを投稿していた。
正直ムカッと来た。
僕はその感想欄に、「ご自身で長編の物語作品を書いてみることをお勧めします。そうすれば作者側の気持ちも分かるし、そうしなければ分からないでしょう」といった旨の感想を書いた。
返ってきたのは「私は不完全なものを人前に出そうとは思いません」といったような返答だった。
ほらね、と思った。
自分がそれをやる側に立ったらどうかというのを考えないから、バランス感覚がない。
これは接客業の従業員に「お客様は神様だろ?」と言う客とそっくりだ。
そういう客に「自分で接客業をやってみればわかるよ」というと「自分は接客業をやるつもりはない」と答える。
自分が相手方に立つ前提で考えないから、相手方にいくらでも理不尽な正義論を押し付けられる。
そして、その人からの返信は、このような言葉で括られていた。
「あなたは読者を、評価する機械か、金蔓だとでも思っていませんか?」
ムカッ腹は最高だ!
こうして数週間引きずっているぐらいである。
よくもまあそんな汚らしいレッテルを貼ってくれたものだ。
ならばこのように、レッテルを貼り返すしかあるまい。
「あなたこそ作者を、物語を書く機械か、奴隷だとでも思っていませんか?」
作者にだって、感情も欲も野望も生活もある。
あっていいのが当たり前だ、人間なんだから。
そしてその際にも短編詐欺について触れられていたので、「そんなにひどいか?」と思って、短編ランキングを漁ってみた。
一作、それらしいものを見つけた。
感想欄には、短編詐欺やめろというような感想がいくつも付いていた。
だが僕が読んだ印象では、長編を視野に入れているだけあって作品要素を消化しきれてはいないにせよ、ストレスに対するカタルシスは一つ作っているし、一つの「面白い」をしっかり作ってある作品だった。
これにクレームを付けるのかと。
贅沢言いすぎじゃねぇ?
わがまま言いすぎじゃねぇ?
それが僕の感想だった。
……とまあ、そんなこんながあって。
僕はもう、一話ガチャだとか短編詐欺だとか騒いでいる連中はこういうやつらなのか、だったらもう完全に無視したほうがいいなと思うようになっていた。
が、そこにきてまた今日、短編詐欺に関して書かれた別の人のエッセイを目にした。
だが、これは内容を読んでみたら、すごくわかる話だった。
短編作品を愛している人のやるせなさが、素直に伝わってくるものだった。
短編詐欺をやるぐらいなら、一話ガチャをやったほうがいろんな意味でマシだなと思った。
連載準備用の読み切り短編というのを、どう捉えるかという問題だと思う。
僕の結論としては、短編詐欺問題が深刻ならば、運営がそれ専用のカテゴリを用意してくれるのがベストだと思う。
感想欄は一応(大きな問題が起きなければ)開けておきますが、レスは気が向いたときにしかしないと思います。