第3話
私がジェラートを食べ終わる頃に、ディドさんが頼んだピザが来た。
余韻を楽しみながら紅茶を飲み終わる頃には、ディドさんもピザを食べ終わっていた。
結構大きいし、具もたくさん載っていたから、もっと時間がかかると思ったから、驚いた。
もしかして、私に合わせて急いで食べてくれたのだろうか。
でも、孤児院の男の子達みたいにがっついている感じはなくて、早いけどきれいな食べ方だった。
「なんだ?」
まじまじ見てたのを気づかれたのか、優しい声で問いかけられて、あわてて首を横にふる。
「ううん、なんでもない」
「そうか?
ああ、そのポットは二杯分入ってるからおかわりできるが、違う飲み物を頼むか?」
「ううん、これでいいよ」
「わーった」
ディドさんがベルを鳴らすと、あの赤い髪の女性がまたやってきて、食器をさげてディドさんの前に置いたコーヒーカップに、大きめのポットからコーヒーをそそぎ、そのポットを横に置いた。
「ありがとよ。
ちょっと込みいった話をするから、呼ぶまでは来ないよう店長にも言っといてくれ」
「わかりましたー。ごゆっくりどうぞー」
にっこり笑って答えた女性は、なぜか私のほうを向いてまたにっこりして、さらにウィンクして、出ていった。
どう反応していいかわからず困ってると、コーヒーを一口飲んだディドさんが苦笑する。
「リタのことは気にするな。
アイツは誰にでもあんな感じだ」
「……うん」
「さて、じゃあ、話をしたいんだが、かまわねえか?」
まじめな口調で言われて、あわてて姿勢を正す。
「うん。お願いします」
「ありがとよ。
ああ、後々のために会話を録音したいんだが、かまわねえか?」
「録音……? うん、いいけど」
『後々のために』っていう意味はよくわからないけど、ディドさんが必要だと思うなら、かまわない。
「悪いな。
もちろん誰彼かまわず聞かせるつもりはねえし、用が済んだら消去すると約束する」
「うん」
うなずくと、ディドさんはポケットから端末を取り出した。
しばらく操作して、テーブルの上、私とディドさんのまんなかあたりに置く。
「じゃあ、改めて自己紹介からな。
俺はディド・サンディ、四十歳になったとこだ。
中国系移民だが、家名にはたいした意味はねえ。
登録の際に、知ってる英単語を適当に付けたんだそうだ」
軽い口調は、私が話しやすいように気を使ってくれたんだろう。
「……私は、アリア・レッシ、十八歳。
三歳の時に保護されて、半年前まで孤児院にいた。
保護された時に、アリアって名前と三歳ってことしか言えなかったらしくて、家名は孤児院の院長先生が付けてくれたんだって」
「そうか。
おまえの身の上も気になるが、先に仕事について確認してえんだ。
飲食店のようだが、どういう店で、おまえの担当は何なのかから教えてくれ」
「えっと、中国料理店。
私の担当は、食材の下ごしらえとか、皿洗いとか、掃除とかの、雑用全般」
「そうか。
さっき『夜の一時から朝の六時しか出られない』と言ってたよな。
つまり、朝の六時から夜の一時まで働いてるってことなんだよな?」
「うん」
「休憩時間は?」
「ないよ」
「……食事は提供されるのか? どこで食べるんだ?」
「前の日に残ったライスと作り置き料理の残りを、仕事の合間に倉庫とかで食べる」
「……休日はあるのか?」
「週一回の定休日に、大掃除とか買い出しとか、その日にだけやる仕事があって、それが終わってから寝るまでが休みというか自由時間、かな」
「……給料は、適切な額が定期的に支払われてるか?」
「適切がどれぐらいかはわからないけど、寮費とか食費とか制服代とか諸々引かれた後で、小遣い程度の額を、毎月月末にもらってる」
答えるたびに、ディドさんのまなざしが鋭くなって、眉間の皺が深くなっていく。
問題ありまくりな職場だという自覚はあるけど、なぜディドさんがそんなことを気にするんだろう。
私の視線に気づいたのか、ディドさんは小さくため息をついて、指先で眉間をもみほぐした。
「すまねえ、おまえに怒ってるわけじゃねえし、怖がらせたいわけでもねえんだ。
ただ、あまりにもひどい状況なんでな……」
「……うん」
ディドさんは考えをまとめるように、ゆっくりとコーヒーを何口か飲む。
「今の仕事は、いつからだ?」
「半年前から」
「自分で応募したのか?」
「ううん。孤児院の副院長から紹介された」
「仕事を始める前に、契約書をかわしたか?」
「見せられたしサインもしたけど、私の知らない中国語で書かれてたから、口頭で説明された内容しかわからない」
「その契約書の現物は、手元にあるか?」
「ないよ。
副院長が『大事なものだから預かっておく』って言って、サインした直後に取りあげられた。
たぶん、捨てられてると思う」
「…………そうか」
今度は大きくため息をついて、ディドさんはまたコーヒーを飲んだ。
なんだか困らせてしまってるようで、心配になる。
私を見たディドさんは、目元をやわらかくして優しい声で言う。
「おまえの今の労働環境は、法令違反しまくりで、問題しかないってことは、わかるか?」
「うん。中学生の頃に、二年ぐらいバイトしてたから。
今の店がかなり劣悪な環境なのは、わかってる」
「なら、なぜ辞めなかったんだ?」
不思議そうに言われて、苦笑する。
「この街の中では、他に雇ってくれるところはなさそうだから」
私の外見と孤児という経歴では、このチャイナタウンで就職するのは難しい。
中学の時にバイトした店は、当時孤児院の職員だった女性の親戚の店だったから、雇ってもらえたのだ。
今の私が働けるとしたら、風俗関連か非合法なところぐらいだ。
そこまで身を落とすぐらいなら、今の店で耐えるほうがまだマシだ。
「……この都市はデカい。
チャイナタウンはその一部でしかない。
外でも職を見つけられなかったのか?」
「他の仕事を探す時間もツテもなかったから。
だから、今のところで数年耐えてお金を貯めて、私を雇ってくれそうな遠い町に行こうと思ってた。
副院長が紹介してきたから、給料をピンハネされて長期間働かされるだろうとは思ったけど、まったく報酬なしの孤児院の雑用よりはマシだろうから」
「……頼れる大人は、いなかったのか?」
「……孤児院の院長先生は、善人すぎて頼りにならなかった。
副院長は、今の店の契約書を突きつけて『おまえに他に紹介できる仕事はない。この仕事がいやなら今すぐ孤児院を出ていけ』って言った。
他の職員は、みんな副院長のとりまきだった。
中学の時にバイトしてた店の店長は、病気になって店を閉めちゃった。
…………高校に行ってたなら、先生に頼れたかもしれないけど」
本当は、高校に行ってもっと勉強したかった。
思わず愚痴っぽくなってしまった言葉に、またディドさんのまなざしが鋭くなった。
「……高校に行ってないのか?」
「うん。
特待生になったら授業料免除してくれるって約束で、試験にも受かったけど、副院長にダメだって言われたの。
『授業料免除になったとしても、その他の費用は孤児院の負担になる。財政難の今そんな余裕はない。それよりもここで職員の手伝いをして、少しでも恩返しをしろ』って。
四年前に副院長が来て勝手なことをし始めて、まともな人は辞めさせられて、残ったとりまきはサボってばかりで、人手不足だったから。
それで中学卒業してから三年間働いたんだけど、孤児院は十八歳までしかいられない決まりだから、今の店を紹介された」
財政難は副院長のせいだと予想がついてたけど、それを正してくれる大人はもういなかったから、しかたない。
「そうか…………」
深いため息をついたディドさんは、すぐに表情をひきしめて私を見た。
「さっき言った通り、おまえの今の労働環境は、国の法令に違反しまくりだ。
加えて、このチャイナタウンでは、街の元締めであるリー家が定めた、国の法令以上に厳しい労働基準がある。
ああ、リー家のことは知ってるか?」
「うん」
外の情報には疎いけど、さすがに街の創設者にして最高権力者については知っている。
雲の上の存在すぎて具体的なことは知らないけど、絶対に逆らってはいけない相手だ。
「十年ほど前に、リー家の現当主が『この基準を守らない者は、この街での営業を禁じる』と宣言したうえで、詳細な内容と具体例を示した文書をすべての経営者に配ったんだ。
それ以降に開業する奴にもその文書は必ず渡されてるはずだから、知らないとは言い逃れできねえだろうな」
「そう、なんだ……」
そんなルールがあるなんて初めて知ったけど、経営者にしか通知されない内容なら、労働者の末端の私が知らないのは当然だろう。
だけど、気になることがあった。
「……店主は、小悪党って感じで、リー家に逆らうほどの度胸はないと思う」
私の言葉に、ディドさんは渋い表情でうなずく。
「リー家は基準を定めただけじゃなく、その基準が守られてるかのチェックも当然してる。
それでもおまえの雇い主が無事ってことは、そこそこ偉い奴と手を組んでる可能性が高いな」
「……だろうね」
「問題がもうひとつある。
リー家は、『子供が街の未来を支える』って方針のもとに、子供への支援を積極的に行ってる。
この街の子供は、高校卒業まで学費と医療費がタダで、生活支援金も出してる。
これは、孤児院にいる子供も全員対象だ」
「え?」
「つまり、財政難だからおまえが高校に行けなかったってのは、ありえない、いや、あっちゃいけねえことなんだ」
どこか厳しい口調で言われたことに、呆然とする。
だけど、なぜ、とは思わなかった。
「……副院長」
ぽつりと言うと、ディドさんはゆっくりうなずく。
「だろうな。
そいつも、おまえの雇い主と同じく、偉い奴と手を組んでるんだろう」
「……そっか……」
「ったく、リー家にケンカ売るとは、命知らずな野郎どもだ。
だが、知った以上は見逃すわけにはいかねえしな」
呆れたような口調で言うディドさんが不思議で、首をかしげる。
「偉い人と手を組んでるなら、どうしようもないんじゃないの?」
「本来はな。
だが、俺は一番偉い奴とコネがあるから、問題ねえよ。
つうか、知らせなかったら俺が怒られちまう。
だから、おまえを帰すわけにはいかねえって言ったんだよ」
ディドさんはにやりと笑って言うけど、意味がわからない。
「一番偉い人、って……」
「リー家のトップだ。
俺の先祖とリー家の先祖は幼馴染で、移民として一緒にこの国に来て苦楽を共にした仲なんだそうだ。
子孫も代々深いつきあいで、俺と現当主も幼馴染で飲み友達で親戚だ」
「え!?」
確かに一番偉い人だけど、でも、偉すぎないだろうか。
「労働基準を定めたのは、現当主でな。
州の幹部に『おまえらは能力が低いから、俺達の倍以上働かないと生きていけないんだろ』とか『バカだから法律を理解できなくてもしかたない』みたいなイヤミを言われたと、珍しく腹を立ててた。
そいつらを見返すために、国より厳しい基準を定めたんだ。
意見を求められて色々手伝ったから、俺がそれを見逃したら、アイツに怒られちまう」
ディドさんが詳しく説明してくれるけど、頭がついていかない。
「子供の支援金についても同じだ。
アイツは、有能な為政者だが、そのぶん敵には容赦しねえ。
きっちり報告して、おまえの雇い主にも、孤児院の副院長にも、絶対に報いを受けさせる」
まっすぐに私を見て言ったディドさんは、優しく微笑んだ。
「今まで、独りで、よくがんばったな。
これからは、全部俺に任せてくれ。
今まで苦労した分を全部取り返して、それ以上に、おまえを幸せにしてやる」
いたわるようなまなざしと声に、胸の奥がじんわりとあたたかくなる。
くすぐったいような、恥ずかしいような、不思議な感覚だった。