魔帝国ゾルード
魔帝国ゾルード。
元々魔族の小国群であったが、一人の強大な力を持った魔族の男によって統一され誕生した。
治めるは魔大帝ガロン・アークディアス・ゾルード。
そして、古より人族やその他様々な種族と戦争を繰り返してきたこの国は今最大の栄華を極めていた。
約二十年前の人族の隣国との間に起きた史上最大の戦争の爪痕はもう見られない。
むしろ、領土内の全ての街や村に貧困の文字を見つけることは出来ず、帝都に置いては世界中のどの都市よりも活気に満ちていて世界最大の経済都市として名を馳せている。
停戦中の王国などもはや敵ではない。
それでも攻め込まないのは、それが無益だからだと王が知っているからだ。
魔大帝ガロン、彼は類稀なる賢王であった。
戦後の疲弊した帝国が急速に国力を回復、増強できたのも彼の手腕によるところが大きい。
もちろん、中枢を担う部下も優秀な者が揃っている。優秀な者の下には必然的に優秀な者が集まって来るものだ。
彼の大戦で王国の最大戦力である「勇者」と刺し違えた先帝の父に代わり、幼くして大帝となったガロンが一人前になれたのもそんな部下たちのおかげだ。
最近は謀叛を企てる諸貴族も居なくなった。
頭脳、人材、金、全てを手にした魔帝国の未来は明るい。
帝都の中心にそびえる大帝の居城。
政治の中心たるこの城の一室では、魔大帝とその側近たちによる定例会議が行われていた。
奥の一段高くなった豪奢な椅子に座る魔大帝ガロンを上座に、「コ」の字に並べられたテーブルには、十数人の姿がある。
皆人族と何ら変わらぬ姿をしているが、その怪しく光る双眸と尖った耳が彼らが確実に人なら存在であると言う事を示している。
「では、続いての報告です。
陛下の『同一作物連続栽培と農地貧化の関連』の実証実験用畑の結果が届きました」
大帝の傍に控える金髪の女性の秘書が手元の紙束をめくる。
「おお、ついに来たか。
十年掛けた実験だ。
これの如何によっては、我が帝国に食料難が全て解決すると言っても過言ではない。
さあ早く報告するのだ」
「はい。
結論から申しますと……陛下のお考えの通りでした。
実験の結果、小麦だけを連続で栽培した畑では年々収穫高が落ち、また土壌の貧化が顕著に見られました。
一方、小麦を含む三種の作物を季節ごとに回して栽培した畑では、収穫高の減少がほぼ見られませんでした」
「フハハハハハ!!やはりか。
よし、次は回して育てる作物の最適な組み合わせと数の研究だ。
手配しておけ」
「仰せのままに。
後ほど、先の実験結果の子細な数値を纏めたものを持って参ります。
――私からは以上です」
恭しく礼をして、彼女は大帝の席の後ろへ下がっていった。
「――次は私から東方の国境の情勢をご報告させていただきます。
現在、停戦中の王国に本格的な怪しい動きは見られませんが、国境付近では小競り合いが頻発しております」
秘書の下がる頃合いを見て、屈強な肉体の大男が立ち上がる。顔には深く傷が刻まれ、磨き上げられた肉体は歴戦の将である事を悠然と示している。彼は魔帝国の将軍である。
「……被害状況は?」
「国境付近の村で家畜が計十二頭盗難されました他、負傷者を伴う喧嘩が五件、建物の損壊が八件、人間の魔法師による魔法の行使が二十件です。
他にも魔族の少女の誘拐未遂が一件あります。
また――」
「もうよい。
――ハァ……。
被害を受けた国民にはその度合いに応じてしっかりと支援をしておけ。
逆に向こうの被害は?」
「勿論ございません」
「ふん、こっちがやり返さないからと調子に乗ってエスカレートして来ておるようだな」
「そういう面もあるのは致し方ないかと。
最後に、王国に送り込んだ間者の報告によりますと、昨年行方不明となった魔族の少女がやはり王国で貴族の奴隷となっていました……」
沈痛な空気が室内を包んだ。
「――救出は実行できるか?なんなら我が親衛隊を使っても良い。
向こうの被害なども加味しなくて良い。
必ず救出するのだ」
「そう仰って頂けると思い既に作戦を立案と人選に入っております。
近日中に実行に移せるかと」
「そうか、出来るだけ急げ。
く、野蛮な腐れ王国めが、いい気になりよって……」
「あの……失礼ながら陛下、実力行使による救出作戦など行っても平気でしょうか?」
年若い貴族然とした青年が恐る恐る声を上げる。
「ふむ。
――逆に問うが、あの腐った王国の貴族が交渉なんぞで返還に応じると思うか?白を切られて終いだろう。
それなら多少強引にでも取り返して、解らせてやる方が良い。
勿論抗議はされるだろうがどうせあやつらに今すぐ事を構えるようとする度胸も力も無い」
「……仰る通りです。
流石陛下でございます。
我が浅慮をお赦し下さい」
「世事は良い……そうだ、勇者はどうなっておる」
突然顔を向けられた事に驚きながらも、平静を装い壮年の男性が立ち上がった。
「は、はい。
同じく、間者の報告では順調にレベルを上げている様子ですが、前勇者ほどの才はないようで苦戦しているようです。
また前勇者が所持していたあの国宝級の装備一式は我が帝国が保有しているため、脅威度は高く無いでしょう」
「なるほど。
だが油断は良くない。
先帝も初めは同じようなことを言っておられたからな。
それに王国には未踏のダンジョンがまだまだ数多くある。
現状の装備が弱い事は、脅威度を下げる理由にはならんぞ」
「はい。
し、失礼しました……」
「とは言っても、今の我が帝国なら負ける気はしないがな。
それより気になるのは――」
「失礼します!!」
会議室の扉が仰々しく開け放たれた。この会議中は何人たりとも出入りすることは許されない決まりがある。
例外を除いて。
「――なんだ?慌ただしいな」
飛び込むように入ってきた文官の男は肩で息をしながら大声を絞り出す。
「き、緊急伝令です!!優先度特級!!繰り返します!緊急伝令、優先度は最高ランクの特級です!!」
一同が驚愕の声を上げる。
「特級?まさか、王国軍が?」
「そんな筈はないでしょう。大規模な軍が動けば必ず間者から連絡があるはず……」
「間者が裏切ったとか?」
「それこそあり得ないですよ」
「では勇者が?」
「騒々しい!静まれ!――伝令の者よ、表を上げてさっさと話せ」
「は、はい。
観測班からの伝令です!
本日未明、リンブルド大森林南東部において、『魔獣タイラントガイアベアー』に打ち込んだ【探知の刻印】が消失しました!
死亡したと考えられます!」
「――は?なんだって?」
「『魔獣タイラントガイアベアー』死亡です!」
……
「……諸君、どう考える?」
大帝の問いかけに、全員が俯いてしまった。
活気のあった会議室に静寂が訪れる。
「あ、あの、すみません、『魔獣タイラントガイアベアー』とは一体……?」
その沈黙を破ったのは先ほど奴隷にされた少女の救出作戦に異を唱えた年若い魔族の青年だ。
彼の質問に、魔王は低い声で話し出した。
「お前は……そうか、当時まだ幼かったお前は知らないかもしれないな……。
『魔獣タイラントガイアベアー』と言うのは上位竜族に匹敵する強大な力を持った魔獣だ。長らく神話で語られるのみだったが王国との戦争が最も激化した二十年前の戦線に突如として出現し、両軍に壊滅的な被害を与えたのだ。
父上――先帝が手ずから精鋭を率いて激突して何とか【探知の刻印】を打ち込んで禁忌の森まで撃退に成功した。
しかしその結果、多くの優秀な将兵を失い深手を負った父上はその後の勇者との戦いで不覚を取ってしまうわけだが……。
兎に角、その神話級の化け物が死亡したからにはそれなりの理由があるはずだ」
件の魔獣の強さを思い知った青年は顔を青ざめさせて音も無く椅子に座りなおした。
「――単に【探知の刻印】が消されただけという可能性はないでしょうか?
当時私はあの戦線に居て、奴の思い出すだけで足が震える様な禍禍しい姿を目撃しております。
あれがやられる姿なんて想像できません」
一国の軍を率いる将軍が、記憶の中の影を思い出し身震いしながらその可能性を示唆する。
「それは無いだろう。
【探知の刻印】は最低でも二百年は消えない。
これは絶対だ。
どんな魔法、アイテム、ポーションを使おうとも死なない限り消せない、それが【探知の刻印】なのだ。
ですよね、陛下?」
反論するは、帝国内最強の魔法師の女性だ。魔法に長けた種族である魔族の中でも当代きっての実力を持つ彼女は、言わば魔法のスペシャリストである。
「ああ、それにあの時刻印を打ち込んだのは父上だった。
父上の魔力を持ってすれば、最低でも五百年は消えないだろう」
「寿命……はないですよね。
ではその『魔獣タイラントガイアベアー』という魔獣が他の魔物と戦って敗れたという事ですね。
あの禁忌の森には天災級の魔物がうじゃうじゃいますからね……」
「馬鹿を言うな。
例え禁忌の森――リンブルド大森林と言えど、あれと戦えるのは『天の岩山』に住む『古代竜』ぐらいだろう。
しかし、『古代竜』が動いた様子は無い。
これが意味するのは……」
「より強い何かが現れた……」
秘書の言葉にまた沈黙が生まれた。
「陛下、調査隊を派遣する事を提案します」
「しかし、場所はあの禁忌の森です。
隊長クラスの精鋭だけで編成した部隊が複数必要になるでしょう。
そうなれば、我が帝国の防御が手薄になってしまいます。
ただでさえ、少女奪還作戦に人員を割いています。
もし何かを嗅ぎつけた王国に責められでもすれば、負けはしないでしょうが被害は甚大となる可能性があります」
「ですが放置は出来ません」
「では貴公の私兵を動かせばよいのでは?
こそこそと軍備を増強しているようですが、もちろんこういった事態の為にご準備されていたのですよね?」
「なっ!貴様っ!
貴様の方こそ、国有のマジックアイテムをちょろまかしているとタレコミが――」
「止めてください!陛下の御前ですよ!」
……
「……陛下、私に任せて頂けないでしょうか?」
腹の探り合いで白熱する議論を黙って聞いていた壮年の男性――と言っても魔族は長命種族であるので彼も百歳を優に超えている――は、すくと立ち上がって大帝に訴えた。その語気からは強い意志が感じられる。
「ドレイク卿か」
「はい。
私は隠密系の魔法を得意としており、あの凶悪な魔物から身を隠しながら移動できます。
また、禁忌の森の外周部に発生する方向感覚を失わせる霧への耐性も持っております。加えて、もしも『魔獣タイラントガイアベアー』を倒した者が意思疎通の可能であった場合に、侯爵の身分を持つ私であれば使者としてそのまま友好関係の構築を量れます」
「……。
それが最善、か。
致し方あるまいな。
ドレイク卿には我が帝国で作られる最上の武具とアイテム、ポーションを用意させよう。緊急脱出用の片道転移門のアイテムも用意せよ。
出発は……そうだな、二週間後だ。
それまで本件を我が帝国の最優先事項とする。
全ての者はドレイク卿への援助を惜しむな。
――以上で解散とする。
諸君、行動を開始せよ」
……
「陛下、良かったのですか?」
「何が」
「ドレイク卿で良かったのですかという事です。
彼はかなりの野心家で有名です。
下級貴族の次男三男らを自らの信奉者として集めているとも聞いています。
これを機に帝国内での発言力を高めようとしているのかと……」
「お前の言いたい事も分かる。
が、他に案がない以上仕方ない。
確かに野心家であるのは認めるが……。
まあ、あいつに任せておけば意外になるようになるんじゃないか?」
「……陛下、あまりに投げやりではありませんか?」
「……。
こんなの真面目に考えてられるか!
『魔獣タイラントガイアベアー』だぞ!あんな滅茶苦茶な化け物を倒した得体のしれない何かがいるんだぞ?
もし攻めてきたとすれば、我が軍全員でかかっても勝てるかどうかわからんのだぞ?
やってられるか!もう魔大帝なんて辞めて研究だけやっていたい!」
秘書は「あ、ダメだこいつ」と思ったが一切表情に出さないように注意しながら三時間、大帝に慰めの言葉をかけ続けた。
ドレイク侯爵出発より二週間後。
「へ、陛下、ドレイク卿が転移門のアイテムを使用し、帰還しました……」
「何!?そうか、思ったよりも早かったな。
もう一週間以上は掛かると思っていたが……緊急脱出だったのか?
いや考えても仕方が無い、とりあえず報告を聞こう。
この執務室に連れてこい」
「その、帰還したのはドレイク卿一人ではないようです」
「――へ?」
「ですから、人間を一人連れて戻りました。従者も一人います。
国賓扱いで、という事です」
「人間!?国賓!?
その人間があの『魔獣タイラントガイアベアー』を討伐したと言うのか?」
「ドレイク卿はそのように申しております……」
「んなわけあるか!
……あるのか?
ダメだ、理解追い付かん……。
国賓なら宴が必要だ、手配せよ」
「仰せのままに。
陛下、お気をしっかりと」
魔帝国ゾルード。
この国は今、激動の時を迎えようとしてる……かもしれなかった。
書き間違いを御指摘頂いたので修正しました。
気を付けます!
誤字脱字等ございましたら、ご一報下さい。