異世界生活は前途多難
俺が目を覚ましたのは縁側だった。
闇の中でもずっと脳裏に張り付いたままだった、あの祖母の家の縁側そのものだ。
いやそれ以上に美しい。
綺麗に敷き詰められた砂利と飛び石に剪定の行き届いた庭木。
日当たりも良くて新緑の山々が一望できる眺めは最高。
二十年振りの色の刺激に目がやられてしまいそうだ。
贅沢な悩みだな。
風に乗ってやってくる藺草の香りに振り向けば一面畳の日本家屋。
臥間と障子で区切られた部屋の感じも祖母の家そのまんまだ。違いがあるとすれば、全く家具などが無い事と、あと部屋数がめちゃくちゃ多い事。
小さくても良いって言ったんだけどな……。
縁側から中へ入って家の一階を色々探索。
一階は洗面所、厠、風呂、台所らしき部屋に加えて部屋が五室もあった。内三部屋は縁側に面していて、臥間を退けると合体して一つの大部屋になる。厠は汲み取り式で風呂はタイル床に檜の浴槽がポツンとあるのみ。台床に至ってはそうとわかるだけでコンロや蛇口もついていない。でも庭に井戸があったから水には困らなさそうだ。そういえば数百年劣った文明レベルだって言っていたな。
あと洗面所には同じく蛇口などは無かったが大きな姿見が備え付けられていた。
おおお、あの時のまんまだ。
そうか俺こんな顔だったよな。
目が見えなくなる前の姿。
二十余年前の姿だ。
成長した自分の姿も見て見たかったが、いやいや、これからまた見られるようになるんだと思ってニヤけてしまう。
そしたらなんだか急に視界が霞みだして、やっぱり見えなくなってしまうのかと絶望しかけたけど、なんて事はない、自分の涙だった。
涙するのも二十年振りだなあ。
ああ神様、本当にありがとうございます。
しかしどうして甚兵衛を着てるんだ?
ああ、家に合わせてくれたのかな。
朧げな記憶ながら祖父母はずっと和服で生活していたような覚えがあるな。
その後色々見て回ったけど一部屋だけ大きな箪笥のある部屋があった他には、どの部屋も何もない空き部屋という感じだった。
二階に上がる。
二階は一階と違って全て木扉の洋室だった。
全部で五部屋。廊下を挟んで二部屋ずつ。さらに突き当りに一部屋。
それぞれ中を確かめる。
全て同じく何もない殺風景な部屋だ。
奥の突き当りの部屋へ。
「――おおお!!」
思わず感嘆の声が出た。
この部屋は書斎だった。部屋の奥の窓に対面する形で置かれた大きな机と椅子。そしてそれを取り囲む様に部屋の壁に沿ってぐるりと配置された本棚。
そう、本棚だ。
勿論空だったけど。
そう甘くはないよな……。
よし、俺のこの世界での目標はこの本棚をいっぱいにする事だな!
そして本棚を追加して二階は全て書斎にしてやろう。
ふふふふ。
……
ふう、家の探索だけで結構掛かってしまった。
なにせ広い。
家と言うか屋敷だ。
時計が無いので今何時なのか全くわからない。まあ腹時計を信じるなら昼前くらいだろうか。
そうだ、急にこんなでっかい屋敷が現れたら先住の人たちに驚かれてるよな……。
変に誤解されない内に近所挨拶でも行くか。
えっと、手土産になりそうなものは……無いな……。
まあそれは今度にして、兎に角今は怪しい物じゃないアピールをしに行こう。
縁側から見た外の景色を思い出すとかなり田舎っぽかったが、そもそも他に人が住んでいるんだろうか?
……
いませんでした。
ここの立地を一言で表すなら、「森」。
圧倒的に森だ。
目が見えるようになって、この美しい自然が見えるようになった事と思いっきり走れるようになった事にはしゃいで、家の周りをだっと走り回ってみたけれどひたすら森だった。
そしてわかった事が三つある。
一つ、俺の目がヤバイ。
どうヤバイかっていうと、信じられないくらい視力が良い。
目を凝らせばかなり遠くにある木の葉っぱの節を数えられる程度だ。
あとビックリしたのが、木々などの障害物にさえぎられていても目的の物が透過して見える事。
本格的に人間の範疇を超えてしまっている。
ちょっと怖くなった。
いや、確かに最高の目とは言ったけど!剣と魔法の世界って言ってたけど!
二つ目、身体能力もおかしい。
どんなに走っても息切れ一つもしないし、足の速さも軽く人間を超越している。
試しに木を蹴ってみたら切り株がそのままテーブルに使えそうなくらいの大木だったのに、轟音を立てて倒れてしまった。
そしてこの目と合わせて、中学生時代によく見ていた某忍者のアニメよろしくアスレチックの様に高速移動ができた。
運動は得意じゃなかったはずだけど、身体が勝手に動くって感じで森の中を自由自在に動ける。
これも凄く便利だけど心の方が付いて行かないと言うか……。
三つ目、圧倒的森。
屋敷の塀から二十歩分ほどの範囲は木のない整地された平地だが、それより一歩森に入ると真っ直ぐ十分くらい走っても一向に景色が変わらなかった。
この超身体能力を使ってこの辺で一番高そうな木に登ってみ周囲を見て見たら、でかい岩山が雲に突き刺さるようにそびえたっているのが見えて、この森はあの一番高い岩山の山麓の樹海なのだと分かった。
つまりあの岩山と逆方向に走れば抜けれるのだろう。。
この疲れず高速で移動できる身体があれば、まあ半日もあれば抜けられる程度だろうと勝手に判断したところで、屋敷に戻ってきた。
稼ぎに街に出るのは大変だろうけれど、静かだし景色も最高だからまあいいや。
あとこの森には沢山の動物がいる。
森を駆けながらちらっと見ただけでも数種類確認できた。
尻尾の先から頭まで測れば人の大きさ程ありそうな巨大なイタチ。豹みたいな華奢で大きい白い山猫。自分の体を同じくらいの大きさの角を持った〇ブリに出てきそうな鹿、あとシャープな顔つきの灰色の犬や、中型犬くらいあるリス。
どの動物も可愛らしかった。
昔っからペットを飼うのが夢だったんだよなー。
一匹ずつで良いから飼えないかな?
でも俺が近寄っていくとみんな目を見た瞬間逃げ出してしまった。
やっぱりこんな森の中に暮らしてる野生動物だから人には慣れてないんだろうな。
そのうち慣れてくれるだろうか?
慣れてほしいな。
早く撫でまわしてやりたい。あの動物たち、凄いもふもふそうだったからなぁ。
屋敷に帰ってきて目の力などいろいろ試していたら結構時間が経っていたようで辺りは薄暗くなり始めていた。
しまった。夜になってしまう。
この家、電気が通っていない。そもそも電球てきなものが付いていないかった。
このままでは朝まで真っ暗闇だ。
どうしよう……。
――ははは、今日の朝までずっと暗闇の中に居て、明りの有無なんて気にした事など無かったのになぁ。
……
焚き火をすることにした。
電気が無いなら明りは火一択だ。
まあ家が木造だから庭で起こすしかないのだけど。
ろうそくとか無いし。
あ、そう言えば暗い中でも本が読めるようにしてくれ、ともお願いしていた覚えがある。
――お、やっぱり。
相当夜目が利くぞ。
目を手で覆ってみてもはっきりと掌のしわが数えられた。
昼間と同じレベルで見えるな。
むしろ目隠し状態でも向こうが見える。
ははは……。
これなら火を起こさなくてもいいんじゃないかな?
いやいや、折角だしやってみるか。
火を使えるようになってからが文明人だ。
屋敷の近くで適当に枝を拾ってくる。
火起こしなんてやった事ないが、雰囲気で平たい目の木に枝を刺して手で擦る。
うおおおおおお!
ダメだ。
煙の上がる気配すらない。
なぜだ!
昔見たテレビ番組ではこんな感じでやっていたと思うんだが……。
あっ!そうか、乾いた木じゃないとダメだった。
よく見ると今まで擦り合わせていた枝は青々としていた。
こりゃダメだ。
二回目。
うーん、火種は出来たと思うんだけど燃え上がらせるとこまでいかない。
息を吹きかけてもすぐに消えてしまう。
何か足りない気がするんだよなあ。
朧げな記憶を遡る。
……
――そうだ、もぐさだ!
火種からもぐさで火を大きくするんだった。
枯れた藁とか猫じゃらしのようなものは見当たらなかったから、さっき倒した木の皮を削った。結構それっぽいのができた。あと枯葉なんかも集めておこう。
この手探り感、良い。楽しい。
……
三回目。
火種をもぐさに移して大きくした火を枯枝と枯葉で円錐状に組んだものの下に入れて、慎重に息を吹きかける。
上手くいった。
まだ儚くて頼りないからしっかりと見ておかないと。
――よし、安定しだした。
ああ、いいなぁ。
薪が燃えていく様子、いつまでも見ていられる。
癒されるなぁ。
おっと、火をぼうっと見てたら腹の虫が鳴いた。
我慢できない程ではないけれど……。
家の中を見回った時、棚とか押し入れは見ていなかったのを思い出した。
再び探索。
一階の空き部屋の和室四部屋には押し入れの中含め何も無かった。
残る一室は大きな箪笥のあった部屋だ。
押し入れを開ける。
おお、布団があったぞ。
二組あるな。
枕もちゃんとある。
良かった。正直床でそのまま寝る事を覚悟していたよ。
一つは予備としても大事に使わないとな。
とりあえず一組敷いておこう。
次は箪笥。
当たり前かもしれないけど服が綺麗にたたまれて入っていた。
全部着物だ。
今着ている甚兵衛と同じものも数着発見した。
他にもいろいろ入っている。
日本家屋とは言いましたけども、そこまで和風に統一しなくても……。
着付けとか出来ないんですが。
――当分は甚兵衛だな。
ダメだ。腹の虫がどんどん自己主張を強めてくる。服なんかいくらあっても腹は膨れないよ。
他にこの屋敷内で食べ物があるかもしれない場所は――あの台所のような部屋だけだな。
順番に棚と引き出しを見ていく。
壁際の台の足元の引戸を開けると、種類の違う包丁が三本ぶら下がっておりその外大小様々な鍋やフライパンが入っていた。
なるほど、調理道具はあると。
でも食材は自分で調達せよと。
……
ひもじい。
ゆらゆらと揺れる炎を見ながら井戸から組んできた水を飲む。
あの後、この透視の力を使って家を見回ったが食べ物は何も見つからなかった。
木製や陶器のコップや皿を幾つか見つけただけだ。
道具はあっても肝心の食材が無いとどれも無用の長物。
そんな事をしている内に完全に日は沈んでしまった。
どうして森の中で食べ物を探すという発想にならなかったんだ俺は……。
夜目が利くとは言え、流石に夜の森に繰り出すのはなぁ。
――ほら、今だって凄い動物の咆哮が聞こえたし。
あれ、なんか足音が――。
耳を澄ます。
――やっぱりこっちに近づいて来てるよな?
屋根に上ってみる。
砂煙を立て木々を倒しながら巨大な何かが走って来る。
目を凝らす。
あれは――熊!?
しかも驚くほどの大きさだ。
この森の動物たちは俺が知っているのより大きめだなとは思っていたが、あの熊はおかしい。
四つん這いの状態でも三、四メートルくらいの高さだ。
あ、これ、ピンチだ。
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