Episode1 空も飛べるはず
タクトは横たわる自分の姿を見ていた。
地上33階のタワーマンションの最上階から転落し、コンクリートに打ち付けられたのだ。
飛び出る内臓、弾けた頭蓋骨、流れ出す血液、もはやヒトの形を留めていない。
ホラーゲームに登場するショットガンで撃ち抜かれたゾンビの様相だ。
記憶が錯誤していたが、目を瞑り思い出す。
諒解した。
自分は死んだのだと。
「パンツだ。ユメカのパンツを見たせいで死んだ。いや違うか。」
引っかかった洗濯物を取るために跳躍した時に、四肢を何かに持ち上げられる様な感覚があった。
あれは何だったのだろう。
まだ混乱は続いている。
自分の死体の横に立ち尽くす。
通行人だろうか、マンションの住人だろうか、奇声とも呼べる悲鳴を上げて腰を抜かしている人、冷静に救急隊に通報してくれている人、様々な野次馬の姿が伺える。
その中の一人に話をかけてみる。
幾人かに声をかけてみたが案の定反応はない。
しかし不思議だ、人や物に触れる事は出来た。
緊張からか喉が乾いてくる。
「は……ははっ、幽霊って喉が乾くんだな……。」
気づけば空腹感もあった。
「まさか僕はゾンビになって人間を食べるとか、そういう類の生き物になったわけじゃないだろうな。」
そんな事を考えていて、ふとユメカが気にかかった。
「ユメカ、驚いただろうな。様子を見に行ってみるか。幽霊だから空とか飛べちゃったりするんじゃないの。瞬間移動とかできたりして。」
…。
……。
………。
「走れる……。重力を無視して向かった方向へ走る事はできるのか。まあ空を飛んでいる様なものか。」
アニメみたいに頭上に天使の輪が出てきて、自由自在に飛び回る機能くらいは備わっていると思っていた。
しかも体力を消耗する。
実に微妙な能力である。
最上階の33階までは約100メートル。
直線で上ると意外と近いものだ。
ユメカはベランダのオープンスペースで項垂れていた。
本当に腰を抜かした状態の人を見たのはこれが初めてだった。
「ユメカ……。聞こえないと思うけど……。何かごめん……。」
まさかこんな形で人の死に直面するとは思っていなかったであろう女子高生。
その目には涙が浮かんでいた。
「ほんと、何なの……。こんなのって……。さっきの、何だったの……。」
慰めにもなりそうにないが、気の毒になってユメカの肩に手を置いた。
その瞬間、口の中一面に痛烈な苦味が迸った。
「ぐわっ、苦い、何だこれ!」
「……タクト!え!?何で!落ちたでしょ!落ちたよね!無事だったの!?」
「え!見えるのか?僕が見えるのか!?」
お互い何が起こったのかわからず興奮状態だったが、タクトは事の顛末を説明した。
「洗濯物を取ろうとして飛び跳ねたら、強風に押されたなんてものじゃない異常な跳躍力を感じたんだ。そして僕は多分転落して死んだ……。階下の人に声をかけてみたけれど誰も返事をしてくれないし、きっと僕は幽霊になってしまったんだよ。はははっ……。現に今だって、空を飛んで来た訳だし。それと、喉が渇いたしお腹も空いた。」
同じくユメカも僕が転落する際に起きた事象を説明してくれた。
「タオルを取ろうとした時に、確かに異常な程浮かんでた……。その時は風なんて吹いてなかった。タクトの周りが黒い霧で覆われていたの。あと、パンツパンツ煩かった!」
そんな不明瞭な現状の中ではあったが、ユメカと会話が出来た喜びが勝り互いに笑顔が溢れる。
「お腹空いてるんでしょう?何か食べようよ。料理するよ。」
「そうだな。幽霊になってまで空腹か……。放っといたら更に餓死とかするのかな。」
「そんな話あるー?仕方ない、これからはうちで生活するといいよ。」
「毎日コンビニやファミレスで無銭飲食する訳にもいかないしな。お言葉に甘えます。」
ユメカの手料理は絶品だった。
中学生の頃から一人暮らしで腕を磨いたとは言え、完全に胃袋が掴まれる感覚に陥った。
「こんな街中で騒ぎになったからニュースになってるかもしれないな。」
「テレビ見てみよっか。」
「……何も報道されてない。」
何十インチか想像もつかない巨大モニターに映るニュースにはいつもと同じ、政治家のスキャンダルや近隣国のミサイル問題、芸能人の結婚報道が流れていた。
「ちょっと下の様子を見て来るよ。」
「え、やめなよ。戻って来れなくなったらどうするの?」
「大丈夫、怖くて自分の死体の所まで行けないよ。ベランダから覗いてみるだけ。」
階下を見下ろした。
いとも簡単に浮遊できるものだから、生前の恐怖感など一切なかった。
「あれ、何もないぞ。人だかりもない。もう片付けられたのかな。」
「そんなわけ。警察とか消防とか居るはずでしょう。」
「居ない。何もない。血溜まりも警察も消防も。」
「どういう事なの……。」
プカプカ浮かぶのを止め、ベランダの床に降り立った。
「まただ……。またあの苦味が口中に広がってきた。」
加えて激しい頭痛も襲ってきて、タクトは床に蹲った。
「タクト?ちょっと!どうしたの!?」
「ユメカと、会話出来た時も……、口の中が苦くて……、でも今回は頭も痛い……。」
「どうしたらいいの……大丈夫なの?」
「ごめん……、ちょっとの間、そっとしておいてくれるかな……。」
「……いる!タクト…ろ…!……る!」
「何を言ってるんだよ……。これじゃあさっきと同じじゃないか……。ユメカ、何を言ってるのか聞き取れないよ……。」
またしても意識を失いかけながら、地面にひれ伏すタクトに見えた光景はユメカの白いパンツだった。
ただ今回は、さっきの落下する前とは違う、背後に何か禍々《まがまが》しい気配を感じていた。
「もう意識を失う訳にはいかないんだ。」
タクトは意を決して転がる様に後ろへ体を向けた。
Episode2へ続く