Episode13 英和辞書
目の前に現れた男は、手に持ったビニール袋をザラザラと振り回し、何の言葉も発する事なくこちらをジロジロと見ていた。
「何?どうしたの?タクトもストナちゃんも立ち止まっちゃって。早く帰ってご飯の準備しようよ。」
「どうされましたの?お姉さま。しゃぶしゃぶですわよ♪」
「こやつ……。」
「ああ、見えないだろうな。この人は僕と同じだ。」
「何を言ってるの二人共。ストナちゃん、何が起こってるの?」
黙ったまま鋭い眼差しで男を凝視するストナ。
「やっぱり、あんた俺の声が聞こえてるんだな。しかも飛べるなんて羨ましいぜ。俺なんか徒歩よ徒歩。マジかったりぃんだよな移動するのが。楽な方法もあるんだが、俺の行きたい所に行けるとも限らねえんだ。」
黒いジャケットから覗く白いシャツ、その胸元にはサファイアだろうか。
蒼い石がぼんやりと光っているのが見える。
「ユメカとネムリは先に部屋に戻っておるのじゃ。すぐ行くのでな。」
「初めて僕意外の半人半霊ってやつを見たな。驚きましたよ、よろしく。」
明らかに年上の雰囲気、見た目も恐ろしげな風貌の相手にすんなりと手を差し出していいものか。
その場をやり過ごすにはそれしか最善策が思いつかなかった。
「ハッ、こちらこそ。姉ちゃんたちもう帰っちゃうのか?まあいっか。どうせ聞こえてないだろうしなあ。俺はマキシマだ。」
僕の手を掴むマキシマと名乗る男の手は冷たかった、人間の体温を遥かに下回る冷気を感じた。
空を掴む僕と微動だにしないストナを横目に、ユメカとネムリは立ち去って行った。
「タクトよ。こやつ、お主と同等の半人半霊ではないのじゃ。」
「な、何を言ってるんだ。この人も死神か何かだって言うのか?」
「そこのお嬢ちゃんは俺の事が見えてるのか?へぇ。どういう仕組みかよくわからねえけど、俺も自分の事よくわかってねえんだ。」
ビニール袋から取り出したコンビニのチキンを頬張りながら体をユラユラ揺する男。
ストナの視線は男を捉えていると思ったが違った。
奥、男の遥か奥の壁を凝望していた。
「ふむ。こやつは人間じゃった。我の責任かのう、参ったのう。フフッ。」
「タクトっていうのあんた。俺さあ半年くらい前、コンビニ帰りに飛び降り自殺の現場に居合わせたんだよ。あっという間に悲鳴と野次馬が入り乱れてな、その時にあんたがビルの壁走ったり空飛んだりしてるのを見たんだ。幽霊か宇宙人だと思ってスマホをあんたに向けたのね。そこからだよ。その後ツレに話しかけても返事はないし、妙なチカラも付いちまうし、どうなってんだこれ。」
「どうなってって……、あなたは半人半霊じゃないんですか?その左手の傷。それに妙なチカラって、能力の事じゃ。」
「これはよぉ、ガキの頃からある古傷よ。妙なチカラか、見てくれ。」
マキシマが手のひらを合わせるように叩くと、マンションのエントランスにあった観葉植物が浮かんだ。
「これだけじゃねえんだ。最近こんな事も出来る様になった。」
マンションの天井、スプリンクラーから水が放出された。
「これ……。僕の……。」
「驚いたろ。これだけじゃねえ。」
マキシマの姿が消えた。
消えたというよりは地面に吸い込まれた様に見えた。
「よお、タクトさんよ。あんたの影の中にいるんだ。これがさっき言ってた行きたい所に行けるかわからねえ移動手段ってやつ。まだあるんだぜ。」
姿を現したマキシマが手に持っているビニール袋が、ザラザラと音を立てる。
「このチキン。あの時コンビニで買ったやつなんだけどよ、食っても食っても復活しちまうんだ。便利だろ?」
「ど、ど、ど、どういうことだストナ。」
「マキシマと言ったかの。お主、我ら意外の者に回帰されておる。そこの壁の中におるやつにのう。」
「壁だあ?何言ってるんだよお嬢ちゃん。意味がわからねえよ。」
「すまんストナ。本当に意味がわからない。ちゃんと説明してくれ。」
かくかく…。
しかじか…。
「でじゃな、タクトが転落した時にじゃな、あのじゃな、そのじゃな、お主のカバンに入っておった分厚い本があったじゃろ、エイワジショとワエイジショかの、それがじゃな。マキシマ、お主に直撃したのじゃ。その時お主も死んでおったのじゃなあ。」
「なっ、そんな覚えないぞ嬢ちゃん!」
「野次馬の時点でマキシマ、お主は既に死んでおった。我に憑いて来たスペクターがお主を回帰させてしまったのじゃな。ほほっ、そんな事もあるんじゃのう。」
「ストナ、スペクター?ってなんだ?」
黒い霧の中から大鎌が出てきた。
そして先程から目をやっていた壁に向かってそれを向けた。
「こやつじゃ。我らのやること成すことを真似しよる、言わば下級死神じゃの。天変地異が起きた時などに致し方なく駆り出される程度の死神じゃ。回帰というのはじゃな、細かい事は言えぬが、最初に目にしたジャッジメント対象者と同等以下の能力を与えられる。天地に篩い分けられるまでの順番待ちの余興みたいなものかの。そしてお主は一つの能力を得ておる。先程の影に潜むやつじゃのう。」
大鎌を振りかざすとスペクターの姿は消えた。
「オホン、さてさてマキシマよ。改めてお主が死んでしまったのはとんだ事故ではあったが、どうでもよい。お主は今から天国へ行くのか地獄へ行くのか、はたまた蘇るのか天地のジャッジメントを受ける事となる。死因であった死に方はしない。クククッ。エイワジショとワエイジショが直撃しても死ぬことはないじゃろう。ククッ。ただし、回帰を受けておるお主の生命は一つじゃ。その生命が尽きるまでジャッジメントは続くのじゃ。物問いは、ククッ、あるかの?先程ッ……説明したからもうないじゃろうな。」
「ストナさあ、わざと英和辞書とか和英辞書とか言ってんだろ。マキシマさんに失礼じゃないか。」
「ハッハッハッハ!構わんよ!おもしれえ事になっちまったなあ。」
「クククッ、申し訳ないのう。エイワジショとワエイジショが空から降ってきて命を落とすなぞククククッ、前代未聞じゃて、じゃが非礼を詫びようぞマキシマよ。」
「いいってことよ!じゃあ俺はスッキリしたからこの辺で帰らせてもらうぜ。」
「帰るって、どこへですか?」
「そらおめー、嫁の所に決まってんだろ。最初は驚いてたみたいだけどな。筆談ホストってやつか?理解のある女で助かったぜ。」
「そういうことも、あるんですね……。」
「転機が起きたわけじゃないからの、意思疎通の手段はそれしかあるまいて。いい相方に恵まれたのうマキシマよ。」
ストナがそう言い終わる頃には、マキシマは背を向け手を降って歩いていた。
部屋に戻る途中も終始笑顔というか、ニヤついたストナの表情に僕は複雑な気持ちになった。
「遅かったねー。野菜切ってもらおうと思ったのにー。もうあとは食べるだけだよー!早く手洗って着席ー!」
「お姉さま♪先程とは打って変わって随分と楽しそうですわね♪何があったのですか?」
「まあ説明は後じゃな。クククッ。しゃぶしゃぶしようぞ!しゃぶしゃぶ!」
「牛に豚にラムか。豪華ですね相変わらず。しかしうまそうだな。」
ユメカのタワーマンションから程なく近いマンションの一室も静かではあるがささやかな食卓があった。
【お!今日は俺の好きなすき焼きじゃないか!いつもありがとよ!】
【いっただきまーす!】
Episode14へ続く




