Episode0 リアル重力
僕、笹森タクトは死んだ。
あれから数ヶ月、今は異能者と呼べば良いのか、超能力者と呼べばいいのか……。
まあどちらも似た様なものだ。
現世を彷徨っている幽霊とでも思ってくれればいい。
あの事故さえなければ……。
話は大学入学式まで遡る。
そこそこの大学、応明大学での新生活が始まったその日、帰りの地下鉄乗り場までの歩行空間で家庭教師の勧誘に遭ってしまった。
親からの仕送りもあるし、バイトなんてする気も更々なく、普通の大学生活をENJOYしようと軽音サークルにまで入った。
自分で言うのも何だが、それなりの容姿、勉強もスポーツもまあまあ、いわゆるそこそこ文武両道というやつだ。
大学で新しい友人に囲まれ、あわよくば恋人も作ってリア充になる予定なのに、なぜ家庭教師なんてやらなければいけないんだ。
そんな気持ちで取り合うつもりはなかった。
しかし無視する事も出来なかったので、チラシだけ受け取って帰路に就く。
「ふーん、家庭教師か。家庭……教師……!?」
パンフレットに目を通すと、大見出しにはこう書いてあった。
【家庭教師募集中!星乃光高等学校の家庭教師急募!】
星乃光高等学校と言えば名門中の名門、通学や下校時には高級車が並ぶお嬢様学校である。
翌日、僕は家庭教師の受付窓口にいた。
普段であれば登録だけ済ませて、生徒の紹介を数日とも数週間とも待つ事になるそうだが、新学期ということもあり、簡単な筆記テストの後、当日の内に生徒を紹介される運びとなった。
名門女子高生宅は街の中枢、タワーマンションの最上階にあった。
モニター越しに会話をする。
「初めまして!本日から家庭教師をさせていただく笹森と申します。」
第一印象が肝心だ。
僕は声を張って明るい雰囲気を醸し出した。
「はいどうぞー。」
その声はやけに軽い。
セレブ街の名門女子高生ともなれば、ツンツンした高飛車なお嬢様のイメージがあった。
そんな世界の人とお近づきになれるチャンスかもしれないと思っていたのに……。
「初めまして。早速なんだけどこの問題の解き方を教えてくれない?」
軽い!
自己紹介すらしていないのに。
セレブの風格ではなかったが、見た目はおおよそアイドル級で、セーラー服姿やその艶やかな黒髪に惹かれてしまう。
が、やはり軽いな。
慌ただしく靴を揃えテキストを持つ彼女を追う。
吹き抜けの天井、洋画に出てきそうなライティング、螺旋階段、一面ガラス張り、カーテンはない。
おそらくボタンを押すと遮光される、瞬間調光ガラスというやつだろう。
「応明大学1年の笹森タクトです。数学と英語の学習を担当します。よろしくお願いします。」
「星乃光高等学校1年の財満ユメカです。敬語じゃなくていいよー。」
屈託のない笑顔を向けられて少し照れてしまう。
広いリビングのテーブルで、日常会話を挟みながら勉強を進めた。
「ユメカさんのご両親は何のお仕事をしてるの?一等地のタワーマンションの最上階だなんてすごいね。」
「両親は海外にいるよ。大理石を加工する会社を経営してるの。」
「へえ、そうなんだ。食事とかは家政婦さんがやってくれてるのかな?」
「そんなのいなーい。料理も掃除も洗濯も全部自分でやってるよ。そ・れ・に!ユメカでいいって言ったじゃない。」
うーん。
ツンデレ風、太もも。かわいい。
一通りの学習を終えて家を出ようとした時の事だった。
「ごめんタクト、ベランダの洗濯物取り込むの手伝ってほしいな。」
雑用まで僕にやれというのか。
まあいい。
美少女の頼みなら聞いてやろう。
これはベランダというのか、ベランダと言っていいのか。
僕の家のリビングの数倍はある屋外オープンテラスには幾段にも連なる物干しスペースが設けてあり、シーツやタオルが干してあった。
「タワーマンションって管理規約とかで洗濯物干したらだめだろう。」
「いいの、最上階だし。それにこのマンションうちの親の持ち物だし。」
「そ、そうなんだ。」
住む世界が違う。
僕の家と比較してはいけない……。
「しかし最上階ともなると、風が……強いね。」
「そうなの。だからお願いしてるんじゃない。」
「パンツとか飛んでいっちゃうね。」
「下着はここには干さなーい。」
変な空気になってしまった。
話題を変えないと。
「そう言えば、地震とかで揺れたりしないの?」
「制振装置って知ってる?それがあるから揺れないよ。」
「そうなんだ。にしても、洗濯物干すには位置が高くないか?」
「この台を使ってー。」
そんな会話をしながらシーツを取り、タオルを取る。
ユメカの足元のカゴに入れる。
最後の一枚を取り終えた時にタオルが一枚、突風に煽られて飛んでいった。
「ほらもたついてるからー、飛んでいったじゃない。ちゃんと取ってよー。」
背伸びでは届かないのか、飛び跳ねて上の段に引っかかったタオルを取ろうとするユメカ。
それでも届かないユメカを見かねて、僕が跳ね上がりタオルを取った。
はずだった。
突風に煽られたなんてレベルではない自分の跳躍力に驚いた。
アメコミヒーロー宛らのジャンプ力に、僕もユメカも驚愕した。
「ちょっと……、え……、パンツ……。」
「…………!」
「パンツ見えてるって!」
「…………いる!」
気づけばフェンスを飛び越え、コンクリートの地面が数十メートル下に見えた。
ユメカが何かを言っているが聞き取れない。
走馬灯と言うのはこの事か。
事実を受け止めた瞬間、もの凄い恐怖に襲われた。
もう体は動かない、言う事を聞かない。
視界の景色がスローモーションであるのに対し、地球の重力が何十倍、何百倍の威力で迫ってくるのを感じた。
最期に見た景色は、逆さまに映ったユメカのスカートから覗くパンツだった……。
白……。
「ははっ、これが本当のリア重って……やつ。」
そこで僕の人間としての生涯が終わった。
Episode1へ続く