殴る理由
定時制の生徒の交通手段はバスや電車に車からバイクに自転車と何を使ってもOK。
校則違反にはならず罰せられないのだが、
一介の貧乏高校生がそれら交通手段を使うのは学校から家までが遠いか、
もしくは自然災害による場合だけであって、
基本的に定時制のどの生徒も自転車と言うオーソドックスな交通手段を用いて登校する。
これは僕だけでは無く、教授や白鳥に谷口、中村も上村も自転車で登校していた。
その中で上村は学校から駅二つ離れた所に住んでいた。
それにも関わらず上村は自転車通学をしていた。
誰もが「ハードな女」と言う印象を持つほどの長距離ランナー。
上村がどうしてわざわざこの定時制に来た理由は誰も知らない。
友達関係に問題があったという話もなく、何かの事件や問題を起こした話もない。
何かしらの過去があるのだろうと思っていたが、
あの時まで僕は人の過去を知りたいとは少しも思わなかった。
感情移入なんてしたくなかった。
誰かの為になんか泣いてやるかと思ってた。
高校一年生の時、僕は一人の先輩に目を付けられた。
生意気な下級生がいる、それだけで殺される場所がこの世にはある。
冗談みたいな話だが本当の事なんだから信じてもらうしかない。
勿論、そんな不文律が成立する常識は校則のどこにも載っていない。
けれどそれだけが正しい場所だからこそ成立する。
ナメられたら負け犬。メンチを切られたら殴り返すのが挨拶だ。
不良のルールはどこまでも不条理で言葉で語るには不可能な世界だ。
例えば陰湿なイジメがある。それでも理由はある。
気持ち悪いから、臭いから、馬鹿だから、ウザいから。貧乏だから。
生理的理由から社会的理由。理解できる範囲の言い訳がある。
けどあそこにはそういった理由が存在せずに暴力が行われていたこともあった。
突然、上級生が血まみれで階段を転げ落ちてきたことがあった。
殴った奴は「なんとなく」とそれだけ言った。
悪はいつだってシンプルイズベストだ。
サーフィンしたいからベトコンの基地を焼く。
だからそれに比べたら僕の殺される理由はまだマシだったのかもしれない。
先輩に目をつけられた理由は「挨拶をしなかった」と単純な理由だった。
自分たちの価値観だけで生きている人間は特にこういったことに厳しかったりする。
僕だって挨拶は大事だ、とは思う。
けれどあの世界でのそういった関係を僕は否定していた。
関係を作れば必ず血を見る。僕自身、誰かを殴らなくてはいけない。
やがてそれが当たり前になる。そんな日常を手にしたいとは思わなかった。
ましてややられたらやり返すのが常識。
終らない復讐の連鎖はテロが無くならないのと同じ理由だ。
エスカレートして行く暴力の先はどちらかが死ぬことでしか終らない。
殴るか、殴られるか。考えるまでも無くどちらも嫌だ。
平和でなくても良い。けどその選択を迫られるのは嫌だった。
しかし残念なことに重要な選択ほど決断を速く迫られる。
それから数日後に僕は先輩と廊下ですれ違った。
「おい!」
そう呼び止められた。
「なんですか?」
「ちょっとついて来い」
「これから授業です」
そう言ってみたが相手は意に介さず目で物を言う。
ここに来て覚悟はしていた事だがこんなにもその機会が速くも訪れるとは予想していなかった。
トイレまで付き添う数メートルの廊下を死刑囚さながらの思いだった。
けど、その先輩は次の瞬間には僕の視界から消えていた。
気付いたらいつの間にか現れた谷口がぶん殴っていた。
暗闇の廊下で怒声が響いたかと思うと重く鈍い音が鳴る。
「なにすんだぁ!てっ!」
谷口に向かってそう叫んだ先輩の声は途中で掻き消された。
谷口とは別にいつの間にか現れていた上村が腹に蹴りを入れていた。
その後、散々殴り飛ばし戦意をなくした先輩は置いて僕たちは駐輪場へと出た。
僕は聞きたいことがあった。
「どうして?」
なんで助けてくれた?
なんであそこにいた?
なんで殴った?
お前たちまで巻き込まれるぞ?
そういう疑問を含んだ「どうして?」だったのに谷口は「友達じゃん」の一言で片付けた。
その時、僕はあくびのふりして涙を流した。
僕がその時まで出会ったて来た友人の中で一人だっていただろうか?
僕の為に自分の手を汚してくれる人が。僕の為に誰かを殴ってくれる人が。
僕はそう言うのが凄く苦手で嫌いだった。
いつかはきっと借りを返してくれる。
ウサギの耳のような温かい友情、淡い希望的観測、そんなどろどろの物には出来る事ならさわりたく無い。
無駄なものはキッパリと捨ててしまいたい。いつもドライで、そして身軽でいたい。
そう思っていたのに嬉しかった。
それから数日後に僕は別の先輩に呼び出された。
用件は喧嘩の事だったが、向こうは「争う気は無い」と言う。
どうして殴られたのに争う気がないかといえば、彼らは四年生で季節は夏。
夏が終って冬が来れば卒業が決まる。
歳を取ると自然とリスクが増えるのは誰もが承知の事だろう。
それらリスクは社会的信用や自分個人の為の場合が多いが僕も人の事は言えない。
「それじゃ」
一通りの話し合いが終わ僕が席を離れようとすると、先輩に最後に質問された。
「つーか、どうして関係ないあいつらがいきなり殴り掛かってきたんだ?」
「きっとむしゃくしゃしてたんでしょ」
「たまんねぇー理由だな、おい!」
適当な理由で僕はその質問をやり過ごした。
口に出すのはなんだか照れくさかった。
教室に戻ると上村だけがいた。
「どうだった?」
「今後一切関わらない。こちらから手を出さない限り向こうも出さない。平和条約か、それともただの冷戦かはそっちの好きにしろって」
「ふーん」
「安心しろよ。僕の顔を見ろって」
「わざとらしく、嘘つきの顔だね」
「挙句に人を信じない顔だ」
殴るか、殴られるか。結局、その選択は今でも嫌だ。
それでも僕は殴ることを選ぶ。
「だけど今度は私たちの為にあんたがいつか殴ってくれるんでしょ?」
「もちろん」