見知らぬ君と
全日制と定時制というシステムについて説明しようと思う。
出来ればおもしろおかしくジョークを交えたいと思うがきっと無理だと思う。
定時制は要するに夜間学校。夕方六時から夜九時まで勉強をする。
それを四年間。中学を卒業していれば誰でも入れる。
男でも女でもオカマでもホモでも性同一性障害でもなんでもあり。
それこそ超が付く優等生からヤクザまで何でも来い。
まぁ優等生は普通の学校。つまり全日制に行くんだけどね。
そりゃあ、優等生が定時制になんか来るわけがない。
ましてや生徒会長がヤクザの学校なんてね。
これはヤクザっぽい顔をしているとかじゃなくて、
言葉通りヤクザだったんだ。
今これを読んでいる君たちの学校の生徒会長がどれだけ駄目人間でも、
ヤクザよりはマシだと思えば立派な学校さ。
部活の予算が運動部より文化部の方が多いだけで
「タマ取ってこい!」なんて言わないだろ?
生徒会会議に五分遅れただけで
「エンコしろ!」なんて言わないだろ?
ましてや生徒会経費に裏帳簿なんて無いだろ?
「コンクリート」「ドラム缶」なんて帳簿は。
でも先生に喧嘩を売る生徒がいる? それでなくても刃向かう生徒がいる?
大丈夫、そんなの全然普通だよ。まだマシな方さ。
次の日、突然担任が盲腸で長期入院するよりはね。
全治三ヶ月だってさ。まぁそんなわけで少しは分かってくれたかな?
これが僕のいた定時制という場所が。
毎日あんな所に通うのは暗澹たる気持ちだったよ。
でも、黄昏時は好きだったんだ。
光と闇が交わる時間。
全日制と定時制がほんの数分だけ交わる時間がね。
定時制の時間が始まる六時前に校内放送が行われていた。
「全日制生徒は速やかに校内に出て下校をするように」
こんなアナウンス。僕たち定時制が教室を使う為に
全日制の生徒は校内から出なくてはいけないんだ。
それでも残っている全日制の生徒はいるんだ。
丁度あの日もそうだった。
夏休みがあけたばかりの九月。
まだ夕暮れが遅く、授業が始まっても日が落ちる事は無く、
オレンジ色の夕暮れが校舎を照らして、教室にオレンジの光が注いでいた。
少しずつ時間が経つにつれ、その光は段々と引いて行く波の様に暗闇に消えていった。
そんなセンチメンタルも何処吹く風と僕はアルコールランプに火をつけて、
試験管に入れた粉末を熱して溶かし、
液体にして彷彿しないようにゆっくり揺らしながら温めていた。
僕は硫黄を熱していた。黄色くて臭い、温泉の臭いという奴らしい。
らしいと言うのは僕は一度も温泉なんて入った事が無いから。
だから「此れが温泉の臭いね」と思っていた。
それとは別にテレビや写真なんかで見る粉末の覚醒剤。
あれもこうやって熱して液体にした後、注射で注入するんだなと考えていた。
どうしてそんな事を思ったのかと言えば、
その頃先輩に「0.5gを5千円で買え」と脅されたから。
液体化した硫黄を彷彿しないように試験管を振りながら熱した後、
水をいれたビーカーを用意しておく。
その後、そのビーカーの中に熱して液体化した硫黄を入れる。
水の中で黄色い液体がゴムの様に伸びて固まっていく。
アメ細工の様にゆっくりと底に沈殿しながら、固まって硫黄が固体化する。
何の実験で何の意味があるのかはすっかり忘れたけど、
こうやって覚えていると言う事はきっとテストに出て、
僕はバッチリ正解を書いたのだろう。
なんだかんだと言い訳を付けてメンドクサがる僕だが化学の時間は好きだった。
化学が好きなんじゃない。化学の時間が好きなのだ。
化学の時間は実験が終わった後はいつも好きなことをやって良かった。
あの時、僕と金髪で見るからに馬鹿な谷口と一緒に
水と醗酵菌と砂糖を使って甘酒を作っていた。
糖の量を多くして、醗酵させればアルコール度数の高い甘酒が作れる。
そんなことを考えて。作り方は簡単。
水と醗酵菌と砂糖を混ぜて後は熱するだけ。
時々、掻き混ぜて終わりの作業。
その間に僕たちはコーヒーも作っていた。。
アルコールランプと三脚を準備して、その上にはコーヒー専用のフラスコ。
お湯を入れて、インスタント豆を入れる。
後はしばらく待つだけ。あの時、
「ちょっとトイレ行って来る。煮詰めすぎるなよ」
谷口がそう言って席を立った。
「どうせインスタントだよ。クリープ入れたら、ただのホットミルク」
そう言って職員室から盗んできたクリープを見せて、
僕は彼のコーヒーに対する愛を放り投げて漫画に目を落とした。
少年ジャンプを読みながら、コーヒーが煮詰まっていく音が聞こえる。
僕はアルコールランプにキャップを被せて火を消した。
谷口が帰ってくるのを待ったが五分経っても戻ってこない。
「長いな。糞か」と僕は独り言を呟いて湯気を立てて冷めていくコーヒーを見ながら
読み飽きたジャンプをゴミ箱に捨てた。
甘酒のビーカーをガラス棒で掻き回しながら時間をつぶす。
ビーカーとガラス棒がぶつかる音だけが静かに教室に響く。
コツコツコツ、トン、コツコツコツ、トントン。
違う音に気付いて振り返ると、制服を着た女の子が化学室のドアを叩いていた。
知らない女の子。
「すみません。忘れ物をしちゃって取りに着たんですけど、入って良いですか?」
「どうぞ」
全日制の生徒だった。ゴソゴソと机を探し回っていた。
「見つからないの?」
「え、あ、はい。おかしいな」
「何探してるの?」
「えーと、ジャンプ探してるんですよ」
「あー、それならさっきゴミ箱に捨てちゃったよ」
僕が読んでいたジャンプは机の下に置かれていた。
「あーありました」
ゴミ箱からさっと拾い上げて僕に見せる彼女。
「良かったね」
気の利いた言葉なんて必要ないだろう。
僕たちの出会いはこれで終わりなんだから。
クラスが違うだけで友達になれない人がいる。
ならシステムが違うなら友達になるどころか
これ以上の会話を成立させるのは不可能だと思わない?
けど、あの時は違ったんだ。
「ところで何してるんですか?」
ガラス棒を回している手を止めて僕は指を指す。
「こっちが甘酒。こっちがコーヒー」
「それをどうするんですか?」
「飲むんだよ。飲んでみる? 温め直すけど」
僕はマッチを擦ってコーヒーのアルコールランプに火をつける。
火を付けて温めると直ぐに沸騰したコーヒーを紙コップに一杯注いであげた。
「良い匂いですね」
「インスタントだよ」
「違いますよ。コーヒーじゃなくてマッチです」
僕はマッチ箱を手にとってマジマジと見つめる。
普通のマッチだ。
「タイガーマッチ」
この名前とラベルの虎さえ無視すれば。
「どこが良い匂いなの?」
「奥底の匂いがしませんか?」
「意味が分からない」
僕は首を傾げながらコーヒーを一口飲み込んだ。
煮詰めすぎたから谷口が怒るなっと思った。
彼女はマッチ箱からマッチを一本取り出して火を付けた。
勢い良く燃えるマッチ。段々と火が弱まり、彼女がふっと柔らかく息を吹く。
得だよな、女って。そう言う仕草だけで色っぽい。
なんて思っていると煙と同時に嫌な匂いがする。さっき散々嗅いだ硫黄の匂い。
彼女は天井に昇っていく煙を目で追う。蛍光灯に照らされて煙がハッキリと見える。
「良い匂いですよ」
彼女の言葉に僕も煙を目で追いかける。
「何処が良い匂いなの?」
「温泉って凄く深く掘るんですね。それで硫黄も出てくるんですよ」
「うん」
「地球の奥底の匂いがしませんか?」
「そう考えると面白いね」
「はい」
それからは暫く無言のまま目で煙を追いながらコーヒーを飲んでいた。
「それじゃあ、ご馳走様でした」
丁寧にお辞儀をされて、彼女はジャンプを持って教室からいなくなり、
入れ替わりに谷口が戻ってきた。
「今の誰? 知り合い?」
思えば名前すら聞かなかった。
「知らない」
そう言って僕は沸騰させたままのコーヒーを紙コップに注いであげた。
煮詰めすぎたコーヒーはやっぱり苦かったようだ。
しかめっ面に殺意がこもっていた。
「苦すぎる。カプチーノにしろ」
「ないよ。そんなの」
「ならカフェオレ」
「あるのはオリゴ糖かクリープ」
薬品の茶色い瓶のラベルに「オリゴ糖」。
クリープには田村正和のシールが貼ってあった。
「注文のすくねぇー店だ」
「本当だな。きっと宮沢賢治も草葉の陰で泣いてるよ」
「誰それ?」
「注文の多い料理店の話」
僕はコーヒーをこぼして甘酒は冷蔵庫にしまう。
最後に片づけをして教室を出て行く時、
マッチ箱をポケットに入れておいた。
僕は一本だけ擦って火を付けると直ぐに火を消す。
君が誰かは分かりません。
君は僕が誰かは知らないでしょう。
でも僕は覚えています。
「地球の奥底の匂いがしませんか?」
この言葉と匂いと共に。
いつかまたコーヒーが飲める日を楽しみに。