表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
定時制の夜に  作者: 猫缶
3/6

大人のように笑った。

7月の初め。


気象庁はまだ梅雨明け宣言を出していなかった。


鬱陶うっとうしい雨と湿気で僕の長かった髪がぐしゃぐしゃになっていた。


高校三年生の時の事。あまりに雨が強すぎて僕はバス通学をした事があった。


ジーパンを履いて、シャツを着て、ポケットに携帯電話と財布。


携帯電話で時間を確認すると午後4時30分。


靴を履くと玄関を開ける。


外に出ると降り続ける雨が道路に川を作っていた。


僕は傘をさし、靴が濡れない様に川の無い所を歩きながらバス停まで歩いた。


あの日も学校があり僕は学校に行った。


いつまでも降り続ける雨を見ながらバス停でバスを待ち、田舎から街へ出るバスへ乗った。


バスには誰も乗っておらず、僕は一番後ろの席に座って窓の外の雨を見ていた。


駅に着くとそこから乗り換えて学校近くまで行き、後は徒歩で向かう。


学校に行く時も帰る時も誰もいない。いつも一人だった。


学校に着いた頃にはジーパンやシャツが濡れていて、


言葉通り水玉模様が出来て僕は顔を顰めた。


学食へ行き見知った顔を捜した。


谷口が前の席で食べていたので彼の隣に腰掛けた。


「濡れた?」


「濡れたよ。それにバイクのタンクに水が入って壊れた」


谷口は外で降る雨を一度見た後、苛立ったらしく食べかけのスープの中にスプーンを落とす。


「ごちそうさま」


言いながら立ち上がると食器を食堂のおばちゃんに渡した。


二人で学食を出て廊下に出ると廊下が濡れていた。


廊下の真ん中には「滑る、注意」と書かれた立て札が置かれていた。


歩く生徒達の革靴からキュキュと言う音が立っていて耳障りだった。


僕達はそのまま廊下を抜け階段へ。


「上で良いだろ? 雨だし」


「そうだな」


三階の自分達の教室を通り越して四階へ上がる。


そのまま適当な教室を抜けてベランダへ。


屋根がある為に濡れておらず壁に隠れる様に地面に座ると


僕はラッキーストライクを取り出して火をつける。


谷口もポケットからセブンスターを取り出して口に咥える。


しばらく煙草を吸いながら雨で曇る風景を見ていた。


近くの巨大なビルが薄らぼんやりと見える。


授業中、暇だったから何階建てか数えた事があったが何階建てだったかは忘れた。


遠くに教会。もっと遠くに山。聞こえる音は雨の音と遠くで聞こえるクラクション。


「今日は雨は止まないな」


沈黙を破ったのは僕だった。


「天気予報で言ってた?」


「臭いで解かる。この雨は止まない」


谷口は咥え煙草で鼻を立てて犬の様に臭いを嗅ぎだす。


「湿った臭いしかしねぇ」


「風が冷たいだろ? 大気が冷やされて夜にはもっと冷たくなる。だから強い雨が降るよ」


「そっか」


話半分に谷口は半分になった煙草を見つめて考えていた。


シケモクにして取っておくか、全部吸ってしまうか。そんなところだろう。


僕をチラッと見た後、谷口は半分になった煙草を口に咥えて煙を吐いた。


「明日は晴れるよ」


そう言って僕は目を閉じて煙を吐いた。


一本吸い終わると時間はまだ5分も残っていて僕は二本目の煙草に火をつけ、


谷口も二本目に火をつけた。


「今日で最後だよな?」


「あぁ、最後だよ。足りてるから問題無いよ」


「じゃあ、帰ろう」


足りているか、足りてないか。僕たちにはとても重要な会話だった。


学校生活で一番大事な会話だっただろう。


それは出席日数。これさえあれば卒業が出来る。


この事実自体が日本の教育制度が危ぶまれると、


足りない頭で考えてみたが、僕たちにとってプラスなシステムなら活用するほか無い。


あの日はテスト前の最後の授業で僕達は必ず最後の授業を休む様にしていた。


前半は頑張り、後半がダレるタイプの僕達は出席日数を計算して


単位を落とさないギリギリまで休む。


だからあの日の「体育」の授業を休めば、全教科、全てギリギリまで休んだ事


になり楽をして単位を貰えた事になる。


体育は三時間目と四時間目。


一時間目と二時間目をを出席したら帰る予定をその場で組んだ。


僕と谷口は二本目の煙草を吸った後、教室に向かった。


外はもう日が落ちて暗くなっており夜に降る雨が不気味で


黒板でチョークを書きなぐる音と雨の音しかしない教室で授業を受けた。


二時間目は担任の数学。


僕は寝てしまい、起きると担任が僕の前に立っていてプリントを渡した。


進路希望の紙。


暫く見つめた後、それを受け取って鞄に詰め込み、


同じ様に寝ていた谷口を起こしてプリントを持たせて帰る支度をした。


他の生徒が体育館へ向かう中、僕と谷口は駐輪場で別れた。


谷口はバイクを走らせ、あっという間に雨で曇る風景の中、消えていった。


見送った後、僕はバスに乗る為に街中へ。


雨は予想以上に強くなっていて城のお堀はもうすぐ雨で溢れかえりそうだった。


ドブは雨で水が溢れ、道路を川にして海へ向かってどんどん流れていく。


僕は濡れた靴と靴下が気持ち悪くて足早に駅へと急いだ。


街の光と外灯。車の音と雨の音と人の歩く音。


全部が水を跳ねる音を立てながら街が一つの楽器を鳴らしているようで、


僕はその事に気付いて笑ったのを覚えている。


駅に着いたのが八時二十分。


バスが来るまで十五分も時間があった。


雨で濡れた体が冷たい風で冷やされ、


僕はココアを買って椅子に座ってバスが来るのを待っていた。


ココアを飲み終えるとポケットに手を入れ煙草を取り出す。


ジーパンが雨で濡れて煙草まで濡れて湿っていた。


何とか火をつけると、煙草の味が変わっていた。


二、三口吸って僕は煙草を捨て、濡れた煙草はゴミ箱へ捨てた。


時計を見ると五分しか経っていない。


近くの自販機で煙草を新しく買い直して火を付ける。


駅のホームには疎らだが人がいた。


辺りを見渡すと一人の女子高生と目が合った。


女子高生は大草さんだった。中学生時代の同級生。


僕に気付くと大草は立ち上がって手を挙げる。


「久しぶり」


挨拶もそこそこに僕の隣に座った。


確か高校はかなりの良い所に行った秀才。がり勉タイプ。


僕なんかと仲が言い訳も無く、当たり障りの無い会話がバスが来るまで続いた。


雨の中、やっと来たバスに乗り込もうと僕は立ち上がる。


けれど同じ地元の筈の大草さんが立ち上がらなかった。


「乗らないの?」


「私、家引っ越してあのバスじゃないの」


「あ、そうなんだ」


僕は暫くバスに乗り込む人達を見て、また椅子に腰掛ける。


「乗らないの?」


「あのバスは人が一杯だから」


だけどそのまま無言になってしまう。


同い年でも同級生でも同窓生でも畑が違いすぎて会話がなかった。


当たり障りのない高校生らしい会話を探った結果出たモノがこの一言だった。


「今年で卒業だね。進路とか決まってる?」


半年以上の先の事を口にした。


そんな事を口にしたのは学校で渡された進路希望の紙を思い出したからだ。


「うん……私ね、専門学校に行くの。看護士の」


「看護士って勉強大変だろ? 国家試験だよね?」


「大変みたいだけどやってみたいの。ここに行くのは一年生の時から決めてた」」


大草さんは鞄の中から専門学校のパンフレットを出して僕に渡す。


パンフレットを受け取るがパラパラと捲って返す。


なんだかとても恥ずかしかったのを覚えている。


明確な未来を見ている彼女と自分の差を知ったようで。


「なんで看護士になりたいの?」


「ボランティアで内戦で傷ついた人とかを助けたい」


全くの甘ちゃんだなと思った。


そこで死んでいく人達がどうして死んでいくのか考えたことがない。


医者もいなければ看護婦もいないのは当たり前だが、


設備も物資も無い所で医者や看護婦がいても何も役に立たない。


日本で救える人を救えないのが現状。


ただ死んでいくのを見守る作業だと言う事を解かっていない様子だった。


僕はその現実を聞いたことがあった。


ボランティアで海外に行っていた現役の看護師から。


だけどそんなこと教えられなかった。


努力は必ず実を結ぶ。けどそれが結果に繋がるとは限らない。


だからきっと夢は叶う、僕たちはそうやって嘘をつく。


これが良い嘘なのか、悪い嘘なのか分からない。


ただやさしくないのは確かだと思う。


ほんとうのやさしさは、全部教えてあげることだと思う。


そしてそれを受け止められるのが強さなんだと思う。


だから僕は優しくない。


「そっか。でもこっちで何年か経験を積んで行けよ」


「勿論」


大草さんは「当たり前」と言わんばかりに笑い、大草さんの乗るバスがやって来た。


「来たよ」


「うん、じゃあ」


立ち上がった彼女だけど、また椅子に座りなおした。


「やっぱやめる」


「人が一杯?」


「急いで帰る予定も無いし」


そう言うと大草さんは鞄の中を漁ると小物入れからリップクリームを取り出して唇に塗った。


僕は唇をなぞるリップクリームを見てちょっとウットリした。


なんだか急に恥ずかしくなって、煙草に火をつけて気持ちを紛らわした。


何本もバスが来たけど僕と大草さんはそれらを見送った。


最終のバスは十時ちょっと過ぎ。


会話もなくなったところで彼女から話を切り出してきた。


「今日ね、実は誕生日」


「おめでとう。プレゼントは無いや」


「ううん、プレゼントとかは良いの」


「なんで?」


「そんなに仲良かくなかったから。話したいとは思っていたけど、話す機会無くてね。


でも今日、話せたから良いの」


「そんなんで良いなら、いくらでも付き合うよ」


「ありがとう。プレゼントね、お母さんから今朝貰ったの。口紅」


大草さんは小物入れから口紅を取り出してキャップを外して見せてくれた。


薄いピンク色。


「塗らないの?」


「恥ずかしい」


「塗ってみれば」


「うん、そうだね」


「ちょっと待ってて」


大草さんはそう言い残すと駅のトイレに走って行った。


暫くして戻ってきた大草さんの唇は薄いピンク色。


安い蛍光灯の灯りの中うっすらと色が見えた。


「似合うかな?」


笑いながら聞く彼女が大人の様に笑った。


僕は「綺麗」と言うのが恥ずかしくて「まぁまぁ」と言ってしまった。


それから数分後に大草さんの乗るバスと僕の乗るバスが同時にやって来た。


僕も大草さんも立ち上がり、僕はバスに乗り込む大草さんの背中に「じゃあね」と声を掛けた。


大草さんも振り返って「じゃあね」と言って笑って手を振った。


手を振って行ってしまう大草さんが大人になるのを見て、


僕は進路希望の紙をぐちゃぐちゃに丸めて窓から放り投げた。


彼女の速度に焦っていたんだと思う。


同い年なのにあっという間に追い抜いていくそんな速度に。


あの笑顔が忘れられない。


あの夏から僕はどれだけ大人になったんだろう。


でもいつか追い付いたら、また話しましょう。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ