全ての始まり
いまどき蔵の整理って……
溜息をつきながら桃園絵里は箱のふたを開けては中身を確認、横にどけるという作業を繰り返していた。
運動は苦手で、体力の自信もない。なのに、蔵の整理という仕事を押し付けられ、絵里は疲れ果てていた。
でもこれで終わりかな……っと。
床に残っている、染みが付いた木箱。
厚みはそんなになく、持ち上げてみると少し重い。
試しに揺すってみると、何かがぶつかり合う音。
絵里は今までの様に、木箱を下に置きふたを取ってみた。
「何、これ?」
中には、碁盤の様に線がひかれた古臭い石板が入っていた。木箱と同じく、染みなのか所々汚れている。
残された箱を覗いてみると、同じように石で出来ていると思われる灰色で大きな、人生ゲームで使うような駒が転がっていた。
……何だろう。すごろく?でも石板には何も書いてないし、第一、サイコロになるものが無い。じゃあオセロとか碁みたいな? いや、駒が四つしかないのに無理だ。
色々想像してみるが、これといったものが浮かばない。
体力もないのに、これ以上頭を使ってどうするか。
絵里は考えるのをやめ、片付けようとふたを手に取った。
「いたっ……!」
チクリとした痛み。
ふたのどこかがささくれていたのだろう。絵里の指に血がにじんだ。
「もう、最悪……」
血はみるみる玉になり、絵里が舐め取る前にぽたりと石板の上に落ちた。
その瞬間、石板が光り輝きだした。
「え? 何!?」
光はだんだん強くなり、絵里は目を開けていられずに閉じる。
それでも瞼を貫くように輝く石板。
やがてその光は収まった。
絵里はゆっくりと目を開けてみる。
「えっ……!」
その目は驚きに見開かれた。
染みが付き古ぼけていた石板。
その石板は、今や新品の様になっていたのだ。
つやつやとし、絵里の顔が映るのではないかと思うほど滑らかな面。
駒も、赤、青、緑、黒と色が付いている。
「どうして……?」
不思議な現象に、絵里は頭をひねる。
私の見間違いだった? いや、石板は確かに汚れてた。駒も……
その時、蔵の外から烏の鳴き声が聞こえてきた。
えっ? もう夕方!?
絵里は慌ててふたを閉め、木箱を仕舞い込もうとした。
しかし、何か気にかかる。
何か心に引っかかるというか、心を引っ張られるような感覚に襲われ、絵里は石板の入った木箱を手に、蔵を出て行った。
その夜、絵里は夢を見た。
夢の中の絵里の周りには、美しい獣たちが控えていた。
絵里の前には黒い甲羅を持つ亀。その甲羅には灰色をした蛇が巻き付いている。
右側には青い龍。動くたびに鱗が光を反射し、青のグラデーションを作っている。
左には白い虎。首に玉飾りを付けた虎は、凛と背を伸ばして座っている。
そして後ろに赤い鳥。炎に包まれているような真っ赤な羽を広げ、絵里を見下ろしている。
夢の中の絵里がすっと手を伸ばした。
すると四頭の獣たちがそれに従うように前進する。
また手を動かすと、獣たちは止まる。
止まった先、そこに黒い霧のようなものが立ち込め始めた。
その霧は何かの形を作っていき、やがて黒い影になり……
かっと絵里は目を開いた。
カーテンの隙間から零れる光。微かに聞こえる鳥のさえずり。
「夢……?」
絵里は目をこすりながら枕もとの時計を見た。
「……あーっ!遅刻っ!!」
針は、いつもの時間より十五分ほど進んでいる。
夢の事など頭から放り出し、絵里は慌てて通学の準備を始めた。
「よしっ! 後は間に合う事を祈るのみっ!!」
勢いよくドアを閉め、絵里はバタバタと転げそうになりながら階段を下りて行った。
閉められた部屋。
いつの間にか、石板と駒が絵里の机の上に置かれていた。
石板の上の一マスに黒い靄が立ち込める。すると、四つの駒がそれぞれの色に光を放ち始めた。そしてふわりと浮き上がり、音もなく盤上に乗る。
それは、絵里が夢に見た配置ととてもよく似ていた。
「絵里が遅刻寸前なんて珍しいね」
息を切らせて教室に駆け込んだ絵里を見て、隣の席で友人の桜が目を見張った。
「そ、そうなのよ……ちょっと夢見が……」
机の横に鞄を掛けながら絵里は息を整える。
「夢ってあんた……子供みたい」
「だってなんだか不思議な夢だったんだもん」
クスクス笑う桜を横目で睨みながら、口を尖らせる。
そう、本当に美しかった。美しいのだけれど、どこか緊張感も感じさせる夢だった。
私に全てが任されているような……でも、もう一度見たい。あの獣達を。もう一度逢いたい……
「え?」
思わず声に出してしまう。
『逢いたい』?『見たい』なら分かるけど、虎とかいたし『逢いたい』なんて……
「絵里、絵里ってば」
桜がシャーペンで絵里の机をつつく。
その音とひそっとした声で我に返ると、教壇の上にいる担任と目が合った。
「桃園。何回目で気づいてくれるかと思ったよ」
片眉を跳ね上げ、担任は口元を引きつらせている。どうやらずっと呼ばれていたらしい。
絵里は慌てて「はいっ!」と返事をした。
周りのクラスメイトからクスクスという笑いが起こる。それに頬を赤らめながら肩をすくめる。
「罰として……って言いたいところだが、お前、図書委員だったよな。ちょっと資料を取ってきて欲しいんだ」
「はぁ……分かりました」
担任から渡されたメモを手に図書室へ向かう。
と言っても、資料があるのは図書室のさらに奥、貴重な資料が収められている資料室である。
常に薄暗く人気のないこの場所は、昔から七不思議のひとつに数えられたりしてした。
うう……朝だけど嫌だなぁ。
司書に声をかけ、教師のメモを見せる。それを見た司書は、資料室の扉の鍵を開けてくれた。
「帰るときにまた声をかけてね」
そしてそれだけ言うと、また椅子に戻ってパソコンをいじり始める。
「はぁ……」
開かれた扉を前に、絵里の口から自然と溜息がこぼれる。
いつもより暗く感じる。流れてくる空気も、かび臭いのはいつもの事だが、今はどこか冷たさが加わっているようだ。
それでも資料は取ってこなければならない。
絵里はすぅっと息を吸うと、きゅっと唇を結び中に足を踏み入れた。
その時である。
明らかに肌が感じた。資料室内の変化を。
一気に明度が落ち、悪寒が走る。
すると、開けられていた扉がひとりでに閉まった。
「えっ!?」
慌てて開けようとするも、扉はびくとも動かない。
だって、鍵、開いてるよね!?
絵里はパニックになり、叩いたり引いたりしてみるがびくともしない。
「すみませんっ! 先生! 開けてくださいっ!」
司書に助けを求めてみるが、聞こえないのか誰も来る気配がない。
「うそ……」
閉じ込められた? 誰に? どうして?
鍵は司書しか持っていない。
貴重な資料があるので、日焼けを防ぐためにここには窓はない。
「誰か……っ!!」
その時、室内の空気が動いた。
背後、資料室の真ん中あたりに突如として人の気配。
絵里は扉を叩く手を止め、恐る恐る首を背後にめぐらす。
さっきまで何もなかったのに……
ゆっくり動く視界。その端に黒い霧のようなものが入った。恐怖に襲われるが、首は絵里の意思に反し動き続ける。
黒い霧が視界の中心に入る。
それは絵里が見つめる前で、だんだんと形をとっていった。
人……?
最初に手が出来た。
しかしその手の指は異常に長い。いや、指かと思われたのは、長く伸ばされた爪である。骨ばった指と同じぐらいに伸ばされた爪。その先端は鋭く尖っている。
そして肩ができ、首ができ、肋骨が浮き出た腹部、皮と骨だけのような細い足。
最後に、頭部が形作られる。
「ひっ……!?」
思わず絵里は息を呑んだ。
頭部は、人間の形をしていなかった。
耳まで大きく裂けた口からは、黄ばんだ鋭い歯が覗き、目は猫のよう。髪の代わりにごわごわとした灰色の毛が生え、狼のような耳をピンと立てている。
まさに異形。
絵里はあまりの恐怖に喉が強張り、悲鳴さえ出せなかった。
ただ目を見開いて異形を見つめるしかない。
しかし頭の中では、思考が嵐のように吹き荒れていた。
何?あれは何なの? 演劇部の衣装? でもさっきまで確かに私しかいなかった。
異形と目が合う。
すると、猫のような目がにんまりと歪んだ。
ゆっくりとした動作で異形が足を出す。
絵里は扉に背を預けたまま、ずるずると座り込むしかできない。
目の前に異形が立つ。
生臭い獣臭が絵里の鼻をつき、荒々しい息遣いが耳に入り込む。
異形がゆっくりと片手を上げた。
やられるっ!
とっさに絵里は横に飛び込む。
先ほどまで絵里がいた場所に、鋭い爪あとが刻まれた。
な、何で?どうして私が殺されそうにならないといけないの!?
恐怖で絵里の腰は抜け、床に寝そべる形で異形を見上げるしかできない。
誰か……
異形が絵里のほうに向き直り、再び手を振り上げる。
「誰か……助けてーっ!!」
目をぎゅっと閉じ、絵里は声に出して叫んでいた。
その時である。
扉が荒々しく蹴破られたかと思うと、ゴォッという音とともに熱風が舞い込んできた。
思わず両手で顔を庇う絵里。
その耳に、異形の甲高い悲鳴が飛び込む。
「指示通り助けに来てやったぜ、マスター」
そして男子の声。
絵里はゆっくりと腕を下した。
そこには、絵里を庇うようにして異形の前に立つ男子がいた。
紅い紙をしたその男子は、異形を睨みつけたまま絵里に話しかけてくる。
「マスター、次の指示をくれよ。あいつをどうしたい?」
マスター? え? 誰?
第三者の登場に、絵里は再びパニックになる。
それを悟ったのか、紅い髪の男子はくるりと振り返りしゃがみ込んだ。そして絵里の手を取ると、西洋の騎士のように手の甲に口付けた。
「俺様はマスターの指示がないとあいつを倒せないんだ。じゃあ、どうすればいいか分かるよな?」
手を取ったまま、男子は上目遣いで絵里を見つめる。男子の耳に付けられている金のピアスがきらりと光る。
「う……あ、あれを倒して……下さい」
恐怖ではない胸の高鳴りを感じながら、絵里は男子にそう言った。すると男子は一つ頷くと、口元に笑みを浮かべ腰を上げる。
「さぁ~て、久し振りに燃えますか」
男子の両手が赤く輝く。いや、輝いているのではなく燃えていた。炎を両手にまとい、男子は振り返りざま異形に殴りかかる。
異形も負けじと長い爪を振り回すが、男子はひらりとそれをかわし殴りつけていく。
異形の肌が焦げる不快な臭いが立ち込め始めるが、それも気にせず、男子は楽しそうに笑みを浮かべたまま戦い続けている。
その攻防が数分続いた。が、
「あ~お前、なんかつまんないわ。終わりにしようぜ」
そう言って、男子が右手を前に出し何かを掴むように拳を握った。すると、両手にまとっていた炎が剣の形をとり男子の右手に収まる。
「あれ? こんなヤツだったっけ? ま、いいや。じゃ、俺様の剣でイッちゃいな!!」
飛び掛かる異形。その胸に、少しの躊躇いもなく剣を突き刺した。
「ギィィィィァァァァッ!!」
耳をつんざく甲高い悲鳴。
しかしそれも一瞬のことで、異形の体は塵になり飛散した。
後に残るは不快な匂いと、息ひとつ乱していない男子。
「あ、ありがとう……ございます」
絵里は鼻を押さえながらなんとか立ち上がった。
何が何だか分からないが、助かったということだけは理解できる。
「えと……名前を……」
「あ~くっせぇ!!」
「へ?」
紅い髪の男子はいきなりそう言うと、絵里を無視して壊された扉から顔を出し深呼吸を始めた。
「密室で物を燃やせばそうなります。そんな事も分らないのですか?」
違う男子の声がしたかと思うと、室内に風が吹き込んできた。
その風は、満ちていた不快な臭いを全て取り去っていく。
「密室じゃないぜ。扉は開いてただろ?」
「『開いていた』ではなく、『壊されていた』ですがね」
そう言いながら、紅い髪の男子を押しのけるようにして入ってきた人物。
その男子は、真っ白な髪を腰のあたりまで伸ばしていた。そして掛けている眼鏡を指で押し上げると、絵里に目を向ける。
「大丈夫でしたか? 我がマスター」
「は、はぁ……」
一体この人たちは何だろう。紅い髪に白い長髪とか、全校集会でも見たことがない。
「朱雀に白虎。マスターが困ってますよ~」
のんびりとした声が続いて入ってきた。
彼は普通の黒髪で、人懐っこそうな笑顔を浮かべている。
黒髪の男子は絵里の前まで歩み寄ると、おもむろに手を伸ばし絵里の頬をすっと撫でた。
「ひゃっ!?」
「ああ、驚かせてしましましたか~。いえ、黒くなっていたもので」
撫でた指には、先ほどの異形の塵だろうか黒い粒子が付いている。
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ。さて、こんな薄暗い所で話すのもなんですから、外に出ませんか?」
にっこり微笑まれ、絵里は疑問を口にするよりも頷いていた。
資料室の外には、意外にももう一人男子がいた。
こちらは青い髪でおかっぱである。しかし絵里を見てもペコリと頭を下げるだけで、何も言わない。
そして不思議な事に、絵里たちが資料室の外に出るや、蹴破られていた扉は一瞬で元の形に戻っていた。
「!?」
驚きで声が出ず、ただ眼を見開くばかりの絵里に白髪の男子が口を開く。
「今更何を驚いているのですか? それぐらいで驚かれていてはマスターとして……」
「はいはい、今回のマスターは女性で、しかもまだ幼いですから。ではマスター、説明いたしましょうかね~」
「はぁ……なんか色々言いたい事もあって混乱してますけど……」
質問より、まずは相手の話を聴く方が先だと思い、絵里は大人しく説明を聴く体勢をとる。
最初に、黒髪男子がすっと前に一歩進み出た。
「ではまず自己紹介から。私は玄武と申します。え~と、中国では北を守護する神獣として……」
「そこはいらない説明だ。説明は要点を押さえて簡潔に。私は白虎だ」
玄武を押しのけ、白髪眼鏡男子が口を開く。本当に簡潔で、それだけ言うとすっと下がる。
「俺は朱雀! 覚えてくれよな、マスター。なんなら体で覚えさせてやっても……痛っ!!」
絵里の手を取ろうと朱雀が伸ばした手に、青髪男子が手刀を放つ。
痛がる朱雀をよそに、青髪男子は淡々と口を開いた。
「青龍。よろしく」
「この……青ガッパ~!!」
朱雀の拳に炎が宿る。それを見ても青龍は無表情のまま、すっと右手を伸ばした。
その右手にどこから現れたのか、水がまとわりついていく。やがてその水は槍の穂先に似た形状をとっていき……
「この馬鹿者どもっ!」
戦闘を始めようと構える二人の頭に、それぞれ分厚い辞典が落ちる。
「いってぇ~!!」
「……痛い」
顔をしかめる二人をよそに、白虎が話の軌道を戻すように絵里の前に進み出た。
「私たちは貴女の血によって目覚めました。ですからマスター、ご指示を」
「え? 指示って言ったって……何をどうすれば……」
絵里は困惑のあまり、視線を誰に向ければいいのか分からずおろおろしてしまう。
「白虎、その説明は簡潔すぎてかえって分からなくなってますよ」
玄武が苦笑する。
絵里から見ると、この玄武だけがまともに会話が出来そうである。
「えと、玄武さん? 何がどうなっているのか教えて下さい」
「はい、マスター。私たちは駒なのです」
柔らかな笑みを浮かべ、玄武は説明を始めた。
「私たちは貴女の血によって目覚めました。覚えていますか?あの、石で出来た遊戯盤。私たちはあの駒なのです……」
どうやら、あの石板は陣取り合戦的な遊びが出来る遊戯盤なのだそうだ。しかし普通の遊戯盤とは大きく違い、使用者――マスターと呼ぶらしい――の血によってゲームが始まる。しかも遊戯盤上ではなく、現実で陣取り合戦が始まるというのだ。
そして彼ら四人がマスターの扱える駒だという。
「え~と、昔映画であった、ボードゲームの内容が現実にって事よね? で、対戦相手って……」
「敵は先ほどのような妖です。敵もまた、マスターの血によって目覚めてしまいましたからね」
絵里は異形の姿を思い出し、思わず両腕で自身を抱きしめる。
「ねぇ、もし、もし負けちゃったらどうなるの?」
「負けるとですね、私たちは壊れ、日本が異形に占領されちゃいますねぇ~」
玄武は笑顔のままで、しかも危機感を感じさせることもなくおっとりと言う。
「だからマスターの指示が重要になってくるのだ」
白虎が苦虫を噛み潰したような表情で口を開く。どうやら絵里に対して不安要素があるらしい。
「何で私が……」
「マスターの血で目が覚めたんだから仕方ねーじゃん。それに、敵を全部倒さねーと俺たち、休めねーし」
まだ痛むのか、頭をさすりながら朱雀が唇を尖らせる。
「でも私……っ!」
自分の意志で血を付けたんじゃないのに。
「目覚めさせてしまったんだから、諦めて」
青龍が無表情のままポツリと呟く。
「……これは夢よ。今朝の夢の続きなんだわ。目が覚めたら多分授業中で……」
絵里は強く目を閉じ、再びカッと見開いてみた。しかし場所は変わらず、目の前には四人の男子がいる。
「……マスター。今が現実だっての」
溜息を吐き出し、朱雀が絵里の手を取りぎゅっと握る。筋張って男らしい手。
「心配すんな。俺たちがマスターの事、守ってやるってんだから」
「そう。指示だけ出してくれればいい」
「マスターの戦略に期待している」
「貴女をお守りいたしますからねぇ~」
四人はそれぞれそう言うと、絵里の前にざっと膝をつき、頭を下げた。その光景はまるで、王女とそれを守る騎士のよう。
『我がマスター、私たちは貴女を命がけでお守りいたします』
「そ、そんな事言われても……」
絵里の頭は再びパニックになる。
先ほどしてくれた説明もちゃんと理解しきれていないのに……
「わ、私には荷が重すぎます~っ!!」
かしずく四人に背を向けると、絵里は猛ダッシュで図書室から走り出て行った。
な、何なの!?「マスター」?「遊戯盤」? は? 何それ?
頭の中で「?」が乱舞する。
「ど、どうしたの? 絵里?」
息を切らせて戻ってきた絵里を見て、桜は困惑した表情を見せた。
確かにそうだ。資料も取ってきておらず、なのに肩で息をしているのだから。
「べ、別になんでもない……」
そう言いながら絵里は自分の席に着き……そこで教室内の違和感に気づいた。
先ほどよりも教室内が狭くなっているように感じたのだ。
「絵里?」
座るでもなく教室内を見まわす絵里に、桜は眉を寄せる。
「桜……何かさっきより教室、変じゃない?」
「変?」
絵里と同じようにぐるりと教室内を見渡した桜は、「ああ」と手を打った。
「そうそう、絵里が資料室に行ってる間に、机が増えたんだよ」
そう言われてみれば、机が増えている。教室が狭くなったと感じたのはそのせいであった。
誰も座っていない、綺麗な机が四つ……四つ?
「何でいきなり四つも増えたの?」
言い知れぬ不安が、絵里の胸中を満たしていく。
「何か転校生が来るって。でも一気に四人とか珍しいよね~」
「……いつから来るの?」
「本当は朝からだったらしいんだけど、何か急用で遅れるって」
不安が、嫌な予感へとシフトしていく。
「桃園~! お前、資料はどうした!? ……ってまぁ今はそれよりも……」
担任が教室に入ってきた。そして後ろを振り返り、何かを話している。
「遅れてきた転校生だ。お前ら、自己紹介してくれ」
そう促され教室内に入ってきたのは……
「ちゃーっす! 鳳翔で~っす! 好きなものは可愛い女の子!」
「………蒼磨龍一。……よろしく」
「西園寺虎鉄だ。馬鹿は嫌いだ」
「黒鐘北斗です~。好きなものは温かいお茶と~団子と~え~と……」
絵里の目は、絵に描いたように点になっていた。
「あ、マスター。これからはいつも近くでお守りいたしますからね~」
そんな絵里に気づいた玄武――北斗がにっこりと微笑む。
「守る? 絵里、知り合い?」
桜の視線……いや、クラス中の視線が絵里に向けられた。
「な、何で夢じゃないの~!?」
教室中に、絵里の悲鳴が響き渡った。
かくして遊戯は始まった。
全てはマスターの為に。