ぼくはアリサ先輩に逆らえない 作:K
母さんは旅行中だから誰も起こしてくれる人がいなかった。
どうせ遅刻するなら、ゆったりしよう。
そう思い、テレビをつけた。
するとテレビに映ったのは顔を真っ青にした男性アナウンサーだった。
『……こ、ここで、臨時ニュースをお伝えします。
テレビの前の皆さま、落ち着いてお聞きください……。約24時間後の明日朝8時ごろ、地球はコアの崩壊とともに滅亡します』
ぼくはパンを咀嚼しながら、地球崩壊というチープな言葉を連呼するテレビの音声に耳を傾けていた。
その言葉は嘘くさいけど、真実らしさもあった。
その証拠に、『本日から全世界で地震が観測されはじめ、次第に地震の規模は大きくなると予想されます』と言うアナウンサーの言葉と同時に家がゆれた。
ぼくはしばらく学校に行くかどうかで迷った。
そんなときにピロン、とスマホから音が鳴った。メールの通知音だ。
メールの主は、バイト先のアリサ先輩だった。
〔ケイスケくん、地球崩壊だってね。いま学校?〕
〔寝坊したので家にいます〕
〔学校行く? 行かないよね?〕
ぼくより二つ年上、つまり高校三年生のアリサ先輩のに対し、『今から学校に行きます』とはとても言えなかった。
アリサ先輩の言葉にはいつも逆らえない。
〔いまさら行こうとは思いませんよ〕
アリサ先輩はバイト先のコンビニでなにかと絡んでくる、ちょっと性質の悪い先輩だ。
第一印象は美人で高嶺の花とも言える女性で、ぼくに話しかけてくることが最初は不思議で仕方がなかった。
ただ、そうやって話しかけてきたのは、あとでぼくにちょっかいを出すためだった。
芸能人の真似をしろ、とかそういうレベルのムチャ振りもあった。
そんなアリサ先輩のムチャ振りを断ると、すごく不機嫌な顔になって、ぼくをにらんでくる。
でもムチャ振りなんて、本当に嫌だった。
だから一度だけ、ぼくはアリサ先輩に本気で訴えた。
「ぼくは芸能人じゃないので、ムチャ振りさせないでください」
するとアリサ先輩は、笑みを浮かべてこう言った。
「だって、そうでもしないとケイスケくんって内気なまま、なにも変わらないでしょ?」
メールを返信してから五分ほど経ち、外から車の音が聞こえてきた。
それもかなり近く、ぼくの住むアパート一階の玄関まできた。
ああ、きっとアリサ先輩だ。
ぼくは制服をちゃんと着て、玄関まで行った。
そして玄関の扉を開けると同時に、ぼくは言った。
「アリサ先輩、ここに車はまずいですよ」
「ケイスケくんは朝から質問が多いねー。地球、崩壊するんでしょ? だったらなんだっていいじゃん」
学校の制服を着ているアリサ先輩は肩までかかった髪をかきあげた。
「よくないですよ、社会のルールは守りましょうよ」
「じゃあケイスケくんは学校に行けばいいじゃん」
本当はそうしたい。
でもアリサ先輩には逆らえない。
逆らうともっと面倒なことになる。
「学校には行かないです」
「よしよし、さすが私のカワイイ後輩くんだ。じゃあさっそく、車に乗ってくれ」
アリサ先輩は助手席を手でポンポンと叩く。
ぼくはそれに従って助手席に座った。
「ところでこれって誰の車ですか?」
「オヤジの。寝てたから拝借した」
先輩のお父さん困ってますよ、なんていう言葉をアリサ先輩には投げかけない。
アリサ先輩と先輩の父親の仲の悪さを、ぼくは知っているからだ。
だからオヤジの話は無視して、もう一つ気になっていることを聞いた。
「車の免許はもってましたっけ?」
「ケイスケくんは常識がないな。私はまだ十七歳。車の免許を取れる年齢じゃないよ」
常識ってなんだっけ。
アリサ先輩はアクセルを踏んで、道に出た。
「ところでどこへ行くんですか?」
「どこへ行きたい?」
行き先が決まってないとは思わず、ぼくの口からは「えっ?」という言葉がもれた。
見知った景色が後ろへと遠ざかっていく中、ぼくはしばらく熟考する。
すると、ピロンとスマホから音が鳴った。
メール通知の音だ。
メールを開く。
メールの送信主は旅行中の母さんだった。
〔こっちは大丈夫だよ( `―´)ノ〕
なにに対して大丈夫なのか。
もちろんそれは地球崩壊に対してだろう。
ただこの一文だけで無事を伝え、しかも顔文字も添えるあたり、母さんらしいとぼくは感じる。
ぼくの家庭は母子家庭で、父さんを早くに亡くした母さんは、女手一つでぼくを育ててきた。その環境を、常に物事をポジティブな精神で受け止めていた。
もしかしたら母さんは、地球崩壊に関してもポジティブな精神で受け止めているのかもしれない。
ただ、そんな母さんと会えないとなると、ぼくはポジティブな精神を持つことがうまくできそうにない。
「そのメール、誰から? 彼女?」
「ぼくに彼女がいないの知ってて言ってますよね。母親ですよ」
「相変わらず仲良いんだねえ」
「まあまあですよ」
「で、ケイスケくんのお母さんは今、どこにいるの?」
「旅行中で、青森のほう……」
「青森かあ……行き先、青森にしてみよっか」
アリサ先輩の気まぐれに対して、ぼくは初めて素直に喜べたかもしれない。
カーナビのボタンをアリサ先輩は押した。「どのへん? ホテル名とかわかる?」と言われたので、ぼくはカーナビにホテルの名前を入力した。
カーナビには『有料道路使用の場合:十四時間三十分』という表示が出てきた。
「結構かかるわね。十四時間って地球が半分以上崩壊してるじゃない」
「でも行けなくはないってことですよね」
ぼくは『十四時間三十分』と表示されたカーナビに、一縷の望みを託すかのように、やさしく触れた。
十時ぐらいまで道はすいていて、スイスイと車は青森へ向かいつつあった。
だが緊急地震速報が何度も鳴り、小さな地震が断続的に増えはじめたあたりから、街の様子はおかしくなりはじめた。
そして十一時頃になって突然渋滞にはまった。
それから一時間が経過しようとしていた。
「なによっ! なんで動かないのよっ!」
「どうしてでしょうね」
ぼくはスマホを開いて、ツイッターで「渋滞」と入力をする。
すると渋滞というワードが含まれた情報が表示された。スクロールすればするほど、真偽はともかく、次々と新しい情報が目に入ってきた。
「車を使って避難する人が増えてるそうですよ」
「避難ってどこへ逃げるのよ。バカじゃないの?」
「それと転生するために、トラックに轢かれようとする人もいるみたいですよ」
「テンセイってなに?」
「輪廻転生のことです。生まれ変わることですね」
「トラックに轢かれて生まれ変わるの? バカじゃないの?」
アリサ先輩はそのあとも、渋滞の中を堂々と歩くおばさんやおじさんを見ては「バカじゃないの?」という言葉を繰り返し吐いた。
気がつけば歩道は人であふれていた。
子ども連れの親子も、若い男女のカップルも、等しく静かに歩道をとぼとぼと力なく歩いていた。
あえて暴れるような人間は、ここにはいないらしい。
「アリサ先輩、どうしますか? このままじゃ渋滞に巻き込まれながら崩壊にも巻き込まれちゃいますよ」
そうなると旅行中の母さんには会えない。
それは嫌だった。
「うーん、人が少なそうな山の方に行こうか。そこから青森行きのルートを再検討してみましょう」
〈メディアが民衆を混乱させるのって、オーソン・ウェルズの『宇宙戦争』みたいな話だな〉
〈だね。ただ『宇宙戦争』とは違って、地球はもうダメっぽいよね〉
「なにずっとスマホ見てるの?」
横からスマホの画面をのぞき込むように、突然アリサ先輩は身を乗り出してきた。
驚いたぼくはすぐさまスマホの電源を消した。
「いえ……別に」
「どうせロクでもない情報とか見てたんでしょ。あと人生十五時間ぐらいしかないんだしさ、もっと時間を有意義に使おうよ」
確かにアリサ先輩の言うとおりだ。
少ない時間は有意義に使わなくちゃいけない。
ただ、車で田舎道をひたすら走っていることが、有意義かどうかは疑問だった。
有料道路使用で十四時間以上かかる青森への道からは確実に遠ざかっている。
しかしアリサ先輩は、楽しそうに車を飛ばし続けていた。
「先輩」
「なに?」
「青森、行けそうですか」
「無理ね。やっぱり青森は遠すぎ」
アリサ先輩は表情を変えず、笑みを浮かべながら言った。
そんなアリサ先輩の返答に対し、ぼくは悲しくなって視線を落とした。
そんなときだった。
スマホから着信音が鳴った。
画面には「母」の一文字が浮かびあがっていた。
《母さん!》
《ケイスケ? やっと繋がった、元気にしてるぅ?》
母さんの声は思った以上に元気だった。というか、その声音はバカンスを満喫している気配さえあった。
地球崩壊なんて嘘なんじゃないかと一瞬だけ思えた。
《元気だよ》
《そう、なら良かったわ。ところでいま、外にいる?》
「ケイスケくんのおばさん! お久しぶりです! ケイスケくんのバイトの先輩、アリサです! いま、ケイスケくんを誘拐拉致して車で連れまわしてまーす!」
「ちょっと先輩、黙っててくださいよっ!」
アリサ先輩が急に大きな声を出したのでぼくは驚いた。
スピーカーフォンになってもいないのに、アリサ先輩はぼくら家族の会話に割って入ってくるなんて、どうかしている。
《あら、アリサちゃんと一緒なのね?》
《うん、色々あってね》
《そう、なら心配ないわね》
なにが心配ないのか、とは聞きたくなかった。
母さんの口から「会えない」という言葉を、今は聞きたくない。
《ねえ、母さんの方は大丈夫?》
《うん、大丈夫。だから心配しなくていいわよ。むしろ私はいま、ケイスケのことが心配》
《どうして?》
《そこにいるアリサちゃんとハメをはずすんじゃないかと思って。ふふっ》
ぼくは横にいるアリサ先輩の楽しそうな顔を一瞬だけ見て、視線をそらす。
顔が上気しそうだけど、これは母さんの余計な一言のせいだ。
対象として見ることなんて、まずない。
《し、しないよ! そんなこと。するわけがないっ!》
《どうだか……。あっ、携帯の電池が切れそうだから、また連絡するわ》
そう言って母さんは、ぼくの言葉を待つことなく電話を切った。
「元気そうだった?」
「予想以上に元気だった」
とても地球が崩壊する日の会話とは思えなかった。
「それにしてもさ――」
と、アリサ先輩は路肩に車を止めて言った。
「ケイスケくん、本当に母親と仲が良いよね」
「そうですかね?」
「うん、少なくともうちのオヤジよりも仲がいいよ」
その言葉に、ぼくはどう言葉を返せばいいのかわからなかった。
アリサ先輩の家族の話なんて、とくに踏み込みにくい話題だ。
「オヤジなんて、最悪だったわよ」
聞いてくれる?
そう訴えかけているような目を、アリサ先輩はぼくにくれた。
ぼくは黙ってうなずいた。アリサ先輩の願いはそもそも断れない。
「あれは小学生の高学年ぐらいだったかなあ。ちょうど保健体育の授業があった日でね、そのことをオヤジに喋ったの。そしたら『おお、そうか成長したんだなあ』とか言って褒めてくれたんだけど、そのあとに『じゃあ実践しよう』とか言い出して、ズボンのチャックを私の目のまえで降ろしはじめたの。『お風呂に入るの?』って無垢な私は言ったんだけど、『いいや、そうじゃない。今日はコレで遊ぼう』って言って下半身にあるアレを私の――」
「ちょ、ちょっと待ってください、先輩!」
「なによ? 男の子的に、いますごくいい所なんじゃない?」
「全然よくないですよ。なんなんですか、それ。いま聞かなきゃダメですか?」
「いま聞かなきゃいつ聞くのよ。人生あと十四時間ぐらいでおわるんだよ?」
「いや、そうですけど……でも、そういう話を聞きたいなんて普通じゃないっていうか」
「普通じゃない? こういう話を聞いてムラムラして、目の前の女の子をメチャクチャにしたいって思うのが普通の男の子なんじゃないの?」
アリサ先輩はそう言いながら急に覆いかぶさってきた。
吐息が間近に聞こえる。
なんだこの状況は?
「先輩、冗談キツいですよ」
「ふーん、ケイスケくんには冗談に見えるんだ?」
「見えます」
正直、見えない。だからこわい。
「ねえ、キスしてもいい?」
「嫌ですよ」
「どうして?」
「ぼくと先輩って、そういう関係じゃないですよね?」
「じゃあ今からそういう関係で、どう?」
先輩の手が、ぼくのズボンの付近を探ってくる。どこを探っているか、経験のないぼくでもわかる。
止めなければ。
「そういう人もいるかもしれません。でもぼくは違います」
ペシリ、と先輩の手をどけて、ついでに覆いかぶさっていた先輩の体も運転席に戻した。
「へえ、そうなんだ。マジメ君だね」
途端に、アリサ先輩は静かになった。驚きも悲しみもなさそうな表情だった。
そしてこう言った。
「やっぱりケイスケくんって童貞よね」
カチンとくる以前に唖然としてしまった。
思えば初めてアリサ先輩に対して逆らったかもしれない。
ただ反抗の結果としては、あっさりとしすぎていた。
ぼくらは夜になってもその田舎にいた。電気がついたままのコンビニの弁当を無断で拝借し、夕飯をすませた。
時計は九時を指していた。崩壊まであと十二時間を切っていた。
地震の揺れは大きくなりつつあったけれど、緊急地震速報は逆に大人しくなりつつあった。スマホの電波も悪ければ、地震観測のシステムなんかがイカれたんだろう。
ネットの喧騒も聞こえなくなっていた。
世界がいまどうなっているのか、もはやわからない。
ただ、見えないどこかで世界は確実に終幕に向かいつつある。
「ケイスケくん、暇だしコンビニに車激突させるゲームやらない?」
「あれ、全然ゲームじゃないですし、絶対ケガしますよ……ってあれ、なんですかね。山の方になにか見えません?
「ん? なんのこと?」
山を見ると、人魂のように蠢く光が無数に、なにかに誘われるようにして山の中に入っていく。
「お化けですかね?」
「お化けでも何でもいいんじゃない? ちょっと挨拶してこようよ」
車に乗って近づいてみるとやはりお化けではなく、人の集まりだった。
人魂もただの懐中電灯の光で、人数も二十人ほどだった。
ただそれはそれで疑問が湧いた。
地球が崩壊する日に、この人たちはぞろぞろと集まってなにをしているんだろう。
「すみませーん」
「はい」
列の中にいた若い男がアリサ先輩の呼びかけに答えた。
若い男は同じぐらいの年齢の女と腕を組んでいた。
「これってなんの集まりですか?」
「オフ会ですよ。山の中にある小屋で楽しいオフ会があるんですよ。一緒にどうですか?」
気がつけば、会話をしていた若い男女以外の人間もぼくらを見ている。
その目はどこか虚ろだ。
危ない予感がする。
しかしアリサ先輩はぼくの気持ちなどお構いなしに言った。
「行きます、是非!」
こんなノリノリになったアリサ先輩に対し、もちろんぼくは拘束されることとなった。
このオフ会の内容について男は、「誰でも楽しめること」としか答えてくれなかった。
そんなオフ会にぼくは不安になり、反対にアリサ先輩はワクワクしていた。
「ここです」
山道をぬけると、一軒の山小屋が見えた。二十人は軽く収容できるほどの山小屋だった。
「ここは主催者のマラキさんが所有する山小屋なんですよ」
山小屋の中は大広間一部屋しかなかった。仕切りが一切なく、柱がど真ん中に一本あるだけの単純な構造だった。玄関がなく靴を脱ぐスペースもなかったので、ぼくらは土足のままその大広間に入った。
大広間の頭上にはミラーボールがあり、左右の高い位置にはいくつものアンプが設置されていた。
そして足元には、タイルカーペットが敷かれていた。
「すごい雰囲気だね。ワクワクしない?」
ぼくはしない、と答えようとした。
しかし次の瞬間、すっと部屋の電気が消えた。
一体、なにがはじまるんだ?
ぼくはおどおどとしながら、助けを請うようにアリサ先輩に近づいた。
しかしアリサ先輩は、そんなぼくの不安げな表情を見つめてこうささやいた。
「地球が終わることで、ようやく内気なケイスケくんから卒業できるね」
それはどういう意味ですか、とぼくがアリサ先輩に言おうとした。
だけどその言葉は、マイクをもった主催者らしき人の声に重なり、かき消された。
「どうも、主催者のマラキです。みんな、急な話だったのに集まってくれてありがとう。世間のしがらみから解放されるために集まった君たちは全員、地球が崩壊することで魂も解放されることになった。もう世間の目も、家族の目も、気にする必要はない。いつも以上に、すべてを解放して、それぞれの結合を完成させてくれ。
それじゃあ、みんな、フュージョン・スタート!!」
シャツ越しにたくましい筋肉を見せるマラキのその言葉と同時に、左右のアンプから大音量でハイテンポな音楽が流れはじめ、ミラーボールが輝きはじめた。
なにが起ころうとしているのか、ぼくにはさっぱりわからなかった。
しかしそばにいた若い男女の嬌声が聞こえ、ミラーボールの光に反射する肌を見てわかった。
彼らは服を着ていなかった。
「ほら、ケイスケくんも早く」
アリサ先輩がぼくに呼びかけた。
そんなアリサ先輩の姿にぼくは目を奪われた。
下着姿だ。白いブラジャーもパンツも、全部見えてしまっている。アリサ先輩の足元にあるのは、脱ぎ散らかされた制服だ。
「えっ……ええっ?」
「え、え、じゃないって。男なら堂々としなよ。今度は逃がさない。襲ってやるんだから」
アリサ先輩はぼくに近づき、制服を脱がそうとしてきた。
だけどぼくはその手をつかんで、引き離そうとした。
「脱がないの?」
「脱ぐのが当然みたいなこと、言わないでくださいよ」
「へーまだやる気にならないんだ。じゃあキスしよっか、キス」
「でも……」
「でも、なによ?」
アリサ先輩には逆らっちゃいけない。
だけどぼくはひるまず抵抗をした。
「なによ、へたれケイスケ。私にそんな魅力がないっていうの?」
「そうじゃないです。先輩は魅力的です。ただ、こんなのおかしいと思うんです」
「おかしい? おかしいのはケイスケよ。地球が狂ってイッちゃうってときに、まともでいようとすることの方が狂ってるって思わないの? どうしてケイスケはいつもクソマジメなのよ、ねえ!」
どうせもう人生は十二時間もない。
下半身はさっきから本能的に元気になってしまっている。
抵抗はバカらしいことかもしれない。
だけど、ここで折れると、自分が自分でなくなる気がしてこわい。
そんな時だった。
制服の胸ポケットが揺れた。
スマホにメールが来たのだ。
ぼくは力づくで先輩を一度押しのけて、少し距離を取ってからすぐにメールを確認した。
送信主は母さんだった。
〔電話ダメっぽいし、届くかわからないけどメールで。私の大好きなケイスケへ。がんばれ〕
なにががんばれ、なんだろう。今更。
でも、そうだ。
こんな所でハメをはずしてどうする。
母さんに会えないからって、メチャクチャになろうとする連中と一緒にいる場合じゃない。
自分らしくないぞ。
「スマホなんか捨てなよ! 私が目の前にいるでしょ。私とヤってよ、ねえ!!」
そうアリサ先輩は叫ぶ。だけどぼくはスマホを捨てる気がなかった。
それがぼくのアイデンティティなんだ。
「アリサ先輩、ぼくは変わりませんよ」
「なによ?」
「だから、内気なままでいいんです。優柔不断で、先輩に振り回されっぱなしのぼくのままでいいです」
「そんなダサいでしょ。目を覚ましなよ」
「目は覚めてますよ。はっきりと。そして思うんです。いずれ死ぬから自分を解放するだなんて、ただの下等な動物と同じじゃないですか」
「だれが下等な動物だって?」
室内の音楽が大きすぎて、その声がマラキのものだと気付かなかった。
だけどぼくはマラキを無視する。
今はアリサ先輩と話しているんだ、黙ってろ!
「ぼくだって十時間ぐらいで死にますよ。でも、死んでも先輩は先輩でいて欲しいと思うんです」
「……つまりそれってさ、私にコクってるの?」
そうなのだろうか?
自分でもよくわからない。
ただ、この場はおかしい。それは間違いない。
ただそれを考えている時間はなさそうだった。
マラキと幹部らしき連中が、ぼくらを全裸で取り囲もうとした。
大ピンチだ。
だけどそのとき、地面はぐわんぐわんと揺れた。
地震だ。
しかもかなり大きく、長い。
ミシリ、という嫌な音すら聞こえる。
「あっ」
裸の男が呆けた声をあげた。
なにに対してなのか、最初ぼくにはわからなかったけれど、あとからすぐにわかった。
マラキの頭上にミラーボールが落ちてきた。
「マラキさんッ!」
裸の男女がマラキのまえに集まってきた。
しかしただ集まっただけで、お互いのフュージョンは続いているように見えた。
「いきましょう、先輩!」
「いや、でもケイスケくん……私……」
「急がないと、こんなところ崩れますよっ!」
ぼくは無理やり先輩の手を引っ張って外に出た。
誰も追いかけてこないことに、ぼくは安堵した。
そして下山をしている最中に、お腹に響く轟音が聞こえた。
さっきいた山小屋の場所から赤い光が漏れていた。
たぶん山小屋が崩れ、燃えているのだろう。
彼らの言う魂の解放は、彼らが思う以上に早く訪れたと思えた。
ぼくらはアリサ先輩の車まで戻ってきた。
だけどそこには知っている光景なんてなに一つなかった。
空の色は燃えるような赤色で、黒々とした雲は雷光を放っている。道路はひび割れだらけで、まともに車が走れるとは思えなかった。
誰がみても終末を感じさせる光景だった。
ネット機能が完全になくなったスマホの時計は朝の五時を示していた。
地球はあと三時間しかもたない。
「先輩、あと三時間、どうします?」
「いやもう、私はなんでもいいよ。疲れた。でも制服は貸して。ちょっと恥ずかしい」
どうしてぼくの制服が必要なのか、すぐにはわからなかった。けれどもそれに関してはぼくが鈍感すぎた。
アリサ先輩は下着姿のまま、ぼくと一緒に逃げてきていたのだ。
ぼくはすぐにブレザーを脱いでアリサ先輩に着せた。
「すみません、気付けなくて」
「まあ、下山するのに必死だったし、しょうがないよ」
アリサ先輩はふう、とため息をついて地面にしゃがみこんだ。
「ねえ、ケイスケくん」
「なんですか?」
「どうだった、今日一日?」
「とてもスリリングでしたね」
「そうだね、ケイスケくんも地球崩壊の日になってようやく一皮むけたからね」
「えっ、そうですか?」
「うん。変わらないことを決意することで、変わった感じ」
頭にしっくりと入ってこないフレーズだ。
黒々とした雷雲は次第に地面へと降りて、小さな竜巻になっているように見えた。
そしてよく周りを見れば、そんな竜巻がいたるところにあった。
この状況は絶体絶命と言える。
だけど先輩はぐぐっと腕を伸ばして、心地よさそうに深呼吸をした。
「あのさ、私ってケイスケくんのこと、いじるのが好きだったんだよね」
「内気だから、ですよね」
「そうそう、私が知ってるほかの人と違う反応ばかり見せてくるし、ほとんど逆らわないし、あっ面白いって思ってオモチャにしたんだよね」
「でもアリサ先輩は、そんなぼくを地球崩壊の日に連れまわそうと思ったんですよね」
「うん、一人で変なことやるより、二人でやった方が楽しそうだったから。でもここにきて、あてが外れちゃったなーって思った」
「それはどういうことですか?」
「鈍感だねーケイスケくんは。あの小屋で私にコクったでしょ?」
「あっ……いや、あのときはコクったとかそういうのじゃなくて……」
「うんうん、鈍感そうなケイスケくんらしい反応だ。まああの瞬間だけどね、ケイスケくんのことがマジメに、男として好きになったんだよ」
「え……ええっ!?」
「驚くことでもないでしょ? 山小屋のアレのせいで、吊り橋効果って言うのかな? それも加わって、なんかズキューンって胸にきたのよね。乙女チックに言うと、トキメキ?
だからさ……」
と、先輩はブレザーを脱いでまた下着姿になった。
「ロマンチックな光景じゃ全然ないけど、ロマンチックなこと、しよ?」
ぼくは「ええ」とか「ううん」とか言いながら、アリサ先輩と目を合わせた。
アリサ先輩の瞳にぼくが映っている。
なにも変わってない、風呂場の鏡でよく見るぼくの顔だ。
でも今のぼくはアリサ先輩から、というか女の子から生まれて初めて告白をされた。
アリサ先輩から、強引になにかをされることは拒んでいたけれど、こういうことは待ちのぞんでいた気がする。
嫌な気持ちはまったくしない。
でも心の準備や、その他もろもろの準備ができていない。
「言ったよね、ケイスケくん。私のことが魅力的だって。嘘じゃないでしょ?」
「嘘じゃないですよ……めちゃくちゃ魅力的です。今は特に……」
「だったらさ、あと三時間ぐらいは……ねえ、いいでしょ?」
アリサ先輩は、いつの間にかぼくとの距離を縮めていた。アリサ先輩の吐息が、耳に心地よく響いた。
ここにきて、ぼくは思った。
ああ、やっぱりアリサ先輩には逆らえないんだ。
そこは間違いなく、やっぱり変わっていない。
でも今は、そんなアリサ先輩に逆らいたくないと思えた。




