はうとぅーげっと、はぴねす 作:おいぬ
【幸せ】。たくさんの意味があって、きっと人の数だけの【幸せ】のカタチがあるのだろう。
幸せっていうものは、たぶん『理解されないこと』だ。少なくとも、僕はそう思っている。
なぜならば、この世界にはみんなが『不幸せ』だって思うことを『幸せ』だって思う人もいるわけ。
そして僕もそう。僕も、おそらくは他人から見たら『不幸せ』なのだろう。
なんでかって、僕は重い病気におかされていて、もって半月の命なのだから。普通の人なら、僕のこんな状況を見聞きしてあわれんだりかなしんだりするところなのだろう。
だけど、僕は違う。こんな重い重い病気におかされていることが、ここちいいのだ。
そして、今日もいつもと何も変わらない一日を過ごそうとしていた。
ぐらっ、とちょこっと地面が揺れた。ああ、なんだ、地震か。
……ここでは割と珍しい状況でも、僕はなんのきもちも抱かなかった。
むしろただそれだけのことか、と、こどもがあきたおもちゃを地面に捨てるみたいに、ぽいっとそこら辺に『めずらしいきもち』を放り投げる。
だけど、続けざまにテレビに映し出された言葉に、僕は釘付けになった。
本当に珍しいおもちゃを与えられた赤ちゃんのように、多分僕の目線はテレビに刺さっていたに違いない。
――こ、ここで、臨時ニュースをお伝えします
……いつもとは違う様子だな、とこの時僕はそう思った。
ちょっと前まで説教をする先生みたいにつまらない話をしていたのに、突然しどろもどろになったからだ。
その様子がとっても面白くて、僕はついつい吹き出してしまった。
そこからは面白いことの連続だった。世界の崩壊、落ち着いているけど、
なんだかさみしそうなニュースキャスター。パタパタと逃げていく看護師や医者たち。
みんな、幸せを追い求めて逃げてしまった。いや、逃げるってちょっとおかしいかな。走っていった、っていった方がいいのかも。
ちなみに、それは僕のお父さんとお母さんもそうだった。そこまで思い入れがないお父さんとお母さんには、それ以上の認識も感情も生まれなかった。
一人ポツンと残された真っ白な病室のなかで、僕は自分と対面した。
外面……とってもガリガリで、今にもミイラになってしまいそうだ。内面。実際のところ、僕にも内面の僕と言うものは理解できていない。と言うか、誰もわかっていないんじゃないかな。
……そんな僕の心のなかで、たたひとつ分かっているものがある。
それは自由というものに対するあこがれ。歩いて外に出てみたい。外で遊びたい。友達を作ってみたい……。そんな『ありふれたきもち』。
友達はもうできないだろうけど、外にいくことくらいはできるかも。だっていまは、こんな僕に構う人なんていないんだから。
気付かず僕は、ベッドからゆっくりと這い出していた。まるで泥を掻き分けて進むナメクジのようにのっそりと。
テレビのざーざーとした音は、サイレンのような言葉を振り撒いていた。
僕はその音からのがれるように、のそりのそりとはっていく。目標は病院の入り口。
――【幸せ】とは往々にして苦痛を伴うことだ。
……らしい。お父さんがまだ僕に興味があった時、よく僕に聞かせてくれた言葉だ。
今だって幼い僕だけど、聞いた時はもっと幼かった。だからその意味はわからなかったけれど。
「………っ」
すごく痛い。足がとんかちでカンカンとたたかれているみたいだ。
これがお父さんの言っていた『苦痛』なんだね。
いたい、苦しい。自由とはこんなに苦しいものなの、と僕は驚いた。
自由とは楽なものだ、とみんなはそう言うから、僕もそう言うものだと思っていた。
「ぃた……」
はじめてしゃべったとき、僕の体はずしんと重くなってしまっていた。
僕はうごけなかった。うでがいたい、足がいたい、体がいたい。いたい、いたい、いたいっ!!
だんだんと、「もうベッドにもどってもいいじゃないか」という気持ちになってくる。自由がつらいものなら、やらなくてもいいじゃないかって。
僕はそんな気持ちをすみっこに投げて、ゆっくりと、だけどしっかりと車イスの方にすすみだす。
なぜいやなのに、痛いのにそんなことをしているのかは、自分でもわからない。でも、何となくだけどやりたい事はわかっていたんだ。
『僕は生きたい。なにがなんでも生きたい』
〈もうひとり〉の僕が、僕の気持ちを、代わりに言ってくれているってこと。
「……苦しんでまで生きることに何の意味があるの?」
『苦しいことが、生きることだからさ』
「なんで? 生きることって、楽しいことじゃないの?」
『じゃあさ、勉強は好きかい』
「……ちょっとね」
『テストでさ、いい点数をとると嬉しいよね』
「……そうだね」
『それでさ、テストでいい点数をとるためにはたくさん勉強して、いっぱいきつい思いをしなきゃいけないよね。
それが多分、生きることなんじゃないかな』
うるさい、ともうひとりの僕に言った。何回も、僕のことをまちがってるって言ってるようで少しだけ悲しくなりながら。
だけどもうひとりの僕は、いらいらする笑い顔を変えなかった。それだけならまだ良かった。だけど僕を指さして笑った。
だから僕は怒った。もうひとりの僕の言葉なんて聞いてやるもんかって。
『この事に意味があると思ってるの?』
「……」
『考えるのをやめていない?』
「………」
『そうやって、まためずらしい気持ちを放り投げるんだね』
「………?」
いつの間にか、言葉を聞いてしまっていた。まるで体が動くことを許していないみたいに。
もうひとりの僕は、少しだけ優しそうな笑い顔をして、僕へと話しかけた。
『……ほら、それも『めずらしいきもち』。なにかに怒ったりイライラしたりするのって、久しぶりじゃない?』
「それがなに」
『色んなことに興味があるのにさ、自分の思っていることを言えないって悲しいよね。本当にそれで、人間って言えるのかな』
目の前でくらげみたいにふよふよとしている僕の『心』は、まるで僕をおちょくるように何かを言ってくる。
それで本当に楽しいのか、それは本当に人間と言えるのか、君は愚かだと。
僕はそんな『心の中の僕』がいやになって、逃げるように前にすすんでいた。
とつぜんに、何かにぶつかった。カシャン、と音を立てたのは、さっきからずっと乗りたかった車椅子だった。
「……」
人って目の前の好きなものにはいい考えしか浮かばないみたいだ。
……まえまでアレほど嫌がっていた僕の心は、今はこの車椅子にのって、外へ出ることを望んでいる。
自分の汚い、ずるい考え。ちょっと触ってしまって、僕がすこし、嫌になる。
だけど、伸ばしたこの手がもう止められない。ぴりりと腕に走る痛みでさえも、ひりりと痛む足があろうとも。
すると、不思議なくらいに体が軽くなった。いつの間にか、見えている景色が床じゃなくて、窓になっていた。
『やればできるじゃん』
「……」
『色々と貶して悪かったよ。許してくれない?』
「……」
もうひとりの僕は、僕へとあやまってきた。あやまってきたひとを許さないっていうほど、ひどくない。
もうひとりの僕がゆっくりと隣についてくるところを見ながら、車椅子を見た。
うれしいことに、僕に割り当てられた車椅子は電動式だった。右にあるレバーを倒して、前に進み始める。
ガチャガチャとした寂しい音、だけど今は僕の一人だけの味方だ。音をならしながら、病室の中から外へと進んでいく。
初めて自分のちからで扉を開けて、僕はそのまぶしい世界にはっとした。
世界はいっつも輝いていなかった。だけれども今ここだったら、すごく綺麗に見えてくる。
こんな世界を見ることができるのが、〈こんな日〉なことを、僕はちょっぴりうれしく思った。
『いい世界だね』
「そうだね、本で見た世界よりも、ずっとずっと綺麗だ」
そんな心と一緒に、少し大きめの地震が僕たちを揺らした。
車椅子を操作して手すりに引っ付き、車椅子と一緒に倒れないように注意した。
一分ぐらいたつとゆっくりと揺れは収まる。だけどいまだにぐわんぐわんしている感覚があって、どこか気持ちが悪い。……でも、きらいじゃ、ない。
幸い小さい〔ほすぴす〕らしいから、僕の病室から玄関まではそこまで遠くない。この車椅子を操作したらちょっとで到着できるだろう。
だけど、それではおもしろくない。せっかく光りはじめた世界を、楽しい世界を満喫できるのに、あっさり目標を達成してはおもしろくない。まるでうなづくように、地震がおこった。
……通るべき場所のひとつ、玄関からはみずくさい風が吹いてきて、僕を手招きする。
僕はそれを断って玄関を通り抜けた。またあとで来るからね、と玄関に言ったら、それに答えるように強い風を玄関は吹かせてくれた。
玄関を通り抜けて見えるのは、病院の受付だ。パソコンの青くてちょっと怖い光だけが、カウンターにあった。
次は休憩所、火が消えたタバコが、喫煙所に寂しくたたずんでいて、吸って欲しそうにしていた。
折角の機会だから、口に含んでみようかな、と僕は思った。
タバコはテレビではダメなものだって言われるけど、僕はそうじゃないと思う。だって病院の人だって美味しそうに吸うし、気分が落ち着くって言ってた。
僕は喫煙所の扉を迷わずに開けて、灰皿に手を伸ばしてタバコを掴む。少しくにゃくにゃになっているタバコは、何となく〔はーどぼいるど〕を感じる。
ゆっくりと加えて、先っちょを舐めてみた。
「にがっ」
そう呟いてしまうほど、大人の味と言うものはビターだった。
ぐらりと揺れる地震がまるでそんな僕を励ますかのようで、ちょっと嬉しい。
ゆっくりと口からタバコを離して、灰皿へと置く。
コーヒーもタバコも、だれもが美味しく味わえるものではないって、お父さんが言っていたことを思い出して、自分だけではないんだなって、ちょっとだけ安心した。
レバーを倒して喫煙所を出た僕は、次に何をしようか、ワクワクしながらやりたいことを思い出していった。
ラーメンっていうものを食べてみたいな。ああでもチョコレートって言うのも食べてみたいし……。
だけど、そんなやりたいことっていうのはすぐに消えてしまった。
なんでっていうと、すごく大きな地震が起こったからだ。なにか重いものが倒れる音がして、今までとは違う揺れ方をした。
うれしいことに、地震の揺れはすぐに収まった。まるで天地をひっくり返したような地震だったけど、車椅子は無事だった。
……今これくらい揺れるなら、少したらもっと大きいモノが来るはず。僕はそう思って、こわくなった。
地震で車椅子から落ちないように、そとに出なければいけない。もしここでひっくり返ってしまいでもしたら、ナメクジよりも遅い僕は、ぜったいに外へと出ることはできないだろう。
いまの時間は、短い針がさんのところにある。この世界が終わるまで、まだまだ時間はある。……だけれども逃げるのは無理だなって思った。
僕は急いでレバーを倒す。すいすいと進む車椅子は、こんな揺れているときでも、堂々としていた。そこそこの速さで玄関へと進んでいっている。
玄関すぐ近くの受付へとたどり着いたときには、もういっぱいいっぱいだったのかも。だから時間が早く流れていくように感じられて。……車椅子の速さがとてもノロノロしたもののように感じられて。
焦った僕は、スロープからではなく、階段から降りようとしてしまった。
もちろんだけど車椅子は重い。新幹線が勢いよく脱線したら、橋の外に投げ出されるのは僕でも知っている。
大きな音を立てて、僕は玄関近くへと放り出された。
肩がいたい、足はもっといたい。もう少しも進めそうにないのに、目の前にはどうしても行きたかったところがある。
後ろを見てみると、横に転がっている車椅子があった。重い車椅子は、僕の力では持ち上げることもできないだろう。
それに、とてもいたい体のせいで、転げている車椅子の元へいくこともできない。
目の前が、なんだか遠くなるような気がする。地震で揺れる地面をお腹いっぱいに感じながら、ちょっとだけ涙がこぼれそうになった。
でも僕は前に進むことを決めた。少し動かすといたみが走る体にムチを打って、のそりのそりと進み出す。
先程ナメクジよりおそいっていったけど、そこまで僕はのろまじゃなかった。一分で三十センチくらい? 僕はゆっくりと進んでいた。
のそりのそりと、五分くらい前に進み続ける。まる僕を呼んでいるみたいに、いきなり自動ドアが開いた。
外の涼しい空気が、肺に入ってくる。静かさを保っていた僕の心が、気持ちが、まるでエンジンをつけるように、どくんどくんとなり始めた。
こんなに嬉しいと感じたのはいつぶりだっけ。小学校にもいってなくて、ここで寝ていた僕に嬉しいって思ったことがあったっけ……。
そんな感じで湧き出てくる喜びに、幸せに、心がぴょんぴょんする。ぴょんぴょんとした心で、僕はもう一回めいっぱいの空気を吸い込んだ。
クーラーの涼しさじゃない、なんか暖かい涼しさだなって思う。汗でびっしょりと濡れた僕のパジャマが、吹いてくる風でどんどんと冷えていく。そしてくしゃみが出ちゃった。
足のいたさとか、肩のいたさとか、僕は全然気にならなかった。なんだかこの『いたさ』が、今僕が、ここで生きているって証明しているようなきがしてきて。僕はそのいたみを受け入れた。
すると、いたさでこんがらがっていた頭がすっきりして、もっといろんなものに気が配れるようになった。
鳥がなく音、風が草を揺らしている音、何かが崩れた音。僕はそんな音のひとつひとつを聞き逃したくなかった。
だから、耳をすます。頭の上から響く、すごく大きな音が一番聞き取りやすかったから、僕はその音を聞こう。そう思って目を閉じた。
……そして僕が目を開く事は、もうなかった。
――【幸せ】。
たくさんの意味があって、きっと人の数だけの【幸せ】のカタチがある言葉。もちろん僕にも幸せがあって、それを見つけようとしていた。
結局幸せは見つけられなかったけれど、ひとつだけわかったことがあったよ。
最後のひとときは、とても幸せだったってこと。




