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スペシャルアンソロジー「明日、世界が滅亡します」  作者: 世界崩壊アンソロジー企画
18/22

半日アーチ 作:ふにゃこ

 朝のニュースを見ていなかったので、多岐川徹たきがわとおるがそれを知ったのはいつも通り会社に着いてからだった。

「今日はもう、休みでいいよ。仕事なんかしても意味ないしね」

 上司はどこかぼんやりした顔でパソコンに向かっている。

相沢あいざわさんは何をしてるんですか?」

「俺は……これだけ片付けちゃおうと思って。まあ、区切りいいところまでやらないとすっきりしないし……他に何やってりゃいいのかもわかんないからな。いつものことをやってたいんだ、明日までだとしてもさ」

 そういうものか、と徹も自分のパソコンの電源を入れて向かってみるが、やる気は起きない。


 同僚の北見きたみは会社に来てもいなかった。何してる、とメールしたら、これから飛行機で中国に行くそうだ。パンダ好きの彼女が最後に成都せいとのパンダ基地を見てから死にたいというので、急ぎチケットを取ったとのこと。美味い中華料理をたらふく食って、たくさんのパンダを見ながらその時を迎える予定だそうだ。

「おまえも思い残さないように、好きなことやれよ」

 行動力のある北見を少し羨ましくも感じたが、徹はなんだかぴんとこないままだった。

「本当に……世界が終わるのか?」

 会社のパソコンで、ネットニュースを何度も確認する。公式のソース。紛れもない事実。そして着々と最後の準備をしている世の中の様子。


「やっぱり帰ります」

「おう、帰れ帰れ。若いもんは彼女とセックスでもしてろ」

「彼女いないんで……セクハラですよ、そういうの」


 やりたいことも思い付かないまま、駅前を歩く。

 果物屋のおばさんが、残ってもしょうがないからと商品をタダで配っている。他の商店も似たような様子だった。パニックになっている場所もあるとニュースになっていたが、ここの商店街は比較的落ち着いていた。そういえば再開発のために立ち退き要求が来ているが拒んでいるとかいう話を以前聞いた。結果的に最後まで家業を全うできるのだという自負が、ここの人たちの救いになったのかもしれない。

 りんごをひとつとペットボトルのお茶を押し付けられるままにもらい、「これも持ってけよ!」と隣の洋品屋のおやじがその上にTシャツを数枚乗せてくる。さすがにTシャツはいらないが、断るほどの気力もなく受け取ってしまう。

 行きつけのラーメン屋の前を通ったらいつものラーメンが食いたくなったので、とりあえず昼食にしようと店に入った。いつものラーメンを、ふつうに美味いと思いながらすする。もっと豪華な、何か最後を飾るのにふさわしいものを食べた方がよかったのかと思い付いたのは食べ終わって店を出てからだった。でも何がよかったか。寿司か、焼肉か。いったん満腹になってしまったので、いまいちそれ以上の食欲が動かない。やっぱりいつものラーメンは美味かったので、それを食ったことに後悔もない。

 最後に食いたいもの、最後にやりたいこと。何かないのか、俺は。何か。

 何か見つかるんじゃないかとしばらく歩きまわってみたがめんどくさくなってしまい、駅前の広場のベンチに座って休憩する。もらったお茶をひと口飲む。りんごをかじってみるが、あごが疲れるのでふた口でやめた。帰ってから切って食べよう。

 果物屋の店頭の商品はほとんどなくなっていた。向かいの道のコンビニもパン屋も、棚は空になっている。やり遂げたような顔の店主たちは店じまいをはじめ、名残惜しそうに挨拶を交わしたりして、やがて家屋の方に引っ込んだ。

 街宣車がやってきて、神の裁きがどうのこうの、復活がどうのこうのとしばらく演説をしていたが、マイクを持った黒服の男は最後には「……実際ほんとに終わるとなると、どうにもなんないっすね」と苦笑いしてため息をついた。

「ノルマだったんですけど、もうやめますわ。帰って家族と過ごします」

と宣言をして、車ごとどこかに走り去っていった。


 自動車の通りはほとんどなくなり、いつものやかましさはすっかり消えた。

 電車の音だけが定期的に空気を揺らす。

 急速に【片付いて】いく、ごちゃごちゃしていたものを眺めていると、急に恐怖が実感として湧いてきた。

 祖父が死んだ後の部屋から、物がどんどんなくなっていって、そして祖父の形跡が跡形もなくなったときの、さみしさとそら恐ろしさを不意に思い出す。


 死にたくない……


 そうか、俺は死にたくないんだ。

 暮れてきた空の色が、思考のピントを結ばせたような感覚。

 突然その事実に気付いてしまったのだった。

 このまま暗くなって、朝が来て、そしてすべてが終わる。

 徹はやっと立ち上がった。


 家に帰って、布団に丸まった。自分が死ぬのだということをはっきり認識してしまってからずっと、ガタガタと体が震えて止まらなくなっている。

 何かしなきゃいけないような切迫感を感じつつも、やはり何もするべきことを思い付かない。心の中は不安を抑え込むことだけでいっぱいいっぱいになっていた。片付け? 掃除? もしくはゲーム? 手が震えてそれどころじゃない。寝付くこともできない。情けない。

 ふと時計を見る。

 明け方、四時四十四分。

 不吉な数字とあいまって、頭がくらくらする。全身に鳥肌が立つ。

 汗ばんだ手で布団の端を握り締める。気が遠くなる。


 はっと気付くと、徹は駅前に座っていた。

 腕時計を確認する。四時四十四分。

 正確には十六時四十四分。夕方だ。

 先ほどまで家にいたのに……そうか、夢か。寝ちまったんだ。いつから寝てたんだろう?

 というかどこからが夢だったんだ? さっきまでか? いまのこれが夢か?

 手元にはかじりかけのりんごと、飲みかけのペットボトルのお茶。昼間もらったものだ。


 もしかして全部夢だったんじゃないか……世界が崩壊するなんて、それも。

 きっとこれ、夢なんだよ。笑える。

 徹は立ち上がって、ニュースの確認できる場所を探した。電気屋の店頭のテレビ。ほら、世界が終わるニュースなんて……しかし期待むなしく、そこには昼間見たのと同じ情報が流れている。

 じゃあこれも夢なんだ、もうすぐ目が覚めるに違いない。


 徹はしばらく体をつねったり念じたりしてみたが、一向に目が覚める気配はない。とりあえず家に帰ってみる。どこも現実と違わない。こんなリアルな夢見たことない……疑わしいまま部屋でだらだらと過ごす。


 四時四十四分。

 気付くと徹はまた駅前に座っていた。りんごとお茶。

 夢? いや、おかしい。違う……夢ではない。

 タイムリープ、という言葉が思い浮かんだ。それがいちばん、この状況を説明しているように思う。

 世界が崩壊するなんて事実があるんだ、タイムリープだってきっと起こるんだろう。


 でもなんでだ? 理由は?

 死にたくなさ過ぎて時空を歪めてしまったのか俺は。

 まさかこの展開、俺に世界を救えとかそういうことじゃないよな?

 新卒二年目のしがない会社員に何かできることがあるのか?

 せめて半日じゃなく、もっと前まで戻ってくれれば、何か……

 世界の終わりを防ぐとかそんな大層なことは、どれだけ時間があってもできるとは思えないが、たとえばこの日に終わるとわかっている人生を謳歌する的なプランを組むくらいなら……一週間、一ヶ月、一年、そのくらいあればさ。彼女つくったり、会社辞めて遊んで暮らしたりさ。できたのに。

 たった半日で何ができるっていうんだ。


 結局どうしたらいいかわからないまま、徹はそのタイムリープを八回繰り返した。

 明け方の四時四十四分になると、夕方の四時四十四分に戻っている。世界崩壊前日の、駅前に座っていた時点まで戻っている。

 だが、数時間戻ったところで、何ができるわけでもない。世界が終わる準備をしているのを眺める以上のことは徹にはできなかった。せいぜい違う道を通ったりして、少し違う人たちの景色を見るくらい。泣いている人がいたり、怒っている人がいたり、呆けた人がいたり、達観した人がいたり。

 切迫した死への恐怖は少しだけ薄れたが、訳がわからない分性質が悪い。戻ったところで世界の終わりが来なくなるわけでもない。まな板の上で弄ばれている気分だ。


「どうしろっていうんだよ、これ……」

 途方に暮れて川べりに座っていたら、背後から女の子の声がした。

「こんにちは。おひとり?」

「えっ、何? ひとりだけど」

「そんな驚かなくても。まあ、みんな自分のことで精いっぱいって感じだもんね。あなたがあんまり落ち込んだ顔してたから声かけてみた」

 たしかにそんなふうに声をかけてきた人間ははじめてだった。妙に爽やかな笑顔で、彼女は徹の隣に腰かけた。

「突然リストラされたおじさんみたいな哀愁漂ってたよ? ……まあ、似たようなもんか」

「リストラはされてないよ?」

「株式会社地球、倒産しましたって感じじゃん、この状況ってさ」

「なるほど。ああ、なるほどなあ……君は? 学生さん?」

「大学生。教育学部」

「へえ、教師目指してる感じ?」

「そうそう。まあなんか、未来の子供たちのために、とかそういう……頑張ってたわけなんだけどね。まさかこんなことになるなんてね。さすがに予想外だよね」

「そっか。頑張ったのに、無駄になっちゃったね」

「無駄じゃないよ。なんにも、無駄なんかじゃなかった」

「明日で終わりなのに?」

 暗くなりかけた空を彼女は見上げている。悲壮感とかは特になく、微笑んでいる。

「いまこの瞬間の私をつくってるのは、間違いなくいままで頑張ってきたたくさんのことだから。勉強も、読んだ本も、先生や友達も、くだらないこともたくさんやったけど、無駄なんかひとつもなかった。私がいまここにいる、それだけで、全部無駄じゃない。あなたもきっと同じ」

 そういう考え方もあるのか。前向きすぎてちょっとくらくらする。徹のまわりにはいなかったタイプだ。「無駄なことやりたくねーめんどくせー苦労とかしたくねーひまー」そんなやつばっかりだった。

 そうでもないか。徹がそうだった、そしてそういうことを言う人に共感してここまできた、そういうことだっただけなのかもしれない。

 無駄なことなど何ひとつないと思えて生きてくれば、こんな世界の終わりに際して、もっといまの自分とは違う考えが持てたのだろうか……そんな自省が頭をめぐり、徹は無言になってしまう。

 しばらく風の音だけを聞いたあと、彼女はぽつりと言った。

「私ね、これからスパに行って、ゆっくり広いお風呂入って体を綺麗にする。それから死のうと思う」

「そっか。風呂もいいな……前向きだね」

 そんなふうに生きれたら、そんなふうにポジティブに最後を迎えられたなら。だが、続けて彼女が言ったのは少し意外な言葉だった。


「公園で自殺するんだ」


「え? じ、さつ?」

 聞き間違いかと思って鸚鵡返おうむがえす。不穏な単語。

「外側のよくわからない都合で殺されるのなんてまっぴらだと思ったから……自分で責任を持って、死に方を選ぼうと思ったから。どうせ死ぬのなら、自分の最後は自分で決めたいと、そう思ったから。自殺することにしたの。薬とかは準備がないから、首吊りかな」

 疑いなく、彼女は自殺をすると言っていた。

 呆然とする徹に彼女はきらきらした笑顔を向けた。

「聞いてくれてありがとう。知り合いに言ったら絶対止められると思ったから……でも誰かに話したかった」

 立ち上がってスカートを払うと、彼女は伸びをした。

「じゃ、行くね。あっ、そのTシャツ、駅前でおじさん配ってたやつだよね?」

「あ、うん」

「あなた絶対、こんなのいらないって思ってるでしょ。いっこもらってあげる。新品着たいと思ってたの」

「あ、うん……あげる」

「あはは、たかったみたいになっちゃった。ありがとね。さようなら」

「……さようなら」

「来世で会いましょう」

 ひらひらと手を振って、軽やかに、彼女は楽しげな足取りで去っていった。


 考えてもみなかった選択肢だった。自殺?

 信じられない。

 でも、冗談かもしれない。これから自殺する人間が、あんなきらきらした顔で笑うのか。

 俺が落ち込み過ぎていたから、そんなことを言い出したのかもしれない。

 と言って、笑える冗談でもない。

 でも。

 明日になればみんな死ぬ。みんな死ぬのだ。だったらそれは、極めて前向きな……

 考えがまとまらないまま、川べりで暗くなるまで徹は俯いていた。


 風が冷たくなってきたので徹は立ち上がった。深夜になってしまっていた。

 いったん家に帰ろう。酒でも飲んで、ごまかしてしまおう。

 夜道はもう誰もいない。ふと公園の前を通りかかる。彼女が公園で、と言っていたのを思い出す。誰もいないのを確認できれば彼女が言ったことが冗談だった証明になるような気がして、徹はふらふらと公園の中へと進んでいった。


 ブランコで首を吊って彼女は死んでいた。

 おそるおそる近付くと、お風呂上がりのせっけんのいいにおいがふわりと漂ってくる。ロープは準備していたのだろう、ぶら下がった死体は徹があげたTシャツを着ていた。少し湿ったやわい髪。腕に触れると驚くほど冷たかった。


 徹は嘔吐して、公園の水飲み場で頭ごとばしゃばしゃゆすいだ。びしょ濡れのまま走って家に帰った。忘れようとして頭から布団をかぶる。何も見なかった、何も見なかったと必死で唱える。最初にこの日を迎えた時みたいに、震えが止まらなくなっていた。


 自分もいずれ、いや、もうすぐ。もうすぐ死ぬ。

 あんなふうに冷たく……いや、死体も残らないのだろう。

 彼女の笑顔を思い出す。

 死ねば……死ねば彼女にもう一度会える? あの世で再会することができる?

 あの笑顔をもう一度見ることができる……たとえばそんな、ロマンチックな理由があれば、俺はそれを、死を受け入れる理由にできるのだろうか。

 明日確実に訪れる死を。彼女に会うために。

 きらきらした笑顔、その言葉、見上げていた空の色と一緒に見ていた川の水面みなもの色、死体とせっけんのにおいとTシャツが頭の中でぐるぐるとまわる。


 気付くと時計は五時をまわっていた。

 もう繰り返しの時間を抜けたのだと直観する。

 だったらそれは、俺が死を覚悟するまでの猶予だったのだろうか。


 朝の光がカーテン越しに射してきている。彼女ともう少しはやく出会えていれば……そんなことを考えて、徹は愕然とする。

 違う。

 もう一度ループしていれば、彼女の自殺を止められたかもしれない?

 そこまで深く介入はできなかったとしても。

 彼女のことをもっと知りたかった。もっと話したかった。もう少しだけ仲良くなりたかった。それだけのためなら、数時間で足りたのだ。

 死んでからあの世でもう一度だけ会いたいなんて、願うくらいなら……半日もあれば充分だったのだ。

 彼女の名前すら知らない。

 猛烈な後悔が押し寄せてきて、涙がぼろぼろこぼれてきた。

 濡れたまま布団にもぐったせいで湿った布地は、涙も鼻水もよくわからなくなっている。


 陽が昇り切る前に、世界は終わる。

 その時が来る。

 りんごを切って完食し、新しいTシャツに着替えて、徹は待った。


 その時が、来る。

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